箸休め第28回 中編
八大竜王にすがろうか 茅ヶ崎の世界
中編: 海岸
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小和田浜公園・浜須賀市営水泳プール(コロナの為、2020年度は閉鎖中)の西側の道路を海岸へ抜けると、海に注ぐ暗渠を覆うように狭い空き地がある。この東側の松林の中へもぐると、龍神様が鎮座している。鳥居の奥に、粘板岩の碑があり、「八大竜王」と彫ってある。鳥居にも、「八大竜王」の扁額が掲げてある。碑の裏側には、「元治元年再建、相模国小和田村 発願主地引六張、網持中」とあるから、1864年に再建したようだ。つまり、それ以前からあったわけで、かなり古い。小和田には、第二次世界大戦敗北まで網元が七つあった。(元網、仁井網、西網、裸網、小網、徳網、新網)この内の六網が共同して建てたようだ。今残っているのは、仁井網と西網の二つだけだ。西網は、竜王碑から200m位の所で、夏の休日に観光地引き網を張っている
海岸近くは、水もないし、砂嵐が吹きまくる厳しい環境で、とても人が住める場所ではなかった。防砂林が整備されて、海岸すぐ近くまで住宅が進出している現代から見ると、全く想像できない。当時、海と集落の間には、幅広い砂丘が広がっていた。鳥取砂丘をイメージすれば良いだろうか。このため、集落から浜辺まで漁師が通う道「浜道」が作られていた。漁師は、JR東海道線を越えて、国道一号線の方から海にやって来た。
小和田の集落からは、4本の浜道があった。(「タウンニュース」150227版)全て、この竜王碑に到る。
① 「上正寺前」の信号から南に下ってくる道
② 「小和田」の信号から下る学園通り
③ 「小和田池袋」の信号から下ってくる道
④ 「松林中学校入り口」の信号から下るラチエン通り
茅ヶ崎公園野球場とサザンビーチの間の浜にある。市バス「市営プール前」停留所のちょっと西側だ。開けた浜の砂丘の上に、鳥居と「八大竜王」と刻んだ粘板岩の碑がある。擦り切れて分かりにくいが、明治39年(1906)9月と彫ってあるようだ。均茶庵がお参りした時には、「船玉大明神」の小さな木の札が納められていた。熊野船玉神社の札だろうか。言うまでもなく、舟の守り神だ。カヤックに乗る均茶庵は、無事故を祈って、サントリー金麦をお供えした。
八大竜王神の入口には、カネサ網重政商店がある。明治20年(1887)創業の古い網元だ。茅ヶ崎の地引き網は、カネサ網を含めて、現在三網しか残っていない。
「県立西浜駐車場入口」信号を、港へ入って行く途中にある。茅ヶ崎市漁業協同組合の先で、丁度、「ちがさき丸」の西側裏手にあたる。八大竜王の字が刻まれた碑が立っているだけで、鳥居はない。一見、神様の居所とは分からない。碑の背面に、大正5年(1916)に、「大謀網主 阿部重郎兵衛」が建立したと彫られている。立派な碑だが、たたずまいがいささか寂しい。
均茶庵は、漁港に八大竜王の祠が祀られていたと記憶している。住吉神社に座している祠は、どうもこの記憶の中の祠のようだ。物の本によると、昔は祠が2つあったそうだが、均茶庵は虚ろだ。現在は、漁港に祠が見当たらない。
嘗ては、南湖と十間坂から、4本の浜道が通っていた。特に、六道の辻(鉄砲道の「南湖東」信号を北に向かうと、道路が六本交叉している。)から港に向かう道路は、嘗て大謀道(おおぼうみち)と呼ばれた大道だった。昭和30年代(1955頃)までは、姥島付近に張った大謀網でブリが沢山とれた。最盛期には、一日に2万匹とも3万匹とも言われる数が上がった。魚の鮮度を保つため、ボテ(ボテ売り=行商)が運んで行くまでは、漁港の砂浜に張ったテントの中で直射日光を避けた。このテントを張った場所を、「天幕場(てんとば)」と呼んでいた。勿論、この時代は、未だ茅ヶ崎漁港は存在せず、舟は平岩の蔭の砂州から出入りしていた。茅ヶ崎漁港にコンクリート製の突堤が出来たのは、昭和26年(1951)に第一種漁港に指定されてからだ。最終的に工事が完成したのは、昭和62年(1987)のことだ。
実は、この碑は元々ヘッドランド近くにあったようだ。本村の八王子神社から、一中通りを通って海岸に到る浜道があり、そこに立っていたそうだ。134号線建設の為に、昭和6年(1931)に当地に移転したらしい。均茶庵は、以前は旧フィッシュセンターの西側にあったような記憶を持っているが、移転したのだろうか。あるいは、記憶間違いだったのだろうか。旧フィッシュセンターは、平成17年(2005)頃ショッピングビルに変わってしまった。
尚、「ちがさきナビ」では、茅ヶ崎漁港の碑を数えずに、全市で7ケ所としている。
追記)211106 均茶庵
茅ヶ崎漁港の駐車場入り口に、立派な八大竜王の碑が建っていた。『あれ、こんな所にあったっけ。』ふと思った。台座は新しい。どうも、「ちがさき丸」裏手から引っ越したらしい。ごく最近のようだ。これだったら、祀られている気分になる。
柳島通りが134号線に合流する所で、陸橋を渡る。すぐ東側に、大貫釣り具店の小さな店がある。現在は、閉まっているようだ。分かりにくい道を松林の中に潜り込んで行くと、「湘南道路之碑」「相州鉄砲場と柳島湊跡碑」「善行者の碑」が立っている。その奥に、八大竜王神の扁額を架けた鳥居と小さな祠がある。茅ヶ崎教育委員会の説明板も立っているが、何故か八大竜王神社については、完全に無視して、一言の説明もない。余りにも寂しい限りだ。嘗ては、漁業と茶屋町の商業と柳島の海運こそが、茅ヶ崎産業の全てだった。