千載和歌集のコケ
千載和歌集のコケ
奈良時代~平安時代の詩歌に詠われたコケ まとめ & 目次へ
注)💎 コケと記されているが、明らかに地衣類を詠った歌
後白河法皇の命により、第7番目の勅撰集として、1187年に成立した。定家の父に当たる藤原俊成が撰した。定家の撰した第8番目の新古今和歌集が、八代集の最後となる。
1288首を収めているが、この内9首がコケを詠んでいる。しかし、時の流れに違わず、「苔の下」(墓)、「苔の衣」「苔の袂」(僧衣)と言った定型句の表現が大部分を占めている。又、僧籍にある人の歌、あるいは、故人を偲ぶ歌が殆どを占める。
さりはさりながら、牽強付会と言われるかもしれないが、何とか植物としてのコケを想像出来る歌を3首か選んでみた。その他については、コケ調べを割愛する。これが、均茶庵派のコケ調べの苦しい所だ。
原本・訳・注などは、下記に依った。
交野達郎・松野陽一 (1993). 新日本古典文学大系. 岩波書店
*写真は、Webからのdownloadによる。
221025 均茶庵
💎804 待賢門院安芸
磯馴れ木のそなれそなれてふす苔のまほならずとも逢ひ見てしがな
訳: 磯馴れ木が潮風に低く傾き伏して苔むしているように、まともなかたちでなくてもお逢いしたいものですよ。
注: 「磯馴れ木」強い潮風のために磯に傾き生えている木 「そなれそなれて」不完全な状態を言う。「まほならず」完全なかたちでなくとも
コケ調べ:蘚苔類は、塩分を嫌うため、海岸近くには生えない。唯一の例外は、ウシオギボウシゴケで、日本海~北日本の海水の飛沫がかかるような岩の上に育つ。但し、樹木や枯れ木の上には、生えない。環境省により、レッドリストに載せられている。あるいは、海水飛沫がかかる岩から、イソベノオバナゴケDicranella salsuginosaが採取された記録がある。明治時代の話だ。塩分がある場所に育つコケは、極めて稀だ。
根室 風蓮湖
一方、海水の飛沫がかかる岩上に生育する地衣類は、数多く知られている。例えば、イソダイダイゴケやハマカラタチゴケがある。又、根室の風蓮湖に行くと、地衣類が海風に吹かれながら、枯れ木に着いている。均茶庵は、かなり昔に行ったことがあるが、殺伐とした風景に圧倒された。但し、どんな種の地衣類が生えているのか、知識がない。
1042 堀河院御時百首歌たてまつりける時、橋の歌とてよみ侍ける 大納言師頼
葛城や渡しもはてぬものゆゑに久米の岩橋苔おひにけり
訳: ここは葛城、渡しきらなかったものだから、久米の岩橋は人も渡らず苔が生えていることだよ。
注: 役行者に命じられて橋造りをした一言主神が、容貌の醜さを恥じて夜しか仕事をしなかったために完成しなかった、という岩橋伝説 (日本霊異記・今昔物語) 「久米の岩橋」葛城山と吉野の金峯山との間の橋
コケ調べ:南河内の岩橋山に、久米の岩橋の跡と言われる加工した岩が残る。古墳にあった石棺の一部が、転げ落ちたようにも見える。但し、コケは生えていない。658mしかない低山だが、登るのはちょっと辛い。大納言が自ら行ったとも思えない。
しかし、ここはしっかりとコケが生えていると考えてみよう。山奥の岩を、大型のコケが鬱蒼と覆っている。オオフサゴケではどうだろうか。どっしりとして、中々の迫力がある。
この歌は、男女の契りが上手く行かなかったことの喩えに使われる。「命短し恋せよ乙女」言い寄ってくれる男を、無碍に断ってはいけない。いつの間にか、誰も声を掛けてくれなくなって、はっと気がついた時には、コケが生えている。
1109 大峰通りける時、笙の岩屋といふ宿にてよめる 前大僧正覚忠
やどりする岩屋の床の苔むしろ幾世になりぬ寝こそ寝らね
訳: 宿りをするこの岩屋の床にしいた苔のむしろは、幾代を経たのだろうか、寝つけないことだ。
注: 「笙の岩屋」大峰の国見岳にある霊場。「苔むしろ」敷物に見立てた密生の苔。修行者の粗末な床の意の他、常滑(水苔)への連想から永遠の喩えにも用いる。
