(雪 2012年6月公演)
◇ 津軽三味線即興演奏 津軽三味線:黒澤博幸
津軽三味線は、ジャズと同じで即興でその場の雰囲気を見て演奏します。
元々は盲目の人たちが門付けを行う中で発展してきたため、
楽譜などはなく、基本的に即興で演奏されてきました。
曲が激しいのも門付けの文化が関係しています。
家々の前で演奏し報酬を頂くためには、人々をアッと言わせる演奏をしなければならなかったので、
速弾きや激しい撥さばきが使われるようになりました。(邦楽村blogから引用)
公演で、黒澤博幸が即興で演奏する曲はナニでしょうか?
興味は尽きません。当日を、おたのしみに。
◇地歌舞
「古道成寺」 舞 古澤侑峯 津軽三味線 黒澤博幸
地歌「古道成寺」は、謡曲「道成寺」の後段を典拠としています。
地歌では、途中に砕けた歌詞が挿入され、描写的な間奏を含んでいますが、
公演では津軽三味線演奏で、地歌舞をごらん頂きます。
物語は、紀州に伝わる安珍・清姫(あんちんきよひめ)伝説で、
内容は伝承により相違がありますが、思いを寄せた僧安珍に
裏切られた少女清姫が激怒のあまり蛇身に変化し、
道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺す女の執念を描いています。
「道成寺の縁起絵巻」から物語のあらずじを紹介しますと・・・。
物語は、今から千年あまり昔の話。
奥州白河から熊野詣に来た修行僧・安珍は、真砂庄司の娘・清姫に一目惚れされます。
その夜、眠りについた安珍は、芳しい香のかおりと衣擦れの音に目を覚まし、
ほのかな灯りに目をこらすと、枕元に清姫がすわっていました。
「清姫さま、どうなされました」
「安珍さまに逢いとうて、お傍にいとうて」
その姿は愛らしく、安珍も憎くは思わないが、夜更け部屋に忍び込んで来られてはと、
困り果てて、とうとう嘘をつきます。熊野からの帰途に、再び立ち寄る事を約束。
けれど、熊野詣でをすませた頃になっても、安珍は戻って来ず、
清姫は居ても立ってもいられません。実は安珍は清姫を避けて、
田辺へ抜ける道を選んだと知り、清姫は旅人の目も構わず安珍を追い求めます。
日高川に到った安珍は船で渡りますが、船頭は清姫を渡そうとしません。
「おのれ、安珍…」 清姫は、あとを追って、日高川へ飛び込むと、
ついに一念の毒蛇となって河を渡るのでした。
安珍は、道成寺へ逃げ込み鐘の中に匿まわれます。
ほどなく、蛇と化した清姫が道成寺の石段を這い上がり、鐘の龍頭をくわえて、
きりきりと鐘を七巻半、しっかりと巻くと、尾で鐘を打ち叩き、口から火を吐きかけました。
やがて大蛇は、ずりずりと鐘から滑り落ちると、血のような涙を滴らせ、去っていきました。
あとには、焼けただれた鐘と、燃え尽きた安珍の亡骸があったといいいます。
このあらすじを思い描いて舞を観ると、たおやかな舞の中に、
女の激しい情念とすさまじい執念の炎を、きっと観ることでしょう。
そして、女の情念と執念を舞う古澤の地歌舞に、
黒澤の津軽三味線は、どのようにからんで演奏するのでしょうか?
両者の舞台でのやり取りに、興味は尽きません。
地歌舞と、津軽三味線のマリアージュを、
舞台でたっぷりお楽しみください。
演目と演奏
1) 雪奉り 古澤侑峯&黒澤博幸
2) 津軽じょんがら節 黒澤博幸
3) 地歌舞 雪 古澤侑峯
4) 津軽三味線即興演奏 黒澤博幸
5) 地歌舞 古道成寺 古澤侑峯&黒澤博幸
(演奏曲目に変更がある場合はご容赦ください)
◇ 舞 雪奉り (ゆきたてまつり)
「雪奉り」 (黒澤博幸 2009年 作曲) 舞:古澤侑峯 津軽三味線:黒澤博幸
黒澤博幸が、壮大な宇宙観をビートに託すSoul & Beet unit 天地人で演奏する曲。
「天地人」の2ndアルバム「遠い空~未知国の四季」(2009.11.04)に収められている。
津軽三味線特有の「叩き奏法」を編み出した仁太坊のごとくに、
黒澤が雪をモチーフにした曲で、テンポの早い演奏を繰り広げる。
対して、ゆったりとした御殿舞を修めた古澤流二代目家元の古澤侑峯は、
黒澤を相手に、雪奉りをどのように舞うのか。
地歌舞と津軽三味線のマリアージュをたっぷりと堪能してください。
◇ 津軽じょんがら節
「津軽じょんがら節」 津軽民謡 津軽三味線:黒澤博幸
「津軽じょんがら節」は、津軽三味線の伴奏とともに歌われる青森県の民謡。
≪代表的な歌詞≫
お国自慢のじょんがら節よ
若い衆唄えば主(あるじ)の囃子
娘踊れば稲穂も踊る
今宵おいでの皆様方よ
さあさこれからじょんから節を
歌いまするよ お聞きをなされ
◇地歌舞
「雪」 (作者流石庵羽積、作曲峰崎勾当) 舞・古澤侑峯
上方地唄および地唄舞の代表的な作品。地歌「ゆき」に後世、舞を振り付けしたもの。
男に捨てられ出家した芸妓が、雪の降る夜の一人寝に、浮世を思い出し涙する、
という内容の艶物(つやもの)。
大坂新地の芸妓ソセキが男に捨てられたのを慰めるためにつくったとも、
ソセキが出家したという事件に取材したともいわれる。(出典 ウィキペディア)
美しい桜花や雪を「浮世」とたとえ、それを払い捨てて仏門に入った「ソセキ」と
いう名の大阪南地の元芸妓(歌詞の7行目に「いっそせきかねて」の中に、
名前が読み込まれています)が、昔を述壊する内容です。
《 歌詞 》
花も雪も払えば清き袂かな、ほんに昔の昔の事よ、
我待つ人も吾を待ちけん。
鴛鴦(おし)の雄鳥(おとり)に物思ひ羽の、
凍る衾(ふすま)に鳴く音は嘸(さ)ぞな。
さなきだに、心も遠き夜半(よわ)の鐘、
聞くも淋しき独り寝の、枕に響く霞の音も、
若(も)しやいつそ堰きかねて、落つる涙のつららより、
辛き生命(いのち)は惜しからねども、恋しき人は罪深く、
思はんことの悲しさに、捨てた憂き、捨てた浮世の山かづら。