支流
まずは、現在の馬入川に流れ込む支流を説明したい。これが、思い切り少ない。しかも、殆どが東岸から流れ込んでいる。馬入川は、嘗て東岸に氾濫していたから、その面影を残しているのだろうか。何しろ、明治24年(1891年)の地形図(参謀本部陸地測量部)を見ると、例えば、河口はまるで大きな湖のように見える。茅ヶ崎市柳島は、その名の通り、水に浮かぶ小島がいくつもあった。狭い陸地の周りを、馬入川の支流が縦横に巡っている。少なくとも、関東大地震が起こって土地が隆起するまでは、まるで湖のような河口の景色だった。
川の流れは、四六時中変っている。大雨が降ると、もうどこが本流か分からなくなる。ついこの間までの深みが、いつの間にか30cmくらいに埋まっている事もある。激しい豪雨の後は、馬入川河口を塞ぐ砂州が、全部流れてしまう事もある。そんな時は、堤防一杯に川が溢れ、「大河」の実感が湧く。しかし、水位が下がると同時に、大変化が現れる。海へ抜ける海岸に、まるで分厚い堤防のように砂山が出来る。その分、今までの流路が、殆ど跡形も無いほど埋まってしまう。
松尾川(東岸):
相模湾付近で、小出川と合流し、馬入川に注ぎ込む。大正大震災までは結構な川だったらしいが、今や、殆ど暗渠と化して、浜見平団地の下を流れる。相模川への出口は、まるで排水溝のように見える。
均茶庵は、湘南大橋の下又は河口にある汚水処理場脇の堤防から、カヤックを松尾川に下ろしていた。小出川と馬入川の交叉する辺りに合流する。所が、この松尾川の幅が、わずか1~2m位になってしまった。水深も、20cm位だろうか。多分、令和元年10月の台風19号の結果だと思う。湘南シーサイドゴルフ練習場の西端のトラスコ湘南大橋の直下を、代替のカヤック乗船場に使っていた。こちらも、勿論、もう通行不能だ。嘗ての「松尾川」の勇名は、偲ぶこともできない。
一番上の写真を見ると分かるように、その昔は、東岸が海に向かって切れており、松尾川から直接相模湾に漕ぎ出す事もできた。
それに、馬入川両岸は、いつの間にか、プレジャーボートやジェットスキーの基地に変ってしまった。つまり、特定の企業が占有する場所になってしまった。米国風に言えば、あの不快な「Posted」だ。だから、川は長いようでも、カヤックを川に下ろせる場所は、思いの他少ない。
1号線と134号線の丁度中間あたりに、大きな砂州がある。ここは、平塚競輪場の駐車場になっている。平日は一応進入禁止だ。二輪車・自動車進入禁止の標識もある。競輪の開場日は、逆にカヤックなんぞ下ろせない。それでも、巡回警備のお目こぼしを得て、偶に試している。この砂州は、どちらかと言うと、ウインドサーフやSUPを乗る人に占領されていることが多い。だから、余り理想的なカヤックの乗船場ではない。
結局、あちらこちら船を下ろせる場所を探して、現在は西岸馬入橋北側の浜に移動した。マリーナと馬入排水樋管の間の狭い空間だ。丁度、ホテル・ライフガーデンの東にあたる。河口からは、約2kmもある。嘗て「馬入の渡し」が、この辺りにあった。堤防の上に、「馬入の渡し跡」の碑がある。草が生えていて、ファルトを組んだり、解体するには、まあ使える。魚釣りの人たちの車が、何台も狭い場所に並んでいるのが、玉に瑕だ。
小出川(東岸):
茅ヶ崎を代表する川だ。数年前まで、不法係留のプレジャーボートに埋められていたが、今では進入禁止となっている。馬入川との合流点には、ロープが張られている。「箸休め第30回 川を走る 小出川(前編)」で、細かく見た。省略する。
馬入排水樋管(西岸):
