アレフ
おのが道をなほくしてヱホバの律法(おきて)をあゆむ者はさいはひなり
ヱホバのもろもろの證詞(あかし)をまもり 心をつくしてヱホバを尋求(たづねもと)むるものは福(さいは)ひなり
かゝる人は不義(ふぎ)をおこなはずして ヱホバの道をあゆむなり
ヱホバよなんぢ訓諭(さとし)をわれらに命じてねんごろに守らせたまふ
なんぢわが道をかたくたててその律法(おきて)をまもらせたまはんことを
われ汝(なんぢ)のもろもろの誡命(いましめ)にこゝろをとむるときは恥(はづ)ることあらじ
われ汝のたゞしき審判(さばき)をまなばゞ 直(なほ)き心をもてなんぢに感謝(かんしゃ)せん
われは律法(みおきて)をまもらん われを棄(すて)はてたまふなかれ
○ ベテ
わかき人はなにによりてかその道をきよめん 聖言(みことば)にしたがひて愼(つゝし)むのほかぞなき
われ心をつくして汝(なんぢ)をたづねもとめたり 願(ねがは)くはなんぢの誡命(いましめ)より迷(まよ)ひいださしめ給(たま)ふなかれ
われ汝にむかひて罪ををかすまじき爲(ため)になんぢの言(ことば)をわが心のうちに蔵(たくは)へたり
讃(ほむ)べきかなヱホバよねがはくは律法(みおきて)をわれに教(をし)へたまへ
われわが口唇(くちびる)をもてなんぢの口(みくち)よりいでしもろもろの審判(さばき)をのべつたへたり
我(われ)もろもろの財貨(たから)をよろこぶごとくに汝(なんぢ)のあかしの道をよろこべり
我なんぢの訓諭(さとし)をおもひ汝のみちに心をとめん
われは律法(みおきて)をよろこび聖言(みことば)をわするゝことなからん
○ ギメル
ねがはくは汝(なんぢ)のしもべを豊(ゆたか)にあしらひて存(ながら)へしめたまへ さらばわれ聖言(みことば)をまもらん
なんぢわが眼(め)をひらき なんぢの法(のり)のうちなる奇(くす)しきことを我にみせたまへ
われは世にある旅客(たびゞと)なり 我になんぢの誡命(いましめ)をかくしたまふなかれ
断(たゆ)るときなくなんぢの審判(さばき)をしたふが故(ゆゑ)にわが霊魂(たましひ)はくだくるなり
汝(なんぢ)はたかぶる者をせめたまへり なんぢの誡命(いましめ)よりまよひいづる者はのろはる
我なんぢの證詞(あかし)をまもりたり 我より謗(そしり)とあなどりとを取去(とりさり)たまへ
又もろもろの侯(きみ)は坐(ざ)して相語(あひかた)りわれをそこなはんとせり 然(しか)はあれど汝のしもべは律法(みおきて)をふかく思へり
汝(なんぢ)のもろもろの證詞(あかし)はわれをよろこばせわれをさとす者なり
○ ダレテ
わが霊魂(たましひ)は塵(ちり)につきぬ なんぢの言(ことば)にしたがひて我をいかしたまへ
我(われ)わがふめる道をあらはしゝかば 汝(なんぢ)こたへを我になしたまへり なんぢの律法(おきて)をわれに教(をし)へたまへ
なんぢの訓諭(さとし)のみちを我にわきまへしめたまへ われ汝のくすしき事跡(みわざ)をふかく思はん
わがたましひ痛(いた)めるによりてとけゆく ねがはくは聖言(みことば)にしたがひて我にちからを予(あた)へたまへ
願(ねがは)くはいつはりの道をわれより遠(とほ)ざけ なんぢの法(のり)をもて我をめぐみたまへ
われは眞實(まこと)のみちをえらび 恒(つね)になんぢのもろもろの審判(さばき)をわが前におけり
我なんぢの證詞(あかし)をしたひて離(はな)れず ヱホバよねがはくは我をはづかしめ給(たま)ふなかれ
