1007 こけながらをけるいはほはひさしくて君にくらぶるこころあるかな
訳: 苔の生えたままおいてある大きな岩は久しくあって、あなた様の齢に並んでいるという気持ちがあるのだなあ
苔調べ: 苔は、長い時間の象徴として詠われている。大きな岩を覆うようにしっかりと生えているコケは、クサゴケだろう。黄緑色に光り、堂々とした風格がある。上司に胡麻をするには、例えるにピッタリなコケだ。
Callicladium haldanianum クサゴケ
❤1390 かすがののあをねがみねのこけむしろたれかをりけんたてぬきなしに
訳: 春日野の青根が峰の苔の筵は、いったい誰が織ったのだろうか。縦糸も横糸もなくて。
校注: 万葉集1120では、「春日野の」が「みよしのの青根が峰」と詠われている。その他は、全て同文。
コケ調べ:万葉集のコケ1120と同一歌のため、説明を省略。
参考: 万葉集1120 「み吉野の青根が皆の苔蓆誰か織りけむ経緯無しに」
Polytrichum juniperum ウマスギゴケ
💎1445 こけのそで雪消のみづにすすぎつつおこなふみにもこひはたえせず
訳: 墨染めの衣を雪解けの水で洗い清めては、厳しい仏道修行に励んでいるこの身にも、恋の心は絶えることがないなあ
コケ調べ: 「こけのそで」も、「苔の衣」も、皆地衣類のサルオガセ由来の言葉で、僧の墨染めの衣を指す。木の枝からだらりとぶら下がった形を見立てたとのことだ。しかし、サルオガセは灰色であり、何故墨染めに擬えたのか、若干違和感を持つ。
作者は素性法師と言われているが、一体どんな仏道修行をしていたのだろうか。
Usnea longisissima ナガサルオガセ
1447 いまさらにむべことのねにひきかかりこけの山ぢをわすれやはせん
訳: いまさら、確かに琴の音にひかれて、苔の生えているあの山路を忘れることがあろうか、忘れることはできません。
注: 校注者は、「こけの山ぢ」は、「苔の袂」や「苔の筵」と同じように、「隠遁者の辿る山路を意味するのだろう」と解釈している。
コケ調べ:均茶庵は、「彼女が弾く琴の音に引かれて、苔の生えている山路を越えて、彼女の住んでいる家に通ったのを忘れない。」とも考えてみたが、注からも見て、これは無理筋だ。何しろ、この歌の作者は素性法師で、いくら生臭坊主とは言え、僧籍にある。注の意味合いであれば、どんなコケか、同定する術がない。仕方ない、薄暗い山道の両側 に生えるオオトラノオゴケを想像しようか。
Thamnobryum subseriatum オオトラノオゴケ
❤2234 わがきみはちよにましませさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで
訳: 省略
コケ調べ:
和漢朗詠集及び古今集では、「ちよにましませ」が、「千代に八千代に」と詠われている。その他は、和漢朗詠集775及び古今集343と全て同文のため、説明を省略。
参考: 古今集343 「わが君は千代に八千代にさされ石の巌となりて苔のむすまで」
Tortula muralis ヘラハネジレゴケ
♤💎2268 ちよをふるまつにかかれるこけなればとしのをながくなりにけらしも
訳: 千年もの長寿を保つ松に生えている苔なので、随分長いこと年月が経ってしまったらしいですね。
コケ調べ:古代においては、コケも地衣類も区別されていなかったとは言え、掲載されている歌に、余りにも地衣類が多いので、少々心がメゲて来る。アレロパシーの影響で、コケの生育を阻害しているのか、一般的にコケは松の木を好まない。逆に、地衣類の中でも、ウメノキゴケが旺盛に生える。しかし、「かかれる」と言っているので、べったりと着く葉状・痂状地衣類ではなく、樹状地衣類だろう。ホネキノリではどうだろう。
💎2422 いはのうへにたびねをすればいとさむしこけのみころもしばしかさねよ
訳: お籠もりで石の上に寝るので、寒くてなりません。お坊様でいらっしゃるあなたの衣を、しばし私の衣に重ねてくださいませ。
注:大和物語では、小野小町が、石上寺に参籠した折の歌としている。「こけのみころも」は、「苔の御衣」「苔ころも」は、「一面に苔の生えた状態を衣にたとえた語。また僧侶・隠者の衣をいう。」
コケ調べ:和漢朗詠集619に、サルオガセと大和物語収録の小野小町の歌について説明したので、省略する。大和物語では、「こけのみころもしばしかさねよ」が、「苔の衣をわれに貸さなむ」となっている。それに伴い、「重ねる」と「貸す」の違いが生まれている。どちらが本来の歌なのか判別は出来ないが、均茶庵は「重ねる」の方が良い感じがする。尚、「遍昭集」では、「かさねよ」となっている。
