おまけ
金槐和歌集のコケ
おまけ
金槐和歌集のコケ
奈良時代~平安時代の詩歌に詠われたコケ まとめ & 目次へ
注)💎 コケと記されているが、明らかに地衣類を詠った歌
鎌倉三代将軍源実朝の家集のため、奈良~平安時代には属さないので、「おまけ」とした。
実朝が22歳の1213年に成立したとする。実朝は、鎌倉幕府の武断政治を文治政治に切り替え、政権のヘゲモニーを北条氏から取り戻そうとした。そのため、和歌を後鳥羽上皇に献上し、「文化」の上から京都朝廷の支持を得る事により、政治の正統性を主張しようとした。しかし、1219年、嫉妬に狂った、異母弟の公暁に暗殺されてしまい、源氏の鎌倉幕府は終った。
歌数は、定家本では663首だが、貞享本では719首ある。この内、コケを詠っている歌は、12首ある。
実朝の歌は、「万葉調」であるとして、古くは賀茂真淵や松尾芭蕉から、又、新しくは正岡子規や斎藤茂吉から絶賛されている。しかし、岩波書店版の校訂者である小島は、『万葉調以外の歌が非常に多い。・・・金槐集の歌に一番大きく影響しているのは、新古今集である。』と言っている。更に、『・・・約半数は新古今集の影響下にある・・・模倣歌と認むべきものも少なくない。』と述べている。その通りで、均茶庵も、万葉調の歌は、決して多く無いと思う。万葉調の歌という事で、鎌倉時代の歌ではあるものの、「おまけ」として取り上げたが、少々目論見が違ってしまった。
それに、実朝はそんなに凄い歌い手なのかなと、若干疑問を持っている。ほとんどの歌は、秀作というよりも習作と言った方が合っている感じがする。
金槐集を読むと、歌枕について詠んだ歌が非常に多いことに気がつく。実朝は、勿論その大部分に、行ったことがないはずだ。苔の歌にしても、同様に、実際の景色を見て詠ったと考えられる歌は、見当たらない。自ずと、「苔の衣」などの成句が多くなる。これまでと同じように、どう工夫しても植物のコケから外れてしまっている歌については、コケ調べから除去した。それでも、残った歌が、実体に即しておらず、頭の中で描いたコケのため、同定は非常に困難だ。この点を、了解していただきたい。
従って、「苔の庵」など、成句となっている言葉でも、敢えて、オリジナルの意味に戻って解した。
原文・注・大意は、下記による。
小島吉雄(1961). 金槐和歌集. 日本古典文学大系. 岩波書店
新日本古典文学大系には、何故か金槐和歌集が見当たらない。
校訂者による「大意」は、一部についてのみ記載されている。
岩波書店版には10首しか掲載がないので、DB版から2首追加した。DB版は、( )内に番号を入れている。2首の違いは、DB版では「苔」となっている部分が、岩波書店版では「草」となっているためだ。
*写真は、Webからdownloadした。
221028 均茶庵
1.詠われた苔は殆ど成句となっており、コケ調べは困難。しかし、思い切ってやっつけた。
191 (547) 独りゆくそでよりおくか奥山のこけのとぼその路のゆふ露
注: ひとりゆくさびしさに、涙の露が袖に宿るのを、路の夕露がまず袖におくと言ったのである。「苔のとぼそ」 粗末な草庵の戸
コケ調べ: 粗末な庵の藁屋根であれば、ヤノウエアカゴケがぴったりだが、残念ながら、コケが生える場所は、「戸」だ。戸にコケが生えることは、まずあり得ない。保留としよう。
419 (394) 奥山の苔踏みならすさを鹿も深き心のほどは知らなむ
均茶庵注: 定家本では、「奥山の苔」が「奥山の草」となっている。
大意: 世間知らずのあなたでも深いわたくしの心のうちは知ってほしい。
コケ調べ:鹿がコケを丸で気にせずに踏みつける姿は、切ない女の気持ちを遺憾なく訴える。苦しい心の内を表すコケは、可愛く、小さく生えているのが良い。マルフサゴケだ。それにしても、ニブい男だ。こんな優しい子を無碍にするなんて、とても許せない。
マルフサゴケ Plagiothecium cavifolium
450 (425) 恋の部
苔ふかき石間を伝ふ山水の音こそたてね年は経にけり
注:上三句は「音こそたてね」の序
コケ調べ:年月が経っているから、岩間のコケはびっしりと生えている。昔はちょろちょろ流れていただけの水の流れも、今や音が大きくなってしまった。噂が噂をよんで、今では皆知っている。
