引き籠もりとコロナでぶ
コロナで外出禁止は辛い。部屋に引き籠もりがちになり、どうしてもデブになる。しかも、動かないから、足がどんどん弱くなる。ビデオを見ていても、読書をしても、所詮飽きが来るし、気分的にも滅入る。一体「引き籠もり」の人たちは、どんな風に毎日を過ごしているのだろうなと、時間をただ過ごせるという事で、ちょっと尊敬するような気分にさえなる。
コロナは怖いし、もっと怖いのは、万が一コロナに感染した時の、自粛警察やご近所の目だ。だから、大好きな講談席や浮世絵美術館も、今年初めから行っていない。しかし、遂にこられきれずに、外出をすることにした。
丹沢の林道を歩く
丹沢の登山道を上りきった山小屋には、結構人がいる。何よりも、登山道には時をかまわずババ集団がおり、そのけたたましさは1kmの彼方からさえ判別できる。だから、一工夫して専ら林道を歩く事にした。引退老人は、平日でも時間を十分にとれる。何と言っても良いのは、「お天気の良い日」だけ選べる。平日の林道では、滅多に人に出くわさない。鹿の親子を見る方が、どちらかというと普通だ。朝方と夕方に、稀に通る道路補修や材木伐採のトラックに注意すれば、後は川の流れと風の音と鳥のさえずりを賑わしく感じるだけだ。加えるとしたら、富士演習場の大砲の射撃音だろうか。
予算
お金も大して掛からない。均茶庵は茅ヶ崎に住んでいるから、朝ご飯は丹沢に行く経路の二宮のすき家で、「ミニ牛丼プラス生卵セット」を摂る。JAFの50円割引券を使うと、370円かかる。すぐ隣のファミマで、梅干しか日高昆布かおかかのおむすび2つ240円で買う。時には贅沢をして、「三種おむすびとおかずセット」300円を買う事もある。箱買いのサントリー烏龍茶と小羊羹2本に塩飴一袋、合計230円を家から持参する。均茶庵は、専ら250ccのホンダPS250を愛用しているが、丹沢までの往復110kmのガソリン代は、530円くらいだ。つまり、頑張っても合計1,500円/日かからない。尤も、引きこもっている時は、全部タダだ。
何をする
均茶庵には、コケという好き事がある。だから、山や川の景色よりも、そちらの方に目を奪われてしまう。季節の花々には、まるで興味がないので、何が咲いていたのか、とんと覚えていない。精一杯で、三椏、山桜、紫陽花、山吹、菫、馬酔木、芒・・・。あれ、思いの外見ている。但し、林道脇の壁ばかり見て歩いているので、景色はほとんど記憶にない。そして、コケから目を離すと、滝と沢を渡る橋が、二番目の興味だ。どれを見ても、これと言った特徴が有るわけではないし、無名の場合も多い。沢の名前だって、普通の地図には書いてない。
川辺でお昼を食べて、一眠りする。これが、至極の時間だ。目が覚めると、冷たい水で顔を洗う。不思議な事に、眠る前の景色とは全く違った光が見える。林道の終点から出発点まで往復すると、大体20km位あるだろうか。ゆっくり歩いて、あちらこちらよそ見をするから、合計のレジャータイムは、5~6時間といった所だろうか。
均茶庵はもうお歳だから、家に戻ると、先ず風呂に入って、ゼノールを塗りまくるものの、翌日と翌々日は、殆ど歩行困難だ。勿論、翌日は宿酔いと昼の爆睡がセットになっている。徘徊の後は最低2日間の休養がいる。
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出発
山北町に属する世附川にそって、県道729号(山北山中湖線)が走っている。但し、かなり前から「関係車両」以外は通行禁止だ。しかも、2019年の台風19号や、それ以前の山崩れが完全には修復していないので、途中からは「関係車両」でも通れなくなる。つまり、人影が一段と少ない。山女魚釣り師以外に、人間を見る機会は、殆どない。
浅瀬入口のゲートそばに、「世附水位観測所」がある。神奈川県が管理しているテレメーターのようだ。釣り師の車だろうか、この辺りの狭い場所に何台も駐車している。しかし、PS250を停めるには、有り余るほどのスペースがある。駐車禁止の印しがあるものの、みんな無視しているようだから、均茶庵もお付き合いをする。臨時の車止めやら、赤さびたゲートのある道路脇には、民家が何軒か並んでいる。林業関係者だろうか。刀剣鍛冶の仕事場もある。土地の人に聞いたら、時々開いているそうだ。