何とも涙が出そうになる名前だ。JR線東海道線の西岸ちょっと上流に、立派なゲートが屹立する。多分洪水時の逆流防止用だろう。陸に上がり流路を辿っていっても、直ぐに暗渠になり、それも東八幡付近で行方が分からなくなってしまう。本来名前があったのだろうが、分からない。滅びた小川は、哀愁どころか、異臭が漂う。
茅ヶ崎排水樋管(東岸 仮称)
茅ヶ崎の環境事業センターの川沿いに、大きなゲートがある。ゲートから先は、暗渠となっていて、どこに続いているのか、辿れない。
寒川第二排水樋管(東岸):
銀河大橋のちょっと上流に、河川林の間から立派なゲートが見える。但し、水は殆ど流れていない。馬入川への合流点は、大きな自然の河川木が、覆い隠すように生えて居る。だから、余程注意しないと、見落としてしまう。旭ファイバーグラスの工場沿いに流れて、圏央道をくぐる。90度北へ曲がった後、JR相模線付近まで辿れるが、そこで完全に暗渠と化してしまう。ここも、多分嘗ては立派な名前があったのだろうが、今では分からない。
鹿見堂排水樋管(西岸)
銀河大橋の少し上流にあるが、全く辿れない。前鳥神社付近の水路に続いているのだろうか。川の名前は分からない。
目久尻川(東岸):
相模原の相武台団地あたりから流れてくる。19.85kmある一級河川だ。この辺りでは、最大の川だ。しかし、水量が少なく浅い。どんなに頑張っても、圏央道の陸橋までは遡上できない。馬入川の合流点には、サギとウとカモが、それぞれ小さな塊を作っている。近寄ると、ウを最後に逃げて行く。
昔、座間市に寒川神社の御厨(みくりや)があった。このため、下流域で「御厨尻川」と呼んだのが転じたと言われている。あるいは、昔この川に河童が住んでおり、悪さをしたため、地元の人が「目を穿り(くじり)」取ったという事から、「目穿川」と呼ばれたとも伝える。海老名市の伊勢下村橋には、河童の像がある。小出川の大曲橋にも、河童の伝説がある。昔は水郷だったためか、この辺りには、似たような話が、あちらこちらに伝わっている。
駒込排水樋管(西岸):
銀河大橋~神川橋の間に、コンクリートの排水溝のような川が、何本か口を開けている。水は、殆ど流れていない。今は、唯々無残な姿を残している。川面からは、様子が分からない。とても河童が住めるような川には見えない。
独木橋:日本には、もうこんな橋が残っていないので、中国の田舎の写真を借りてきた。
橋
橋は、そこを横断する交通にとっては、非常に大切なインフラだ。しかし、川を行き来するカヤックにとっては、鬱陶しさ以外の何物でも無い。特に恩恵を受けるわけでもないし、どちらかと言うと邪魔に感じる。橋の下を通る時は、何か物が落ちてこないかと、何となく心配になる。橋脚の間を通る時は、流れが渦巻くこともある。少しだけ感謝するのは、夏場太陽の日差しが強い時に、橋が水面に落とす蔭の下で、つかの間の涼を得られる事だ。
カヤックは、所詮遊びだから、文句は言えない。しかし、川を交通手段とした船の時代は異なる。橋が架かってしまうと、川の通行が出来難くなる。帆をかけた船の場合には、帆を下ろさないと、通れなくなる。川船の上り下りが無くなってから橋が架かったのか、あるいは、橋が架かったから川船が無くなったのか、分からない。多分、前者だろう。
カヤックにとって唯一のメリットは、自分がどこにいるか、場所が分かる事だ。川を漕ぐ時に、これは〇〇橋だと分かると、地図を見て、自分の位置を確認できる。しかし、このメリットも、GPSの発達によって、今では大した恩恵を感じ無くなってしまった。
