㊳ 後醍醐天皇のご辞世
奈良時代~平安時代の詩歌に詠われたコケ まとめ & 目次へ
忘れていたのではなく、ふと思い起こした。後醍醐天皇のご辞世の歌に、コケが詠われている。1339年8月15日、吉野にて詠われた。太平記21巻に載っている。勿論、奈良時代でも平安時代でもなく、南北朝時代の話だ。従って、本編の本来の題の時代とは、大きくずれる。
原文
玉骨は縦令南山の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕の天を望まん
後醍醐天皇の辞世の歌は、敢えて現代訳しない。
帝の言葉とは思えない程激烈な歌だ。足利尊氏は、1336年入洛し、後醍醐天皇は同年に吉野に遷幸している。同時に、北朝では光明天皇が即位している。
帝の無念さと、その怨念を、激しく感じる。太平記の中では、こんな文章が続いている。
「若し命を背き義を軽んぜば、君も継体の君にあらず、臣も忠烈の臣にあらじ。」説明は要るまい。
コケ調べ: さて、どんなコケを思い浮かべたら適当だろうか。帝王を象徴するように、厚く岩や地面を一面を覆っており、且つ、輝く美しさを持って、厚く生えたコケを考える。この条件を満たすのは、イワダレゴケ Hylocomium splendensがぴったりだろう。このコケは、古い株の上に、毎年新しい枝をつけ、階段のように、上へどんどんと拡大して行く。
写真は、Webからお借りした。
後醍醐天皇のご遺志に合わず、南朝は年々情勢がきびしくなり、後亀山天皇の時の1392年に、北朝と合一する。
230601 均茶庵