源氏物語の歌については、既にコケ調べをした。ここでは、物語の本文に語られているコケについて、コケ調べをしたい。源氏物語は長文だが、苔が登場するのは、わずかに6段に過ぎない。平安貴族における苔の位置づけは、本当に寂しいものだ。
一方、本文は、文量が多いだけに、周囲の環境や状況に関する情報量が多くなる。と同時に、同定が却って難しくなる点もある。全6文の内、5文については、実際の植物としてのコケを詠ったと考えられる。但し、作者が実物のコケを見ながら文章を書いたとは、必ずしも限らない。
05若紫:
岩隠れの苔の上に並みゐて、土器参る。落ち来る水のさまなど、ゆゑある滝のもとなり。頭中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。弁の君、扇はかなううち鳴らして、「豊浦の寺の、西なるや」と歌ふ。
訳: 岩の横の青い苔の上に新しく来た公達は並んで、また酒盛りが始められた のである。前に流れた滝も情趣のある場所だった。
コケ調べ: 流れの傍の広場で、公家たちが酒盛りをしている。その岩の横からコケがのぞいている。岩の上に生えているわけではない。又、公家達は、直接コケの上に座ったのではない。可憐なコケは、岩脇にそっと鎮座して、興をそえているだけだ。この段では、なぜかコケに紫式部の目が行っている。
さて、地上生のコケで、目に入るような大きさを持つ可愛い種だ。ごく自然に、コバノチョウチンゴケの群落を思い浮かべる。低い絨毯のように、岩の周りに広がる。春先には、可愛い蒴を一面につける。
注)源氏物語絵巻では、折敷を敷かずに、直接地面に座っている。又、高坏もない。しかし、他の庭での宴席の絵を見ると、折敷に座り、高坏が並んでいる。城南宮の曲水の宴の場合には、折敷をしいて、その上に座る。さて、どちらが正しいにだろうか。均茶庵にはわからない。何もない方が、風情を感じる。
21乙女
「心から春まつ園はわが宿の紅葉を風のつてにだに見よ」
若き人びと、御使もてはやすさまどもをかし。御返りは、この御箱の蓋に苔敷き、巌などの心ばへして、五葉の枝に、
「風に散る紅葉は軽し春の色を岩根の松にかけてこそ見め」
訳: 若い女房たちはお使いをもてはやしていた。こちらからはその箱の蓋へ、 下に苔を敷いて、岩を据えたのを返しにした。五葉の枝につけたのは、
風に散る紅葉は軽し春の色を岩根の松にかけてこそ見め
という夫人の歌であった。よく見ればこの岩は作り物であった。
コケ調べ: 中宮が、秋の花紅葉を箱の蓋に入れて紫夫人に贈った時の情景だ。やや大柄な童女が持って来たのだから、物凄く大きな箱ではない。この箱の上に岩を据えたとあるが、形が岩に似た小さな作り物だ。この箱に一面に敷いたコケだから、鮮やかな種だろう。さて、それでは何のコケだろうか。該当する種は、沢山ありそうだ。
ここは、色がくっきりとしたシノブゴケあるいはカガミゴケを選ぼう。少々大きめのコケだが、箱の上に敷くには、平たくてちょうど良いし、何よりも作り物の岩を引き立てる。五葉の枝に歌を付けたわけだから、箱庭としての色の見栄えも要る。
ヒメシノブゴケ
24 胡蝶
山の木立、中島のわたり、色まさる苔のけしきなど、若き人びとのはつかに心もとなく思ふべかめるに、唐めいたる舟造らせたまひける、急ぎ装束かせたまひて、下ろし始めさせたまふ日は、雅楽寮の人召して、舟の楽せらる。親王たち上達部など、あまた参りたまへり。
訳: 築山の木立ち、池の中島のほとり、広く青み渡った苔の色などを、ただ遠く見ているだけでは 飽き足らぬものがあろうと思われる若い女房たちのために、源氏は、前から造らせてあった唐 風の船へ急に装飾などをさせて池へ浮かべることにした。
コケ調べ:
船を用意して近くに行き、景色をみようとするのだから、寝殿作り庭園の中の、築山あるいは中島に生えているコケが、遠目に緑に広がっているのだろう。コケ一つ一つの形が見えるわけではなく、庭を緑一色に敷き詰めている。背の高い鬱蒼としたコケの茂みでもなく、背が低くて、岩にこびりついているコケでもない。勿論、木に生えているコケではない。コケの候補としては、沢山ありそうだ。
水に近い所で、女房たちがはしゃぎ騒ぐ華やかな雰囲気から、ヒツジゴケの群落を心に描いてみたい。黄緑色が、木立ちにも負けずに、目にすがすがしい。
ナガヒツジゴケ
44 竹河
かの御方の御前近く見やらるる五葉に、藤のいとおもしろく咲きかかりたるを、水のほとりの石に、苔を蓆にて眺めゐたまへり。
訳: 新女御の住居に近い所の五葉の木に藤が美しくかかって咲いているのを、水のそばの石に、 苔を敷き物に代えて二人は腰をかけてながめていた。
コケ調べ: 薫は友人の藤と一緒に石に腰かけ、失恋の気持ちを語った。水そばの石には、うっすらとコケが生えている。この風情も、城南宮を思い起こす。石は、湿ってはおらず、衣を濡らさないように、むしろやや乾いているだろう。ホソバギボウシゴケはどうだろうか。やや色が濃いが、赤い小さな蒴をたくさんつける。白い毛尖も目立つ。薫の心痛を表現する。
ホソバギボウシゴケ
51 浮舟
君は、「げに、ただ今いと悪しくなりぬべき身なめり」と思すに、宮よりは、「いかに、いかに」と、苔の乱るるわりなさをのたまふ、いとわづらはしくてなむ。
訳: 浮舟はこうして寂しい運命のきわまっていくことを感じている時、宮から決 心ができたはずであるとお言いになり、「君に逢はんその日はいつぞ松の木の苔の乱れてもの をこそ思へ」というようなことばかり書いておいでになった。
コケ調べ: 難しい。「松の木の苔の乱れ」を、松から下がった苔が散り乱れている(心)と解釈するならば、間違いなく、コケではなく、樹枝状垂下性の地衣類だろう。しかし、ここは山奥ではなく、宇治での話だ。松の木から下がっている地衣類が生えているとは、考えにくい。一方、歌の意味は、実際のコケを指しているのではなく、譬えとして苔を引いているわけだから、サルオガセと考えてもいいだろう。
浮舟は哀しい女だ。
コケ調べ: 苔の上を座にしたとあるから、折敷なしに地面に直接座ったのだろうか。薫と右近という奔放な若い高級貴族であっても、それはちょっとないだろうと考えたが、源氏物語絵巻を見ると、地面にじか座りしている。
車の榻(ながいす)から席を移したわけだから、自然に考えれば、石の上にでも腰を掛ける。その石の上にコケが生えていたという事だろう。しかし、この絵巻は捨てがたい。
従って、ここは、2案を考えてみよう。地上に直接座ったのであれば、茂った木の下に大きな群落を作るのはチョウチンゴケかツルゴケだろう。しかし、石の上であれば、まだ若くてうっすらと生えたノミハニワゴケを思い浮かべる。
出典:
青空文庫版: 与謝野晶子(2008). 現代語訳源氏物語. 角川文庫
コケの写真は、Web(そよ風のなかでPart 2)によった。
221121 均茶庵