尤も、米国North Carolinaで川を下った時には、1時間漕いでも橋一つ出会わなかった。そんな時には、何となく無性に不安になったものだ。遠くにうっすらと橋の影を見ると、途端に元気が出た。米国の川で、GPSは余り役に立たない。場所が分かっても、海に近いNC州の東部では、川が八つ手のように分岐して、主水路がどれかわからなくなる。GPSで地図と照合してみても、川の流れ自体がしょっちゅう変化しているため、どこを進めば良いか、結局は勘にたよるしかなかった。下の3枚の写真を見ると、感じが分かるだろう。
橋には、3種類ある。先ずは、新しい交通ルートが開かれて、それまでは縁もゆかりも無かった殆ど無人の場所に、橋が架けられる場合だ。しっかりした、巨大な橋が多い。例えば、戸沢橋と神川橋の丁度真ん中辺りに架かる東海道新幹線の橋や、高速道路への連絡橋(第二東海自動車道)だ。
第二は、相模大堰管理橋のように、取水堰の上に架かる道路だ。自動車が通れる広い道路の場合と、チャリ・歩行者だけに限定されている場合がある。勿論、堰付近の川域は進入禁止になっていて、カヤックは通行できない。
第三が、昔は渡し船があった場所に、橋を架けたケースだ。街に近く、今でも交通量が多い。橋の立派さは、交通量次第だ。古くからの資料や歌集などにも屡々現れる場所だ。勿論、昔渡し船が通っていても、経済競争の中で、橋を架けるに到らず、いつの間にか消えて行ってしまった場所も沢山ある。あるいは、どういうわけか、湘南銀河大橋のように、嘗ては有力な渡船場だったものの、長い間橋が架けられなかった場所もある。
いずれにも共通していることは、文献をいくら調べても、「橋」自体のエピソードは、殆ど書いてない。その橋の近くにある社寺や名所の説明ばかりだ。あるいは、橋についての無味乾燥な数字が並んでいるだけだ。例えば、「〇〇年に作られて、〇〇年に流れた。長さ〇〇m、幅〇〇m」と言った具合だ。だから、まずもって、了解して欲しい。
現代の橋は便利だが、ただ通り過ぎる場所に過ぎない。古代の橋のように、人生の出会いや別れを語るような豊かなエピソードとは、まるで縁が無い。橋の袂で、別れの涙を流すなんていうセンチメンタリズムは、絶対にない。
馬入川は大河だから、そもそも橋の数が少ない。何しろ、お金もかかるし、簡単にはかけられない。さて、河口から順に上流へ見てみよう。( )内は、最新の掛け替えの年と橋の長さを書いた。100年単位で見ると、頻繁に橋の掛け替えを行っている。
トラスコ湘南大橋 (1986年 698m)
国道134号にかかる。相模湾から馬入川への入り口にあたる。初代橋は、1936年に架けられた。最終的に、2010年に4車線化の工事が完了した。同時に、2010年から、工具屋トラスコ中山社の冠がついている。「馬入川第一の橋」は、本来なら下記する馬入橋だが、今では湘南大橋の交通量が遙かにしのいでいるため、こちらの方が、馬入1番橋の印象を持つ。1991年には、「かながわの橋100選」に選ばれている。
JR鉄道橋(1965年 648m)
トラスコ橋から約2km程遡ると、沢山の橋がごちゃごちゃに並んでいる。橋脚が3つある。上流から順に、「貨物上り」「貨物下り及び旅客上り」「旅客下り」の4本のJR線路が走っている。均茶庵には、『どれも一緒じゃないか。』と見えるが、鉄ちゃんに言わせると、どうもそうではないようだ。1887年に東海道線横浜~国府津間が開通している。その後、関東大震災で倒壊した。(下記、馬入橋を参照)
兎に角、ひっきりなしに電車が通る。10両か15両編成だから、カヤックが橋の下にいると、長い時間けたたましい音がする。『モノが落ちてきたらどうしよう。』とふと思うが、改めて考えて見ると、今の電車の窓は、開かないようにできている。「踊り子号」を見る事もある。きっと、「亀(カメラ)」爺婆にとっては絶好のポイントだろうと思うが、皆さんご存知ないだろう。電車を真下から見るのは、結構な迫力だ。