われ汝のいましめの道をはしらん その時なんぢわが心をひろく爲(し)たまふべし
○ へ
ヱホバよ願(ねがは)くはなんぢの律法(おきて)のみちを我にをしへたまへ われ終(をはり)にいたるまで之(これ)をまもらん
われに智慧(ちゑ)をあたへ給(たま)へ さらば我なんぢの法(のり)をまもり心をつくして之(これ)にしたがはん
われに汝(なんぢ)のいましめの道をふましめたまへ われその道をたのしめばなり
わが心をなんぢの證詞(あかし)にかたぶかしめて 貪利(むさぼり)にかたぶかしめ給(たま)ふなかれ
わが眼(め)をほかにむけて虚(むな)しきことを見ざらしめ 我をなんぢの途(みち)にて活(いか)し給(たま)へ
ひたすらに汝(なんぢ)をおそるゝ汝のしもべに 聖言(みことば)をかたくしたまへ
わがおそるゝ謗(そしり)をのぞきたまへ そはなんぢの審判(さばき)はきはめて善(よ)し
我なんぢの訓諭(さとし)をしたへり 願(ねがは)くはなんぢの義(ぎ)をもて我をいかしたまへ
○ ワウ
ヱホバよ聖言(みことば)にしたがひてなんぢの憐憫(あはれみ)なんぢの拯救(すくひ)を我にのぞませたまへ
さらば我われを謗(そし)るものに答ふることをえん われ聖言(みことば)によりたのめばなり
又わが口より眞理(まこと)のことばをことごとく除(のぞ)き給(たま)ふなかれ われなんぢの審判(さばき)をのぞみたればなり
われたえずいや永久(とほなが)になんぢの法(のり)をまもらん
われなんぢの訓諭(さとし)をもとめたるにより障(さはり)なくしてあゆまん
われまた王たちの前になんぢの證詞(あかし)をかたりて恥(はづ)ることあらじ
我わが愛するなんぢの誡命(いましめ)をもて己(おのれ)をたのしましめん
われ手をわがあいする汝(なんぢ)のいましめに挙(あ)げ なんぢの律法(おきて)をふかく思はん
○ ザイン
ねがはくは汝(なんぢ)のしもべに宣(のたま)ひたる聖言(みことば)をおもひいだしたまへ 汝われに之(これ)をのぞましめ給(たま)へり
なんぢの聖言(みことば)はわれを活(いか)しゝがゆゑに 今もなほわが艱難(なやみ)のときの安慰(なぐさめ)なり
高ぶる者おほいに我をあざわらへり されど我なんぢの法(のり)をはなれざりき
ヱホバよわれ汝(なんぢ)がふるき往昔(むかし)よりの審判(さばき)をおもひいだして自(みづ)から慰(なぐさ)めたり
なんぢの法(のり)をすつる惡者(あしきもの)のゆゑによりて 我(われ)はげしき怒(いかり)をおこしたり
なんぢの律法(おきて)はわが旅の家にてわが歌となれり
ヱホバよわれ夜間(よのま)になんぢの名(みな)をおもひいだして なんぢの法(のり)をまもれり
われ汝(なんぢ)のさとしを守りしによりてこの事をえたるなり
○ ヘテ
ヱホバはわがうくべき有(もの)なり われ汝(なんぢ)のもろもろの言(ことば)をまもらんといへり
われ心をつくして汝のめぐみを請求(こひもと)めたり ねがはくは聖言(みことば)にしたがひて我をあはれみたまへ
我わがすべての途(みち)をおもひ 足をかへしてなんぢの證詞(あかし)にむけたり
我なんぢの誡命(いましめ)をまもるに速(すみや)けくしてたゆたはざりき
惡(あし)きものの繩(なは)われに纏(まと)ひたれども 我なんぢの法(のり)をわすれざりき
我なんぢのたゞしき審判(さばき)のゆゑに 夜半(よは)におきてなんぢに感謝せん
