投稿日: Apr 02, 2020 9:38:33 AM
原爆の爆風でねじ曲がった鉄扉
被服支廠の歴史と経過、並びに建築学的な学術的価値など詳しい案内は、
こちらのサイトが詳しく解説を載せていますので、ご覧ください。
参加者の感想は、全棟保存が必要だという意見が大半でした。
特に、見学する前までは、1棟保存でいいのではと思っていたという人からは、
現地で実際に赤レンガの建物を見て、内藤さんの説明を聞いて、
全棟の保存が必要なのだとよく理解できた。という意見がありました。
3月いろは談義(第48回)
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~旧陸軍被服支廠を訪ねて~
開催日: 2020年3月10日(火)
テーマ: 被爆建物を巡る ~旧陸軍被服支廠を訪ねて~
(1) 集合日時と集合場所:
開催日: 2020年3月10日(火)
集合時刻: 14時30分
集合場所: 比治山スカイウォーク入り口
解散時間: 17時30分
(2) 集合後の行動予定と時刻
◇ コース計画: 比治山スカイウォークの頂上(雲霓橋南端広場) ⇒ 正岡子規の句碑(富士見台)14:50 ⇒
⇒ 放射線影響研究所15:10 ⇒ 旧陸軍墓地15:30 ⇒ 旧陸軍被服支廠正門(南区出汐町)16:30
1号棟の前で、建物の概要を聞く
1号棟、2号棟、3号棟、4号棟と赤レンガの巨大な被服支廠の前に立つと、その大きさに圧倒されます。
内藤さんの案内は、被服支廠の建築物としての歴史的な意義と特徴、そして
戦時中に軍事拠点としての役割、さらに被爆後には原爆被災者の避難救護場所だった事実など、
立体的な説明を随所で立ち止まり、具体の箇所を指し示しながら1時間半にわたり続きました。
案内の内藤達郎さん
被服支廠では新たに2名の参加があり、比治山からの参加者に加わり都合9名が
現地視察と案内を聞くことになりました。
比治山陸軍墓地から被服支廠を望む
さていよいよ、この日最後の戦争遺跡をたずね被服支廠に向かいます。
存廃をめぐり大きな議論が巻き起こっている現状と被服支廠の歴史的な価値を、
「旧被服支廠の保全を願う懇談会」事務局長の内藤達郎さんに案内していただきました。
この日内藤さんは、被服支廠の解体に反対する署名を広島県に提出したあと、
Den10の会の私たちのために、現地に駆けつけてくださいました。
3月いろは談義は、被爆建物をめぐる会で、
旧陸軍被服支廠を訪ねてのフィールドワークでした。
午前中は、しっとりと雨が降りつづき、午後からのいろは談義まで残るかと気がかりでした。
傘に降る雨音に現地での説明者の声が消されて、聞きずらくなりはしないか。
水たまりに足元を取られはしまいか、と心配はつきませんでした。
3月10日(火)、広島市南区の比治山に集合。
時刻は午後2時半。
案ずるより産むは易し。
午前中の雨はすっかりあがり、雲間からは薄明かりが差すほどに。
そうだ! Den10の会には、晴れ女がふたりも揃っていたのだ。
意気揚々と、比治山スカイウォーク頂上に登ってくる晴れ女たち。
7人が集合して、比治山を起点にしたいろは談義がスタートしました。
比治山の戦争遺跡をめぐり、ゴールの被服支廠をめざします。
最初に向かったのは、富士見台展望台。
入り口の藪椿にかくれるようにたたづむ句碑があります。
正岡子規の句碑です。「鶯の口のさきなり三萬戸」。
子規は明治28年(1895)春、日清戦争に記者として従軍し、
宇品港からの出港を待っていた時に詠んだ句です。
次の戦争遺跡は、放射線影響研究所(放影研)です。
句碑のすぐ東側の丘にかまぼこ型のユニークな建物がそれです。
日清戦争に始まる明治政府から昭和政府までの戦争の歴史の終着点といえるかもしれません。
アメリカが設置したABCC(原爆傷害調査委員会)を前身とする放影研は、
「広島・長崎の原爆被爆者に対する放射線の影響を調査すること」を目的にすると、
公式ページに表記しています。
原爆投下後、アメリカ軍が放射線の人体への影響(効果)を知るためABCCを設置し、
調査はするが、治療はしないと被爆者には批判されていました。
その敷地は、実は、旧陸軍墓地があった場所です。
いきさつなど詳しく知りたい人はこちらから。
放影研の研究事項は、放射線の人体に及ぼす医学的影響と疾病を調査研究、
被爆者とその子供の健康状態および死亡率に関する疫学調査ならびに臨床調査。
そして、放射線生物学、免疫学、遺伝学、分子疫学の分野におよび、
戦後75年間の被爆者と家族の放射線影響データーを保持しています。
旧陸軍墓地だった放影研をあとにし、3番目の戦争遺跡は現在の陸軍墓地です。
比治山陸軍墓地は明治5年(1872年)、広島鎮台将兵の墓地として創設され、
第二次大戦後、現在の地に再建されました。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、ノモンハン事件、太平洋戦争で戦死した、
沖縄を除く、全国46都道府県4500柱を埋葬し、3500基の墓石が並んでいます。
陸軍墓地が現在地に整理されたいきさつなど詳しくはこちらをご覧ください。。
墓地の南端にたつと、眼下に陸軍被服支廠の赤煉瓦の建物がくっきりと眺望できます。