そして最後は、「共に白髪」を取るまで、昔は人生50年でございますから、
白髪を取るまで一緒に暮らしたという、お祝い曲でございます。
「かわいい」と言われたので、その言葉がホントかウソか分からないけど、
一生に一度、鶴の一声。「幾千代までも」一緒にいましょうと言ったと。
うえに上がってお泊りしたという事で、しめやかに語り明かしたと言うことで、
何をか言わんやで、ちょっと想像していただきまして…。
で、「鶴の一声」それはめったに言わないひと言。
地歌と地歌舞
きょうはありがとうございます。
突然、舞わせていただきましたのは、「鶴の声」という曲です。
お祝い曲でございまして、雨の日に出会った二人はしっとりと、
「足拭く宿にしめやかに」と、足を拭く宿と申しますのは、
そんなに立派ではない素朴なお宿で、立ち寄ってお茶飲むだけなら足は拭きません。
韓国には宮廷舞踊もあり、サンムルノリという農民の踊りもあり中では、
色々分かれているんですけれども、言葉まで変えるというのは、多分日本だけです。
それで、明治に何でも西洋風にしなければいけないという風潮でした。
この時、二つの言葉が有るのはちょっと時代遅れじゃないか、一つにしようというので
日本の舞と踊りをひとつにして、日本舞踊という言葉ができました。
この時点では、地歌舞は舞で、日本舞踊というとみなさまぱっと思い浮かべる、
藤娘とか鷺娘など派手な歌舞伎の中で踊られる舞踊がございますねぇ、
これが踊りでございました。
地歌舞のほうが、なにせ地味なものと、歴史がございますのとで、
当時の人はちょっと時代遅れと思いまして、
歌舞伎舞踊のほうがモダンだったのですねぇ。それが全盛期を迎えました。
そして、やっと最近になって、
地歌舞の良さも皆さん分かってきてくださっているようでございます。
この二つがあります。
舞と踊りの語源
踊りのほうは、歌舞伎舞踊の踊りと盆踊り。各地でこう派手に動くものですね。
元もと踊りと言う語源が、飛び上がると言う跳躍の躍というイメージだったんです。
こういう意味を踊りのほうに転化して、舞のほうは廻るという意味だったんですね。
それから分かりますように動きも飛び跳ねる激しいものと、廻るだけの静かなものになりました。
飛び上がるのは、神様とか仏様とか天上にいらっしゃる人の力を超えた
何がしかの方にメッセージを送るために飛び上がる。
雨を降らせてほしい、今年は豊作ありがとう。
もうこんな地震やめて頂戴とか、そういうことですね。
で、廻るほうは神様とかが降りていらして見えて、人々の間を周りながら、
お前たちは大人しくしていたか。ちゃんと勤勉にしていたか。
悪いことをしたら、悪いことがまた起きるぞ、みたいな。
そういうお話をされた、というのが廻る。これが語源でした。
地歌舞
舞というと能のほうには、神宮なんかで舞われます雅楽の舞ですとか、
地方にもあります神楽舞とか、それと地歌舞でございます。
地歌舞は地歌がだいたい室町(時代)に、お能ができたころにできておりまして、
当時は琵琶で歌われておりました。
この琵琶法師が堺のほうから、いまはお三味線といいますが、当時は三絃といいました。
三つの絃と書きましてねぇ。で、最近糸偏使いますがホントは弓偏です。
ちょっと雰囲気が硬くなって武器みたいと言われて、
武器ではありません楽器です、と言うことで糸偏になりましたが、両方使います。
三絃と申します。
で、時代が変わってきて、お三味線というふうになりましたが、
いまだに、三絃と申していますのは、この古いときの名残です。
そんなことで、地歌があったころから、地歌舞はあったようでございます。
残念ながら、地歌も地歌舞も口伝なんです。
地歌は当時目の見えない方たちが、お琴三味線と歌をされましたので、
物が書けませんし、お弟子さんたちも書いてはいけない。
舞のほうも、私が子供のころは、歌詞も書いてはいけなかったのですね。
全部覚えなさいと。要するに書いて覚えたような気になってはイカンぞ、
