おまけ
㊲ 方丈記と徒然草のコケ
奈良時代~平安時代の詩歌に詠われたコケ まとめ & 目次へ
源氏物語のコケを「おまけ」として書いた。その序でに、紫式部と双をなす清少納言を忘れてはいけないと、枕草子を追加した。さあこれで終わりと考えた。
所が、一晩休んで眼が醒めると、そう言えば、「古典日本三大随筆」という区分があったなと思い出した。均茶庵は、この三大随筆を果たして文学と呼ぶべきかどうか、ちょっと迷う。ただ『うだうだ、ぐちぐち。』と言っているだけの短編ではないだろうかと考える。正直言って、好きになれない。
しかし、流れに押し流されて、方丈記と徒然草を追加することにした。両書は、平安時代というよりも、鎌倉時代初頭の作品と呼んだ方が正しいだろう。まあ良いか。
方丈記のコケ
作者鴨長明は、60歳を過ぎてから、京都伏見区日野に、方丈(四畳半)と庇の掘っ立て小屋を建てて住んだ。そこで、鎌倉時代の日本中世文学を代表する随筆と言われている本書を、1212年に執筆した。安元の大火(1177年)など、平安末期の不安な政情や、天災地異も、数多く記載されている。(鎌倉幕府成立は、1192年)
方丈記は比較的短いが、コケについての記述は、下記1ケ所ある。
💎原文: あからさまとおもひしかど、今までに五とせを經たり。假の庵もやゝふる屋となりて、軒にはくちばふかく、土居(つちゐ)に苔むせり。
校注: 軒には朽ち葉が深く積もり、土台には苔が生えてきた。(佐竹. 1989)
コケ調べ: この庵には、5年間住んでいる。雨露をやっと凌ぐだけのあばら屋だし、苔も生えるだろう。さて、文中の「土居」とは、どんな構造なのだろうか。土間だろうか、石の土台だろうか、あるいは、木造だろうか。材質によって、生える苔はことなる。
方丈記のこの前の段に、こんな文章がある。
・・・地を占めてつくらず。土居を組み、打覆(うちおほゐ)を葺きて、継ぎ目ごとに懸金を懸けるたり。
佐竹(1989)でははっきりしないが、浅見(2013)は、以下のように校注している。
土台として材木を組み、雨露を凌ぐだけの簡単な屋根を葺き、・・・
この校注によると、材料として木材を使っていることになる。均茶庵としては、取り敢えず、これに従おう。もし、土の上に苔が生しているのであれば、ツチノウエノコゴケやネジクチゴケを考えれば良い。しかし、木材となると、ちょっと異なる。
京都下鴨神社内 川合神社
シラウオタケ
朽ちた木の上に生えるコケは、ハイゴケやシノブゴケなど、自然界では木の切株の上などに沢山見られる。又、山積みになった廃材の上にも、カモジゴケやシシゴケなどが生える。しかし、人が生活をしている建物の土台に生えるコケはどうも、思い浮かばない。どちらかと言うと、小さな地衣類をイメージする。例えば、樹枝状起上類のシラウオタケやピンゴケの仲間は、朽ちかけた雨戸やベンチなどに良く見る。ここは、小さいが、わびしく目立つ地衣類のシラウオタケとしよう。
徒然草のコケ
吉田兼好(1283?~1352?年)が、長年書きとどめた文章を、歿後の鎌倉時代末期にまとめられたと言われている。完全に鎌倉時代の作品となる。
全篇で243段あり、その内苔についての記述は、4段ある。隠遁者の文章にしては、「寂しさ・隠棲」を象徴する苔の登壇が少なすぎる感じもするが、苔に対する興味は、こんなものなのだろうか。
第11段 神無月(かみなづき)の頃、栗栖野(くるすの)といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遙かなる苔の細道をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。
校注: どこまでも遙かに続く苔生した道を踏み分けて行った奥に
