コロナ引き籠もりが7ヶ月を越えると、いかにも限界に達する。ふらふらと彷徨したくなるが、街中を歩いたでは、今までの7ヶ月の忍耐が一体何だったのか、まるで分からなくなる。そうかと言って、丹沢のメインロードを登って山小屋に行けば、これまた人に出会うことになる。色々思い耽ると、それならのんびりと林道を歩いてみようという事にした。急な登山道を登る訳でもないから、コロナで鈍った体にも、きっと優しいに違いない。
まずは、世附川沿い
県道729号入口ゲートから浅瀬橋まで
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県道729号は、丹沢湖浅瀬の集落から出発して、駿相国境の切通峠に抜ける。台風の都度大規模な土砂崩れが起こる道だ。特に、2019年の19号台風の被害が酷かった。土砂崩れが、今現在(2020年9月)未だ取り除かれていないので、途中芦沢橋の先からは、車両が全面通行止めになっている。県道729号入口ゲートから浅瀬橋までは、箸休め第57回 林道を歩く 世附大又沢 で紹介したから、こちらを参照いただきたい。
夕滝へ
浅瀬橋で、大又沢と分岐する。大又沢は水量豊富で、釣り師のメッカとなっている。大又沢については、こちらも、箸休め第57回 林道を歩く 世附大又沢 で紹介した。この先ちょっと歩くと、左岸を90度曲がった所から、世附川は一転して直線になる。そして、川の南川の、茂みでちょっと分かりにくい場所に、この川随一の夕滝がかかる。嘗てはすぐ側にあった吊り橋をわたって滝の直ぐ脇まで行くことが出来た。2010年9月8日の台風10号で、吊り橋が壊れてしまったまま、再建されていない。嘗ては、真南にある不老山928mへ県道729号から行く絶好のルートだった。今では、遙か下流の河内側向河原から登るルートが、一般的になった。旧ルートも残っているが、世附川の水量は、年間を通じて結構多い。従って、渡渉はお薦め出来ない。均茶庵は吊り橋が落ちた後、冬場の川水が少ない時期に、一度だけ滝壺を拝ませていただいた。
しかし、何故夕滝と呼ぶのだろうか。色々調べて見たが、由来は不明だ。夕方になると、太陽が西に傾いてしまうので、光の具合で、夕滝は殆ど見えなくなる。だから「夕」滝なのだろうかなんて、思ったりもする。夕滝の少し上流に、小さな滝が架かっている。沢水が岩の表面を滑って川に落ちるだけだと言えばそれまでだが、中々の風情がある。勿論、渡渉は無理だ。名前もついていないようだ。
芦沢橋
世附川本流を跨ぐ橋は、もの凄く少ない。芦沢橋、山百合橋、そして、水ノ木橋の三橋だけだ。正確に言うと、土沢の合流点から大棚沢の合流点までは、本谷と呼ぶし、水ノ木橋は世附川ではなく、正確には水ノ木沢に架かっている。一方、湯沢橋の先に吊り橋が一本かかっているので、これを数に入れれば3橋になる。この後、芦沢橋までは、小さな沢に無銘の橋が一本かかっているだけで、だらだらした道を歩く。渓流への最初の感激が薄れ、少々飽きが来る感じになる。
芦沢橋の辺りで、世附川が90度近く曲がる。水流がぶつかる辺りは、その影響なのか、激しい崖崩れが起こっており、つるつるの岩盤がほぼ垂直に立っている。丹沢の典型的な景観だ。同時に、橋付近は広い河原になっている。この河原は、大雨や台風が通り過ぎたあとに行ってみると、いつも形が大きく変わっている。
しかし、均茶庵にとっては、この河原は実に便利な野営サイトを提供してくれる。雨にだけは、気をつけなければならないから、天気が怪しそうだったら、川沿いの一段と高い檜林の中に引っ越すこともできる。川の南岸には、王子製紙の作業小屋も並んでいる。しかし、人蔭を見たことがない。作業小屋の脇を通る道は、不老山への登山道となっているが、夕滝コースより距離が長く、状態も良くないので、余りお薦め出来ない。
均茶庵の野営食は、一泊の場合おでんか水炊きとほぼ相場が決まっている。川水を沸騰させ、具を放り込むだけで、簡単に鍋食ができる。日本酒で味わえば、間違いなく「せんべろ」で仕上がる。(お酒100円x5合。おでんセットや水炊きセットは、500円もしない。千円でべろべろに酔えるから、「せんべろ」と呼ぶそうだ。)川水は生のままでは鹿や動物の糞由来の寄生虫エキノコックスが入っている可能性があるが、煮沸してしまえば、完全に駆除できる。それに、成人の場合には、発症するまで少なくとも10~20年かかるから、年寄りの均茶庵が気にする理由は小さい。
1合入りの紙パック日本酒の他に、同じく1合入りの焼酎紙パックを、2つ位持って行くのがコツだ。一人野営は、思いの外酒が進む。途中で切れてしまうと、地獄になる。この場合には、1,500円べろべろになる。
お燗をつける時には、ちょっとしたコツが要る。マグカップを一番弱火にしたガスストーブに載せて、時々小指を入れる。これぞという温度になったら、さっと持ち上げる。ぼんやりしていると、青い火が上がる事になる。アルコール分が、全部飛んでしまう。小指は、当然ながらその都度舐める。
大崩落地帯
