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小出
寺尾橋(大岡越前通り)を過ぎると、小出川は単調な直線の川となる。良く護岸工事がされている。ここから先は、相模原台地の麓に水田地帯が広がる。西の方(右岸)を見ると、稲刈りの終わった水田の上に、相州大山がそびえ立つ。その左側には、富士山も見える。絶景の地だ。
この豊かな地は、昔から豊かな稔りを与えた。台地の上には、天照大御神・稚産霊神・若日下部命を祀る宇都母知(うつもち)神社が、右岸に鎮座している。495年(雄略天皇の御代)に祭祀がおこなわれたと「日本総風土記」という本に書いてあるそうだが、延喜式内社に指定されている。相模国には、式内社が13座ある。「うつもち」とは、古代語で「小さな盆地」という意味だそうだ。
小出七福神
ここ芹沢を中心とした集落には、相州小出七福神もある。お正月には、七福神めぐりのスタンプラリーが催される。均茶庵も、北風と戦いながら、ちゃりで参加する。7箇所全部紹介すると長くなるので、今回は小出川に一番近い芹沢山来迎寺だけ参拝した。浄土宗の本尊の阿弥陀如来とは別に、本堂の入口に小さな恵比須様が鎮座している。スタンプラリーに関係無く、お賽銭箱のとなりに、恵比須様のスタンプも常時置いてある。
小出川彼岸花祭り
芹沢付近を流れる小出川の土手には、彼岸花が一面に植えられている。9月には、大黒橋から追出橋までの約4kmの間で、彼岸花祭りが開催される。会場が4ケ所作られ、この時ばかりは、模擬店やらこの辺りで作った野菜の即売やらで、大いに賑わう。相州大山の秀麗な姿を遠望しながら、真っ赤なあるいは真っ白な彼岸花を楽しむと、農村の豊かさを心の奥底から感じる。
慶応義塾大学
ここから慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFCと略している)は、すぐそばだ。1990年の開設で、未だ新しい。相模原の台地に次々と新しい校舎が建って行った姿が懐かしい。ここ遠藤には、細い道が通じているだけだったが、今や片側二車線の道路をひっきりなしに車が通る。二両連結の大型バスも、辻堂駅から運行している。ツインライナーと呼んでいる。ドイツのネオプラン社からの輸入で(N4421型)、日本の認可基準に合わせる改造をしている。すごく珍しい。辻堂駅~慶応義塾大学までは、2018年5月からサービスが始まった。
総合政策学部・環境情報学部・看護医療学部などがあるそうだが、何を教えているのかは、わからない。先ずは、10万坪もあるという敷地に圧倒される。「最新の技術と豊かな自然が調和する空間」があるそうだ。慶応大学と言えば三田と日吉にキャンパスがあるものと思っていたが、こんな静かな所で学べるとは、ご同慶の至りだ。大学は巨大になり、均茶庵の持っているイメージから大きく変わった。
遠藤あじさい祭り
小出川に沿った農道を、「花とせせらぎの道」と名付けている。えびす橋から大黒橋の間約0.5kmの間には、今度は約500株の紫陽花が植えられている。1999年に、地元遠藤の住民が植えたそうだ。紫陽花の株の根元には、名前を書いた小さな札が刺してある。その株のオーナーの名前だそうだ。毎年6月の花のシーズンには、「遠藤あじさい祭り」が開催されるが、2020年はコロナに負けてしまった。小出川沿いは、下流から上流まで、桜、彼岸花、紫陽花と、一年中花が咲き誇っている。
遠藤笹窪谷戸
