「箸休め第19回 東海道五十三次 茅ヶ崎の段」と重複する記事は、割愛した。
地図を省略しています。こちらをクリック下さい。 国土地理院地図
小糸川は、引地川右岸に、湘南市場(正式には、湘南藤沢地方卸売市場)の西側で合流する、藤沢市の川だ。流路3km程度と短い。しかも、湘南ライフタウンの直ぐ脇を流れているから、両岸は人家ばかりだ。本来なら、改めて取り上げる程の川ではない。しかし、歴史を紐解くと、この川は地域に大きな影響を与えて来た。地元の川として、どうしても見過ごすわけには行かない。
注) 茅ヶ崎市の均茶庵の家から10mも東に歩くと、狭い道路を越えて、藤沢市になります。
出発する
引地川との合流点は、ぶ厚いコンクリートの壁で囲まれたほとんど自然味を感じさせない水路だ。今の姿からはまるで想像できないが、ちょっと昔までは、この川が水田に稔りをもたらすと共に、その水田を一瞬にして埋め尽くす荒れ川だった。上流数百m離れた所に、舟地蔵がある。この地蔵には、荒れ狂う小糸川の水害を鎮めようと安置されたとの伝えもある。そのため、地蔵が舟に乗っているという一風変わった像になっている。
小糸川の流域は、深田でも有名だ。深田とは、一年中湛水しており、その深さが30cm以上の田を指す。嘗ては、「ドブッ田」と呼ばれて、田下駄や渡り木を張って耕作した。特に、大庭中学校の西にある大庭裏門公園は、深いドブ田で、「谷中」と呼ばれたそうだ。
1980年から直ぐ隣に大庭遊水池の造成が始まり、1993年に完成した。そして、1997年には引地川親水公園の名前で開園した。台風の後などには、引地川の水をグラウンドに満杯にためる。水に親しんでもらうための公園との説明だが、本来は遊水池だ。この公園が完工してから、引地川沿いでは大きな水害が起こっていない。それまでは、1966年、1976年、1981年及び1990年と大洪水に見舞われている。特に、1976年の集中豪雨では、353戸が水に浸かった。1990年の台風20号では、湘南海岸の鵠沼橋とみどり橋が流された。
引地川との合流点の橋からは、大庭城跡が正面に見える。12世紀に鎌倉幕府の御家人大庭景親によって最初に作られ、15世紀には太田道灌によって築城されたという堅固な城砦だ。豊かなこの辺り一帯は、その頃大庭御厨(伊勢神宮に寄進された荘園)と呼ばれていた。大庭権五郎景政(鎌倉権五郎景政)が、1100年頃に伊勢神宮に寄進した。大庭氏は、1213年の和田合戦で滅亡したが、この豊かな領地は、幾多の有力武家の所領として次々と受け継がれた。御厨の富みの源泉は、紛う方無く引地川と小糸川だった。この豊穣の地は、今に到っても変わらず続いている。
湘南市場
卸売市場として県が建設したが、一般人でも場内のお店で買い物が出来る。駄菓子やおもちゃを売る鼈甲屋とか、調味料、ラムネなどの飲料の三栄、あるいは、マグロ専門のまつだ等、ちょっと変わったお店がある。
しかし、この市場が一躍有名になったのは、2020年1月23日放送のNHK総合TV「首都圏ネットワーク」だった。この付近の田んぼに白い雀が一羽住み着いた。他の雀と群れを作ると、ひときわ目立つ。多分、アルビノの雀だろう。沢山のカメラ愛好家が押し寄せた。地元の小糸南自治会のHPによると、2018年春頃から見かけるようになった由。しかし、コロナのこの冬は、何処にいってしまったのか、姿を現さなくなった。嘗ての姿は、湘南の白すずめをクリックするとYou Tubeで見られる。
大庭裏門公園
川は、本当に殺風景と言って良い。ひたすらコンクリートで守られた水路に沿ってちゃりを漕ぐ。それも暫く経つと、突然水路が見えなくなってしまう。目の前には、無情な金網が立ち塞がる。変わった名前だが、裏門公園という。昔この辺の谷地に、大庭城の搦め手の防衛線があったそうだ。この2.7haの公園は、1995年に開園したそうだが、何故か入場できない。その代わり、中の沼地に住む鳥をみられるように、双眼鏡と覗き窓が用意されている。谷地の中は、灌木やススキなどの背の高い草がびっしりと生えている。これが住宅街の真ん中かと驚かされる。正直言って、均茶庵はこう言った趣向は余り好きでは無い。覗きの趣味はない。どうせなら、原っぱに寝そべって、鳥の姿を見たい。夏場には、きっと蚊もしっかり出るだろう。
