返し矢
1
津国風土記に云はく、難波高津は、天稚彦(あめわかひこ)天下りし時、天稚彦に属(つき)て下れる神、天の探女(さぐめ)、磐船(いはふね)に乗りて爰(ここ)に至る。天磐船の泊(はつ)る故を以て、高津と号す。(摂津国風土記逸文)
ひさかたの天の探女(さぐめ)が石船(いはふね)の泊(は)てし高津は浅(あ)せにけるかも (万葉集)
朝靄の中、小舟は波間にたゆたっていた。天稚彦(あめのわかひこ)と従者(ともびと)の天佐具女(あめのさぐめ)の乗る舟であった。稚彦と佐具女は天津神(あまつかみ)から葦原中津国(あしはらなかつくに)平定の命を受け、上陸しようとしていた。舟は難波(なには)の海から河内湾に入ろうとするところで、右手には細長い半島があり、そこを過ぎると舟は内海に入ってゆく。河内湾である。海には穏やかな曙光が射し始め、波は黄金色の輝きを帯びて細かく揺れていた。さっきまで海上に吹いていた風は止み、海は平(な)いで、辺りには潮の香が漂っている。遠く近く海鳥の群れが舞っていた。茜色に染まり明けてゆく空を仰ぎつつ、二人は近づく陸地を窺うように眺めやった。
大国主(おおくにぬし)という国津神(くにつかみ)が支配する葦原中津国が眼前に広がっていた。昼間は強い南風が吹き荒れるように荒ぶる神が騒ぎ、夜になれば蛍火のように光る神や、火が燃えさかるように不気味に輝く神が現れ、闇の中を跳梁する国なのだ、と聞かされていた。何かが絶えずざわざわと音を立てているような国、力はないが口うるさく言い立てて決して従わない神が多く棲み、そして大岩や木立、草や青い水沫(みなわ)までが妖しい言葉でもって道行く人にものを言いかけ、心を惑わせて災いをなすような地なのだと……。
「思いのほか静かな国だ」
「ほんとうに…」
千鳥が数羽、濡れた砂の上を走るように歩いていく。二人は次第に近づいてくる陸地を緊張感とともに見つめるのだった。
「打ち合わせたとおりに、ことが運ぶといいのだが」
「きっと、うまくいきましょう」
佐具女は稚彦の携えている天の鹿児弓(かぐゆみ)と天の羽羽矢(ははや)に目をやった。弓矢は天津神から授かってきたものである。弓は鹿を射るための大きな弓で、弓の弭(はず)には魔よけの文様が刻まれていた。矢も弓にふさわしく立派なものである。特別な弓矢には霊妙な力が籠るとされている。そしてそれを持つ人の身分の証ともなるので、弓には櫨(はぜ)の木で作られた良質のものが選んであった。
稚彦に与えられた使命は、葛城に住む大国主が君臨し領(うしは)く葦原中津国に下り、大国主に対し、天津神に国を譲るよう説得することであった。大国主あるいは大己貴(おおなむち)とは個別の名ではなくその身分を示す名で、その名に値する資格を持つ人物は各地に居り、それぞれの地を開拓し治めていた。中でも出雲の大己貴は大きな勢力を持ち、葛城の大国主の力も広範囲に及んで強大であったが、天稚彦は選ばれて葛城の方に遣わされたのである。佐具女はそれを補佐する役目を負っていた。説得や交渉がうまくゆかない場合には、戦になるのもやむを得ないが、もし避けられるものなら戦は避けた方がよく、穏便に話し合いで国譲りが成立するのであれば、それに越したことはないのだった。
大和の葛城山麓に大国主の本拠はあった。大国主が天津神側からの求めに応じ、自分の国を譲ることを誓って葛城から退去し、国が静まった後に、天津神の御子(みこ)が天下ってこの地を統(す)べる。それが天津神の考える順調な道筋であった。平定がどのくらいの期間で達成されるのかは誰にもわからない。稚彦と佐具女はまず難波の海辺から上陸し、この国に住みついて内情に通じ、画策して天津神の御子の天下りを佐(たす)けるという任務を帯びてやって来たのだった。
佐具女は水辺に視線を落とし、揺れる水面を透かし見た。佐具女の本来の身分は侍婢(まかたち)であるが、上陸の後は、稚彦の伯母を装うことになっている。そう振る舞うようにと指示されていたが、うまくできるかどうか自信はなかった。佐具女は水に映る自分の姿をそっと確かめた。稚彦よりもかなり年上であるのは不自然ではないが、立派な体格で容姿にすぐれ気品のある稚彦に比べ、自分の顔立ちがあまりにも平凡であり、稚彦に少しも似ていないことが気になる点であった。
「何か魚がいるのか」
稚彦が覗き込んできた。二人の顔が波間に並んで映るはずであったが、その瞬間、佐具女は凍りついた。稚彦の顔が映っていない。像は結ばず、ぼやけた顔の輪郭すらなかった。内心の動揺を隠しつつ佐具女はとっさに波に手を入れて掻き回し、水に映った不吉な影を素早く消し去った。
「小魚を見たので、思わず触れてみたくなったのです」
顔が水に映らないのは、凶兆であった。その人は遠からず死ぬ定めといわれている。稚彦がそのことに気づいていなければいいと願いながら、佐具女は彼方の海をかすめて飛ぶ鳥の群れの方を指さし、話を逸らした。
