ダビデがミクタムの歌
神よねがはくは我を護(まも)りたまへ 我なんぢに依頼(よりたの)む
われヱホバにいへらく なんぢはわが主(しゆ)なり なんぢのほかにわが福祉(さいはひ)はなしと
地にある聖徒はわが極(きは)めてよろこぶ勝(すぐ)れしものなり
ヱホバにかへて他神(あだしかみ)をとるものの悲哀(かなしみ)はいやまさん 我かれらがさゝぐる血の御酒(みき)をそゝがず その名を口にとなふることをせじ
ヱホバはわが嗣業(ゆづり)またわが酒杯(さかづき)にうくべき有(もの)なり なんぢはわが所領(しょりやう)をまもりたまはん
準繩(はかりなは)はわがために樂しき地におちたり 宜(うべ)われよき嗣業(ゆづり)をえたるかな
われは訓諭(さとし)をさづけたまふヱホバをほめまつらん 夜はわが心われををしふ
われ常にヱホバをわが前におけり ヱホバわが右にいませばわれ動かさるゝことなかるべし
このゆゑにわが心はたのしみ わが榮(さかえ)はよろこぶ わが身もまた平安(やすき)にをらん
そは汝わがたましひを陰府(よみ)にすておきたまはず なんぢの聖者を墓のなかに朽(くち)しめたまはざる可(べけ)ればなり
なんぢ生命(いのち)の道をわれに示したまはん なんぢの前(みまへ)には充足(みちたれ)るよろこびあり なんぢの右にはもろもろの快樂(たのしみ)とこしへにあり