コロナによる外出自粛令が出て、ひたすら引き籠もりになってしまった。何となく体がだるくなる。見え見えの運動不足だ。1万人に一人の罹患率で、100万人に2人の死亡率だから、自分は先ず罹らないとは思いつつも、国のお達しを破るわけには行かない。(末尾注を参照)それに、万が一罹ってしまったら、隣近所の目がある。こんな欲求不満の中、机の中をかき回していたら、米国ノースカロライナ州(NC州)在住時代に書いた文章が出てきた。
NC州には、2002年10月~2005年10月及び2008年1月~2009年3月の二回、単身赴任している。何故か、後者の期間に書いた文章は、引っ越しの間にどこかに無くなってしまった。最初の3年間は、CDが2枚だけ残っていた。 2020年4月20日 均茶庵
人間とは、身勝手なものだ。Icy Rain(末尾注を参照)による停電に悩む時は、「早く暖かくならないかな。」と散々祈ったし、毎日摂氏30度を超える夏が来ると、「いつまで暑いんだ。早く涼しくならないかな。」といらいらしたりする。子供が羨ましい。暑い季節には、暑い中での遊びと喜びがあり、寒い季節には、寒さの中を走り回る。僕がどの季節にも喜べる年代を過ぎてから、少なくとも数十年はたってしまった。
そうは言っても、暑くなればなったで、なんとなく動き出す。動き終わった後は、なかなか回復しなくなった疲れで、一週間ぐったりとしていても、多少でも体調が戻ると、休日が来るのがもどかしくなる。
ノースカロライナでカヤックを一人で漕ぐのは、大いに不便だ。日本でファルト(末尾注を参照)を使っているようなメリットは、ほとんどなくなる。しかし、僕の場合には、一人旅の気軽さもあり、ソロツアーにいまだに固執している。
日本では、目的地を決めると、ファルトと一緒にキャンプ用具一式をかついで、電車に乗る。出航地には、最寄の駅から歩くか、バスに乗ってゆく。食料と水は、出港地近くのコンビニや港で手に入る。ツアーを終えると、上陸地点からファルトを宅配便で家に送る。そして、身軽になった本体は、体一つで、ビールでも飲みながらバスに乗る。天気が悪くなったり、もう気分が乗らなくなった時には、適当な港を選んで、予定の途中で切り上げる事もできる。ツアー中に気に入った景色があれば、そのままキャンプしてしまう。
このモデルが、ノースカロライナでは一切通じない。まず、交通機関は、自分の車しかない。出航地点は、通常集落から10km以上離れている。バスやタクシーなどの公共交通機関が一切ないから、そこまで自分の車で行かなければならない。当然の事ながら、誰かがゴールから出発点まで送り返してくれない限り、自分で漕ぎ戻る事になる。地図上で10km離れたところまで漕ごうと思ったら、ソロツアーの場合その倍の20kmを漕ぐ覚悟をしなければならない。
Muttermuskeet Lake
Merchant Mill Pond
Sawyers River
ノースカロライナの三分の一は、湿地帯だ。上陸出来る陸地がない。釧路川を下っているような感じで、あるいは、沖縄のマングローブの林の中をさまよっているようなもので、10kmでも20kmでも、3時間でも4時間でも、カヤックに乗りっぱなしという事になる。
湿地帯を走る道路と水路の交差点は、限られている。又、道路と水路が交差していると言っても、上記の事情から、水路に下りられるとは、必ずしも限らない。一番確実なのは、モーターボートを水路に下ろすためのランプを探すことだ。逆に、事実上ランプ以外に水路にアクセスする場所がない。つまり、線のように水路を漕いだり、面のように湖を遊んだりはするものの、結局は、一筆書きのように、一点から始まって一点に戻る。広いということは、それだけ簡便さに欠けるということだ。何事にも、大雑把になる。
途中の町で水や食料を買い忘れると、大変なことになる。10kmも戻って買いに行く元気は、なかなかでない。車の中をかき回し、ありあわせのビスケットで我慢する。何事も我慢という言葉が先に立つのが、アメリカだ。もし、それが嫌だったら、アウトドアを諦めるしかない。