稚彦と佐具女の乗る小舟の行く手を、滑るように水を切りつつ小石が飛んでいった。石は続けてもう一度同じ方向から飛んできた。何かの合図のようである。石の来た方向を見定めると舟は少し向きを変え、海に注いでいる緩やかな川の河口に寄っていった。舟の前方、葦が生い茂る浦に人影が見え隠れしている。すでに天津神の命を受けて複数の人間が葦原中津国の難波に下っており、里に紛れ込んで二人の上陸を手伝うことになっていた。
「あそこのようだな」
稚彦は呟き、身支度を整えると弓矢を手にし、浅瀬に降り立った。舟がかしいで揺れたので佐具女は位置を変えて座り直す。ここで降りるのは稚彦のみである。
「お気をつけて」
佐具女の言葉に頷くと、稚彦は葦の水辺へと歩んでゆき、一度舟の方を振り返ってから、丈の高い草の中へと姿を消した。遠ざかってゆくその後ろ姿を佐具女はずっと見送っていた。やがて佐具女は櫂を手にすると、器用に操りつつ流れをゆっくりと遡っていった。
この川は難波の味原(あじはら)という池から流れ出しているはずだった。あじとは美しいという意味であるが、味鴨という小型の鴨のことも指し、この池には多くの鴨が群れていることからそう呼ばれているらしい。味原池は大国主の息子、味鋤高彦(あじすきたかひこ)が掘らせたといわれている池であった。
葛城に住む大国主には、味鋤高彦と事代主(ことしろぬし)という二人の息子、それに娘の下照姫(したてるひめ)と三人の有能な子どもたちがいて父親を支え、土地の開拓に力を尽くしているということであった。息子たちは民を指導して多くの井戸や、灌漑の池を掘り進め、何本もの水路を開き、湿地を開墾して耕作地を広げているという。葛城の山並は緑の樹木で覆われ気候が温暖で土壌の質もよいので、その国の作物の実りはことのほか豊沃(ゆた)かであるといわれていた。
味原池には大小の河川が流れ込んでおり、その中のひとつの川は大和川へとつながっているという。大和川は桜井山中の谷を源流としているが、大和の多くの川を広瀬で集めて大和盆地を西へと向かって流れ下り、河内湾へと注いでいるのだった。この川を遡り支流の葛城川に入ってその源流に至れば、大国主の本拠葛城である。大和川は下流域や河口ではよく氾濫を起こす暴れ川として怖れられていた。
その大和川を遡る川筋には、一箇所だけ亀の瀬と呼ばれる難所があるという。そこは両側に山が迫り峡谷になっていて急流のため一時的に陸路をとって山に上らねばならないが、龍田の地まで歩くとそこからは再び緩やかな流れとなる。さらに舟を川上へと進ませてゆくと、河合という大きな合流地点があり、曽我川、葛城川、佐保川、飛鳥川など何本もの川が集まっている。その中の葛城川へと舟を入れると、葛城の山並に沿ってゆくことになり、やがて葛城川の源の金剛葛城の山麓に至り、そこに大国主の館があるのだった。大国主の一族は、葛城川の上流に住んで一帯を支配していたが、その力は下流域の河内、難波、そして北摂一帯、山背、近江にまで及んでいるという。
佐具女は葦の生い茂る浦を注意深く眺め、稚彦が去ったのと反対の岸辺に少しずつ舟を寄せていくと櫂を置き、茂みに舟を留めた。
一人になると、不安が押し寄せてくる。未知の土地への恐れは大きかった。葦原中津国にはどのような人々が住んでいるのだろう。悪心を持つ野蛮な人が多いと聞いているが…。この国の中に入ってそれらの人々と馴染んでいかなければならない。そして稚彦とともにできるだけ内情を探り、大国主一族に近づいて国譲りの画策を進めながら、天津神への伝え言もしなければならない。気の重くなるような役であった。
佐具女は身につけていた小袋の中からひとつまみの草を取り出すと、掌に載せてしばらく眺めていた。これを試すのは初めてであった。苦いと聞いていたのでためらう気持ちがあったが、やがて決意するとそれを口に含み、残りは海に捨てた。噛むにつれ強い苦味と渋味が広がっていく。たまらず舟端から水を何度か掬(すく)って呑み、目を閉じた。舌がしびれ嫌な気分である。やがて目が回るような気がしてきて悪寒がし、佐具女は舟の中に身を横たえるとそのまま意識を失った。
…佐具女は熱にうなされていた。夢の中に天津神の声が耳に響いてくる。それは葦原中津国へ行くように、と命じる声であった。
「天稚彦とともに大和、葛城の地へと下れ」
その命令が下ってから、佐具女の運命は変わってしまったのだ。なぜ天下りの手助けの役になど選ばれてしまったのだろう。本当は行きたくはない。そんな危険なことが、自分にふさわしい役目とはとうてい思えなかった。でも命じられた以上、そうするほか道はなく、佐具女は夢の中で煩悶し続けた。
佐具女が選ばれたのは、言葉がわかるからだった。佐具女は幼い頃から、身近にいる鳥や獣の言葉やその意思が理解できた。人の心の中にある隠された感情も見ぬくことができる。誰が冷酷で冷たい心をその中に隠しているのか、誰が本当は優しいのか、佐具女にはその真実の心が感じられた。またしゃべれない人の目的や意思を感じとって伝え、初めて接する異郷の人の言葉を聞いて、その意を汲むことも難しくはなかった。なぜわかるのかと聞かれても答えようがない。ただ向かい合って気持ちを澄ませ静かに目を見つめれば、相手の心の中にあるものがそのままに映り、ごく自然に相手の心が自分の中に流れ込んでくるのだった。
