新古今和歌集のコケ 全首
(未公表原稿)
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新古今和歌集のコケ・付)小倉百人一首のコケ 本文
1. 均茶庵がコケ調べを試みる歌 (コケが、未だ完全には符牒化していない歌)
本文で述べた様に、新古今の作詩者は、「苔」と言う言葉に、植物としてのコケを必ずしも意識しておらず、殆ど符牒として使っている。この点を、先ずは念頭に入れておく必要がある
注)💎コケと記されているものの、実際には地衣類を詠った歌
0007 岩間とぢし氷もけさはとけそめて苔のしたみづ道もとむらん 西行法師
訳: 岩間をとざしていた氷も今朝は解けそめ、今まで苔の下に滲み滞っていた水は水路を辿っていることであろう。
注: 「苔のしたみづ」は、「細谷川のさま。解氷の水ではない。」
コケ調べ:理解するのが難しい。訳と注が何となく上手く合わない。
岩の間の氷の解け初めだから、均茶庵は、コケの下(間)を水がちょろちょろと流れている姿を思い描いた。又、水平な岩の氷が溶けた場合、水溜まりになってしまうので、斜めあるいは斜面のようになっている岩に、コケがついていると解釈した。
そうすると、コケは間違い無くホウオウゴケの内、水性の種だろう。それもジョウレンホウオウゴケのような目に良く見えないほど小ぶりのコケではなく、ハネホウオウゴケやナガサキホウオウゴケやホソホウオウゴケのような、目立つコケが良いだろう春先の爽やかな気分にぴったり合う。
Fissidens grandifrons ホソホウオウゴケ
0066 百首歌たてまつりし時 摂政太政大臣 (藤原良経)
ときはなる山の岩根にむす苔の染めぬみどりに春雨ぞふる
訳: 名も常磐の、永久に変わることのない山の岩盤に生えている常緑の苔、その自分が染めたのでない緑の上に春雨が降って、ひとしお色鮮やかにしていることだ。
コケ調べ: 古今集以前の歌は、コケの色を「青い」と表現したが、この歌は「緑」と詠んでいる。コケの色に変りは無く、この緑は黄緑を指す。
イワマセンボンゴケという、変わったコケがある。一個一個の体は非常に小さいものの、群落を作ると、山の岩壁を覆い尽くしてしまう。銅や鉄など、毒性の金属イオンが濃い場所にだけ生える。そして、水分が十分にあれば、微動だにしない常緑の壁となる。周辺が多少乾燥しても、緑を保っている。僅かな雨に逢うと、一瞬にして濃い緑色を取り戻す。
Scopelophila ligulata イワマセンボンゴケ
0123 堀河院御時百首たてまつりけるに、花歌 大納言師頼
木のしたの苔のみどりも見えぬまで八重ちりしける山桜かな
訳: 木の下陰の苔の緑も見えぬまでに、八重に散り敷いている山桜よ。
コケ調べ:いかにも新古今的な臭いがする歌だ。符牒と決まりが支配している。コケを「みどり」と表現する二首目の歌だ。
歌会せの際の歌だから、部屋の中にいて、山桜を詠っている。歌人が、現実に風景を見ながら詠ったわけではない。この点に留意してコケ調べしてみよう。
Atrichum undulatum ナミガタタチゴケ
山桜は、通常他の雑木と混生しており、木の下陰にコケが生えることは、まずない。それに、桜の木の下は、乾燥しているため、あまりコケが自生しない。よしんばコケが生えていても、降り注ぐ桜の花に散り敷かれることは、あり得ない。「八重」は、品種改良で出来上がった八重桜ではなく、「何十にもの」意味だ。歌を矮小化して申し訳ないが、歌人が実際に見た事があるのは、庭先に数本花咲いた山桜だろう。花びらが、コケを僅かに隠している。しかし、符牒と規則から、コケの上にどっさりと桜の花びらが敷き詰められていると言う表現になった。
桜の花が降りしきると、庭先の黄緑色のコケが隠れる。しかし、コケ全部が覆われて見えなくなるのではなく、黄緑の地面を、白い桜の花びらが少し覆っている。現実のこちらの情景の方が、本当は絵になる。