遠藤公園
この先は再び暗渠になる。対角線の方へ行くと、もう一度川が現れる。滝ノ沢橋と書いてある。たきのさわ児童公園と川の間に、舗装されていない通路があった。地図を見ると、この先再び暗渠になっているので、そのまま通ってみることにした。暫くはちゃりで何とか走ったものの、直ぐにセイタカアワダチソウとススキに行く手を阻まれた。後戻りするのも癪だし、強引に突破してみた。ずぼんには、色んな草の実がついた。
道路を越すと、遠藤公園の土手にぶつかる。良く見ると、不動橋と書いてある下に川が沈んで行く。しかし、どう見ても「橋」とは見えない。プレートを見て、その下の暗渠の入口をのぞき込み、初めて橋だとわかる。このすぐ上には、テニスコートがある。ゲートボールのコートでは、老人の団体がゲームを楽しんでいた。屋外だからマスクをしていないが、今のご時世で大丈夫なのかと、人ごとながら気になる。
滝ノ沢
丁度直角に北の方へ道路を渡ると、再び小糸川が現れた。コンクリートの要塞だ。うっかりすると見落とすが、川の右岸の住宅地の中に、滝ノ沢不動明王が鎮座している。「遠藤まちづくり推進協議会」と書いた案内板には、「矢尻講中の氏神として、1705年寺山文右衛門が祀る」とあった。この付近には、矢向台地から地下水が湧き出していて、小糸川へ流れ込んでいたそうだ。ライフタウンの造成で消えてしまった。
湘南ライフタウンは、藤沢市が1967年に黒川紀章氏に街の設計を依頼してから、大プロジェクトが始まった。1972年に建設が始まり、1992年に完成した。もう50年も前の話になる。今や、ライフタウンを取り巻く遠藤や大庭は、分譲地がぎっしりと並ぶようになった。
ライフタウンは、昭和30年代の高度成長時代に、東京や京浜工業地帯のベッドタウンとなった藤沢の乱開発を避けるために作られた。しかし、時の経過とともに、住人は代替わりをし、あるいは、高齢者が多くなった。均茶庵は、1980年代に辻堂駅近くに越して来た。その頃のライフタウンの喧噪は、今思い出しても活気があった。行く度に、街の景色が変わっていた。その時代を知っているから、今のライフタウンには何となく静けさと寂しさを感じる。
小糸川の枝垂れ桜
もう短い旅が終わりに近づいた。暗渠から出たあとの最後の300mは、右岸の枝垂れ桜が迎えてくれる。季節には、桜の花びらが川面に舞い散って、ここが街のなかかと疑ってしまうくらいだ。桜並木も終わった。正面に頑丈な石塀が鎮座している。そして、川は再び暗渠へ戻る。永山橋と書いてある。のぞき込むと、流れは右岸の方へ90度曲がっているようだ。その先には、真っ直ぐな道路が続いている。この道路のどこかの下から、水が湧き出しているのだろう。暗渠から流れ出る水量は、思いの他多い。
そう言えば、このあたりに、2019年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰先生が、住んでいるはずだ。リチウムイオン電池の研究者というよりは、寧ろ「えがお」の化学者と言った方がぴったり似合いそうな方だ。確か、何かの記事で、ご自宅近くの滝ノ沢中学校で講演をすると言う記事を見た事がある。(その後、コロナのため講演は中止になったと聞いた。)
201201 均茶庵
追記)201205 均茶庵
赤羽根十三図
実は小出川にもう一つ水源がある。湘南カントリークラブと藤沢市との境界に挟まれた赤羽根十三図谷戸だ。ここの谷戸の水は、海と反対側の北へ流れている。その流れも、すぐに藤沢市の小糸川に流れ込み、更に引地川となる。
茅ヶ崎市には、嘗て沢山の谷戸があったが、土地開発や埋め立てでその殆どが消えてしまった。そのため、市は谷戸の自然環境保全のため、行谷、長谷、柳谷(県立茅ヶ崎里山公園)など沢山の公園を作っている。ここも公園化の計画があり、きっとあと数年すると自然公園に変わるのだろう。今はもの凄い藪なので、均茶庵はまだ踏み込んでいない。