われは汝(なんぢ)をおそるゝ者 またなんぢの訓諭(さとし)をまもるものの侶(とも)なり
ヱホバよ汝のあはれみは地にみちたり 願(ねがは)くはなんぢの律法(おきて)をわれにをしへたまへ
○ テテ
ヱホバよなんぢ聖言(みことば)にしたがひ 惠(めぐみ)をもてその僕(しもべ)をあしらひたまへり
われ汝(なんぢ)のいましめを信(しん)ず ねがはくはわれに聡明(そうめい)と智識(ちしき)とををしへたまへ
われ苦しまざる前にはまよひいでぬ されど今はわれ聖言(みことば)をまもる
なんぢは善(ぜん)にして善(ぜん)をおこなひたまふ ねがはくは汝のおきてを我にをしへたまへ
高ぶるもの虚偽(いつはり)をくはだてゝ我にさからへり われ心をつくしてなんぢの訓諭(さとし)をまもらん
かれらの心はこえふとりて脂(あぶら)のごとし されど我はなんぢの法(のり)をたのしむ
困苦(くるしみ)にあひたりしは我によきことなり 此(これ)によりて我なんぢの律法(おきて)をまなびえたり
なんぢの口の法(のり)はわがためには千々(ちゞ)のこがね白銀(しろかね)にもまされり
○ ヨーデ
なんぢの手(みて)はわれを造(つく)りわれを形(かたち)づくれり ねがはくは智慧(ちゑ)をあたへて我になんぢの誡命(いましめ)をまなばしめたまへ
なんぢを畏(おそ)るゝものは我をみて喜(よろこ)ばん われ聖言(みことば)によりて望(のぞみ)をいだきたればなり
ヱホバよ我はなんぢの審判(さばき)のたゞしく 又なんぢが眞實(まこと)をもて我をくるしめたまひしを知る
ねがはくは汝のしもべに宣(のたま)ひたる聖言(みことば)にしたがひて 汝の仁慈(いつくしみ)をわが安慰(なぐさめ)となしたまへ
なんぢの憐憫(あはれみ)をわれに臨(のぞ)ませたまへ さらばわれ生(いき)ん なんぢの法(のり)はわが樂しめるところなり
高ぶるものに恥(はぢ)をかうぷらせたまへ かれらは虚偽(いつはり)をもて我をくつがへしたればなり されど我なんぢの訓諭(さとし)をふかくおもはん
汝(なんぢ)をおそるゝ者となんぢの證詞(あかし)をしるものとを我にかへらしめたまへ
わがこゝろを全(また)くして汝のおきてを守らしめたまへ さらばわれ恥(はぢ)をかうぶらじ
○ カフ
わが霊魂(たましひ)はなんぢの救(すくひ)をしたひてたえいるばかりなり 然(され)どわれなほ聖言(みことば)によりて望(のぞみ)をいだく
なんぢ何(いづれ)のとき我をなぐさむるやといひつゝ 我(われ)みことばを慕(した)ふによりて眼(め)おとろふ
我は煙(けぶり)のなかの革嚢(かはぶくろ)のごとくなりぬれども 尚(なほ)なんぢの律法(おきて)をわすれず
汝(なんぢ)のしもべの日は幾何(いくばく)ありや 汝いづれのとき我をせむるものに審判(さばき)をおこなひたまふや
たかぶる者われを害(そこな)はんとて[あな]をほれり かれらはなんぢの法(のり)にしたがはず
なんぢの誡命(いましめ)はみな眞實(まこと)なり かれらは虚偽(いつはり)をもて我をせむ ねがはくは我をたすけたまへ
かれらは地にてほとんど我をほろぼせり されど我はなんぢの訓諭(さとし)をすてざりき
願(ねがは)くはなんぢの仁慈(いつくしみ)にしたがひて我をいかしたまへ 然(さら)ばわれ御口(みくち)よりいづる證詞(あかし)をまもらん
○ ラメテ
ヱホバよみことばは天にてとこしへに定(さだ)まり
