後拾遺和歌集、金葉和歌集
及び、詞花和歌集のコケ
奈良時代~平安時代の詩歌に詠われたコケ まとめ & 目次へ
注)💎 コケと記されているが、明らかに地衣類を詠った歌
後拾遺和歌集、金葉和歌集及び詞花和歌集は、八代集、あるいはその後半に当たる五大集を構成する勅撰の和歌集だ。
いずれも、コケはほんの僅かしか載っておらず、しかも、植物体としてのコケは全くない。しかも、全て、「苔のたもと」「苔のころも」(僧衣の意味)及び「苔の下」(墓の意味)となっており、コケは、本来の意味とは完全に変わっている。更に、歌人は、僧侶であるか、あるいは、死者を偲ぶ場面でコケが登場している。コケ好きにとっては、非常に衝撃的な印象設定になってしまった。
同定するには無理があるので、コケ調べについては、割愛する。
*後拾遺和歌集 勅撰和歌集の第4番目 成立: 1086年
白河法王の命により、藤原通俊が撰した。全1218首中、コケを詠った歌は、1首のみ。
118 美作にまかりくだりけるに、大まうちぎみお被物の事を思ひ出でて、範水朝臣のもとにつかはしける 能因法師
世々ふともわれ忘れめや桜花苔のたもとに散りかかりし
訳:どんなに時がたっても、私はけっして忘れはしません。(あの時)桜花の花びらが私の僧衣に散りかかったことを(宇治前太政大臣から被り物をいただいた事を)。
注: 「苔のたもと」 僧侶、隠者の衣。
117を受ける。
世の中を思ひすててし身なれども心よわしと花に見えぬる
これを聞きて、太政大臣いとあはれなりと言ひて、被物などして侍けりなんと言いつ伝へたる。
原本・訳・注などは、下記に依った。
久保田淳・平田喜信 (1994). 新日本古典文学大系. 岩波書店
*金葉和歌集 勅撰和歌集の第5番目 成立: 1126~1127年
白河法王の命により、源俊頼が撰した。編纂の事情から、初度本(1124年)、二度本(1125年)及び三奏本(1126~1127年)がある。三奏本では、650首を収めるが、二度本では、769首(本編717首+異本52首)を収める。歴史的には、二度本が正本として扱われている。この内、コケを詠った歌は、2首のみ。
159 七夕の心をよめる 能因法師
七夕の苔の衣を厭はずは人なみなみに貸しもしてまし
訳: 織女が僧衣を厭わないならば、世間の人と同様に衣を供えもしようがなあ。
注: 「苔の衣」僧や隠遁者の着る衣
620 小式部内侍亡せてのち、上東門院より年ごろ賜はりける衣を亡きあとにもつかはしたりけるに、小式部と書き付けられて侍けるを見てよめる 和泉式部
もろともに苔の下にも朽ちもせで埋まれぬ名を見るぞ悲しき
訳: 娘とともに苔の下で朽ちることもなく、埋もれないでいる娘の名を見るのは悲しくてならないことよ。
注: 「苔の下」 墓の下。
原本・訳・注などは、下記に依った。
川村晃生・柏木由夫・工藤重矩 (1989). 新日本古典文学大系. 岩波書店
*詞花集 勅撰和歌集の第6番目 成立: 1151~1154年
崇徳上皇の命により、藤原顕輔が撰した。全400首中、コケを詠った歌は、1首もない。
221025 均茶庵