茲(こゝ)に我(われ)身を轉(めぐら)して日の下に行(おこな)はるゝ諸(もろもろ)の虐遇(しへたげ)を視(み)たり 嗚呼(あゝ)虐(しへた)げらるゝ者の涙ながる 之(これ)を慰(なぐさ)むる者あらざるなり また虐(しへた)ぐる者の手には權力(ちから)あり 彼等はこれを慰むる者あらざるなり
我は猶(なほ)生(いけ)る生者(せいしゃ)よりも既(すで)に死(しに)たる死者をもて幸(さいはひ)なりとす
またこの二者(ふたつ)よりも幸(さいはひ)なるは未(いま)だ世にあらずして日の下におこなはるゝ惡事を見ざる者なり
我また諸(もろもろ)の勞苦(ほねをり)と諸(もろもろ)の工事(わざ)の精巧(たくみ)とを観(み)るに 是(これ)は人のたがひに嫉(ねた)みあひて成(な)せる者たるなり 是(これ)も空(くう)にして風を捕(とら)ふるが如(ごと)し
愚(おろか)なる者は手を束(つか)ねてその身の肉を食(くら)ふ
片手に物を盈(みて)て平穩(おだやか)にあるは 兩手(もろて)に物を盈(みて)て勞苦(ほねをり)て風を捕ふるに愈(まさ)れり
我また身をめぐらし日の下に空(くう)なる事のあるを見たり
茲(こゝ)に人あり只獨(たゞひとり)にして伴侶(とも)もなく子もなく兄弟もなし 然(しか)るにその勞苦(らうく)は都(すべ)て窮(きはまり)なくその目は富に飽(あく)ことなし 彼また言(いは)ず嗚呼(あゝ)我は誰がために勞(らう)するや何とて我は心を樂(たのし)ませざるやと 是(これ)もまた空(くう)にして勞力(ほねをり)の苦(くるし)き者なり
二人は一人に愈(まさ)る其(そ)はその勞苦(ほねをり)のために善報(よきむくい)を得(う)ればなり
即(すなは)ちその跌倒(たふる)る時には一箇(ひとり)の人その伴侶(とも)を扶(たす)けおこすべし 然(され)ど孤身(ひとり)にして跌倒(たふる)る者は憐(あはれ)なるかな之(これ)を扶(たす)けおこす者なきなり
又(また)二人ともに寝(いぬ)れば温暖(あたゝか)なり一人ならば爭(いか)で温暖(あたゝか)ならんや
人もしその一人を攻撃(せめうた)ば二人してこれに當(あた)るべし 三根(みこ)の繩(なは)は容易(たやす)く断(きれ)ざるなり
貧(まづし)くして賢(かしこ)き童子(わらべ)は 老(おい)て愚(おろか)にして諌(いさめ)を納(い)れざる王に愈(まさ)る
彼は牢獄(ひとや)より出(いで)て王となれり 然(され)どその國に生れし時は貧(まづし)かりき
我(われ)日の下にあゆむところの群生(ぐんせい)が彼(かの)王に續(つぎ)てこれに代(かは)りて立(たつ)ところの童子(わらべ)とともにあるを観(み)たり
民はすべて際限(はてし)なし その前(さき)にありし者みな然(しか)り 後(のち)にきたる者また彼を悦(よろこ)ばず 是(これ)も空(くう)にして風を捕(とら)ふるがごとし