水辺に思い切り派手に生えるキブリナギゴケだ。凄く目立つ。それにしても、初句の「苔深き」にまるで感慨がないのは、残念だ。
580 (513) 岩がねの苔の枕に露おきて幾夜み山の月に寝ぬらむ
注: 「岩がねの苔の枕」岩に生えた苔を枕とすること。山中の露宿をいう。
コケ調べ:「岩が根」は、大地にどっしりと根をはったような頑強な大岩を指す。そんな岩を枕にするのは、絶対に無理だ。それに、コケが生えた石を枕にすると言うのも、ちょっと抵抗がある。コケが生えている石は、湿っているだろうし、それ以上に、コケが髪の毛に、一杯絡みついてしまう。だから、岩が根の脇で眠ったと解釈しよう。
Plagiothecium euryphyllum
こうなると、山で岩の傍の地上に生えるコケは、なんでも該当しそうだ。中形の苔だが、沢山まとまって生えるオオサナダゴケモドキはどうだろう。枕元に、静かに収まる。色んな夢を見られるだろう。
582 (514) 旅宿霜
袖枕霜おく床の苔の上に明かすばかりのさよの中山
注: 「床の苔の上に」 寝床にしている苔の上に。「さよの中山」駿河の地名
コケ調べ: 大きなコケが一面に生えていて、柔らかなマットを作っている。朝が近い冷気に、眼が醒めてしまった。床の周りには、霜が降りたコケがキラキラと輝いている。
勿論、コケはヒメシノブコケとハイゴケの混生だ。
ここ水が塚は、歌枕の小夜の中山ではないが、夜の星空ははるかに雄大だ。富士山が、寝ぼけ眼にくっきりと浮かぶ。残念ながら、富士山が世界遺産に指定されたため、人が沢山集まるようになり、今では観光アスファルトに覆われている。
589 (518) まれにきて聞くだにかなし山がつの苔の庵の庭の松風
大意: 山がつの苔の庵の松風は、たまたま来て聞くだけでももの悲しい。ましてや毎日これを聞いている人の気持ちはいかがであろうか。
注: 「苔の庵」 苔がはえた、みすぼらしい庵
コケ調べ: 古いわら屋根の上には、良くヤノウエアカゴケが沢山生える。作者は、庭の松と風にしか興味がなく、植物のコケに全く焦点をあてていない。ここはコケに注目しよう。苔も文字通りに取っておこう。このコケは、赤い群落を作る。みすぼらしい「苔の庵」に、一点豪華なアクセサリーが着いているようだ。
ヤノウエノアカゴケ Ceratodon purpureus
612 (621) 遠き国へまかれりし人のもとより見せばや袖のなど申おこせたりし返事に
我ゆゑに濡るるにはあらじ唐衣山路の苔の露にぞありける
コケ調べ: 山奥の道ばたに、コケが密生して生えている。近くを歩くと、露もびっしょりに付く。オオバチョウチンゴケは、蒴も綺麗だし、歌に合う。勿論、「山路の苔」が指す歌の趣旨とは異なることは、承知の上だ。
まさか、「我ゆゑに」じゃなくて、新しい奴に濡れたんじゃないよな!
668 (356) 寄苔祝といふ事を
岩にむす苔のみどりの深き色を幾千世までと誰が染めけむ
大意: 岩に生える苔の緑の色深きを誰が幾千世まで久しく変わらずにあれと染めたのであろうか。岩にむす苔の色は幾久しくまことにめでたい。
コケ調べ: 久しぶりに、コケが時間の「長さ」を象徴する歌を見た。これは、万葉調と言っていいだろう。但し、万葉時代は、コケを「緑」と表現しない。「青」だ。
さて、コケ調べは至難の業だ。岩に生えれば、何でも良くなってしまう。深い緑だから、イワイトゴケはどうだろうか。細い糸がからみあったように見える。癖がないから、予祝に良いだろう。深い緑といっても、チュウゴクネジクチゴケあたりは、不気味になるので、避けたい。
274 (234) 苔のいほに独りながめて年も経ぬ友なき山の秋の夜の月
均茶庵注: 定家本では、「苔の庵」が「草の庵」となっている。
613 (640) 法眼定忍にあひて侍しとき大峰の物語などをしいへるを聞てのちによめる
おく山の苔の衣におく露はなみだの雨のしづくなりけり
注: 「おく山の苔の衣」 深山における僧衣
614 (639) 篠懸(すずかけ)の苔おりぎぬのふり衣おてもこのもにきつつなれけむ
注: 「篠懸の苔おりぎぬ」篠懸衣のこと。山伏の着物の上に羽織る衣。「苔織り衣」は苔の衣と同意味。
640 (564) 屏風に那智山をかきたる所
冬こもり那智の嵐の寒ければ苔の衣のうすくや有らむ
注: 「苔の衣」 法衣