ということもあったのかもしれません。
そんなことで、舞も古うございました。
踊りは新しいのでみんなちょっと面白いなと思って、ということですかね。
で、最近では、地歌舞でよくご存知であるのは京都の舞妓さん、
大阪の芸妓さん、これは舞です。
私の舞いました舞は古澤流と申しまして、元もと、姫路城に伝わってきました
御殿舞をもとにできた地歌舞なんですね。
きょうは、ちょっとこの紗を着て舞ってしまったのですが、
ほんとうの舞は柔らかもので舞います。
でも、着物しぐさの日なので、ちょっと変わった趣向の着物を着たいと思いまして、
長襦袢に金魚さんが泳いでいまして、着物は水の柄なので透けて見えて
涼しそうかナと思って。
なかなか舞をしてると、こういう着物は着れませんので、
今日はちょっと、突然舞いもさせていただきました。
あとで舞体操というのもしてみたいと思います。
きものと洋服
実は私の母はずーと大阪の船場の生まれなのですけれども、
彼女が小さいころは女の子は着物を着せても、小さいころは着物は結構引っ掛けるんですよ。
ほんとの日本の建築ですと、ドアのノブとかありませんから、まだいいですけれども、
洋風のお屋敷ですとしょっちゅうドアの部分にね(引っ掛けて)、
びりびりということが有るんですけれども、着物は私は好きなんですよね。
洋服だと、切れが布であって切り刻んでぴちぴちっと作るじゃないですか。
確かに動きやすくて合理的で、今日もみなさまお洋服が多いですし、
私も普段は洋服ですし便利なんですけれども、着物って何か自立しているような気がするんですよね。
布は四角いまま、できるだけ四角いまま切っていって、身体を合わす。
丸い身体に四角い布をあわして、そして余った所を袖とかこの皺になったところが飾りになる。
お洋服ですとわざわざおリボン付けますけれども、着物の場合は、帯を結んで
便宜上結んで、それが美しい形になるという、
そういった意味では合理的なんではないかと思っていますが、
それだけに余った部分が多いですので、ちょっと日常の仕草も必要なわけです。
ただ単に着て走り回っていては、あちこちびりびりとなってしまいますので、
京阪神では女の子がもの心ついて、6歳の6月6日からお琴や三味線をする子がいましたけれども、
そういう着物を着た姿が美しいようにと、そしてあまりお転婆しないようにと
舞を習わせるということがございました。
着物のしぐさ
物を取るとき洋服だとバーとこう取りますよね。
着物ですとどうしても引っ掛るというのもありますし、不思議と私なんかも若いころは
ミニスカートでしたし、お洋服だと肌を露出しても平気ですが、着物ですと
ここガ~と開いていると変ですし、手がにゅーと出ると恥ずかしいんですよね。
ですから、何か取るときもこういうふうに手を添えて袂を持つて取るとか、
それがちょっと、奥ゆかしく、美しく、そして隠す色気。でも結構色っぽいですよねぇ。
あの若い女の子が髪の毛ロングで、おしゃれなお嬢さんが浴衣で髪の毛あげて
襟足が見えると、ちょっとゾッとするほど色っぽかったりしますよね。
そういう隠してみせるという演出がすごくされていると思います。
ですから風がすごく吹いてきたときでも、やはり裾がめくれるからここをちょっと押さえる。
それから座る時でもほんとうは左手でこう押さえて、右手でこうスーとこうして座ると
座ったこの先がすこし出るんですよね。これがのしの形になっている。
そうやって相手さまにのしをつけてというふうな礼儀にもなっています。
しぐさと姿勢
色々仕草は有るんですが、せっかく今日来ていただいた方達に持って帰って
いただきたい仕草ですが、姿勢ですね。
着物を着ますと帯が有りますので、舞を習い初めの子に着物着せますと、
急に姿勢が良くなりますので、「あら、姿勢良くなったわね。」といいますと、
帯がきつくて前に曲がらない、というんですよ。
しゃんとします、帯をしますとね。
慣れるまで腰が痛かったりしますが、慣れるとしゃんとします。