もしもっと霊的に高い力があれば、佐具女は神女として務められたかもしれない。残念ながらいくら試みても神霊との交流はできず、どんな神の声も身に降りてくることはなかったから、佐具女は稚彦の家の侍婢という身分にとどまり、長く稚彦の家族に仕えてきたのだった。
佐具女にわかるのは、身近にいる人たちや生き物のありのままの飾らない感情であった。けれども常に心の中を見ぬかれている、と思うと警戒心が働くのか、人はどちらかというと佐具女を遠ざけがちであった。誰も本心を見透かされ、本質を明らかにされるのを好まない。佐具女の方でもそれはわかるので、自分からは余計なことは何も言わないように心がけ、目立たないよう万事控えめに過ごして生きてきた。それなのに今回はその能力のゆえに、選び出されてしまったのだ。そのような力が身に備わっていなければ、危ない務めにつくこともなかったと思う……。佐具女はさらに遠い記憶を遡り、夢の中で旅を続けていった。
…天津神と諸神、その一族、および随従する人々は船団を組み、その所御(いら)す海外(わたのほか)の遠国から船発(ふなだち)をし、潮流に乗って海原を渡り荒波を越え、やがて葦原中津国(あしはらなかつくに)の海域に至った。それは天津神一族による国覓(ま)ぎの旅であった。
葦原中津国の各地には、すでに大己貴や大国主と呼ばれる国津神の王たち、その親族、また先住の民が多く住んでいた。船団で着いた天津神は直系の御子(みこ)をもって葦原中津国の主(きみ)とすることを望み、各地に御子を降ろしていくことにした。そして天津神は、御子の一人である天穂日(あめのほひ)を、出雲に遣わしてその国形(くにがた)、国の様子を窺い見ることと、その地の平定を命じたのだった。
天津神の一行の乗る船団は、島影を伝いながら葦原中津国の波穏やかな内海を進んでゆき、とある浜辺に上陸、仮の宿処(やどり)とし、そこに天穂日を降ろした。穂日はまず周辺の地を制し、先住民の聖地であった六甲山に上り、磐座で神を祀り加護を祈った後、山伝いに出雲へと向かった。出雲の長(おさ)である大己貴に会い、天津神の意向を伝え、国譲りを求めるためである。
ところが穂日はそれきり復命せず、三年の年月が経ってしまった。経過を探るため天津神から複数の間諜が出雲に放たれていたが、もたらされる報告はどれも芳しいものではなかった。
「穂日はたいそう出雲が気に入り、出雲の大己貴に心服している」
「穂日は大己貴の娘たちをたくさん娶(めと)り、務めを忘れたかのように過ごし、今では出雲の側についてしまったように見える」
「穂日は寝返るかもしれない」
裏切りの懸念を持たれていた穂日であったが、三年が過ぎた頃、穂日は天津神のもとへ戻ってきて復奏が遅れたことを詫び、これまでの経緯を報告した。それによると穂日は出雲の在来勢力を押さえて自分に従わせることに成功し、出雲の大己貴の娘を娶り、その婿となることによって平定をなし遂げたというのである。妻求(ま)ぎは武力を用いずに行われる国覓(ま)ぎであった。
出雲の大己貴は、戦となることを望まず、戦闘を避けるかたちで自ら身を引くことを選び亡くなった。死を賜ったとされる。病を得ていたわけでもなく特に高齢でもなかったので、謀殺とも自ら命を絶ったともいわれたが定かではない。何はともあれ出雲では大己貴の死をもって、出雲における天津神への国譲りは訖(お)わったのである。
復命し、謀反の疑いが晴れた穂日は、天津神からそのまま出雲を治めることを許された。穂日は自ら社を建てて大己貴の霊を祀る斎主(いはひぬし)となり、穂日とその息子らは、後に出雲の国の造(みやつこ)の祖となっていく。穂日らがそのような高い地位につくことが認められたのは、穂日自身が天津神の直系の御子の一人であったためであった。
それに対し、今回の大和葛城への天下りは出雲のときとは様相が異なっていた。次に大和葛城へ降るはずであった天津神の御子は、誰の目にもまだ年齢が若すぎ、経験が足りないことが危惧されていた。大和の葛城山麓を本拠とする葛城の大国主の力は強大であり、葛城川、大和川、石川の水利を得て山河の産物も獲得し、大和だけでなく河内、摂津、山城、和泉に至る広範囲の地域をすでに手中に収めているという。
天津神はそこでまず武勇にすぐれ思慮もある臣下の稚彦を選び、国譲りの地ならしのため先兵として遣わしたのだった。稚彦は智勇に秀で顔立ちも整った若者であったが、天津神の直系の御子ではないため、このたびのことはあくまでも露払いであり、後に来るはずの天津神の御子のために、道を整えておく役なのであった。