なんぢの眞實(まこと)はよろづ世におよぶ なんぢ地をかたく立(たて)たまへば地はつねにあり
これらのものはなんぢの命令(おほせごと)にしたがひ 恒(つね)にありて今日にいたる 萬(よろづ)のものは皆なんぢの僕(しもべ)なればなり
なんぢの法(のり)わがたのしみとならざりしならば我はつひに患難(なやみ)のうちに滅(ほろ)びたるならん
われ恒(つね)になんぢの訓諭(さとし)をわすれじ 汝(なんぢ)これをもて我をいかしたまへばなり
我はなんぢの有(もの)なりねがはくは我をすくひたまへ われ汝のさとしを求めたり
惡(あし)きものは我をほろぼさんとして窺(うかゞ)ひぬ われは唯(たゞ)なんぢのもろもろの證詞(あかし)をおもはん
我もろもろの純全(またき)に限(はて)あるをみたり されど汝(なんぢ)のいましめはいと廣(ひろ)し
○ メム
われなんぢの法(のり)をいつくしむこといかばかりぞや われ終日(ひねもす)これを深くおもふ
なんぢの誡命(いましめ)はつねに我とともにありて 我をわが仇(あた)にまさりて慧(さと)からしむ
我はなんぢの證詞(あかし)をふかくおもふが故(ゆゑ)に わがすべての師(し)にまさりて智慧(ちゑ)おほし
我はなんぢの訓諭(さとし)をまもるがゆゑに 老(おい)たる者にまさりて事をわきまふるなり
われ聖言(みことば)をまもらんために わが足をとゞめてもろもろのあしき途(みち)にゆかしめず
なんぢ我ををしへたまひしによりて 我なんぢの審判(さばき)をはなれざりき
みことばの滋味(あぢはひ)はわが[あぎ]にあまきこといかばかりぞや 蜜(みつ)のわが口に甘(あま)きにまされり
我なんぢの訓諭(さとし)によりて智慧(ちゑ)をえたり このゆゑに虚偽(いつはり)のすべての途(みち)をにくむ
○ ヌン
なんぢの聖言(みことば)はわがあしの燈火(ともしび)わが路(みち)のひかりなり
われなんぢのたゞしき審判(さばき)をまもらんことをちかひ且(かつ)かたくせり
われ甚(いと)いたく苦しめり ヱホバよねがはくは聖言(みことば)にしたがひて我をいかしたまヘ
ヱホバよねがはくは誠意(まごころ)よりするわが口の献物(さゝげもの)をうけて なんぢの審判(さばき)ををしへたまへ
わが霊魂(たましひ)はつねに危険(あやふき)ををかす されど我なんぢの法(のり)をわすれず
あしき者わがために羂(わな)をまうけたり されどわれ汝(なんぢ)のさとしより迷(まよ)ひいでざりき
われ汝(なんぢ)のもろもろの證詞(あかし)をとこしへにわが嗣業(ゆづり)とせり これらの證詞(あかし)はわが心をよろこばしむ
われ汝のおきてを終(をはり)までとこしへに守らんとて 之(これ)にこゝろを傾(かたぶ)けたり
○ サメク
われ二心(ふたごころ)のものをにくみ汝(なんぢ)のおきてを愛(いつく)しむ
なんぢはわが匿(かく)るべき所わが盾(たて)なり われ聖言(みことば)によりて望(のぞみ)をいだく
惡(あし)きをなすものよ我をはなれされ われわが神のいましめを守らん
聖言(みことば)にしたがひ我をさゝへて生存(ながらへ)しめたまへ わが望(のぞみ)につきて恥(はぢ)なからしめたまへ
われを支(さゝ)へたまへ さらばわれ安けかるべし われ恒(つね)になんぢの律法(おきて)にこゝろをそゝがん
すべて律法(みおきて)よりまよひいづるものを汝(なんぢ)かろしめたまへり かれらの欺詐(あざむき)はむなしければなり