コケ調べ: 笙の岩屋は、何人もの高僧が修行した場所で、名が良く知られている。しかし、行くにはちょっと体力がいる。標高も1,400mある。覚忠が訪問したという記録はないが、もし前大僧正の年齢で宿ったとしたら、大変な体力があった方だと思う。偉い大僧正だから、輿に乗って登ったのだろうか。その場合には、お付きが大変な集団になる。岩屋に泊まったとは、とても思えない。付近に、宿泊施設があったのだろうか。よしんば岩屋に泊まったとしても、厚いカーペットでも敷いたのだろうか。そうすると、コケは見えない。考えれば考えるほど、どんどん現実から遠ざかる。ここは、とりあえず歌の内容に正直になろう。
さて、洞窟入り口の壁にコケが密生して下がる事があっても、洞窟の中に筵のようにコケが生える事はまずない。詩情を出すための形容だろう。
太陽の光りが強く射さないから、スギゴケやスナゴケは生えないだろう。ここは、コツボゴケがランナーを四方に張って、密生している姿を思い浮かべたい。このコケは、日蔭の岩の上に良く生える。
写真で見る限り、堂内は比較的乾燥しており、余りコケが生えている気配がない。しかし、ここは、大サービスをしてみよう。洞窟の奥の岩陰にはヒカリゴケSchistostega pennataが生えていて、夜そっと柔らかい神秘な光りを放つ。大僧正の詩心を誘い、どうしても眠れない。洞窟の外には、三日月が懸かっているだろうか。
591 母二位みまかりてのちよみ侍ける 民部卿成範
鳥辺山思ひやるこそかなしけれひとりや苔の下に朽ちなん
訳: 鳥辺山を離れておもいやるのは悲しいことだ。母はひとり、苔の下に朽ちてゆくのだろうか。
注: 「苔の下」は墓の下
595 をやの墓にまかりて侍けるに、知らぬ塚どもの多く見え侍ければよめる 左京大夫脩範
野辺見ればむかしの跡やたれならむその世も知らぬ苔の下哉
訳: 野辺を見ると、昔の事跡も誰なのだろうかと、その生きた世も知らない墓ばかりが沢山目に映ることだ。
1107 高野にまうで侍ける時、山路にてよみ侍ける 仁和寺法親王 守覚
跡たえて世をのがるべき道なれや岩さへ苔の衣着てけり
訳: この山路は、人跡も絶えて世を遁れる入るべき道だからか、岩までが出家者の着る苔の衣を着ていることだ。
注: 「苔の衣」苔が掩っている様子の見立て。僧衣の比喩に重ねる。
1144 病ありて東山なる所に侍けるを、よろしくなりてのち、いかがと人の問ひて侍ける返事によめる 大江公景
鳥辺山君をたづぬとも朽ちはてて苔の下には答へざらまし
訳: 鳥辺山をあなたが訪ねても、私は朽ち果ててしまって苔の下ではお答えしないでしょう(そちらにはいませんといえるように元気ですよ。)
注: 「朽ちはてて苔の下には」鳥辺山の墓地に関連した表現
1155 春ころ久我にまかりけるついでに、父をとどの墓所のあたりの花の散りけるを見て、昔花を惜しみ侍ける心ざしなど思出でてよみ侍ける 権中納言 通親
散りつもる苔の下にもさくら花惜しむ心や猶のこるらん
訳: 桜の花片の散り積もる苔の下にも、花を愛惜した父の心がまだ残っているだろうか。
1156 頭をろしてのち、前中納言雅頼いまだ小男に侍ける時、初めて昇殿申させ侍けるを、聴されて侍ければ、よみて奏すせさせ侍ける 入道前中納言雅兼
うれしさを返す返すもつつむべき苔の袂の狭くもあるかな
訳: 嬉しさをくり返し包むはずの法衣の袂は、狭くて包みきれないことです。
注: 「苔の袂」僧衣の比喩
1236 高野にまゐりてよみ侍ける 寂蓮法師
あか月を高野の山に待つほどや苔の下にも有明の月
訳: 弥勒菩薩が世に現れる竜華の暁を高野山で待つ間、苔の下で弘法大師は入定されていることだ。
注:「あか月」竜華の暁。釈迦の入滅後56億7千万年の未来にこの世に下生して竜華樹の下で説法し、救済するという、その下生の暁。