出雲を従えた後、天津神に率いられた神々とその一族は、少しずつ船を進ませ次の目的地である大和の地に近づきつつあった。すでに瀬戸内海のある川辺に至って停泊し、上陸して仮の宮としてはいたが、まだそこから大和の地へは直接つながっていない。そこは背後になだらかな六甲の山が連なり、山から流れ出た清らかな川が海に注いでいる地形で、難波にも近い天然の良港であった。天津神はその地を大和攻略の拠点とし、葦原中津国の要の地、葛城山麓を掌握すべく画策していたのである…。そしてその先遣として送り出されたのが稚彦と佐具女であった。
…佐具女は少しずつ目が覚めていった。屋内に寝かされているようだが、身体はまだ舟の上にあって絶えず左右に揺れているような感覚がある。身を起こしかけたが、くるくると目眩がするので目を瞑り横になった。
「もう少し、お休みになって」
優しい声が聞こえた。額にそっと手が当てられる。熱の具合をみてくれているのだった。
再び眠りに落ちた後、今度ははっきりと目覚めると、間近にきれいな若い女が坐っており、温かいものが入った椀を見せて勧めてくれた。香りの良い草が混ぜてある粥で、そっと起き上がり、匙で口にしてみると食べやすく柔らかい味だった。
「舟で、いったいどこから来られたのですか」
葦原中津国の言葉で、そう問われていた。
「遠くから。故郷で一族の間に争いごとがあり、親族に追われて、甥とともにかろうじて海に逃れました。漂っているうちにここに着いたのです」
佐具女の言葉を理解したわけではないだろうが、内容を推測するかのように女はじっと佐具女を見つめている。ほっそりとしていて色白で切れ長の眼が美しい。
「ゆっくり召し上がってください。お連れらしい人もさっき岸辺で倒れているのが見つかりました。ここへ運ばれてきて手当てを受け、今は眠っておられます」
別室へ案内され、寝かされている稚彦をひと目見るなり、佐具女はその怪我のひどさに驚いて取り乱した。
「何ということ」
殴られ蹴られた傷が体中にあった。このまま稚彦は死んでしまうのではないか。どうしようと思い、佐具女は狼狽した。あらかじめ聞いていた話では、稚彦は傷を負って水辺で倒れているところを通りかかった里人に救われる、という展開であった。そのため上陸の手助けをする者が少々怪我をさせるが辛抱するように、と稚彦は言い含められていたのだった。それにしてもここまでひどく痛めつけるとは……。耐えて蹴られ続けている稚彦の姿が目に浮かんでくるようだった。この殴り方や蹴り方にはどこか悪意がある、と佐具女には感じられ、傷ついて紫色に腫れ上がった稚彦の頬の辺りを撫でさすりながら、怒りと悲しみで涙が溢れ出た。
「大丈夫、死にはしない」
そう声をかけてきたのは、下照姫(したてるひめ)の兄の味鋤高彦(あじすきたかひこ)であった。すらりと背が高く、落ち着いた態度でものを言う。兄と妹はよく似た顔立ちをしており、ひと目で兄妹とわかるのだった。
「こんな怪我をしているのに、この人は自力で歩こうとしていた。弓矢も手放してはいない。強い人だ」
「傷が癒えるまで、私がお世話をしましょう」
下照姫が言った。そのまなざしはずっと稚彦に注がれている。佐具女はその様子を見守りながら、下照姫の中に、この若者を救いたい、という強い思いが生じているのを見てとった。
日を重ねるうちに稚彦はゆっくりと回復していった。下照姫は稚彦にずっと付き添って容態に注意し、僅かな変化も見逃さないようにしてくれるので、佐具女は安心して任せていられた。下照姫は食べ物の温度や量を加減して気を配り、稚彦に与える際には少量をそっと掌に落として受け、舌で味を確かめている。熱すぎず温すぎずちょうどよいものを食べさせようとしているのだった。身の回りの世話も行き届いており、暑くはないか寒くないか、気分は悪くないかと気遣い、体調を絶えず真剣な目で見ている。昨日より顔色がよくなればそれを喜び、熱が上がってくると眉を曇らせていた。そこには何の警戒心もなく、ただ稚彦の回復だけを願う若い女の純粋な思いがあった。
その偽りのない心は動作にも現れる。立ち居振る舞い、話しかける言葉にも態度にも真に気持ちが籠っていて、佐具女はそばで見ていて、自分は今まで生きてきて、見知らぬ他人にこんな風に心を尽くして看病し、真っ直ぐな気持ちで接したことがあっただろうかと考え、下照姫の一途さ、その思いの深さに打たれるのだった。
世話を受ける稚彦の方にも、それは強い印象となって受け止められていったようだった。病臥の床からじっと下照姫の姿を目で追っている。そこには打算も企みも感じられなかった。ただ男として惹かれているのである。下照姫の方も、さりげなくそれに応えるかのように頷き視線を返している。絡み合う二人の熱い視線に気づくと、眩しく尊いものを見る思いがして、佐具女は思わず目を伏せるのだった。
何かを探り出すようにと命じられている自分、そのような目的を心に隠して親切を受けている自分のありようが情なく思えてくる。目の前で自然に高まってゆく若い男女の心の動き、ひたむきで切ないような感情の触れ合いを見ていると、そういうことに憧れを持った遠い日もあったが、結局自分には決して訪れなかった無縁の世界であった、と思う。
