紫式部と並び称される清少納言の「枕草子」を、完全に無視してしまっては、いささか不公平だろう。しかし、この「枕草子」全323段(「新日本古典文学大系」では、298段+異本29段)の内、苔を詠った段は僅かに2段しかない。紫式部と同様に、清少納言においても、コケは非常にしょぼい扱いとなっている。これが、平安時代のコケに対する位置づけだったのだろう。
尚、清少納言の生涯については、ほとんど資料がなく、「枕草子」内の記事から推測されているだけだ。生没年も分かっていないが、965年頃の出生とされ、1000年以降になくなったと言われている。鎌倉初期の「古事談」には、末年の没落した姿が記されている由。
63段 草は
菖蒲、菰、葵、・・・。沢瀉・・・。みくり。ひるむしろ。苔。雪まの靑くさ。こだに。かたばみ、綾の紋にてあるも、異物よりはをかし。
コケ調べ: 草の名前が並べられており、その中に、「苔」が含まれている。これ以上は、わからない。
66段 歌の題は
都。葛。三秡草。駒。霰。
コケ調べ: 63段同様に、歌の題が並べられている。異本には、霰の後に、(笹。壼菫。女蘿。蒋。高瀬。鴛鴦 淺茅。芝。青鞭草。梨。棗。槿。)が続いている。女蘿は、サルオガセをさす。これ以上は、わからない。
79段 返しとしの二月廿余日
「西の京といふ所のあはれなりつる事、もろともに見る人あらましかばとなむおぼえつる。垣なども皆ふりて、苔おひてなん」など語りつれば、宰相の君の「瓦に松はありつや」といらへたるに、いみじうめでゝ「西のかた都門を去れることいくばくの地ぞ」と口ずさみつる事などかしがましきまでいひしこそをかしかりしか。
コケ調べ: 奠都により廃された都の築地に苔が生えていると言う。文章から見ると、清少納言が、自分で直接見たわけでもなく、伝聞を元に書いているようだ。この時代は、「苔」という言葉で、蘚苔類も、地衣類も蔓植物も指した。元々街だった場所に垂下性の樹枝状地衣類が生えているとは思えない。又、コケがはえているとしても、「あはれさ」を表現するには、植物体の大きさ的に不十分だろう。ここは、蔓が破れた築地に絡みついている様子と考えるのが適当なのではなかろうか。
出典:
渡辺実(1991). 枕草子. 新日本古典文学大系. 岩波書店
221122 均茶庵