投稿日: Jun 17, 2014 12:17:23 PM
「源氏舞ふたたび 空蝉」公演は、盛況のうちに終了しました。
名勝縮景園を舞台にした公演は、
1回目、2回目の公演ともに、清風館の座敷が満席になるほど、
たくさんのご来場をいただき無事に終了しました。
ありがとうございました。
五月晴れの空の下、名勝縮景園の濯纓池を、さわやかに風が渡っていきます。
5月24日(土)、風はさわやかな緑色、空は抜ける青色、そして白い雲。
伝統芸能の地歌舞と源氏物語が解けあった源氏舞の世界が、
広島の都心の閑静な名庭園に出現し、
120人の来場者に、感動と驚きと、感激を残して、静かに幕を閉じました。
広島縮景園での「源氏舞ふたたび空蝉」公演の模様を写真でお伝えします。
1、会場設営とリハーサル
縮景園の清風館は、本来お茶席に使う座敷です。
座敷から濯纓池の方角を見ると、まぶしいほどの5月の日差しで、
池から吹いて座敷を通り抜ける緑の風が、頬を優しくなでてくれます。
(縮景園 清風館) (濯纓池)
広島市中区上幟町の縮景園、清風館を全部使って、
池を背にして舞台とし、舞台に通じる花道を座敷の中央部分に通しました。
前には座布団を敷き、中ほどから後ろにかけて丸椅子と椅子を並べて客席に。
この公演に間に合わせてDen10の会の法被を新調しました。背中にDen10の会の
ロゴマークが入ったおそろいの法被姿が会場設営では活躍していました。
(清風館の中央に花道) (新調した法被がこの公演から活躍・・)
会場設営が終わると、すぐに午前10時00分からリハーサルです。
和楽器演奏と、源氏舞の出演者によるリハーサル。
(楽器と演奏者の位置を確かめて・・) (まぶしい日差しを背に、演奏のリハ)
2、1回目の開演、和楽器演奏 「春の海」「夕顔」
好天に恵まれて、1回目は早くから入場者が詰めかけ、
一番前の席と、一番後ろの椅子席から、順に座席は埋まっていきました。
舞台がよく観える席と、場内で楽に座って観える席が好感度のようでした。
箏は芦垣育子、尺八芦垣皋盟の演奏で、「春の海」、
そして、2曲目は三絃に持ち替えて「夕顔」。
(こんな至近距離で春の海を聴いた人も) (箏・芦垣育子 尺八・芦垣皋盟) (夕顔では三絃に・・)
3、源氏舞へ
平安の都大路に繰り広げられた源氏物語の世界へと、いよいよ舞台は向かいます。
清風館に、ヤススキーの創作楽器のパラーンピローンと無音に近い断続音が漂い、
人村朱美の語りが始まりました。
つづいて、蒲生君平の光源氏の語りに替わります。笛の演奏は阿部慶子。
(ヤススキー創作楽器) (語り 人村朱美 蒲生君平) (笛 阿部慶子) 源氏舞「空蝉」
やがて、静寂の中に裾引きのかすかな擦り音をしのばせて、
古澤侑峯が花道へ登場し、ゆる~りゆるりと舞台に向かい進みます。
観客は固唾を呑んで、空蝉と化した古澤を見守り、舞を待ちます。
源氏舞「空蝉」の始まりです。
(舞台をみつめる観客に空蝉と化した古沢の姿はまだ、見えていない) 源氏舞「空蝉」
4、源氏舞「空蝉」
空蝉は源氏の情熱に惑乱しながらも 源氏の甘い口説の毒に、必死で踏みとどまり
惑溺することを自ら禁じます。源氏は空蝉の自尊心に、嘆きのあわれさに心を動かされ、
ますます惹かれていくのでした。
ある夜、源氏は再び空蝉の寝所に忍び入りますが、敏感に察知した空蝉は
小袿(こうちき)を脱ぎすべらせて、いちはやく部屋の外に逃れてしまいました。
空蝉の香りのする小袿だけが源氏の手の中に残されました。
「空蝉の身をかへてける木の下に なほ人がらのなつかしきかな」
空蝉はこの返事はせず、ただその余白に書きつけました。