稚彦と下照姫の間に次第に熱っぽい雰囲気が漂い始めるようになると、佐具女はそっと席を外した。身を引いてできるだけ二人の間に立ち入らないようにし、距離を置いて成り行きを見守っていた。
ある午後、佐具女が庭にいて木の枝に留まる小鳥の様子を見ていると、どこからか下男らしい人影が近づいてきて、後ろに屈んだ。何か草を引き抜くような仕事でもしている様子にみえたのだが、低い声で話しかけてきた言葉は天津国のものであった。男は雉(きぎし)と名乗った。
「何か伝えることは」
紛れ込んでいる間諜の一人なのだろう。はっとして思わず振り返ろうとすると、男は短くそれを制した。姿を見るなと言っているのである。仕方なく佐具女は頭上の枝に目を向けながら、小声でありのままを伝える。
「稚彦さまは回復し、下照姫と親しくなっています」
「うまくやっているのだな」
そんな言い方をされたくないと思った。若く美しい二人が互いに強く惹かれ合って、相手のことを日夜思い続けているのだ。その感情は混じりけのない純なものなのだ。別の言葉で言い直そうとしたとき、すっと背後から人の気配が消えた。素早い身のこなしだった。振り返ったとき、すでに男の姿はそこにはなかった。
ここに高御産巣日(たかみむすひ)の神、天照らす大御神の命……「葦原の中つ国は、我が御子の知らさむ国と言依さしたまへる国なり。かれこの国にちはやぶる荒ぶる国つ神どもの多(さは)なると思ほすは、いづれの神を使はしてか言赴(ことむ)けなむ」とのりたまひき……。(古事記)
即ち天穂日命(あまのほひのみこと)を以(も)て往(ゆ)きて平(む)けしむ。然れども此の神、大己貴神(おほあなむちのかみ)の神におもねり媚びて、三年(みとせ)になるまで、尚(なほ)し報(かへりごと)聞(まう)さず。(日本書紀)
是(ここ)に、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)、天稚彦(あめわかひこ)に天鹿児弓(あまのかごゆみ)及び天羽羽矢(あまのははや)を賜(たま)ひて遣す。(日本書紀)
2
佐具女(さぐめ)はこの国の言葉を覚えるのが速い、と不思議がられることが多く、周囲の誰からも感心されていた。人の心も未知の言葉もわかることは極力隠し、悟られないようにしていたし、気づかれてはいないようであった。でもその力のお蔭で、今ではごく普通に話し、誰とも充分意思を通じることができるようになったのである。聞き知った内容で何かの役に立ちそうなことがあれば、直ちに稚彦(わかひこ)に伝えるようにしていた。稚彦も懸命に下照姫(したてるひめ)から言葉を習い覚えようとしていたが、かなり難しいらしく、まだ佐具女のように自由に話せるほどにはなっていない。
下照姫は佐具女に対し、いつも親しげに丁寧に接してくれた。稚彦の伯母と間柄を説明してあるし、もうこうなった以上は、伯母を演じ続けるほかない。それでも、伯母さま、と呼びかけられるたびに、佐具女は後ろめたく落ち着かない気持ちになる。下照姫だけでなく、下照姫に仕えている女たちも、佐具女を大切な客人として扱ってくれるので、佐具女は生まれて初めて人にかしずかれてみて、人に奉仕される側の快さも知ったのだった。
下照姫は機を織るのが巧みで、自分で工夫して織るだけでなく、この土地の娘たちに手ほどきをしたり、織り上げた布を衣服に仕立てることを教えたりして、日常を過ごしていた。茜の根を煎じて糸を染める方法を知っており、何度か染液に浸して糸束を美しく濃い茜色に仕上げてゆく。布に色糸で器用に縞模様を入れ、織り上げる技術にもすぐれていた。
佐具女もそれなりに機織や縫い物ができるので、鹿の骨で作った骨針で、独特の文様を布端に糸で入れ、余り布で袋を縫って見せると、下照姫は手にとって眺め、自分たちにも同様に特有の文様があるといい、伝えられている吉祥文様や魔よけの模様のあることを語るのだった。属する国は違っても、衣類や身につけるものに女たちが無事を願う思いを籠めるのはどこも変わらないのだ、と佐具女は気づく。ひとしきり手仕事について語らっていると、下照姫はちょっと言葉を改めて佐具女を見つめた。
「伯母さま。私の父に会って頂きたいのです。稚彦様とご一緒に。父は葛城にいるので、もしよければ、葛城へお連れしようと思っています。ここからは遠いので、川沿いに上ってゆかなくてはなりませんが」
それは新たな展開であった。下照姫の素直で真剣な表情に、かすかに胸の痛むのを感じつつ、まだ見ぬ葛城とはどんな所だろうかと想像しつつ、佐具女は頷くのだった。
小舟に乗り込むと、緩やかな川の流れに沿って上流への旅が始まっていった。葦の生い茂る難波の辺りには水路が多く、それを辿って遡るうちにやがて大和川の流れに入ってゆく。この川の瀬音にはさまざまな川の混じり合った音色が響いている、と佐具女は思うのだった。
稚彦と下照姫は、すでに愛を交わし合った者同士の間に漂う熱い親密さに溢れ、舟の中でも寄り添って見つめ合い、手をつないで睦まじげである。佐具女はそっと目を逸らすと、岸辺に揺れる草や川面を飛んでゆく鳥の鳴き声にじっと耳を傾ける。