さて、コケは、木の下近くに群落を作って生えているものの、背が低い。日差しもそれなりに当たる。しかし、庭に薄っすらと広がるコメバキヌゴケでは、ちょっと小さすぎて、詩人が可哀想だ。スギゴケに似たナミガタタチゴケの群落と考えよう。
尚、古来桜の名所とされている吉野千本桜は、自然に生えた桜ではなく、役行者の伝説以来、シロヤマザクラを植林し続けたものだ。持統天皇の吉野詣での時代から、既に桜の名所となっていたが、現在の3万本と、景観は大いに異なる。
0398 山月といふことをよみ侍ける 藤原秀能
あしびきの山路のこけの露の上にねざめ夜ふかき月をみるかな
訳: 山路の苔を筵とした旅寝、いつしか一面に置いた露の上に寝覚めて深夜の月を見ていることだ。
注: 深夜の月に、露の一斉にきらめく苔の筵のイメージが鮮烈である
コケ調べ:コケの筵の上に旅寝をするのだから、道路に接したすぐの場所とは考えられない。樹木か岩で道路からの視界が遮られた奥の平地に、コケが一面に生えている情景を浮かべたい。 そうすると、丹沢世附川の奥の山間の平地に見た、コウヤノマンネングサの大群落が忘れられない。
近くを流れる深い谷川の底からは、激しい水の流れが響く。樹木の間から、夜半の月ものぞく。頭上から照らすのは、上弦の月だ。多分、夜半の半月の明るさに、露が反射しているのだろう。遠くからは、コゲラが木を啄く音も聞こえる。秀歌だ。新古今の作風とは、思えない。
Climacium japonicum コウヤノマンネングサ
💎731 題しらず 詠人しらず
ときはなる松にかかれる苔なれば年のながきしるべとぞ思
訳: 常磐の松にかかっている長寿の苔なのですから、これはあなたが長寿を保たれる縁となるものと存じます。
注: 「松にかかれる苔」松蘿。サルオガセ。樹木の幹や枝から垂れ下がって生える淡黄緑色の地衣類。松も苔も長寿を表す。「緒」「長き」は、「苔」の縁語
コケ調べ:新古今で、唯一コケが「長い、久しい」を意味する歌だ。六帖2268と六帖3959を足して二で割った歌になっている。本歌取りで、新味は全くない。コケは、校注通り、サルオガセとなる。
参考:2268 ちよをふるまつにかかれるこけなればとしのをながくなりにけらしも
3959 ときはなる まつにかかれる こけみれは とののをなかき しるへとそおもふ
サルの王者 孫悟空
949 千五百番歌合に 皇太后宮大夫俊成
かくしてもあかせばいく夜すぎぬらん山路の苔の露のむしろに
訳: このようにしても明かせば夜は明けるものの、もう幾晩が過ぎたのでしょうね。露でいっぱいの山路の苔をしとねに、なれない旅寝を続けて。
注:「苔の筵」は、旅人・修行者・隠者などの、奥山での粗末な敷物や草庵を示す歌語でもある。
コケ調べ: 0398と全く同じ趣向のコケのため、省略する。0398を参照願いたい。
1656 堀河院御時百首歌たてまつりけるに 前中納言匡房
真木の板も苔むすばかりなりにけりいく代へぬらん瀬田の長橋
訳: 瀬田の唐橋の真木の敷板も苔がびっしりと生えるまでになったことだ。もう幾年月を経たのだろう。
注: 杉・檜などの良材
コケ調べ:現在檜材は高価なので、復古木材橋では、通常は高欄などだけに使用し、その他は杉材を使う。但し、石川県加賀市山中温泉のこおろぎ橋のように、1941年の架け替えの際に、総檜作りになった橋もある。ここは、橋の敷板は、杉材と考えよう。
Bryum argentium ギンゴケ
コケ生すほどに腐朽した敷板が、交通量の多い名勝瀬田の長橋(瀬田の唐橋)に使われていたとは、考え難い。人通りも激しいし、それ程の量のコケは生えないはずだ。訳の「苔がびっしり」は、ちょっと誇張し過ぎだろう。実際には、敷板の端の方に、少しコケが生えていただけだろう。
街中で良く見かけるホソウリゴケかギンゴケと考えたい。
1685 主なき宿を 恵慶法師
いにしへを思ひやりてぞこひわたる荒れたる宿の苔の石橋
訳: 昔に思いを馳せて恋い続けています。荒れた家に残る、今は苔むした石橋よ。