なで肩をつくる
まあ着物、浴衣でもお召しになったら、胸を張って。
そして日本人って、着物が似合わない方っていらっしゃらないんですよ。
いかり肩で着物が似合いません、という方は、だいたいこうしていますね。
(と、猫背の姿勢に)。「私いかり肩で、着物似合いません。」そんなことないんです。
こうして胸を張って、手を後ろにやって、脇の下にすこし卵が入るように、
キューとしないでふわっと。手は背中から生えてきた。
エンゼルの羽根背中から生えていますよね。
あそこらからふわふわと手が生えてきて、こちらの前にぽんと乗ったと。
そういうイメージでしますと、とても丸みを帯びてきますので、なで肩に見えるじゃあありませんか。
そして、あごを引いて。
体重は普通に立つとちょっと楽をしてるとこんな格好で立っていたりします。
これをちょっと気をつけていただいて。背筋を伸ばして、ちょっとだけ緩めて、
つま先のほうに体重がいきますとひっくり返りそうになるので、ついあご引きますね。
で、胸が出ます。そうすると多分、顔もきれいに見えます。
美男美女のセオリー
10年ぐらい前のアエラに、美男美女の顔のセオリーが出ていました。
子供の時ほど顔がきれいで、だんだん変わっていくそうなんですが、
顔の上半身、下半身で言うと、下半身が伸びてくるんだそうです。
(顔の)下半身が小っちゃいほうが、きれいなんです。それは簡単なんです。
こうしていると(と、あごを突き出す。)、下半身が大きく見えてよくありませんが、
顎を引いて、くっとすると、眼は大きく見えるし、
(顔の)下半身は、小っちゃく見えるので、きれいになります。
そして、一生懸命遠くを見る、そうすると眼がきれいになります。
そういったことも、舞の中で教えてまいりますので、私のお弟子さんは
みんな美男美女ですよ。(笑い)。とてもきれいになります。
すり足でヒップアップ
そして姿勢も気をつけていただいて、何より良いのは、
舞で歩きますすり足といって、踵を上げずに歩く練習をするんですね。
そしてひとつには足を出すのに、一緒に腰を出すとこうなるので、
どうしても片方に体重が乗りますからモンローウォークに近くなるのですが、
足を出して体重をグーッと前にやる、足を出してから体重を、腰を決めてグーと前にやる。
こうすると腰が揺れて見えませんのと、これをずーとやっていますと、実はヒップがアップします。
ということは、足が長くなります。
そして、腰を入れて歩くのは、スポーツの方なんかはみんな腰が入っていますよね。
お相撲さんでも、だいたい負けそうな人と負けない人、始めに取り組みの時、
体重がこう前にかかっている人が勝ちます。
体重が前にかかっているというのは、これは転ばないのです。
スキーでも、良く転ぶ人は体重が、後に行っていますね。
体重が、前に行っている人は板を押さえて滑るので、転びませんね。
だからスポーツされてる方はお分かりだと思いますが、舞の時もぐっと顎を引いて前に歩くと、
これをやっていると筋肉がついてきて、足が長くなります。
美しい立ち方と歩き方
あっ、着物を着たとき、男の人と女の人の美しい立ち方、歩き方と申しますか、
膝と、足袋ですと親指とほかの指が割れる真ん中に筋がありますよね。ここが、だいじです。
よく女の人は、着物を着てもこうしますけど、これはちょっと、無駄な立ち方で、
そのまま美しい人も有るかもしれませんが、本来の美しさではありません。
本来、女の子は内輪ですね。極道の女たちみたいに、やくざのお姉さんの動き方をする時は
岩下志麻さんなんかもこうやって歩きますねぇ。
あれはやくざお姉さんの感じを出す時の、わざと男のように足をこうして歩きますが、
でも、女の足なんですね。
じゃあ、男の足はどうかというと、姿勢だけではないんです。
膝です。膝をカッといって、だいたい男の人はこういう歩きかたしますけれども、
特に足をここまでするので、ちょっと足は内ッ側というか、膝と足の指を足袋の筋と同じ方にして
