万葉集について:
万葉集は、日本最古の文学として、余りにも有名だ。一番古い歌は、仁徳天皇の皇后磐姫によるとされているが、後世の仮託と考えられている。629年に即位した舒明天皇から、759年に詠まれた最後の歌までの、約130年間の歌を、大伴家持が、20巻にまとめたとされる。
約4500首の内、コケを詠んだ歌は、長歌1首を含めて、僅かに11首に過ぎない。しかも、万葉集の段階で、早くもコケの平板化が完成している。「和漢朗詠集のコケ」で述べたように、万葉集の時代から、コケは、時の長さ、永遠、長久などの象徴として捉えられており、それ以上の意味は与えられなかった。コケ自身の持つ美しさや味わいは、鑑賞の対象にすらならなかった。平安時代以降もこの流れが続いた。
全12首の内、「コケ生す(むす)」と詠われている歌が、実に10首もある。残りは、「コケむしろ」が1首あるだけだ。実際にコケが生えて居る姿を見て歌を詠んだと言うよりも、コケという言葉を使うことによって、コケの共通概念として定められた「時の長さ」を表現する手段とされている。その意味で、植物としてのコケ自体には、まるで興味を示していない。コケに興味を持つ均茶庵としては、もう一つ楽しくない。
だから、歌に詠まれたコケの同定はこじつけの山になってしまう。それでも、歌の内容や景観表現から、何とかコケの姿と種にある程度迫ってみたい。種について、均茶庵の「恣意的」な選択になっている点は、「和漢朗詠集とコケ」同様に、ご容赦いただきたい。
大きな限界があるが、一つ一つについて、検証してみよう。万葉集の歌の場合には、奥山や神奈備山や歌枕に生えるコケが、しばしば登場する。しかし、「実際に」見ているわけではなく、「概念」を詠っているに過ぎない。従って、深山に生えるが、西日本では比較的一般的なコケも、種の検討の対象に含めた。
「和漢朗詠集のコケ」を既に出しているが、上記事情から、「万葉集のコケ」とは、整合性を考慮していない。均茶庵の好みのまま、鑑賞している。
尚、歌の現代語訳は、色々な本が出版されている。本によって、訳・解釈がかなり異なっている。均茶庵は、下記によった。
読み下し、現代語訳、注釈など:
佐竹昭広・他(校注)(1999). 万葉集. 新日本古典文学大系. 岩波書店
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220923 均茶庵
追記)221114 均茶庵
古事記について:
古事記は、日本最古の歴史書として、712年に太安万侶によって編纂された。この中には、「コケ」が二箇所のみ現れる。しかし、いずれも蘚苔類ではなく、地衣類あるいは、蔓植物として解釈するのが適当だ。つまり、古事記には、蘚苔類についての記載は、見られない。
古事記 八岐大蛇の段 足名椎・手名椎による説明
問ひしく、「其の形は如何(いかに)」ととひき。答へて白(まを)ししく、「彼(そ)の目は赤加賀智(かがち)の如くして、身一つに八頭八尾(やかしらやを)有り。亦其の身に蘿(ひかげ)と檜(ひ)・椙(すぎ)生ひ、其の長(たけ)は谿八谷(たにやたに)峡八尾(をやを)に度(わた)りて、其の腹を見れば悉(ことごと)常(つね)に血(ち)爛(ただ)れり
コケ調べ: 蘿(ひかげ)は、一般的にサルオガセを指すが、この場合八岐大蛇の体に檜と杉が生えているのだから、寧ろ蔓植物の方が適当に思える。但し、サルオガセであっても、必ずしも文意に矛盾はしない。歳古りている意味を持たせて、敢えてサルオガセなのかもしれない。
古事記 天岩戸の段
天宇受売命、天の香山の天の日影(ひかげ)を手次(たすき)に懸けて、天の真折(まさき)をかづらとして、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、
コケ調べ: 倉野憲司(1969)は、日影を「蘿(サガリゴケ)」つまり、サルオガセとし、又、「後世では蘿は鬘(かずら)に用いられた」と校注している。しかし、古事記の文章では、「かずら」としているのは、天の真折だ。校注者は、真折をツルマサキとしている。
サルオガセを襷に懸けるのは、物理的にちょっと無理があり、ここは蔓性の植物を使ったと解釈した方が適当だろう。一方、サルオガセをかづらとして使う事は、校注の通り自然だ。均茶庵は、文中で日影と真折が逆転しているのではないかと考える。
出典及び校注:
倉野憲司(1969). 古事記. 日本古典文学大系. 岩波書店