コケ調べ:歌を詠む僧侶には、どうしてこんなに昔の栄華に囚われる人や、破戒僧がおおいのだろう。現代であれば、当たり前の事だが、平安末の事情も、同じだったのだろうか。
さて、この橋は、人の住まない家にかかった石橋であり、人が通ることもないだろう。庭の樹木も手入れが行われておらず、大木になり、枝も伸び放題だろう。日陰になった石橋に大型のコケがびっしりと生している。トヤマノシノブゴケが、荒れた宿には似合いだ。
Thuidium kanedae トヤマノシノブゴケ
1907 熊野にまいりてたてまつり侍し 太上天皇 (後鳥羽院)
岩にむす苔ふみならすみ熊野の山のかひある行くすえもがな
訳: 岩に沢山はえている苔を踏みならしながら、み吉野の急峻な山峡を行く、それだけの甲斐ある将来であってほしい。
注:権現の加護を祈念
Brotherella henonii カガミゴケ
熊野古道 大坂路
写真)和歌山県観光協会HP
コケ調べ:後鳥羽上皇は、1198年に譲位して、院政を開始した。熊野信仰に熱心で、譲位のその年に、早速熊野に詣でられている。一生に28度詣でられたと伝えられている。この回数は、ご白河上皇の34度に次ぐ。
さて、上皇は、室外で、おん自らお歩きになる事はない。輿に乗って熊野に詣でられたわけで有り、「コケを踏みならす」事はあり得ない。まして、岩登りをするわけでもないので、岩のコケを踏みならすことは、あり得ない。
熊野古道は、土の道も石畳の道がある。ここは、鬱蒼とした杉の大木に挟まれた石畳を考えてみたい。勿論、人の通る道ゆえ、踏みならすほどびっしりとコケが生えているわけではない。和漢朗詠集334で見た箱根街道のように、踏み石と踏み石の間にコケが生えており、一方、道の両側には大きなコケが縁取りのように生えている様子だろうか。ここは、歌の荘厳なイメージを尊重して、杉の大木の根元に、金色に耀くカガミゴケとしよう。王者に相応しい威厳を備えたコケだ。
1923 御嶽の笙の岩屋に籠りてよめる 日蔵上人
寂寞の苔の岩戸のしづけきになみだの雨のふらぬ日ぞなき
訳: 苔のはえたこの岩窟が、「寂漠無人声」という経文そのままに、ひっそりと静かなので、涙が雨のように降らない日はない。
注: 日蔵は、苦行中に頓死し、六道をめぐり蘇生したと伝えられる。
コケ調べ:修行場は、静かで当然と思うが、何故涙がでるのだろう。どんな修行なのか、均茶庵にはちょっと理解できない。よくぞ悟りの境地に入れたものだ。
コケが生えて居る洞窟だから、林の中にあって、少々薄暗いだろう。コケは、特に大型でもないようで、又、懸垂しているようにも見えない。山地に行くと、大きな岩の凹みの、湿気が高い場所に、垂れ下がるように、エビゴケが密生している。洞窟があれば、その入り口に生えるコケとしてはぴったりだ。特異な形をしており、世を捨てた山奥の寂寞には、似合っているだろう。
均茶庵によるもの
0007 ホソホウオウゴケ Fissidens grandifrons
0066 イワマセンボンゴケ Scopelophila ligulate
0123 タチゴケ Atrichum undulatum
0398 コウヤノマンネングサ Climacium japonicum
1656 ギンゴケ Bryum argentium
Webから写真をお借りしたもの
731 いらすとや
1685 トヤマノシノブゴケ Thuidium kanedae
1907 カガミゴケ Brotherella henonii
1923 エビゴケ Bryoxiphium norvegicum ssp. japonicum
221020 均茶庵
2. コケ調べから除外した歌 (コケが殆ど「符牒」化してしまった歌)
以下のコケについては、作詩者がコケを植物のコケとして認識していないので、事実上同定が不可能である。従って、原文・訳・注のみをそのまま掲載し、コケ調べについては、割愛する。 221020 均茶庵
796 定家朝臣母、身まかりてのち、秋ごろ墓所ちかき堂にとまりてよみ侍ける 皇太后宮大夫俊成
