源氏物語のコケ
奈良時代~平安時代の詩歌に詠われたコケ まとめ & 目次へ
注)💎 コケと記されているが、明らかに地衣類を詠った歌
日本人なら、誰でも知っている古典の大作だ。しかし、長編のため、全巻を読み通した人は、思いの他少ない。均茶庵も嘗て挑戦したが、すぐに内容に飽きてしまい、1巻を読み終わらなかった。「ただ、教養のためと、試験のために」、要約をさらっと見ただけだ。
紫式部(970 or 978~1019)が、1001年頃書き始めて、一条天皇中宮彰子に仕えている時に、完成したと言われている。文献に源氏物語に関する記述が最初に現れるのは、1008年の事だ。但し、紫式部が独りで書き上げたかどうかについては、諸説ある。
源氏物語には、和歌が795首収められているが、コケを歌った歌は、「若紫」と「藤裏葉」の僅か2首に過ぎない。又、物語中にはコケの話題も散見されるが、その数は非常に少ない。コケを話題にした巻は、「胡蝶」「若紫(歌1、説話1)」「乙女」「竹河」「浮舟」「蜻蛉」のたった6話に過ぎない。たまに文中に出てきたと喜ぶと、『かけまくもかしこけれ。』だったりする。思わず涙がこぼれるほど、コケは冷遇されている。というか、まるで相手にされていない。
少々気力が失せたので、源氏物語の説話のコケ調べは、別の機会に譲りたい。(追記参照)
1巻 若紫48 枕ゆふこよひばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ
訳: 尼君の返し歌
旅寝に草の枕をむすぶ貴方の今夜だけの袖の露けさを深山の苔(の衣の露けさ)に比べないで欲しい。
コケ調べ: この首で詠われているコケは、単純に、深山に生えるコケという意味ではない。尼君は、植物としてのコケを考えているわけではなく、苔の衣=尼の衣と、成句で詠っている。『あんたが言うように、そんな軽いもんじゃない。』
ここは無理せずに、不詳としておきたい。それにしても、巧みな歌だ。
💎3巻 藤裏葉453 そのかみの老い木はむべも朽ちぬらむうゑし小松もコケ生ひにけり
訳: 父大臣の歌
むかしの老木が朽ちてしまったのも当然だろう。その頃植えた小松が苔生すまでに成長したのだから。
注: 老い木を致任大臣夫妻に、小松を夕霧夫妻に例える。
コケ調べ: 小松に生えるコケは、これまで何度も出て来たが、実際には、松に生えるコケは、殆ど無い。乾燥に強いサヤゴケかヒナノハイゴケの二種に限ると言っても良いだろう。それに、老いた松には、稀にコケが生えている場合があるが、少なくとも、均茶庵は小松に生えたコケを見た事がない。
ここで詠われているコケは、伝統的な「長い」「久しい」を象徴しているのであって、現実のコケではない。このような使い方は、奈良時代にはごく普通だったものの、平安時代の中期~末期には、激減する。
何と言う歌ではないが、同じような老人の立場としては、感じるところがある。ここは、小さな愛らしい蒴をつけるサヤゴケが合うだろう。若いカップルを表現するには、お似合いだ。
サヤゴケ Glyphomitrium humillium
注)カラマツには、地衣類以外の蘚苔類が比較的つくが、マツの生育場所が、寒冷地か中央日本の亜高山帯になるので、この歌の対象とはならない。尚、北海道のカラマツは、主に昭和時代の造林による。
原本・訳・注などは、下記に依った。
柳井滋・他(1993). 源氏物語. 新日本古典文学大系. 岩波書店
写真:Webによる
サヤゴケ Glyphomitrium humillium そよ風のなかでPart 2
221025 均茶庵