葦の間を住処とする水鳥の群れを幾つも見かけた。餌を探す鳥のはずんだ声、親を呼ぶ子鳥のあどけない声、相手を求めて鳴き交わす切ない鳥の声が、通り過ぎる風のように次々耳に流れ込んでくる。ふと、もうすぐ雨が降ってくる、と互いに教え合っている小鳥の声が耳に入ってきた。
「もうじき俄か雨が来るかもしれませんね」
鳥の囀りに教えられてそう呟いた佐具女の言葉に、下照姫はこんな青空なのにと、不審そうな顔をしていたが、そのとおりに天気が崩れて黒雲が現れ急に雨が降り出したのを見て、
「まあ、伯母さまは速雨(はやさめ)が来るのがわかるのですね」
と目を丸くした。
流れは山が近づくにつれその様相を変えていった。大きな剥き出しの岩が行く手に現れ、川が大きく曲がるたびに風景も変化する。周囲の山々の連なりは緑が目に染みるようで、珍しい野鳥の姿が木々の間に見え隠れし、草の間を駈けぬけてゆく仔鹿や兎の気配に佐具女は心を躍らせた。心で呼びかけると、野兎が動きを止めて耳を立て、じっとこちらを見てくれるのである。
やがて左右に深い緑の峡谷が迫り、川幅は狭くなって急流となった。亀の瀬である。谷をゆく清らかな流れは白く泡立ち、大岩にぶつかって激しい水音を立て渦巻いていた。その音は人の声を掻き消すほどに高く轟いて、水流には川底の小石や砂をえぐってゆく勢いがあった。澄みきった青い水泡は生き物のように声を上げつつ岩の上を滑り落ちてゆく。川に流れ込む滝にはまるで白い花が咲いたように飛沫が飛び散って広がり、力強い歌声となって響き合っていた。見入っていると、何かが自分の中から洗い流されてゆくような感じがする。川水も滝もともに混じり合い、それぞれが見てきたものを声高に語りながら岩の上を滑らかに流れ下っていた。
葦原中津国では、岩根、木立、青水沫(あおみなわ)までがよくものを言う、と聞かされてきたことを佐具女は思い出した。この川はここに至るまでに、もうすでにたくさんの山からの流れを集めているのだった。初瀬川、佐保川、飛鳥川、曽我川、葛城川など大和中の無数の川が広瀬で集まって一本の川となり、この峡谷から流れ出して河内へ下り、さらに幾つもの川を合わせて難波の海へと入ってゆく。太古の昔、大和は広大な湖であったと伝えられているが、その水が流れ出る出口がこの峡谷であったのだ。
急流で舟が進めなくなると、一行は舟を降りて岸辺に上った。そこからはしばらく薄暗い山道を辿ることになるため、ゆっくりと登ってゆく。龍田越えといわれる難所で、山の口には山神を祀る祠があり、旅人は無事を願って神への手向けに木の枝などを挿し、祈りを捧げる慣わしがあった。下照姫が山を指さした。
「今から山道を越えるのですが、ここは山崩れの起きる危ない所といわれています。大きな山鳴りがしたかと思うと俄かに道が割れ、人が吸い込まれることがあるのです」
「見たところ、それほど高い山ではないようだが」
稚彦は訝しげに山を見上げ、佐具女は土地神の祠に神妙に額づくと挨拶し、柴挿しをして一行の無事を祈るのだった。
山越えが終われば、再び川筋に戻って舟に乗り、緩やかな川を遡っていった。広瀬の河合と呼ばれる所に至ると、舟は方向を変えて別の川へと入ってゆく。広瀬には背の高い葦や菅が風に揺れる湿地が茫漠と広がっており、付近には人家は見えず、どことなくうら寂しい情景であった。多くの川が集まるため氾濫がよく起きるといい、集落ははるか遠くに営まれている。舟の行く手には水草が生い茂り、白鷺が水面に舞い降りて餌をついばみ、鴨の群れが流れを横切ってゆく。寂寥感漂う葦の原の中洲の上には、河伯(かわのかみ)を祀る祠とそれを囲むようにひっそりとした森があった。洪水のときには一面海のようになり、その祠も流されてしまうことがあるという。川の合流点である以上、水を鎮める神は最も危険な場所において祀らねばならないのだった。たとえ災害で祠を失ったとしても、神を失ったわけではないので、人々は再び中洲に祠を建て、傍らに新たに木を栽(う)えるという。水の恐怖の中で水の神を祀る、命がけでする祭祀もあるのだ、ということを佐具女はここに来て知った。
大岩の側を舟が通りすぎるとき、多くの人が濁流に沈み、流されてゆく洪水の恐ろしい光景が、幻のように眼前に立ち現れたのを見て、佐具女は密かに戦慄した。悲しい幻影はじきに消えていった。水で命を落とした人たちの無念の思いは、年月を経てもまだこの地にとどまっているのだろうか。それとも岩が記憶しているかつての遠い一情景がふっと白昼夢のように引き出されてきたのか。岩根がよくものを言う、という意味を佐具女は理解した。
舟はやがて葛城川に入っていった。黄鶺鴒(きせきれい)が尾を振りながら川面を飛び交い、小魚が群れをなして泳ぐ清らかな流れである。右手には神々の座である二上、葛木、金剛と山々が続き、左手前方には越智丘陵の山並が近づいてくる。二上山を過ぎると、どっしりとした重量感のある葛木山の威容が右手に迫ってきた。緑濃い山並から吹き降ろす風は爽やかで、岸辺で手を差し広げているような背の高い榛(はり)の木々に小鳥が群れている。
