もう大昔の話だ。均茶庵は、1993年4月に、南米チリの首都サンチャゴ市に単身赴任した。今から25年も前だ。サンチャゴ市から約18km北にある小さな湖Laguna Carenに、サンチャゴ・カヌークラブがあると聞くと、直ぐに入会した。時間をみつけては、日本から持参したファルホークを車に積んで、漕ぎに行った。何しろ、チリにはプラスチック製のカヌーしかなかったし、僕のファルトボート(布製の組み立て式カヌー)は、大いに皆の注目を浴びた。青と白のスリムなデザインだった。当時の金額で、40万円以上した。
その年の10月17日に、サンチャゴ市から約430km南のBio Bio川で、35kmのカヌーマラソンが開催された。均茶庵は、クラブの推薦で、早速参加申し込みをした。金曜日の夜にサンチャゴから夜行バスに乗った。チリ第二の都市コンセプシオン市に着くと、今度は田舎バスに乗り換え、会場近くの宿舎(と言っても地元の小学校の教室だが)に行く。外国人としては、初の参加となった。たどたどしいスペイン語で、汗をびっしょりかきながら、レース参加者たちと話をした事を、未だにはっきりと覚えている。
最近ロフトの荷物の整理をしていたら、『カヌージャーナル』という雑誌に、このレースの顛末を投稿した記事を見つけた。この雑誌は、1990年夏に創刊して、僅か4年で廃刊となってしまった。日本でも、カヌーという言葉が未だ殆ど知られていなかった時代だ。余りにも懐かしいので、記事を別のWeb siteに添付する。
UMEhakase 箸休め第12回 添付をクリック頂きたい。
多分殆どの方はご存じないだろうが、ここコンセプシオン市は、1965年~1975年に都市ゲリラ運動MIR(Movimiento de Izquierda Revolucionario左翼革命運動)が、全世界に名を轟かせていた。書記長の美男子Miguel Enriquez Espinosaは、1974年10月に、チリ秘密警察DINAによって殺害された。サンチャゴに赴任した時には、もう40代半ばになっていた均茶庵は、この街とMiguelの名前を、しっかりと記憶していた。もう、20年もたっていた。しかし、未だ残党が残っていた。着任した年末に、サンチャゴ市の高級住宅街Las Condesのショッピングセンターで銃撃戦があり、10人以上のゲリラが射殺された。均茶庵は、遠くから聞こえて来る銃声に、「何の音だろう。」と、テラスでのんびりとお茶をしていた。
Bio Bio川のカヌーマラソンを含めて、当時の写真は何も残っていない。添付写真は、WikipediaとTelevision Universidad de Concepcionのサイトから借用した。
2019年3月24日
追記) 添付カヌージャーナル記事39頁末尾に記載したマウレ川は、均茶庵にとっても、懐かしいカヌーゲレンデだ。しかし、河口は2010年2月に津波に襲われ、数百名の死者・行方不明者を出している。
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