橋脚には、大きな矢印が書き込んである。この橋の下を、プレジャーボートやジェットスキーが通るから、水路の指示だろう。カヤックは、水深が60cmもあれば抵抗無くどこでも通れるから、水路は丸で関係ないが、この指示に従う事にしている。何しろ対面は高速で走ってくるし、物理的に止まれない。正面からぶつかったら勝ち目がない。しかも、橋の下は水の流れが速い。船舶は、右側通航だ。
国道1号線馬入橋(1980年 563m)
鉄橋の間に、煉瓦で覆ったコンクリート橋脚の残骸がある。1923年の関東大震災の時に倒壊した馬入橋の残りだ。9月1日に地震が起こったわけだが、17日には陸軍第15師団と16師団の工兵隊による架橋工事が始まっている。そして、10月3日には、全長619m(記念碑文では、450m)の橋が完成した。流石に幹線道路だ。復旧は、全力で行われた。
初代の橋は、1878年にかけられた木橋だった。1911年に鋼桁橋に変った。1922年から新橋への架け替え工事をしていたところ、上記の関東大震災で、旧橋は崩壊し、架け替え工事中の橋脚も、液状化現象で使えなくなってしまった。現在の橋は、1980年に完成した4代目だ。
平安時代から浮橋が架けられていたと伝わる。1998年に源頼朝が落馬したため、「馬入川」と名付けられた伝説がある。但し、当時の橋は、今の橋より東に2km離れた小出川河畔にある。
江戸時代には、この辺りに「馬入の渡し」があった。広重の版画にもなっている。由緒正しき場所だ。橋というものは、交通のための道具、あるいは、川の両岸を繋ぐための施設だが、この橋だけは、下を通る度になんとも言えぬ感慨を覚える。この場所の歴史の重さだろうか。1990年には、「かながわの橋100選」に選ばれ、1998年には「日本百名橋」に指定されている。橋自体は、それ程感動する作りでもないが、選者はきっと歴史に負けたのだろう。
広重 五十三次平塚
湘南銀河大橋 (1998年 520m)
嘗ては、この辺りに四之宮の渡しがあった。馬入川に架かる橋の中では、一番立派だ。「かながわの橋100選」は、1990年に選定されているから、もしそれまでに架けられていたなら、絶対当選だったろう。
この辺りは、川幅が一段と狭くなっている。橋の上流には、大きな島が出来ている。それでも、以前はまだゆったりと川幅があったが、いつの間にか橋の下直ぐの所にも、大きな島が出来てしまった。毎年少しずつ大きくなり、大水がでると冠水したり、流れに戻ったりしていた。いつの間にか、蘆葦が生えるようになり、りっぱな小島に成長した。
神川橋 (1992年 493m)
最初の橋は、1953年に開通した。その後1964年に、神川橋の直ぐ上に、寒川取水堰が完成した。幅6m長さ270mある。その結果、河口から遡上する終点は、この橋となった。堰の上流左岸には、神奈川県企業庁の浄水場がある。この辺は、1987年に指定された相模川八景の「宮山の富士」にあたる。浄水場に併設した「川とのふれあい公園」から西に見た富士の姿には、思わず『お~。』と声を上げてしまう。
この堰は、面白い事に、魚道が二つある。東側には、ごく一般的な階段式魚道がある。主に、鮎やウグイを通すためのものだ。但し、魚道の下方には、通路がある。「鰻穴」と呼ぶ
鰻専用の通路だ。西側にあるのが「舟通しデニール式魚道」だ。1908年にベルギーのG.デニールが発明した魚道で、水路に凹型の板がついている。一見すると、もの凄い激流に見えて、とても魚が通れそうにもないが、逆にどんな魚でも大丈夫だそうだ。色々考えるものだ。