ユダの野にありしときに詠(よめ)るダビデのうた
あゝ神よなんぢはわが神なり われ切(せち)になんぢをたづねもとむ 水なき燥(かわ)きおとろへたる地にあるごとくわが霊魂(たましひ)はかわきて汝(なんぢ)をのぞみ わが肉體(にくたい)はなんぢを戀(こひ)したふ
曩(さき)にも我(われ)かくのごとく大權(みちから)と榮光(みさかえ)とをみんことをねがひ聖所(せいじょ)にありて目をなんぢより離(はな)れしめざりき
なんぢの仁慈(いつくしみ)はいのちにも勝(まさ)れるゆゑにわが口唇(くちびる)はなんぢを讃(ほめ)まつらん
斯(かく)われはわが生(いく)るあひだ汝(なんぢ)をいはひ名(みな)によりてわが手をあげん
われ床(とこ)にありて汝(なんぢ)をおもひいで夜の更(ふく)るまゝになんぢを深くおもはん時 わがたましひは髓(ずゐ)と脂(あぶら)とにて饗(もてな)さるゝごとく飽(あく)ことをえ わが口はよろこびの口唇(くちびる)をもてなんぢを讃(ほめ)たゝへん
そはなんぢわが助(たすけ)となりたまひたれば 我なんぢの翼(つばさ)のかげに入(いり)てよろこびたのしまん
わがたましひはなんぢを慕追(したひお)ふ みぎの手(みて)はわれを支(さゝ)ふるなり
然(され)どわがたましひを滅(ほろぼ)さんとて尋(たづ)ねもとむるものは地のふかきところにゆき
又つるぎの刃にわたされ野犬(のいぬ)の獲(う)るところとなるべし
しかれども王は神をよろこばん 神によりて誓(ちかひ)をたつるものはみな誇(ほこ)ることをえん 虚偽(いつはり)をいふものの口はふさがるべければなり