終点に近づいて来た。湘南慶育成病院の角から真っ直ぐ北に登ると看護医療学部の建物の前に出る。残念ながら、小出川はこの辺では暗渠となっており、姿が見えない。大学の駐車場を避けて、そのまま狭い道路を北西に走ると、広大な敷地が現れる。ここはもう笹窪谷戸の出口になる。重機が何台も動いていた。工事の案内板を見ると、「令和3年3月29日まで、公園の整備を行っています。藤沢市・嵯峨造園土木」とある。親水公園を作っているようだ。遠藤笹窪谷戸は、「藤沢市三大谷戸」と称している。他の二つは、「石川丸山谷戸」「川奈清水谷戸」だが、もうしっかりと公園として整備されている。重機の間を通らせてもらう。
暫くすると、猿田彦大神の道標があった。この辺りは笹久保堀切りと呼ばれていたそうだ。嘗ては11軒ほどの集落があったそうだ。右側の暗い林の中へ続く道が、厚木に通じるようだ。左側の道は、完全な谷戸になる。低地には、カヤが茂っている。踏み跡道だけが続いている。遂に通行止めになった。原チャリに乗った爺さんにあった。シラタケを袋一杯いただいた。均茶庵には、「ヒラタケ」と聞こえたが、ヒラタケは木に生える色が濃いキノコだ。白っぽい色の「シラタケ」とは、別種だ。谷戸の周辺には竹藪が多いが、シラタケはそこに沢山生えているという。油炒めか味噌汁の具として食べると美味しいと言う。残念ながら、キノコが生える季節が終わりかけているそうだ。
正直言って、均茶庵は、シラタケをそれほど美味しいキノコとは思わない。しかし、子供の頃に、時々里山で採って食べた事を思い出しながら、油炒めにした。昔は、補完食としていたのだろうか。尤も、「コメ」だけを食糧と呼ぶようになったのは、それ程「昔」ではない。
小出川水源
藪の中を暫く歩く。ずぼんにヌスビトハギがどんどん着く。そして、遂にせせらぎが土手の前で途切れた。下の方から湧き出しているようだ。ここが、小出川の水源になる。ちょろちょろと流れる水は、透き通っていた。夏場だったら、とても来られないだろう。蚊は言うに及ばず、マムシに刺されるかもしれない。いかにもそんな雰囲気の谷戸だ。現在はただの濃い藪だが、嘗ては水田として大活躍していたのだろう。谷戸の出口まで、平坦に良く整地されている。河川のそばに水田を作り始めたのは、それ程昔の話ではない。少なくとも江戸時代には、大水が恐ろしくてそんなところは農耕不適地だった。谷戸が最良の水田だった。
水源を訪ねた喜びと、足元の不安さがミックスした不思議な気持ちで、ちゃりを置いた場所まで戻って来た。原チャリはあったものの、お爺さんの姿は無かった。ちゃりのサドルの上に、シラタケが一個載っていた。きっと直ぐ近くに生えていたのだろう。お爺さんは、もう一度竹藪に入って、シラタケを探しているのかもしれない。
ゴルフ練習場隣
奥の行き止まり
第二の水源
小出川の水源は、実ははっきりしない。「新編相模国風土記稿」という本に、水源として、「遠藤神明谷、遠藤琵琶島、遠藤東原の池の頭」と書いてあるそうだ。小出川沿いの案内板に載っていた。取りあえずは、もう一つの水源に行ってみる事にした。
湘南慶育病院から北東へ500m位行った所に、藤沢ジャンボゴルフの練習場がある。遠くからでも、ボールよけのネットが見える。ジャンボと名乗るだけあって、もの凄く大きい。打ちっ放しだけではなく、バンカーやらアプローチやら全て揃っている。練習場のフェンスに沿って、側溝のような水路が巡っている。練習場の反対側は、大住宅地群になっている。そして、最後に暗渠で水路が見えなくなる。多分この奥に水源があるのだろう。ここが、元の琵琶島に当たる。住宅開発の為とはいえ、いささか寂しい水源だった。しかし、側溝から流れ込む水量は多い。第三の水源へ行ってみようという気力が萎えた。かくして、均茶庵の小出川の旅を終えた。
201130 均茶庵