なんぢは地のすべての惡(あし)きものを渣滓(かなかす)のごとく除(のぞ)きさりたまふ この故(ゆゑ)にわれ汝のあかしを愛す
わが肉體(にくたい)なんぢを懼(おそ)るゝによりてふるふ 我はなんぢの審判(さばき)をおそる
○ アイン
われは審判(さばき)と公義(たゞしき)とをおこなふ 我をすてて虐(しへた)ぐるものに委(ゆだ)ねたまふなかれ
汝(なんぢ)のしもべの中保(なかだち)となりて福祉(さいはひ)をえしめたまへ 高ぶるものの我をしへたぐるを容(ゆる)したまふなかれ
わが眼(め)はなんぢの救(すくひ)となんぢのただしき聖言(みことば)とをしたふによりておとろふ
ねがはくはなんぢの憐憫(あはれみ)にしたがひてなんぢの僕(しもべ)をあしらひ 我になんぢの律法(おきて)ををしへたまへ
我はなんぢの僕(しもべ)なり われに智慧(ちゑ)をあたへてなんぢの證詞(あかし)をしらしめたまへ
彼等はなんぢの法(のり)をすてたり 今はヱホバのはたらきたまふべき時なり
この故(ゆゑ)に われ金(こがね)よりもまじりなき金(こがね)よりもまさりて汝(なんぢ)のいましめを愛す
この故にもろもろのことに係(かゝ)るなんぢの一切(すべて)のさとしを正しとおもふ 我すべてのいつはりの途(みち)をにくむ
○ ペ
汝(なんぢ)のあかしは妙(たへ)なり かゝるが故(ゆゑ)にわが霊魂(たましひ)これをまもる
聖言(みことば)うちひらくれば光をはなちて 愚(おろ)かなるものをさとからしむ
我なんぢの誡命(いましめ)をしたふが故(ゆゑ)に わが口をひろくあけて喘(あへ)ぎもとめたり
ねがはくは聖名(みな)を愛するものに恒(つね)になしたまふごとく身をかへして我をあはれみたまへ
聖言(みことば)をもてわが歩履(あゆみ)をとゝのへ もろもろの邪曲(よこしま)をわれに主(しゆ)たらしめたまふなかれ
われを人のしへたげより贖(あがな)ひたまへ さらばわれ訓諭(みさとし)をまもらん
ねがはくは聖顔(みかほ)をなんぢの僕(しもべ)のうへにてらし 汝(なんぢ)のおきてを我にをしへ給(たま)へ
人なんぢの法(のり)をまもらざるによりて わが眼(め)のなみだ河(かは)のごとくに流(なが)る
○ ツァデー
ヱホバよなんぢは義(たゞ)しくなんぢの審判(さばき)はなほし
汝(なんぢ)たゞしきと此上(こよ)なき眞實(まこと)とをもて その證詞(あかし)を命じ給(たま)へり
わが敵なんぢの聖言(みことば)をわすれたるをもて わが熱心われをほろぼせり
なんぢの聖言(みことば)はいときよし 此故(このゆゑ)になんぢの僕(しもべ)はこれを愛す
われは微(かすか)なるものにて人にあなどらるれども汝(なんぢ)のさとしを忘れず
なんぢの義(ぎ)はとこしへの義(ぎ)なり 汝ののりは眞理(まこと)なり
われ患難(なやみ)と憂(うれへ)とにかゝれども 汝(なんぢ)のいましめはわが喜樂(たのしみ)なり
なんぢの證詞(あかし)はとこしへに義(たゞ)し ねがはくはわれに智慧(ちゑ)をたまへ 我ながらふることを得(え)ん
○ コフ
われ心をつくしてよばはれり ヱホバよ我にこたへたまへ 我なんぢの律法(おきて)をまもらん
われ汝(なんぢ)をよばはれり ねがはくはわれを救(すく)ひ給(たま)へ 我なんぢの證詞(あかし)をまもらん
われ詰朝(あさまだき)おきいでて呼(よば)はれり われ聖言(みことば)によりて望(のぞみ)をいだけり
夜の更(とき)のきたらぬに先だち わが眼(め)はさめて汝(なんぢ)のみことばを深くおもふ
