投稿日: May 20, 2014 6:18:21 AM
「源氏舞ふたたび 空蝉」公演で、舞う源氏舞「空蝉」と
和楽器演奏の「夕顔」「春の海」の演奏曲を紹介します。
◇ 源氏舞
「空 蝉」 ~ 舞と語りと音楽と ~
舞:古澤侑峯
笛:阿部慶子
語り:人村朱美
語り:蒲生君平
創作楽器:ヤススキー
空蝉のあらずじ (光源氏17歳夏の話)
空蝉を忘れられない源氏は、彼女のつれないあしらいにも却って思いが募り、
再び紀伊守が任国へ下り、屋敷が女ばかりの日を狙って邸へ忍んで行った。
そこで継娘(軒端荻・のきばのおぎ)と碁を打ち合う空蝉の姿を覗き見し、
決して美女ではないものの、たしなみ深い空蝉をやはり魅力的だと改めて心惹かれる。
夜も更けてみな寝静まったころ、部屋に芳ばしい香りが漂い、
源氏の訪れを察した空蝉は、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げ去った。
心ならずも後に残された軒端荻と契った源氏はその薄衣を代わりに持ち帰った。
抱きしめて眠りに就くが眠れるわけもない。
源氏は女の抜け殻のような衣にことよせて空蝉へ歌を送っつたが、返歌はなかった。
空蝉も源氏の愛を受けられない己の境涯のつらさを密かに嘆いた。
源氏物語絵図「空蝉」
光源氏が空蝉に贈った歌
「 空蝉の 身をかえてける 木(こ)のもとに、
なほ人がらの なつかしきかな 」
このあらすじを思い描いて舞を観ると、たおやかな舞の中に、
しとやかな女性が秘めたこころのうちを、きっと観ることでしょう。
◇ 和楽器演奏
「夕 顔」 作詞:不詳(源氏物語より取材) 作曲:菊岡検校(1792~1847)
三絃:芦垣育子、尺八:芦垣皋盟
歌 詞
住むや誰(たれ)、訪(と)いてや見んと黄昏に、
寄する車の訪れも、絶えて、ゆかしき中垣の、隙間求めて垣間見や。
かざす扇に薫(た)きしめし、空薫(そらだ)きもののほのぼのと、
主(ぬし)は白露、光を添えて、いとど映えある夕顔の、
花に結びし仮寝の夢も、覚めて身に沁む夜半(よわ)の風。
現代語訳
住んでいるのは誰でしょう、訪ねてみましょうか、と光源氏は思います。
黄昏時(たそがれどき)に、その家の近くに牛車で立ち寄ったときのことです。
そして、訪れを一旦絶ってから再び訪れると、もうすっかり心を惹かれてしまい、
垣根の隙間を求めて、垣間見をします。
家の者からもらった扇を光源氏がかざすと、
そこにはお目当ての夕顔が薫(た)きしめためた空薫きものの香がほんのりと漂っています。
また、扇にはその持ち主が、「白露の光添えたる、夕顔の花」と趣深く書いていました。
そんな、とても見栄えのする夕顔の花がキッカケとなって関係を結んだ二人でしたが、
外泊の際の夢から光源氏が覚めると、夕顔は急死してしまいます。
死別の悲しさで、夜更けの風が身に沁みます。
(「筝曲地歌五十選 歌詞解説と訳」田口尚幸著 より)
「春の海」 作曲:宮城道雄(1894~1956年 神戸生まれ)
箏:芦垣育子、尺八:芦垣皋盟
箏と尺八の二重奏曲。箏曲家宮城道雄が1929年(昭和4)に作曲。
翌年の勅題「海辺の巌」にちなむ。
のどかな春の海の様子が描写される標題音楽で、
福山市鞆ノ浦をイメージして書いたといわれている。
春ののどかな瀬戸内海の情景を現した曲で、A-B-A´の三部形式からなっている。
波の音、しぶき、櫓のきしむ音、飛び交うカモメなどの
海の情景が鮮やかな音楽的表現を得ている。
原曲の尺八パートをフランスのバイオリニスト、ルネ・シュメーが
バイオリン用に編曲し、宮城道雄の箏と合奏したことから世界的に評判となった。
現在では箏曲音楽の代名詞的存在となっている。
鞆の浦は彼の先祖の地で、父親は鞆小学校の第一回卒業生。