小学生か中学生の頃、お酒を飲んだ父は、大陸打通作戦に参加した時の話を、何度もした。この作戦は、1944年に約8ケ月に亘り、日本軍50万人が参加した中国戦線最大の戦いだ。中華民国軍を散々に破った。父は、天津大沽に上陸し、湖南省洞庭湖畔の岳陽市まで進軍した。その時、楼に登って、憧れの杜甫の『登岳陽楼』に耽ったそうだ。
父の話から半世紀後の2010年11月、均茶庵もこの念願の岳陽楼に登った。日本人感覚からすれば、軒が跳ね上がった真っ赤な建物は、少々どぎつ過ぎるかもしれない。しかし、大陸の景色には、妙にフィットする。岳陽楼から洞庭湖に落ちる陽を見ると、『正に呉楚東南に坼け、乾坤日夜浮かぶ』だ。あれが、黄庭堅が書いた君山だろうか。洞庭湖は、土砂が堆積し、又、長江の水量も減ってしまったため、北宋時代に比べれば数分の一に縮んでしまった。君山も、今や陸続だ。しかし、均茶庵の特技は、数分間目をつぶりさえすれば、直ぐに原風景に戻れる事だ。静かだ。艀の汽笛だけが、時折現実に呼び戻す。広い公園の中には、ほとんど人影を見ない。范仲淹の『岳陽楼記』の碑もある。
岳陽市へは、南の長沙市からバスで行った。途中、汨羅江を渡った。屈原を想像するのも難しい程の哀れな流れになっていた。ここで離騒を歌ったのかと、同乗客の中国人の目も憚らず興奮した事を思い出す。その夜は、宿近くの飲み屋で、怪しげな平仄も気にせずに、李白を楽しんだ。『巴陵無限の酒、酔殺す洞庭の秋』飲中八仙も如何かと思うほど、白酒を飲んだ。
静かな岳陽楼と洞庭湖
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