ねがはくはなんぢの仁慈(いつくしみ)にしたがひてわが聲(こゑ)をきゝたまへ ヱホバよなんぢの審判(さばき)にしたがひて我をいかしたまへ
惡をおひもとむるものは我にちかづけり 彼等はなんぢの法(のり)にとほくはなる
ヱホバよ汝(なんぢ)はわれに近くましませり なんぢのすべての誡命(いましめ)はまことなり
われ早くよりなんぢの證詞(あかし)によりて汝(なんぢ)がこれを永遠(とこしへ)にたてたまへることを知れり
○ レシ
ねがはくはわが患難(なやみ)をみて我をすくひたまへ 我なんぢの法(のり)をわすれざればなり
ねがはくはわが訟(うたへ)をあげつらひて我をあがなひ 聖言(みことば)にしたがひて我をいかしたまへ
すくひは惡(あし)きものより遠くはなる かれらはなんぢの律法(おきて)をもとめざればなり
ヱホバよなんぢの憐憫(あはれみ)はおほいなり 願(ねがは)くはなんぢの審判(さばき)にしたがひて我をいかしたまへ
我をせむる者われに敵するものおほし 我なんぢの證詞(あかし)をはなるゝことなかりき
虚偽(いつはり)をおこなふもの汝(なんぢ)のみことばを守らざるにより 我かれらを見てうれへたり
ねがはくはわが汝(なんぢ)のさとしを愛すること幾何(いかばかり)なるをかへりみたまヘ ヱホバよなんぢの仁慈(いつくしみ)にしたがひて我をいかしたまへ
なんぢのみことばの総計(すべくゝり)はまことなり 汝(なんぢ)のたゞしき審判(さばき)はとこしへにいたるまで皆たゆることなし
○ シン
もろもろの侯(きみ)はゆゑなくして我をせむ 然(され)どわが心はたゞ汝(なんぢ)のみことばを畏(おそ)る
われ人のおほいなる掠物(えもの)をえたるごとくに 汝のみことばをよろこぶ
われ虚偽(いつはり)をにくみ之(これ)をいみきらへども 汝(なんぢ)ののりを愛す
われ汝のたゞしき審判(さばき)のゆゑをもて 一日(ひとひ)に七次(なゝたび)なんぢを讃稱(ほめたゝ)ふ
なんぢの法(のり)をあいするものには大(おほい)なる平安(やすき)あり かれらには躓礙(つまづき)をあたふる者なし
ヱホバよ我なんぢの救(すくひ)をのぞみ汝(なんぢ)のいましめをおこなへり
わが霊魂(たましひ)はなんぢの證詞(あかし)をまもれり 我はいたく之(これ)をあいす
われなんぢの訓諭(さとし)となんぢの證詞(あかし)とをまもりぬ わがすべての道はみまへにあればなり
○ タウ
ヱホバよ願(ねがは)くはわがよぶ聲(こゑ)をみまへにちかづけ 聖言(みことば)にしたがひて我にちゑをあたへたまへ
わが願(ねがひ)をみまへにいたらせ 聖言(みことば)にしたがひて我をたすけたまへ
わがくちびるは讃美(さんび)をいだすべし 汝(なんぢ)われに律法(みおきて)ををしへ給(たま)へばなり
わが舌はみことばを謳(うた)ふべし なんぢの一切(すべて)のいましめは義(ぎ)なればなり
なんぢの手(みて)をつねにわが助(たすけ)となしたまへ われなんぢの訓諭(さとし)をえらび用(もち)ゐたればなり
ヱホバよ我なんぢの救(すくひ)をしたへり なんぢの法(のり)はわがたのしみなり
願(ねがは)くはわが霊魂(たましひ)をながらへしめたまへ さらば汝(なんぢ)をほめたゝへん 汝のさばきの我をたすけんことを
われは亡(うしな)はれたる羊(ひつじ)のごとく迷(まよ)ひいでぬ なんぢの僕(しもべ)をたづねたまへ われ汝のいましめを忘れざればなり