腰を入れてこういうふうに歩くと男っぽいでしょう、ちょっと。(と実演して見せる)。
これが、どうしても女の人が男舞をすると、こうして歩くんですよ。
これはあんまり良くないと思いますね。
膝をくっと割って歩くとカッコイい。それとちょっと斜めに立つ。
こうして立つよりすこし斜めに立つ。
女の子もちょっと色っぽい粋な女性はちょっと斜めに立つて見るとか、ね。
そういう意味では、仕草だと思いますけれども。
日本には、舞と踊りがございます。
外国ではダンスという言葉で、それひとつで表します。
ちなみに、谷崎(潤一郎)さんは地歌を習われて、はじめにこの歌を習われて、
非常に覚えが悪うございまして、「軒の雨、立ち寄る影は難波津や」 という
「軒の雨・・・」ばかりやってらっしゃるので、お友達に、
「雨上がっちゃうよ」と、からかわれたそうでございます。
お習いになりましたのは菊原琴治(ことじ)先生で、
このあいだ102歳まで元気でいらっしゃってギネスブックに載った
菊原初子(はつこ)先生という地歌のお師匠さんのお父さまで、
初子先生は春琴抄のモデルになった方です。
そういうふうに、ちょっと文学的であったり、色々伝説もあります
地歌や地歌舞なんですけども、なかなかご存知でない方も多(おお)ございます。
この場でもたぶん、地歌舞なんてありまご存じないか、と思いますので、
すこし着物しぐさのお話しに入っていく前に、舞のお話しは慣れておりますので、
そちらのほうからに入らせていただきたいと存じます。
舞と踊り
Q&A
Q:舞の作法で、扇を前に置いて舞ったのは、どんな意味が?
A:扇子の作法ですね。
流派によって全部違うが、古澤流は姫路城の御殿舞から来ているので、
これは武家の作法。
前に置いてご挨拶するのは、私がへりくだっている。
あなたと私は、同じ部屋の中でご挨拶するのは非常にもったいないことで、
結界を置いて、そちらは身分の高い方、私は身分の低いものですという意味で、
前においてご挨拶する。
あとは扇子をきれいに入れたり出したりする仕草なんです。
ご挨拶の時、左手を先にまっすぐ出して右手を脇から出しました。
左は、和ものでは目上なんです。ですから明治以前はお殿様は向かって右、
お殿様の側から見るんですが、左にいらっしゃる。左が目上。
左手が先にまっすぐ出ます。右手があとから出ます。
相手の気持ちを汲んで、同化する意味も有るので、意味が深いと思います。
日本人の以心伝心。心の優しい、相手を思いやる気持ちは
こういう仕草の中にも感じられるように存じます。
それと気配を感じるということですね。
地歌舞は気配の文化
地歌舞は、ちょうどこういう空間で舞うのが一番良いのです。
日本舞踊、歌舞伎は劇場で舞います。
舞台で起きることは人殺しが起きようが、なにが起きようがお客様は安全です。
ちゃんと、舞台と客席が分かれている。
地歌舞は違います。お座敷舞と申します。
座敷の中で舞われて、気配を感じる空間で、舞は舞われたものなのです。
ですから、ずっと居なくても良いのです。気配で感じる、同じ空間で感じて、
何かひと時を楽しむというのが地歌舞、地歌というもので、
気配を感じるのは、そういった小さな空間が良いのではないかと思います。
歌舞伎では動きもはっきりわかりやすく、新しい物であった。
それに比べて地歌舞はお座敷の中で、二方向で発展してまいりました。
花柳界で、舞妓さん芸妓さんが舞った。ここでは食事が出ていますから、
そこでほこりを立てると不潔になりますので、静かに舞ったともいわれております。
また、余裕の有るお嬢さん、奥さま方が舞われた。
こちらでは仕草をしっとりと、女らしさを培うために、静かに舞ったと。
気持ちの豊かな表現が必要であった。
歌舞伎は型があってそこに心を入れていきますね。
私はそれは難しいと思います。地歌舞は型が後なんです。
気持ちを持っていって動きになった時、型ができるという、そういう文化です。
日本の文化はとても奥が深いと思います。
