神社自体は、天照大神と大山咋命(オオヤマクイノカミ。山の地主神で、大津市日吉大社が総本社、及び、京都の松尾神社が尊崇厚い。)を祀る。康正年間(1455年)に建長寺の西来庵領になっているので、この頃伊勢大神宮を勧請したものと云われている。又、神社としては、寛正年間(1460年~1466年)の創設とも伝える。
本殿脇に、「厄神大権現」の笠頭付きの碑がある。「嘉永二年巳酉歳正月吉祥」(1849年)の銘があり、「天下太平 国土安穏」と彫られている。この碑は、明らかに江戸で大流行していた浜川神社から勧請されたものだろう。但し、銘の年号が、了善の赦免前となっている点、如何なものか。由緒などは、一切不明だ。
大山咋命を主神とし、境内社として祇園社(素戔嗚尊)と天満社(菅原道真)を祀る。京都松尾大社の分祀社であって、2018年5月には、松尾大社に運びこんでいた神輿の修復が完了している。しかし、創建の年や由緒は一切不明だ。
タウンニュース茅ヶ崎版(2013年2月22号)には、関東大震災の記念碑の隣に、「厄神大神」と彫られた碑が写っている。明治22年(1889年)の銘もあった由だ。しかし、現時点(2020年12月)で、所在不明となっている。現在の大震災の記念碑の台座の形状及び場所が、上記の写真と大きく異なっているので、紛失したのは近年のようだ。
追記)230303 均茶庵
久しぶりに、松尾大神に参拝した。何と、「厄神大神」はどちらに遷られたのか、元あった場所は、綺麗になっていた。
北茅ヶ崎駅のすぐ近くに、小さな社がある。主神は、「疫神」そのものだが、創建及び由緒は全くわからない。
若一王子社は全国にあるが、厄一王子社の名称は、茅ヶ崎の当社以外に見当たらない。王子社と言うのは、本来熊野の御子神を祀る。熊野詣での九十九王子社が有名だが、当社と熊野大権現との関係は不明だ。
素戔嗚尊を主神とする。創建時期は不明だが、郷民が産土神として建てたと伝わる。各町内に神社が創建されるまでは、上・中・下・鳥居戸・茶屋町の鎮守だった。江戸時代に、南湖が間(あい)宿場となって繁盛するにつれ、伊勢・京都参りあるいは大山参りの旅人が沢山参拝した由。この神社から大山を遙拝する習慣も出来、「石尊山」とも呼ばれた。大山には、不動明王が本地仏の石尊権現が祀られている。
神社の鳥居近くに、「〆金神・風神」と彫られた、1934年銘の碑がある。意味する所は伝わっていないが、「風神」は「風疹(ふうしん・はしか)」に通じるので、病状が一見似ている天然痘の祈願ではなかろうかと云われている。又、「〆金神」は、恐らく「しめ こんじん」と呼んで、希代の力を持つ悪神金神を封じる意味だと解釈されている。金神は何をするにも凶とされ、「七殺」と言って、金神の禁忌を犯すと、家族7人が死ぬ魔力を持っている。江戸時代の岡山県では、金光教の「金神封じ」が大流行した。又、京都綾部では、出口なお・王仁三郎が、金神こそがこの世の根本神とした大本教を立てた。
尚、太平洋戦争の末期の1944年に、米軍の上陸を防御する陣地構築材として、軍が神社の松の木を伐採したそうだ。戦後の1950年に、地元氏子により植樹を完成したとの記念碑がある。
追記)230311 均茶庵
5.行谷 宝蔵寺
【市史】によれば、宝蔵寺は、『風土記稿』に由来が記載されており、天正8年(1580年)創建の古いお寺だ。文化2年(1805年)には、本堂を再建したそうだ。曹洞宗のお寺で、歴代の方丈の名前が、記念碑に刻んである。
