エフライムの人々つどひて北にゆきヱフタにいひけるは汝(なんぢ)何故(なにゆゑ)に往(ゆ)きてアンモンの子孫(ひとびと)と戰(たゝか)ひながらわれらをまねきて汝とともに行(ゆか)せざりしや我ら火をもて汝の家を汝と共に焚(や)くべしと
ヱフタ之(これ)にいひけるは我とわが民の曾(かつ)てアンモンの子孫(ひとびと)と大(おほい)に爭(あらそ)ひしときに我汝らをよびしに汝らかれらの手より我を救ふことをせざりき
我(われ)汝らが我を救はざるを見たればわが命をかけてアンモンの子孫(ひとびと)の所に攻(せめ)ゆきしにヱホバかれらを我(わ)が手に付(わた)したまへり然(され)ば汝らなんぞ今日(けふ)我が許(もと)に上(のぼ)り來(きた)りて我とたゝかはんとするやと
ヱフタこゝにおいてギレアデの人をことごとくつどへてエフライムとたゝかひしがギレアデの人々エフライムを撃破(うちやぶ)れり是(こ)はエフライム汝らギレアデ人(びと)はエフライムの逃亡者(おちうど)にしてエフライムとマナセの中(うち)にをるなりと言(いひ)しに由(よ)る
而(しか)してギレアデ人(びと)エフライムにおもむくところのヨルダンの津(わたり)をとりきりしがエフライム人(びと)の逃(のが)れ來(きた)る者ありて我を渡らせよといへばギレアデの人(ひと)之(これ)に汝はエフライム人(びと)なるかと問ひ彼もし然(しか)らずと言(いふ)ときは
また之(これ)に請(こ)ふシボレテといへといふに彼その音(おん)を正しくいひ得(え)ずしてセボレテと言(いへ)ばすなはち之(これ)を引捕(ひきとら)へてヨルダンの津(わたし)に屠(ころ)せりその時にエフライム人(びと)のたふれし者四萬二千人なりき
ヱフタ六年のあひだイスラエルを審(さば)きたりギレアデ人(びと)ヱフタつひに死(しに)てギレアデのある邑(まち)に葬(はう)むらる
彼の後(のち)にベテレヘムのイブザン、イスラエルを審(さば)きたり
彼に三十人の男子(むすこ)ありまた三十人の女子(むすめ)ありしがこれをば外(ほか)に嫁(とつ)がしめてその子息等(むすこら)のために三十人の女(むすめ)を外(ほか)より娶(めと)れり彼七年のあひだイスラエルを審(さば)きたり
イブザンつひに死(しに)てベテレヘムに葬(はう)むらる
彼の後(のち)にゼブルン人(びと)エロン、イスラエルを審(さば)きたりゼブルン人(びと)エロン十年のあひだイスラエルを審(さば)きたり
ゼブルン人(びと)エロンつひに死(しに)てゼブルンの地のアヤロンに葬(はう)むらる
彼の後(のち)にピラトン人(びと)ヒレルの子アブドン、イスラエルを審(さば)きたり
彼に四十人の男子(むすこ)および三十人の孫(まご)ありて七十の驢馬(ろば)に乗る彼八年のあひだイスラエルを審(さば)けり
ピラトン人(びと)ヒレルの子アブドンつひに死(しに)てエフライムの地のピラトンに葬(はう)むらる是(これ)はアマレク人(びと)の山にあり