葛城山麓から緑豊かな大和盆地を眺めると、畝傍、耳成、香久山の三山はあたかも水に浮かぶ聖なる島のようであった。大和盆地は遠い昔、広大な青い湖であったと伝えられており、この三つの山は、太古には湖水に浮かぶ美しい島だったという。神の坐す島、三島とずっとその名を称えられてきた。気の遠くなるような長い時をかけて湖の水が引いてゆき、すっかり干上がってしまって陸地となった後も、人々の心に島の持つ聖性の記憶は残り、三山は今も神の坐す所として敬われているのだった。
葛城川は金剛山麓にその源があり、水源近くの池には水の神が祀られ、近くの風の森峠には風の神が祀られている。良水を祈り暴風を鎮める祀りが重んじられ、農耕には欠かせない自然を司る二つの神によって、この地は祝福され守護されているのだった。
舟を下りると、下照姫の父の大国主(おおくにぬし)の館に案内された。眼前には緑濃い野が広がり、清らかなせせらぎが野を縫うように流れゆき、その向こうには葛城の山並が起伏のある稜線を描いて連なっている。大国主の館は、この地を束ねる人の住まいであるから集落のほぼ中心にあり、屋根が高く上げられ、柱は太く、垂木も棟木も堅固で、厚く葺かれた茅の香りはすがすがしいものであった。
いかにも善良そうな小柄な老人が笑顔で現れたとき、佐具女はまさかその人が噂に聞く大国主とは思わなかったので、引き合わされて少なからず驚いた。もっと威風堂々とした大柄でいかめしい人物を想像していたからである。目の前にいるのは細身のおとなしそうな老人で、久しぶりに会う娘に相好を崩し、娘が連れてきた客人にかけるねぎらいの言葉も穏やかで優しかった。実に質素な服装をしており、一見どこにでもいる老いた農夫のように見える。
稚彦もそう感じたらしく、初対面の言葉を交わしながらそれとなく相手を観察していたようだが、半ば拍子抜けした面持ちで、内心のとまどいを隠せないようであった。
館の周囲を案内してもらうと、整然と並んだ高床の倉の中にはぎっしりと稲穂や来年用の種籾が入っているようだし、穀物の倉もいくつかあって麦、粟、稗、豆類に分けて満たされていた。火災に備えて倉と倉の間は広くとってある。次の収穫に備えてかさらに新しい倉が建てられつつあった。
やがて宴が開かれることになり、それは稚彦を下照姫の婿として紹介する場でもあったらしく宴には縁戚や近在から多くの客が招かれていた。下照姫の兄の味鋤高彦(あじすきたかひこ)と事代主(ことしろぬし)の姿もあった。
下照姫はまだ目立たないがすでに身ごもっており、そのことを知る佐具女は子が誕生して男子であった場合、その子はどうなるのだろうかと考え込むのであった。天津神はそれを知ったとき、どんな風に感じられるだろう。不快に思われるのではないか。ともすればよくない想像が湧いてくる。けれども今ここでそんなことを心配しても、と思い直し、佐具女は明るく振る舞い、女たちの挨拶や歓迎の言葉に精いっぱいの笑顔を返すのだった。
焼いた山鳥の肉、串に刺して炙った川魚、ゆでた青菜、芹、高杯に盛られた蒸し米、干した海老などの海産物、醸した酒、山の果実など心づくしの品々が目の前に並べられていった。豊かな食料、その品数の多さに感心しつつ、佐具女は勧められるまま少しずつ味わっていった。
言祝(ことほ)ぎの歌や舞が繰り返されるうちに夜は更けてゆき、宴は賑わっていた。連なる親族、長老、村の男たち、給仕に忙しい婢(はしため)の姿をぼんやり眺めていると、ふと監視するような視線が混じるのを感じて、佐具女はすっと背筋が冷たくなるような思いがした。ここにも間諜が入っている。それも複数の……。間諜だけでなく、大国主一族の中にも、冷ややかな敵意を隠し持つ人たちがいるのが感じられた。その目は何気なさを装いながら稚彦や下照姫や佐具女を注視しては離れ、また鋭い目で観察してはもとに戻し、両隣の人と和やかに談笑している。好奇や羨望、嫉妬、一瞬の悪意などが、強弱の波動となってあちこちから伝わってくる。私たちは誰かからずっとここでの行動を見張られているのだ。そしてたぶんこれからも。そう気づいたとき、佐具女は改めて心に緊張を覚え、気持ちを引きしめるのだった。
佐具女が一人で戸外に出ているとき、または夕暮れ近いとき、忘れかけた頃にふっと人影が現れ、伝え言を、と短く促してきた。男はいずれも雉(きぎし)と名乗り、入れ替わるのか、話しかける声が異なっていた。葦原中津国にやって来た雉の中には、あまりに居心地がよいので任務を捨て、この国の住人となって住みついてしまう場合もあるようだった。彼らは雉の仲間に見つからぬように身を隠し、そっとそのまま消えてしまうらしかった。
いずれにしても佐具女に接触してくるとき、雉はなるべく姿を見せないように物陰にひそみ、あるいは夜の闇に紛れ、ごく低く声をかけてくる。その声を聞くたび佐具女は憂鬱になった。下照姫の懐妊もなるべくなら伏せておきたかったが、いつまでも隠せることではないと思い、事実のみを伝えておいた。