さて、山門の手前向かって左側に、地蔵像を刻んだ供養塔がある。文字は薄れてしまって良く見えないが、【報告】によれば、「百万遍供養塔」及び「狐狼痢除」と書いてあるそうだ。脇には設立年が彫ってあり、こちらは、「文久二壬戌八月吉日」(1862年みずのえいぬ)と読める。石碑にある「狐狼痢」は、「ころり」と読み、コレラの事を指す。
安政5年(1858年)にコレラが大流行したそうだ。長崎から始まり、上方・東海道を経て、7月に江戸に達して、8月に大流行となった。9月には一旦収まったものの、文久2年には夏の麻疹とともに、コレラが再流行し、安政5年の数倍の死者が出たと言う。安政5年のコレラの時には、江戸だけで、3万人が亡くなったそうだ。仮名垣魯文は、『安政箇労痢流行記』を、安政5年に刊行している。(国立公文書館)
『安政箇労痢流行記』
行谷は、茅ヶ崎市とは言え、東海道からははるかに離れている。こんな所でもコレラが流行し、恐らくかなりの死者が出たと想像されることは、驚きだ。
令和のコロナには、茅ヶ崎市管内で、累計51,667人が感染し、133人が亡くなっている。(2023年3月10日現在)コロリにはとても及ばない数字だが、現代にあっては大災害だ。いずれ寺内に「コロナ供養塔」が建てられるのだろうか。因みに、3月1日現在の茅ヶ崎管区の人口は、292,753人だ。(茅ヶ崎市 244,203人 寒川町 48,550人)
「厄神」とはちょっと異なるが、追加として記載した。
尚、令和のコロナ大流行については、「箸休め番外編11 コロナの日記」及び「箸休め番外編2 武漢肺炎のスローガン (中国)」も参照して欲しい。
追記)230316 均茶庵
6.十間坂 茅ヶ崎山円蔵寺
ふとした事から、円蔵寺にも厄神様(あるいは正確には、厄仏様かも知れない)が居られると知った。円蔵寺は、茅ヶ崎郵便局傍の十間坂にある、高野山真言宗の古いお寺だ。
「風土記稿」には、1389~90頃、本村に修行道場があったと記載されている。一方、寺伝によれば、永享元年(1429年)の創建とされている。大正12年(1923年)の関東大震災により倒壊し、昭和4年(1929年)に現在地に移転した。
円蔵寺には、高さ約55cmの「秘鍵大師」像があり、疫病退散の仏力を秘めているそうだ。昭和4年の移転の際に、高野山大師教会本部から遷された。弘法大師空海像は、通常右手に五鈷杵を持っているが、秘鍵大師像は代わりに「文殊の利剣」を持っている。剣は、文殊菩薩の知恵の象徴とされている。
弘仁9年(818年)に、飢饉による疫病が大流行した際、空海が嵯峨天皇に「般若心経秘鍵」の加持祈祷を行った所、禍がたちどころに消え去ったと伝えられている。室町時代以降、この秘鍵が大いに広まったそうだ。
円蔵寺の秘鍵大師像は、秘仏とされており、拝観できないため、どんなお姿をしているのか分からない。しかし、嵯峨天皇の離宮だった京都の大覚寺にある空海の像、及び、真言宗で公開されている絵から想像すると、下記のような姿ではないだろうか。
京都 大覚寺
真言宗 秘鍵大師像
追記) 201229
12月8日に、英国ケント州で、コロナの新変異種が発見された。又、25日には、英国から帰国した人が、コロナ新変異種に罹患していることが、国内で初確認された。
追記) 210104
12月31日には、茅ヶ崎市管内で533人目が発症して、2020年を終えた。
(2021年1月末現在で、発症者1,080名)
追記) 210221
河野ワクチン担当大臣は、6月中にワクチンの供給を完了すると発表。茅ヶ崎市へ配送されてから、接種が完了するまで約1ケ月必要とみられている。
追記)230211 茅ヶ崎市立図書館で、たまたま「厄神」の資料を見つけた。一覧表にしたので、下記する。