まれにくる夜はもかなしき松風をたえずや苔の下にきくらん
訳: わたしが、まれに訪れる夜半でさえも悲しく聞こえる松風の音を、あの人は、絶えず苔の下で聞いているのだろうか。
注: 「苔の下」は、「墓の下」
949 千五百番歌合に 皇太后宮大夫俊成
かくしてもあかせばいく夜すぎぬらん山路の苔の露のむしろに
訳: このようにしても明かせば夜は明けるものの、もう幾晩が過ぎたのでしょうね。露でいっぱいの山路の苔をしとねに、なれない旅寝を続けて。
注:「苔の筵」は、旅人・修行者・隠者などの、奥山での粗末な敷物や草庵を示す歌語でもある。
1436 入道前関白太政大臣家に百首歌よませ侍ける 皇太后宮大夫俊成
年くれし涙のつららとけにけり苔の袖にも春やたつらん
訳: 歳暮を惜しんで流れる涙の氷っていたのが解けてしまった。苔清水ならぬこの苔の袂にも春が来たのであろうか。
注: 「苔の袖」は、法衣。苔衣とも。
1626 少将高光、横河にまかりて頭下し侍にけるに、法服つかはすとて 権大納言師氏
奥山の苔の衣にくらべ見よいづれか露のをきまさるとも
訳: 露にぬれそぼつ奥山の苔ならぬ、奥山住みのあなたの苔衣の露と較べてみて下さい。この法服に置く私の涙の露とどちらの方がより深いかと。
注: 「苔の衣」は、「苔の袖」に同じ。僧衣。これは法服に対し、常の墨染めの衣をさしていよう。
1627 返し 如覚
白露のあしたゆふべにおく山の苔の衣は風もさはらず
訳: 白露が朝夕ひまなく置く奥山の苔ならぬ、この横川の私の苔衣は、涙の露にすっかり朽ちて風を遮る用もはたせないのです。
1630 深き山に住み侍けるひじりのもとに訪ねまかりたりけるに、庵のとを閉ぢて人も侍らざりければ、帰るとて書き付けける 恵慶法師
苔の庵さして来つれど君まさでかへるみ山の道の露けさ
訳: 鎖されている御庵室をめざして参りましたのに、御不在なので帰りますが、空しく辿る深山の路にはいかばかり露が置いていることでしょう。
注: 「苔の庵」は、苔むした庵。苔、山、道、露は互いに縁語。
1631 ひじり後に見て、返し 恵慶法師
荒れはてて風もさはらぬ苔の庵にわれはなくとも露はもりけん
訳: 荒れはてて風も存分に吹きぬける苔の庵には、私は不在でも露は漏れて留守していたでしょうに
注: 「苔の庵」は、自分の庵の謙辞
1663 あひ知れりける人の熊野に籠り侍けるにつかはしける 安法法師
世をそむく山のみなみの松風に苔の衣や夜寒なるらん
訳: 世を遁れて籠もっていらっしゃる熊野の南は松風が厳しく、秋も更けたこの夜頃御法衣はさぞかし寒いことでしょう。
注: 「苔の衣」は、「苔の袖」に同じ。僧衣。
1664 西行法師、百首歌勧めてよませ侍けるに 家隆朝臣
いつかわれ苔のたもとに露をきて知らぬ山路の月をみるべき
訳: いつになれば私は苔ならぬ、片敷く苔の袂に露を置きつつ、知らぬ山路の月を仰ぐ境涯に入ることができるのであろう。
注: 「苔のたもと」は、苔の衣に同じであるが、袂(袖)を片敷いて独り臥すイメージが働く。苔・露・山路は縁語
1665 百首歌たてまつりしに、山家の心を 式子内親王
いまはわれ松のはしらの杉の庵にとづべき物を苔ふかき袖
訳: 今や私は松の柱に杉を葺く山中の庵に、この年古りた墨染の衣の身を閉じこめて、世に交らうべきではないのだが。
注:「苔ふかき袖」は、年古り、何の見栄えもしない「苔の衣」の意か。
1741 例ならぬこと侍けるに、無動寺にてよみ侍ける 前大僧正慈円
たのみこしわが古寺の苔の下にいつしか朽ちん名こそをしけれ
訳: ここを生涯の道場と心にきめてきたこの古寺の苔の下に骨はともかく、いつしかわが名の朽ちてしまうことを思えば、それが残念だ。
1795 なにとなく聞けば涙ぞこぼれぬる苔の袂にかよふ松風 宜秀門院丹後
訳: 聞けばわけもなく涙がこぼれてならない。この墨染の袖に吹き通う松風よ。
注: 「苔の袂」は、「苔の衣」の袂で、僧衣またはその袂。