サンドイッチを買い求めたガソリンスタンドの黒人が、大概最後に聞いた人間の声になる。公園の場合には、パークレンジャーや遊びに来た人と言葉を交わすこともあるが、そんなことはどちらかと言うと珍しい。余程変わった姿をしていても、米国人は他人に干渉しない。通常クリーク(注:小さな川)のランプには誰もいないし、一度カヤックにのってしまえば、はるか遠くにモーターボートの航跡を見るか、あるいは、頭上に白い線を引いて飛ぶジェット機以外、人の気配がなくなる。聞こえるものは、びっくりするほど大きな鳥の声と、動物が藪の中を逃げるときに枝を折るパキパキという響きだけだ。パドル(注:カヤックを漕ぐ時の櫂)をとめて、この二つの音を取り去ると、あとは静けさそのものになる。高さが30mもある木に遮られて、風も思うようには通らない。暑さと湿気だけが、この世界を支配する。
Roanoke River
ビーバーの巣
Mattermuskeet Lake
オスプレイの巣
News River
牧牛
日本の海岸や川は、カヤックを漕ぐに従い、次々と景色が変わる。飽きることがない。鳥取砂丘や日本海の長い長い護岸に飽きることがあっても、よく見ると、細かい景色の変化がある。日本の場合は、移ろいと変化を楽しむ。
しかし、ノースカロライナの場合には、2時間漕いでも、3時間漕いでも、景色が全く変わらない。目をつぶったままテレポーションしてしまっても、きっと、同じ場所からぜんぜん動いていなかったような錯覚に陥るに違いない。確かに、川の両側に続く林や、川の中に倒れた木の形は変わる。しかし、どこまで進んでも、全く植生が一緒だ。砂こぶの一つ一つを区別しながら砂丘の海岸を漕ぎぬけるわけではない。同じように、木の形を一つ一つ見分けながら、クリークを漕いでいるわけではない。
漕ぎ始めは、自然そのものの景色に大感激する。しかし、時間が経つにつれ、景色に疲れて来る。気の短い僕は、同じ景色を見ながら2時間も漕ぎ続けていると、いい加減飽きてしまう。しかし、2時間進んでしまった以上、2時間戻らなければならない。日本で10km漕ぐのは大して苦ではないが、ここでは精神的な忍耐力がいる。
日本の海や川には、人口構造物がたくさんあるし、「自然」といっても、加工されていない場所は、ほとんどない。天然の峰や岩や突起も、いたるところにある。地図を見ると、自分のいるところは、大体間違いなく見当がつく。ところが、ノースカロライナでは地形図がほとんど役立たない。高低がまるでない。地図が全て湿地の印で埋め尽くされている中に、蛇行した水路と直線の道路が描かれているだけだ。送電線の印があれば、それは超ラッキーだ。だから、GPSを持っていなければ、ひたすらコンパスと勘に頼るしかない。勿論、自分のいる場所に全く自信が持てない。運良くモーターボートに行き逢って地図を見せても、今どこにいるのか答えられる人など、いやしない。あるいは、人によって違った場所を指す。何度か迷子になって、やっとコツが分かってきた。
ノースカロライナで漕ぎ出してから、もう半年くらいたつだろうか。最初は、巨大なダム湖の中で、自分が漕ぎ出したランプがどこにあるのか分からなくなり、理由もなしにおろおろした。見たことがあるような岩を発見して、胸をなでおろした事もある。いつの間にか、それにも慣れてしまった。方向音痴の僕としては、上出来だ。しかし、今でも漕ぎ出すたびに、ふと不安になる。それでもまだGPSを買わない。
2003年7月26日
2020年4月19日 改訂
注)
コロナ:2020年8月5日付けでの厚労省統計では、罹患者数41,129人 死亡者数1,022人。2020年7月での総務省統計では、総人口概算値126.5百万人。そうすると、罹患者率は1万人あたり3.3人で、死亡者率は100万人に8人となる。時間の経過とともに当然累積数値は大きくなるが、まあもの凄い変化はない。 200805 均茶庵
茅ヶ崎市と寒川町の人口の合計は約28万人。2020年12月11日に、コロナ罹患者累計が、280人になった。つまり、1,000人に1人だ。ちょっと真面目になって来た。 201214 均茶庵
ファルト:
ドイツ語Foltbotファルトボートの略。折りたたみ式のカヤック。英語では、Folding boatと言う。均茶庵のカヤックは、ファルホーク社製のVoyager 4.25m長。(現在は、モンベル社に引き継がれ、4.15m長)
写真は、三浦半島 磯崎灯台
Icy Rain:
氷点下に過冷却した雨。木の枝や道路に触れた瞬間に、一気に氷に変る。電線などに凍り付くと、大きな塊となり、断線することもある。
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