浅瀬橋
2~3分歩くと、漁業組合のプレハブがある。入口には、雨風で良く見えなくなった漁区の案内板が貼り付けてある。ルアー区とか餌釣り区とか説明があるが、均茶庵には全く理解できない。そして、向かいの最後の且つ唯一のトイレを過ぎると、最初の「浅瀬橋」を渡る。ここで、世附川本流と右側(北から南に流れる)の大又沢に分れる。小さな標識が沢山並んでいて、逆に何を言いたいのか良くわからない。世附川は、河原が広く凄く乾燥している。従って、コケにとっては不毛の道となる。大又沢側の林道は、深い谷から水蒸気が吹き上げるためか、コケの植生が豊かだ。当然、大又沢に向かう。
この浅瀬橋は、どう見ても大又沢に架かっているが、どの本を見ても、「世附川」の橋と書いてある。何故なのだろうか。
無名橋
浅瀬橋からほんの僅か歩くと、名前が分からない橋が架かっている。銘板も何もない。地図で調べて見たものの、沢の名前も書いてない。この橋の手前辺りから、川の蛇行に従って大又沢林道もくねくねと曲がるようになる。コケ的には、この辺りから珍しい種が出てくる。但し、一般種ながら、林道の壁を埋め尽くすコケの「壁」には、心和むものがある。
湧水
雑草と灌木が垂れ下がった壁から、細い塩ビのチューブが10cm程突き出している。丁度林道がカーブする辺りだ。頭から水を被ると、その冷たさが背筋を走る。一口飲むと、甘くて美味しい。大又沢で、水場はここだけだ。ちょっと分かりにくい。
再び無名の橋と笹子の滝
林道が縊れるような所に、橋が架かっている。銘板がないので、名前は分からない。そして、そのすぐ近くに笹子の滝が掛かる。高さが15m有るそうだ。水量がそれ程多く無いのか、岩肌に細い水路を作っているような滝だ。出発してから未だ大して時間が経っていないが、ぼんやりと眺めるには丁度良い。
この辺りから片岩を見るようになる。新生代の変成岩は、珍しいそうだ。摂理が線状に並んで、可愛い。脆い石で、手に持つと、丹沢特有のカンカン石=凝灰岩とは異なり、軽い感じがする。この先のトーナル岩(花崗岩に似ているが、雲母の代わりに角閃石が含まれている。)が貫入した際に変成したそうで、一般的な動力変成とは異なっている。
ダム滝
この先は、暫くは橋がなく、大又沢の流れを存分に楽しみながら歩ける。東に標高1,018mの世附権現山があるが、西からの登山道はとうの昔に消滅している。山の東側にある中川温泉の民宿八戒荘から登山道があるが、頂上に登っても、木立で何も見えない。ご参考まで。
一見この権現山から流れ出ているのかと思うような小さな滝が、林道から見ると心地よい。つい数年前までは、林道からは全く見えなかったが、最近檜の林を伐採したためか、川沿いの橅の間に正体を現した。この辺りだけ、つるつるの岩が露出している。その上をもの凄い流量の水が落ちる。いかにも大自然が作り上げた芸術品に思える。しかし、実はこの滝はちょっと上流にある大又沢ダムの放水口になっている。滝の一番上をしっかりと見ると、円いトンネルのような所から水が流れているし、近くには鉄製の梯子もかかっている。勿論、滝壺はない。但し、ここが均茶庵がこよなく愛する昼ご飯とお昼寝の好地に変わりはない。誰も来ないし、天然滝よりも迫力がある。
法行橋
均茶庵の歩きは、一休みが多い。羊羹を終えて、ダム滝からほんの少し歩くと法行橋に出る。沢沿いの橋は、全て昭和の御代に架けられた古い橋だ。何れも大それた歴史的な建造物ではなく、単にトラスを渡して、ガードレールを貼り付けただけの構造だ。その中でも、この法行橋が、大又沢で尤も橋らしい橋と言って良い。
この橋から、大して流れの無い谷に降りて、ちょっと歩くと、高さ30mの法行の大滝がある。水量が少ないのが難だが、貫禄は十分だ。均茶庵は、この滝を直接見たことがない。何しろ、つるつる滑る岩の上を遡行しなければならないので、お年寄りは沢に落ちるのが怖い。通行する人もいないので、万が一のご迷惑を避けるため、見物を遠慮している。
そのまま少し進むと、「世附猟区」と書かれた黄色い看板の脇に、「法行棚沢取水口入口」の小さな看板がある。但し、この標識の下には、取水口がない。法行沢をかなり上がった所に、1917年建設の落合発電所の取水口がある。この発電所は、7,250kwの縦軸フランシス水車の由だが、これっぽっちの水でそんなに容量が出るものなのだろうかと不思議に思う。水頭が185mと高いからだろうか。均茶庵は、大昔水力発電設備の輸出をやっていたので、機械の事はある程度分かる。
