丹沢寄沢やどろきさわ)沿いの、雨山峠へ続く登山道で、空になった鳥の巣を見つけた。直径15-20cmで、沢から3-4mの崖上の岩棚に懸けられていた。標高は、563mある。なんとかよじ登って写真を撮ったものの、三点ホールドになった瞬間、均茶庵は足を滑らせて、そのまま崖下に落ちてしまった。竹取物語の石上中納言が思い浮かんだ。怪我はなかったが、もう一度崖を這い登る勇気は、もう出なかった。従って、巣の詳細についてはこれ以上記録できていない。滑り落ちる際に、「受領は倒るる所に土を掴め」の根性で、巣の端を一ちぎりのみ採取する事ができた。ラッキーだった。これが家に持ち帰る事ができた、唯一の標本となった。
後日、富山市科学博物館の坂井学芸員に写真を見ていただいたら、オオルリの巣ではないかとの事だった。
巣の材料は、主としてイワイトゴケモドキHaplohymenium sieboldiiからできており、僅かにキヨスミイトゴケBarbella flagelliferaが混ざっていた。その他のコケは見られず、サルオガセ(地衣類)と小枝が少量混ざっていた。今写真を見ると、シノブゴケ属Thuidium spもあるような感じがするが、不明だ。又、巣の端を一ちぎりしただけなので、巣全体としての材料の内容と比率については、直ちには判断できない。
一般的に、鳥の巣の材料は、近傍に豊富に生息する匍匐性又は懸垂性の蘚類が選ばれるという。鳥の巣の材料についての研究は、古くは1950年代からあり、その後、西村(1980)がまとまった報告を発表している。又、坂井(2014)が富山県について、浜尾(2016)が茨城県について、詳細な調査を行っている。末尾に、諸先輩方の研究報告の要約を添付した。
論文内の場所と鳥の種に偏りがあるが、巣の材料となっている「主な蘚類」として名前が上がっているのは、16種に過ぎない。この表を見ると、「匍匐性・懸垂性」と言うよりも、寧ろ、「糸状の柔らかな蘚類(クッション用)・大形でがっしりした蘚類(構造材)」と区分けした方が、適切なのではないかと思われる。前者には、イワイトゴケ属Haplohymenium、イトゴケ属Barbella、コモチイトゴケ属Pylaisiadelphaなどが含まれる。後者には、シノブゴケ属Thuidiumやハイゴケ属Hypnumなどが含まれる。寄沢の巣の材料は、「糸状の柔らかな蘚類」に当たる。
約1週間後に、巣の近傍の、寄沢沿いの第一渡河点~第二渡河点の間をもう一度歩いてみた。イワイトゴケモドキは、河原や沢脇の樹幹に沢山着生していた。しかし、キヨスミイトゴケ及びサルオガセの生育は、踏査地内では確認出来なかった。キヨスミイトゴケは、県の注目種に指定されている。
沢筋は、砂防用の堰堤で仕切られているため、これ以上広い範囲の踏査は困難だった。又、沢の両岸の山は、杉が植林されており、上記各種の生育には適していない。
踏査地には、同類のイワイトゴケH.tristeが、沢山生育していた。又、柔らかい鞭枝を沢山出しており、外見上はイワイトゴケ属と殆ど変わりが無い、ラセンゴケHerpetineuron toccoae、ギボウシゴケモドキAnomodon minor、オカムラゴケOkamuraea hakoniensis等が豊富に生えていた。しかし、巣の材料としては全く使われていなかった。選好があるのだろうか。
鳥の巣の材料としてのコケを調べるのは、意外と面白そうだ。危険な崖や樹木の上から、珍しい種を鳥が代わりに集めてくれる。但し、鳥の巣がなかなか見つからないのが、一番の問題だ。山に行く時は目を凝らしているが、2019年3月以来まだ新しい巣に出会っていない。
Haplohymenium sieboldiiの属名は、
175.2 Haplohymenium イワイトゴケ
【野口】 haplo 半ば hymenium 膜。蒴歯が単列で不完全に発達。
【Crum】The generic name probably refers to the fact that the inner peristome is reduced to a mere membrane.
種小名は、人名Philipp F. Sieboldによる。(牧野, 2017) (190321記 Rev. 190519)
鳥の巣
イワイトゴケモドキ
キヨスミイトゴケ
細胞のパピラ