参考: 大和物語「岩の上に旅寝をすればいと寒し 苔の衣を我に貸さなむ」
Usnea longisissima ナガサルオガセ
2450 なにせんにこけふのたねをまきつらんおなじかたちにおぼえんものか
訳: どうして「こけふのたね」を蒔いたのだろうか(蒔かなくてもよかったのに)同じ形に思われるものだろうか、いやそのようなことはない。
注: 過去の自分の行為を後悔する表現。「こけふのたね」は、「苔生の種」かもしれないが、他に用例がなく、意を解せない。又、「同じ形に」は、何と何が同じ形なのか不明。
コケ調べ:
難解な歌で、正直言って、意味を良く理解できない。一方、コケは、種ではなく、胞子で増える。しかも、胞子は非常に小さく、肉眼では見えない。
胞子嚢が黄色でもの凄く派手なゼニゴケを考えてみた。ゼニゴケは、一度生えてしまうと、駆除することは殆ど不可能だ。除草剤もまるで効かない。校注の意をいくらか反映できただろうか。
Marchantia polymorpha ゼニゴケ
2775 いまのみは いもをはこひす おくやまの いはにこけおひ ひさしきものを
訳: 未。文献が見当たらなかった。
コケ調べ:
万葉集0962にもあるように、「奥山の巌に苔生し」というのは、「長い時間」を表す定番の言葉となっている。
六帖には、歌の詞が全くない。だから、歌だけからコケの種を判断するしかない。そうなると、選択の可能性が、とてつもなく広がる。
山の岩にびっしりと生えているコケは、ある程度絞れる。詞書があって、背が高いのか低いのか、あるいは、岩から立ち上がっているのか、平たく伸びているのかがわかれば、範囲はより狭まる。この歌の場合には、コケがただただ「久しき」ものの象徴として使われているだけであり、想像も働かない。
Claopodium pellucinerve フトハリゴケ
彼女のことを長く思い続けているのだから、ここはちょっと可愛げのある、小さなコケにしてみよう。奥山の林の下の岩に良く育つハリゴケはどうだろう。一見愛しきすがたも、顕微鏡で見た葉には、鋭いパピラがぎっしりと並んでいる。
❤3115 おくやまの いはにこけおひ かしこみと おもふこころを いかにかもせむ
訳: 未。
コケ調べ:万葉集1334では、上の句が「奥山の石に苔生し恐(かしこ)けど」とあり、又、下の句が全く同文となっている。従って、同一の歌なので、説明を省略する。
尚、万葉集0962では、上の句が「奥山の巌に苔むし恐(かしこ)くも」とある。この表現は、定型的な表現となっている。これだけで、5・7・5あるいは5・7・7になってしまい、歌の残りは、7・7あるいは5・7だけになる。いささかズルの感じがする句だ。しかし、万葉・平安の歌人は、多用したようだ。一種の手抜きと言っても良いだろう。均茶庵でも、名歌人になれそうな気分になってくる。
参考:万葉集1334 「奥山の石に苔生し恐(かしこ)けど思ふ心をいかにかもせむ」
Racomitrium barbuloides コバノスナゴケ
❤3251 ゆひしひも とくひをとほみ しきたへの わかたまくらに こけおひにけり
訳: 未
コケ調べ: コケの同定は、できない。
万葉集2630とは、言葉が少しことなるが、内容的にも用語的にも合致している。従って、解釈を省略。
参考: 万葉集2630「結ひし紐解かむ日遠みしきたへのわが木枕は苔生しにけり」
♤💎3959 ときはなる まつにかかれる こけみれは とののをなかき しるへとそおもふ
訳: 未
コケ調べ:六帖2268の歌と表現も内容も殆ど同じになっている。従って、説明を省略。「松に生える苔」という表現が、長い時間を象徴する「松」と「苔」が合わさり、言祝ぐ歌の定型となっている。残念ながら、この場合の苔は、地衣類となる。
六帖2268と同じ歌だ。ここは、「かかれる」だから、サルオガセだろう。
参考: 六帖2268 「ちよをふるまつにかかれるこけなればとしのをながくなりにけらしも」
3960 いしのうへに おひいつるこけの ねもいらす よなよなものを おもふころかな
訳: (福田智子)石の上に生え出た苔の根が石の中に深く入り込むこともないように、寝入ることもなく、毎夜毎夜、物思いをする頃だなあ。
注: 「いしのうへに生ひいづるこけの」は、「ね(根)」を導く序詞。石の上の苔が根を深く張ることができないさまを「根も入らず」と表現し、「寝も入らず」と掛けた。
コケ調べ:一般的に、石の上のコケは、根を深く張らない。そうだからと言って、全部の種が剥がれやすいわけではない。ヒジキゴケやクロゴケのように、削り取らなければ剥ぎ取れない種もある。
