ダビデのうた
ヱホバよねがはくはわが祈(いのり)をきゝ わが懇求(ねがひ)にみゝをかたぶけたまへ なんぢの眞實(まこと)なんぢの公義(たゞしき)をもて我にこたへたまへ
汝(なんぢ)のしもべの審判(さばき)にかゝつらひたまふなかれ そはいけるもの一人だにみまへに義(ぎ)とせらるゝはなし
仇(あた)はわがたましひを迫(せ)めわが生命(いのち)を地にうちすて 死(しに)てひさしく世を經(へ)たるもののごとく 我をくらき所にすまはせたり
又わがたましひはわが衷(うち)にきえうせんとし わが心はわがうちに曠(あれ)さびれたり
われはいにしへの日をおもひいで 汝(なんぢ)のおこなひたまひし一切(すべて)のことを考へ なんぢの手(みて)のみわざをおもふ
われ汝(なんぢ)にむかひてわが手をのべ わがたましひは燥(かわ)きおとろへたる地のごとく汝をしたへり セラ
ヱホバよ速(すみや)かにわれにこたへたまへ わが霊魂(たましひ)はおとろふ われに聖顔(みかほ)をかくしたまふなかれ おそらくはわれ穴にくだるもののごとくならん
朝(あした)になんぢの仁慈(いつくしみ)をきかしめたまへ われ汝によりたのめばなり わが歩(あゆ)むべき途(みち)をしらせたまへ われわが霊魂(たましひ)をなんぢに挙(あぐ)ればなり
ヱホバよねがはくは我をわが仇(あた)よりたすけ出(いだ)したまへ われ匿(かく)れんとして汝にはしりゆく
汝(なんぢ)はわが神なり われに聖旨(みむね)をおこなふことををしへたまへ 惠(めぐみ)ふかき聖霊(みたま)をもて我をたひらかなる國(くに)にみちびきたまヘ
ヱホバよねがはくは聖名(みな)のために我をいかし なんぢの義(ぎ)によりてわがたましひを患難(なやみ)よりいだしたまへ
又なんぢの仁慈(いつくしみ)によりてわが仇(あた)をたち 霊魂(たましひ)をくるしむる者をことごとく滅(ほろぼ)したまへ そは我なんぢの僕(しもべ)なり