「空蝉の羽に置く露の木隠れて 忍び忍びに濡るる袖かな」
(「空蝉」 舞、古澤侑峯)
(舞、古澤侑峯) (円窓の外には、場外から見守る観客が・・)
5、源氏舞「関屋」
空蝉は夫が受領になった常陸について行ったのですが、
源氏が上洛した翌年の秋、石山寺に詣でる源氏と、逢坂の関で出会います。
常陸の輔の一行と知って源氏は今も忘れられない人妻の面影を目に浮べます。
そしてその昔源氏との間を取り持った空蝉の弟を呼び、ことづけるのでした。
「今日、こうして関までお迎えに上がった私の心を、よもおろそかにお思いになりますまい。」
空蝉も思いは深く、歌を返してきました。歌をやり取りしただけの別れ。
その後、老いた夫に先立たれた空蝉は、先妻の息子に言い寄られてそれが嫌で出家します。
「逢坂の関やいかなる関なれば しげきなげきの中を分くらむ」
(源氏舞「空蝉」 笛・阿部慶子 語り・人村朱美 舞・古澤侑峯)
(源氏舞「空蝉」 舞・古澤侑峯)
6、舞台の締めくくりは、古澤の挨拶でした。
舞い終えた古澤侑峯が、舞台中央から退場を始めても、
客席は花道を去る古澤に釘付けのままで、しばし息をのんでしまいました。
花道の袖に古澤の姿が消えると、万雷の拍手に。
そして、挨拶にふたたび古澤が姿を見せると、拍手が鳴り止みませんでした。
1回目が終わり、2回目は、午後3時30分の開演。
観客は2回目もほぼ満席で、演目演奏の並び順は1回目と同じでした。
7、《 番外 》 主催者お礼の言葉
熱望していた、名勝 縮景園での、地歌舞・源氏舞公演に、
多勢のみなさまにご来場いただいて、ほっとして、胸をなでおろしています。
いつものことですが、途中で何度か、「この公演、成功するのかな」、と
心配と不安を折り重ねながら、がむしゃらに走り、公演日を迎えました。
とりわけ今回の公演では、公演日の3週間ほど前に私の父親が亡くなり、
そのため葬儀の喪主となり、しばらく活動を停止せざるを得ませんでした。
公演を間近にした大事な時期に空白が生じて、
「成功するのかな」の不安が現実になるのではと、ほんとうに本気心配でした。
それでも、「やれることだけは、やりきろう」と決意し、葬儀明けから
巻き返しに転ずる苦しいなかで、惟うことがひとつありました。
「この公演を観たいと思う人は必ずいる。
その人のもとに、源氏舞ふたたび公演の情報が届きさえすれば、
必ず多くの人が観に来てくれる。」
その一念でした。
すばらしい伝統芸能が、この日、広島であることを
伝えることができれば、公演参加の申込は必ずある。
そのおもいは、公演日の直前になって、
鳴りつづける電話での申し込みで確信に変わり、
ついに、実現されました。
チラシ、メール、面談と会食、電話、新聞紙面、Webサイト。
可能なあらゆる手段を通じて広めた公演の開催告知に、
応えていただいた来場者のみなさま。
Den10の会からの度重なるお誘いに、心優しく応えていただいた多くの方々と、
これまでの会員の頑張り、加えて新会員の奮闘、出演者のみなさまのご尽力。
そして知名度抜群だった縮景園の、みなさまのお力添えで、
成功にこぎつけられたものと感謝し、厚くお礼を申しあげます。
さらに、私事を書き連ねて恐縮ですが、96歳の天寿を全うし、
西方浄土に向かった父親の49日法要を、先日とりおこないました。
ようやく、公演の写真での報告を掲載することもできる運びになりました。
ひとえに、Den10の会を支えてくださるみなさまに助けられて、
盛況裏に終えることができた今回の公演でした。
ほんとうに、ありがとうございました。(竹内)
8、来場者の感想
「源氏舞ふたたび空蝉」公演の来場者の声をまとめています。