伶長(うたのかみ)にうたはしめたるヱホバの僕(しもべ)ダビデのうた
あしきものの愆(とが)はわが心のうちにかたりて その目のまへに神をおそるゝの畏(おそれ)あることなしといふ
かれはおのが邪曲(よこしま)のあらはるゝことなく憎(にく)まるゝことなからんとて自(みづ)からその目にて[おもね]る
その口のことばは邪曲(よこしま)と虚偽(いつはり)となり 智(ち)をこばみ善(ぜん)をおこなふことを息(やめ)たり
かつその寝床(ふしど)にてよこしまなる事をはかり よからぬ途(みち)にたちとまりて惡をきらはず
ヱホバよなんぢの仁慈(いつくしみ)は天にあり なんぢの眞實(まこと)は雲にまでおよぶ
汝(なんぢ)のたゞしきは神の山のごとく なんぢの審判(さばき)はおほいなる淵(ふち)なり ヱホバよなんぢは人とけものとを護(まも)りたまふ
神よなんぢの仁慈(いつくしみ)はたふときかな 人の子はなんぢの翼(つばさ)の蔭(かげ)にさけどころを得(え)
なんぢの屋(いへ)のゆたかなるによりてことごとく飽(あく)ことをえん なんぢはその歓樂(たのしみ)のかはの水をかれらに飮(のま)しめたまはん
そはいのちの泉(いづみ)はなんぢに在(あ)り われらはなんぢの光によりて光をみん
ねがはくはなんぢを知るものにたえず憐憫(あはれみ)をほどこし心なほき者にたえず正義(たゞしき)をほどこしたまへ
たかぶるものの足われをふみ惡(あし)きものの手われを逐去(おひはら)ふをゆるし給(たま)ふなかれ
邪曲(よこしま)をおこなふ者はかしこに仆(たふ)れたり かれら打伏(うちふせ)られてまた起(たつ)ことあたはざるべし