ここでは、コケのイメージとして、根が石の中に深く入り込まないと言っているだけだから、表現に拘る必要はないだろう。取り敢えずキヌイトゴケ属に代表させよう。山へ行くと、石の上に良く見かける。
Anomodon minor ssp. integerrimus
3961 おくやまの いはほのこけの としひさに みれともあかぬ きみにもあるかな
訳: 未 家持集284に載っているが、現代語訳は見当たらない。
コケ調べ:「奥山の巌の苔」というのは、「長い時間」を表す定番の表現となっている。又かと思うほど、歌に繰り返し出てきている。どれもこれもイワダレゴケにしてしまうのでは、ちょっと芸がない。しかし、詞が無いので、これだけでは同定の手がかりが見つからない。
恋女房だろうか、長い間一緒に暮らしても、まるで飽きない美人だ。そんな事は絶対に有るはずが無いと反論すると、自分が空しくなる。均茶庵の場合には、幾つになっても、見れども飽かぬ娘としたい。娘には、「きみ」を使わないが、ここは仮託していると解しよう。名前からも、林下の岩や木に生えるヒメコクサを押したい。
💎3962 あふことを いつかそのひと 松の木の こけのみたれて こふるこのころ
訳: (福田智子)恋人との逢瀬を、いつの日にかと待って、松の木の苔が乱れているように、心乱れて恋い慕う経この頃だよ。
注:「こけ」は、とくに松蘿(サルオガセ)を指すか。樹木の幹・枝から垂れ下がった様子を「みだれて」と表現した。
コケ調べ:六帖2268や3959に説明したように、松に生えるコケは少ない。従って、地衣類と考える。この歌の場合、松の木から下がっているものの、衣を象徴するナガサルオガセのように巨大な感じはしない。小さな地衣類が、風に揺れているように感じる。松を好む比較的小さなフクレヘラゴケやアカサルオガセが似合うだろうか。
Usnea rubrotincta アカサルオガセ
💎4260 わきもこに あはてひさしく うましたの あへたちはなの こけおふるまてに
訳: 未
コケ調べ: 万葉集2750と表現・内容ともに一致する。従って、説明を省略する。
参考: 万葉集2750 「わぎもこに逢はず久しも馬霜の阿部橘の苔生すまでに」
💎4286 あたへゆく をしほのやまの まきのはも ひさしくみれは こけおひにけり
訳: 未
コケ調べ: 万葉集1214 に同じ歌が掲載されている。従って、説明を省略する。
尚、古今集871に「をしおの山」を詠った在原業平の歌がある。こちらは、歌枕としても名高い、京都大原野にある標高642mの小塩山を指す。頂上には、淳和天皇陵がある。
参考: 万葉集1214「安太へ行く路の小為手(をすて)の山の真木の葉も久しく見ねば蘿生しにけり」
古今集871「大原やをしほの山も今日こそは神世のことも思ひいづらめ」
Pyrrhobryum dozyanum bar badakense
写真に出てきたコケの一覧
均茶庵によるもの
1007 Callicladium haldanianum クサゴケ
1390 Polytrichum juniperum ウマスギゴケ
1447 Thamnobryum subseriatum オオトラノオゴケ
2234 Tortula muralis ヘラハネジレゴケ
2450 Marchantia polymorpha ゼニゴケ
3115 Racomitrium barbuloides コバノスナゴケ
4286 Pyrrhobryum dozyanum bar badakense ヒロハヒノキゴケ
Webから写真をお借りしたもの
1445 Usnea longisissima ナガサルオガセ
2268 Parmotrema tinctorumウメノキゴケ
Alectoria lata ホネキノリ
2422 Usnea longisissima ナガサルオガセ
2775 Claopodium pellucinerve フトハリゴケ
3251 いらすとや
3959 Parmotrema tinctorumウメノキゴケ
Usnea diffractaヨコワサルオガセ
3960 Anomodon minor ssp. integerrimus ギボウシゴケモドキ
3961 Isothecium subdiversiforme ヒメコクサゴケ
3962 Usnea rubrotincta アカサルオガセ
4260 Cryphaea ovovatocarpa イトヒバゴケ 京都府RDB
221017 均茶庵