法行沢林道
そのまま10m程歩くと、ヘアピンになったような方向に、法行沢林道が分れる。この林道は、どんな目的で作られたのだろうか。記念碑を見ると、昭和の御代から平成の初めまで工事が続いていたようだ。自然の敷石道かと思えば、所々アスファルトやコンクリートの舗装がしてある。林業用にしては、豪華だ。しかも、殆ど交通が無いようで、落ち葉が厚い。所々に、沢の水を法行沢に流すためのトタンの管を埋めた橋がある。これは、橋と言って良いんだろうか。尚、法行沢では縄文土器が見つかっているそうだ。(「かながわ風土記49号」1981年8月)
中法行沢橋
法行沢の終点は、V字形に分れている。どちらの沢の名前も分からない。北側の沢に掛かっている橋には、中法行沢橋と銘板があったが、もう一つの橋は無銘だった。多分、上法行沢橋とでも言うのだろうか。橋を越えた辺りに、木製の防砂柵があった。真新しい。何と、2019年に完成している。この辺りは、まだまだ改良工事が続いているようだ。
最後の橋を渡ると、後は山登りになる。螺旋状の林道を上りきった所で、突然道路が消えた。GPSは725mを指している。西からは、水ノ木から織戸峠まで道が続いているから、将来は連結する構想でもあるのだろうか。低い山並みが続いている。
大又沢ダム
ゆったりした坂路を大又沢と法行沢の分岐まで戻る。ここから直ぐ北に東京電力の大又沢ダムがある。当初1917年に表面張石ダムとして完成したが、1984年にコンクリート・ダムへの改良工事をしたそうだ。勿論、発電用のダムだ。落合発電所へ給水しているそうだが、そんなに水の容量があるのかなと、ふと思ってしまう。台風シーズンには、溜まるのだろうか。
千鳥橋
大又沢を跨ぐ本格的な橋だ。欄干のコンクリートがいかにも古さをにじませている。千鳥橋を過ぎると、小さな広場に出る。ここから先が問題だ。一切の車両の通行が禁止になっている。道路が一段と狭くなるだけではなく、土砂が林道を覆っている。路肩も一部崩れている。土石流の後のような小山を歩いて超えるしかない。
玄橋
分断された道路を越えると、玄橋に出る。これと言った特徴がない。更に少し進むと、林道と沢の間の檜林の中に、立派な社がある。山神様を祀っており、3月・5月・9月と祭りをするそうだ。林業や狩猟の関係者が集まる。17日が祭日との事で、丁度祭りの準備をしている人とすれ違った。鳥居には真新しい白い幣が下がっていた。
地蔵平
小さな流れを渡ると、ちょっとした広場にでる。この辺りが、嘗ての地蔵平集落だ。武田信玄の時代まで辿れるそうだ。雁丸さんという武田の落ち武者の子孫も、住んでいたそうだ。近代にはいってからでも、林業や炭焼きを稼業として、40軒も住んでいた時代があったそうだ。小学校の分校もあり、教師も常駐していた。1934~1960年の間、ここから浅瀬まで軌道も通っていたという。今では、その跡も見当たらない。1967年に最後の17軒が引っ越しをして、この集落が消滅した。後には、地蔵堂が残っている。この地蔵堂は、元々更に北奥のセギノ沢にあったそうだ。
小さな流れで手と顔を洗い、ハイゴケが厚く生えている木陰で横になる。蝉の声が、夏の終わりを告げてくれる。そして、いつの間にか眠ってしまう。気がついた時には、直ぐ近くで釣り師が二人昼ご飯を食べていた。
富士見橋
地蔵平から直ぐ西に、まるで集落の境界のようにバケモノ沢・セギノ沢が流れている。白い流れの中に、大きな岩がゴロゴロと重なっている。富士見橋は、この沢にかかっている。鬱蒼とした林で富士山はまるで見えないが、昔はここから拝めたのだろうか。ここから富士山までは、それ程遠くない。
白水沢橋
大又沢の上流(多分、シキリ沢)にそって、林道が続く。護岸も工事も中々立派な道だ。白水沢に白水沢橋が架かり、更に奥へ続く。この先イデン沢にはこの水系最後の忍橋が架かっているそうだが、均茶庵はここで今日の旅を終わりにした。地蔵平に嘗て大きな集落があったため、道は沢沿いにあちらこちらに続いている。但し、殆ど全て廃道になっている。敢えて入ってゆく元気は、均茶庵にはない。