コケ調べ: 京都来栖野は、山科駅のずっと南にある。双岡から、ここを通って、東の山の中に入ったわけだ。山里の隠遁・隠棲の侘び住まいを訪問するのだから、伝統的な「苔の細道」という表現からは、どうしても逃げられない。作者が実際に苔に感慨を持ちながら歩いたというよりも、観念的な表現として使ったと言った方が適当だろう。又、細道の上にコケが生えていて、それを実際に踏み分ける事はありえず、踏み分けの細道の端にコケが密生している景色だろう。コツボゴケが道ばたにランナーを伸ばしている。
コツボゴケ
💎第三十段 骸(から)は、けうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、程なく卒都婆も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。
校注:「けうとき」人気の遠い。「さるべき日」忌日。「卒塔婆」供養塔。ここは石塔か。
コケ調べ: 校注者に従って、木製ではなく石製の卒塔婆としよう。骸を葬って時が経ってようであり、木では朽ちてしまっているだろう。又、それなりの地位ある人の墓だろうし、石製とするのが適当だろう。
そうなると、コケは付きにくい。一方、石碑などの上に真っ赤な地衣類を見かける。チズゴケだ。べったりとくっついていて、剥がれない。あるいは、墓石やお地蔵様に白い地衣類がついている。ウメノキゴケだ。しかし、ここは、敢えて白っぽい地衣類を避けて、真っ赤なロウソクゴケモドキを選ぼう。卒塔婆が、真っ赤に染まっている。凄まじき様が、迫ってくる。侘び寂びからは、ちょっと離れたい。
ロウソクゴケモドキ
五十四段 うれしく思ひて、こゝかしこ遊びめぐりて、ありつる苔の筵になみゐて、「いたうこそ困じにたれ。あはれ紅葉を燒(た)かむ人もがな。験(しるし)あらん僧たち、いのり試みられよ」などいひしろひて、
校注: さっき目をつけておいた、苔の生えている遊宴によい場所。
さっきの、苔が筵のようになった場所に並んで座り(小川. 2018)
コケ調べ: 京都双岡で、ワル法師が御室御所の稚児を誘って、これから皆でご馳走を食べようという情景だ。念のため、二人の校注者の文章を引いた。
苔が絨毯のように生えている場所に、直に座って宴会をしようという話しのようだ。しかし、一般的には、これはちょっと考えがたい。芝生のようなふさふさした草の上であれば、座り心地もいいだろうし、野卑な法師には向いているだろう。一方、コケが生しているような場所は、一般的に湿気があって、もう一つ気分が良くない。
コスギゴケ
しかし、校注者の解釈をみると、地べたはどうも草(蔓)ではないようだ。まして、地衣類ではない。地面に生える地衣類は、ハナゴケ類などに限られており、尖っているため、その上に宴席を設ける事はできない。
筵のようになるコケは、コスギゴケの群落が向いている。これならば、背が高くないし、ゆったりと座る事ができるだろう。しかも、やや陰った林の中の広場にも、一面に生える。ウマスギゴケの群落もなかなか良さそうだが、双岡という環境では、ちょっと条件があわないだろう。もう少し、高山の平坦地に適したコケだ。
第百七十二段 美麗を好みて宝を費し、これを捨てて苔の袂にやつれ、勇める心盛りにして、物と爭ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず。
校注: 粗末な僧衣をまとう身となり。「苔の衣」は、僧衣の意。
コケ調べ: 校注にあるとおり、ここでは植物のコケを指しているわけではない。喩えあるいは成語として苔を使っている。同定は不可能だ。
原文及び校注
方丈記: 佐竹昭広(1989). 新日本古典文学大系. 岩波書店
浅見和彦(2013). ちくま学芸文庫. 筑摩書房 (注がある場合)
徒然草: 久保田淳(1989). 新日本古典文学大系. 岩波書店
小川剛生(2018). 角川文庫 (注がある場合)
・写真は、Webから引用した。
221124 均茶庵