芹沢橋を200m程上流に行った辺りが、大崩落の常連だ。実に良く崩れる。しかも、道路を完全に埋め尽くす。その都度土石をブルで押し出して復旧するが、数年もしない内に又崩れる。道路脇は、高さ6~7mの崖となっているので、滑り落ちたら大変だ。川から一番離れた壁側の瓦礫の上を、へっぴり腰で越える。こんな場所が、2箇所くらいある。勿論、特別に通行許可を得ている車も、ここから先は完全に立ち入り禁止になる。直ぐそばの湯沢橋が、交通止めの規制線になる。上に述べた吊り橋は、この先に架かっている。
山百合橋~広河原橋~金山橋
勿論、こんな無味乾燥な景色ばかりではない。県道の傍らには、無銘の小さな滝がいくつも架かっている。沢が単に岩の上を滑っていると言っても良いが、それなりに風情があり、林道歩きにアクセントを付けてくれる。山百合橋が世附川を跨ぐ最後の橋だ。この先、北から流れ込む沢に架かった広河原橋を過ぎて、南側に土沢を見ると、本流は本谷と名前を変える。もう川幅も狭く、水量も少ない。川底も、急な谷底に所々しか見えなくなる。
世附川についての小説や物語がないものかと、Webを手当たり次第さがしてみた。残念ながら、何もみつからない。こんなに素晴らしい川沿いの道路なのに、どうしてなのだろうか。
山百合橋
広河原橋
金山橋
夕霧橋
一風変わっているのは、夕霧橋を過ぎた辺りからだ。黄色っぽく色が変わった岸壁に、濃い緑色の小さなコケがびっしりとこびりついている。コケの生えている所は、しっとりと水に濡れている。イワマセンボンゴケScopelophila linguataという名前のこのコケは、他のコケが絶対に生えない所にしか生育しない。銅イオンなどの有毒金属が濃厚に染み出す岩の上にだけ生える。同種のホンモンジゴケS.cataractaeは、主にお寺の銅葺きの屋根の水が滴る場所にのみ生える。だから、このコケが生えている場所には、必ず銅イオンつまり銅鉱床がある。但し、商業的に合うような量なのかどうかは、別ものだ。
神奈川県産のコケのチェックリストには、ホンモンジゴケの産地が沢山記載されているが、イワマセンボンゴケの産地は、何故か一箇所も書いてない。なぜなのだろうか。判別がし難いためなのだろうか。ちょっと意外だ。
夕霧橋
イワマセンボンゴケ
水ノ木橋
県道729号は、水ノ木沢を少し遡った所で90度西へ向を変える。水ノ木橋を渡り、少し歩くと、今度は大棚沢と名前を変えた本流に沿って走る。橋から直ぐの所に、名瀑大棚がある。道路脇に、「落差30メートル」と書いた標識がある。大きな水音が響く林の中の葛折りを下ると、突然真正面に出くわす。
大棚滝と言うと、この辺りでは専ら県境を越えた富士市の大棚滝を指すが、山北町の滝の方が、いかにも野性味に溢れている。折れ曲がった流れと、跳ね返る水しぶきが、男っぽい。そして、感動をそのままに、滝の降り口から暫く行った所で、沢が終わりとなる。この先は、切通峠を越えて、静岡県に入る。静岡県側には、突如として県道730号という名前の道が登場する。勿論、こちらは静岡県道だ。
一方、水の木橋から分岐した沢は、水の木沢と名前を変えて、ひたすら北上する。橋から50mも歩いたろうか、大きな家がある。多分今は無人だと思う。静まりかえっている。このあたりは釣りの名所だから、恐らくは釣り宿だったか、あるいは休憩所だったのだろう。4m近い石垣の台がくみ上げてあり、砦のような風格がある。封鎖されていたような跡がある階段を上ると、割と広い駐車場にでる。
水ノ木橋
大棚滝
ここが驚きの場所だ。足の踏み場もない程、コウヤノマンネングサClimacium japonicumが生えている。こんな巨大な群生地は、初めて見た。もともとは、駐車場だったようだ。反対側は、車が上がれるようにスロープがついている。駐車場の台座となっている石垣にも、びっしりとコケがついており、その中でもコウヤノマンネングサの優美な姿が目立つ。このコケについては、一文を書いているので、参考にして欲しい。均茶庵は、1962年の吉永小百合に譬えた。(「均茶庵の好きなコケ 蘚類」)勿論、コウヤノマンネングサだけではなく、色とりどりのコケが、これでもかと妍を競っている。
菰釣り橋~樅の木橋
右を見たり、左を見たり、コケの大群落にまるで落ち着きを無くしながら、ちょっと薄暗い木立の間を歩く。10分も経たない内に、水ノ木沢と金山沢の分岐の菰釣り橋にでる。橋には、「こもつりはし」と平仮名でしか書いてないが、多分この漢字であっていると思う。もしかすると、「菰吊り橋」かもしれない。この先は、渓流がどんどん支流に分れて、いよいよ狭い山道になる。道の曲がり角で、突然釣り師に出会ったりする。リリースしているケースが多いようで、大物を上げた人は、一声かけると、嬉しそうに写真を見せてくれたりする。やはり、自慢する相手が欲しいようだ。個人的には、焼き魚の方に遙かに興味があるが、釣り師の好みは違う所にあるようだ。金山沢は、更に樅の木沢と分岐する。この先まだまだあるのか聞いてみると、『結構深いですね。』との答えだ。
こもつり橋
樅の木橋
そろそろ均茶庵がギブアップする時間になった。山の午後は短い。木立の蔭は、3時過ぎにもなると早くも暗くなる。こんな所で滑って事故を起こすと、そのまま一晩くらい我慢しなければならないだろう。安全に撤収するのが最善だ。もう、若くない。かくして、GPS Loggerの最後のスイッチを押した。
201005 均茶庵