着物文化そのものが無駄なものを付けておいてね、でも無駄じゃない。
これが、お袖がかわいらしい。
そして袖も、いろんな意味合いがありますよね。
袖の露なんていいますと、袖に露があたったのではなく涙のことですね。涙の露。
袖を片敷く、というのは一人で袖を片方に敷いて寝ている。
ほんとうなら、彼の腕枕があるはずのところがなくて、私は袖をひいて寝ている。
一人寝の寂しさをいいますね。
お袖とか、裾なんかも物語が隠れているので、文化を大事にして。
思いますのは、虫の音を聞いたりする。自然のものを大事にする気持ち。
これが着物の四角を、四角なまま着物にするというのにもついていますし、
そして、着物を着ることで、仕草が美しくなる。
ちょっとした心配りができるようになることなのです。
邦楽いろは談義8月スペシャル「着物しぐさと舞」の、
Q&Aでの、家元古澤侑峯さんのお話しの続きと、報告の余聞。
舞体操のあとの、Q&Aがありました。
Q:古澤さんは地歌舞は何歳くらいから始めたのですか?
A:その質問には、答えられます。
いま何歳か? と、(いう質問と)体重だけは、答えないことにしています。
2歳からいたしました。私は母が教えてくれていましたので、非常に厳しい人だったので、
嫌いでした。舞が好きだということになかかな気がつきませんでした。
とても、怠け者でぜんぜんお稽古してませんでしたが、
でも小っちゃい時に触れていましたので、結局一生続けることになって、
今では、たいへん母には感謝しております。
面白いのは、バレーがしたかったんです、実はとっても。
で、父に言いましたら、 「よし判った、観に連れって行ってやる。ところでなぁ、
二つ有る、日本人のバレリーナと、フランス人のと有るが、どっちに行く?」
「フランス人のほうに行く!」と、言いましたら、
「じゃあ、やめとけ。お前は、特に日本人の体型をしているから無理じゃ。」
と、言われてしまいまして、それで(バレーを断念し)、舞をしておりました。
でも、着物はごまかしが効くんですね。
着物を着て人前に出ると、急にキリっと、なれるんです。
流行もありませんし、着物を着ていると正装して来たという感じを持っていただけるので、
何かの時に着物を着ていくと、非常に得をしている。
この間も、外人の男性に荷物を持っていただいて、とても得したなと。
それと、海外に行きますと、正式にパーティーに呼ばれると、
ドレス着てみなさん宝石をいっぱい付けてみえるんですよ。
先祖代々の宝石を付けるのが、ステイタスになっていてね、
そういうのが私たちには無いでしょう。なので、着物を着ていけばそれがいらない。
それと、最近の若い人は別にしても、体型的に背も低いしボリュームがないので、
洋服だと勝たないですけど、着物だと勝ちます。
それと、私がしぐさが大事だと思ったのは
お能のシテ方、鼓の方、一度は能を習っていらっしゃるんですね。
だから、お能の姿勢は地歌舞と同じなんです。
男の方が袴をつけても着物を着ても、歩く姿が(背筋が伸びて)かっこ良くて。
外国の方のタキシードも素敵ですけど、日本人の袴姿だと、絶対負けない。
着物は女性も男性も、浴衣からでも始めていただきたい。
気軽になって、もっと着てもらったら良いなぁ、と私は思っています。
この日の企画をいっしょにすすめ、会場をお借りした、
手描き友禅作家・中村ずいこさん の挨拶
中村ずいこです。
きょうは、古澤侑峯先生、Den10の会のおかげで、
広島のみなさんと、こうして良いお時間が持て感謝しております。
私たちは生まれてきて、先人から有った物を、次の代につないでいくということが、
ひとつ大事なんじゃないかと思っています。
これからも、日本の文化を大切にして生きていきたいと思っています。
私のやっている手描き友禅も、このビルの下の一階のお店で
見ていただけますのでで、機会がありましたらお立ち寄りください。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。