2020年1月5日に、WHOが中国武漢市でコロナが発生したと発表してから、2020年はコロナ一色の年となった。12月に入っても、罹病者はどんどん、しかも、急速に増えている。2020年12月現在の人口291千人の茅ヶ崎市(242.5千人)・寒川町(48.6千人)管区も例外ではない。3月14日には、茅ヶ崎市に初罹患者が出た。その後小康状態が続いていたが、8月24日には100人目、11月5日には200人目、12月15日には300人目が発症した。その後、12月17日からは、毎日10人~20人も発症するようになって、停まる気配を知らない。
米国や英国で、ワクチン接種が次第に承認されてきた。接種希望者も多い。しかし、均茶庵は、ワクチンその物をほとんど信じていない。ワクチン頼みするよりも、ご飯をしっかりと食べて、抵抗力のある体を作り、人が密集している場所を避けるのが基本だと考えている。鶏だって、豚だって、一種類が密集していると、必ず感染性のウイルスにやられてしまう。人間だけ例外という事はなかろう。人間が密集して暮らしている首都圏に伝染病が流行らないというのは、どう考えても奇跡だ。豚さんと鶏さんが可愛そうなのは、病気にかかると、直ぐに「殺処分」されてしまうことだ。
どうせワクチンが均茶庵の所に届くのは、早くて半年後だろう。その頃には、ウイルスの変異株が生まれて、新々々コロナになっているかもしれない。元祖コロナは、きっと細々と生き残っているだけだろう。それに、インフルエンザだってとうの昔からワクチンができているのに、冬になると毎年大騒ぎしている。もっとも、均茶庵は人生70数年、未だインフルエンザに罹ったことがないが・・・・。生姜か葛根湯に頼っている。あるいは、麻黄湯。
せめて、一句だけ。
熱が出て薬ほしいは処方箋 変わるウイルス古いワクチン
伝染病の恐ろしさは、古来伝承されている。対処法が多少出来たとは言え、流行は一向になくならない。新しい伝染病が次々と生まれるからだ。モグラたたきみたいに、「これが起こったらこれ、あれが出てきたらあれ」は、疲れるだけで、何の解決にもならい。均茶庵は、先ず健康体を作る。その後は、信仰に走り込む、あるいは、気力で逃げ切りたいと考えている。この方が経済的で、効果はワクチンに頼るのと同等以上だろう。体力と気力が切れた時は、ひたすら自然の猛威に恐れおののく。そんなわけで、茅ヶ崎市の神々を調べて見た。市内に、4社の厄神様が残っていた。お参りする際には、小銭を忘れずに。
厄神(やくじん)あるいは疫神とは、本来伝染病などの悪疫をもたらす神を指した。しかし、その対抗しようもない絶大な力に拝跪した結果、人類は遂には厄神を厄除けの神に昇華させた。厄神が絶大な力を持つがために、色々な宗派が、自己の宗旨の中に神として取り込んだ。そして、既存の他の神や仏に憑依する場合も出てきた。例えば、八幡神(応神天皇)や八坂神・祇園神(素戔嗚尊)は、余りにも強いが故に、厄除け神とされている。
空海が厄神明王像を3体造った。愛染明王と不動明王が合体した像だ。現存している摂津門戸厄神東光寺、それに、高野山天野大社、山城石清水八幡宮の三社が、三大厄神と尊ばれている。その他にも、江戸末~明治期に大流行した品川南大井の浜川神社(須佐之男命)がある。江戸時代の修験者教光院了善(福島三右衛門)が、天明年間(1781年~1789年)に「厄神大権現」を創設した。11代将軍家斉の病気平癒祈祷に成功し、尊崇を受ける事になった。その後、了善は、南町奉行鳥居輝蔵の謀略によって1842年に八丈島へ流されるが、1850年に赦免され、江戸へ復帰する。厄神大権現は、明治末の神仏分離令により、浜川神社と名を変え、仏教から離れた。この他にも、由緒いわれがはっきりしない神仏が多くある。しかし、悪疫が流行る都度、民間の強い信仰を受けた。
それでは、お参りしよう。 お参り編 201201 均茶庵
追記) 230218 均茶庵
「ちがさきの石仏 第18号」(2014年9月15日)に、宗建さんが「厄神の石塔と厄神講」と題した文を掲載している。つい最近見つけた。
下町屋の神明神社境内の石碑と松尾の神明神社境内の石碑のニ基が、茅ヶ崎市内にあるとしている。
一方、浜川講は、松尾・町屋・鳥井戸・南湖・柳島と5ケ所あったとの事だ。
*写真の拡大は、PCの拡大機能を使ってください。
注)均茶庵が自分で撮ったデジカメ写真よりも、はるかに立派できれいな写真が、Webを飾っている。そこで、思い切って自分の写真を最小限とし、Webの芸術からお借りした。
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