季節が進み、穀物の種をまく季節に入った頃、農耕の祭祀が行われた。それは神を招き降ろして豊穣を祈る重要な儀式であった。物忌みの潔斎を終えた大国主も、祭祀用なのか今日は特別に織られた新しい衣服を着けている。稚彦と佐具女は畔に佇み、祀りの様子を見守っていた。明るい陽が降り注ぎ、野では雲雀が囀りながら天に向かって揚がってゆく。
水田は谷間の沢を利用し、傾斜地に工夫して区割りを定め、川の流れをうまく引き込むように作られていた。種をおろす春と、取り入れの秋の二度、大きな祀りが行われるという。農耕を守護し穀物の成長を見守る田の神は、季節が巡ってくると里へと招かれ、先を尖らせた形にして土器に盛られた塩、酒、洗米、梶の葉に盛られた五穀(たなつもの)、青菜、果実、栗、薯蕷(やまいも)、百合根など山野の供物を受けられる。
神籬(ひもろぎ)が立てられていった。忌み竹で四方が囲まれ、注連縄が張り巡らされ、白い糸が垂らされ、艶のある青い榊の葉が光を受ける清浄な空間に農耕の神を迎えるのである。豊かな水を祈り、五穀の実りを願い、厄災を封じ、悪しき風を鎮め良き風を祈る詞(ことば)が神官によって唱えられていった。大国主の手で銅鐸がおごそかに打ち鳴らされると、心が震えるような美しい音色が周囲に響きわたり、長い余韻をもって風に乗って野に流れていった。神を称える神歌が静かに詠唱され、若者の奏でる岩笛の澄んだ音色に合わせて、髪に花を挿した乙女たちの舞が捧げられていった。
次に味鋤高彦が祭主となり、下照姫が補佐して、畑の真ん中に金属の鋤が空に向けて立てられた。二人とも新調した衣服をまとっている。下照姫は茜で染めた美麗な上衣に模様を織り込んだ厚布で飾り帯をしめ、首には翡翠で連ねた勾玉をかけていた。動くたびに玉が揺れてかすかな音を立てる。
兄と妹は神火を焚いて雲を呼び、雷神を招(お)ぐ儀式を執り行なっていた。田畑に落雷があると、その作用で地味は肥えて、豊作になるといわれている。落雷は地に恵みをもたらすものとして心待ちされるのであった。稲の穂孕みの頃、よく雷雨があるのだが、その稲光りによって交接がなされ、穂が孕むのだと人々は信じて疑わない。稲妻(いなつるび)といわれる所以である。そのため稲の穂孕みの時季には、孕んで眠っている稲穂を驚かさぬよう人々は気を遣い、足音を忍ばせて畔をそっと歩くのが慣わしとなっているという。
この祭儀が終わりに近づいた頃、晴れていた空ににわかに黒い雲が現れ辺りが暗くなった。黒雲は低く垂れ込めたかと思うと、たちまち雲の中からひとすじの閃光が頭上に走った。稲光りが一度、続いて雷鳴が一度あった。雷鳴の直後、居並ぶ人々の間から、いっせいに賛嘆の声が上がった。雷神は確かに天から近づいてきてひと声発し、味鋤高彦と下照姫の祈りに対して応えられたのであった。ただ降雨はなく、そのまま雲は少しずつ晴れていき、青空が戻ってもとのようになった。初めて目の当たりにした銅鐸の祀り、雷神が実際にこの場に来臨する祭儀に、佐具女はただ感嘆し、畏怖の思いでその場に立ち尽くしていた。味鋤高彦は雷神を呼ぶ霊力があるのだった。
ここに住む人たちは鴨族と呼ばれ、天津神よりも早い時代に、同じく西方の海外(わたのほか)の国からやってきた人々であった。鴨族もまた船を操り、星によって方位や針路を知り、長い航海を続けることに長けており、農耕の知識が豊富で稲作をよくし、また金属を山から採取して精錬し、農具、道具を作る技術も持っている人たちであった。
鴨族は日本列島に漂着すると各地に上陸し、定住地を求めて枝分かれしていった。海辺、あるいは川筋を辿って徐々に内陸へと入り、移り住んでいったのである。
やがて鴨一族のある集団は、瀬戸内海を進んで難波の海へと入り、河内湾に上陸するとそこに住まいを定めていった。良地を求めて大和川の支流の石川を遡り、開墾を繰り返しつつその水源の谷にまで達したのである。そこから水越峠を越えてゆくと葛城の長柄という地に至る。大国主もそのような道筋を経てここに到達し、鴨族の集落を営んだのであった。
大国主は西海の寄港地において筑紫の宗像(むなかた)、水沼(みぬま)の長とつながりを持ち、その係わりで妻を得ていた。多紀理姫(たぎりひめ)と神楯屋姫(かむたてやひめ)という女性たちを娶(めと)ったのである。ともに宗像(むなかた)三女神を奉じている有力氏族の女(むすめ)たちで、神がかりをする家系の出であり、すぐれて霊的な力を有していた。多紀理姫との間に味鋤高彦と下照姫、神楯屋姫との間には事代主、高姫という有能な子どもたちが生まれていった。
鴨系の人たちはまた大和川を広瀬まで遡り、葛城川に沿って進みその水源の葛城、金剛山麓に達し、農耕をもたらしつつ流域に定着、土地を拓いていった。できるだけ川の中流から上流へと進んで水源を獲得することは、その地を支配しようと考える鴨族の人々にとっては重要なことであった。
けれども大和の先住民にとっては、鴨族によるこのような移住は驚きであった。ある日突如どこからか出現したかのように見え、侵入して川辺に定住しようとする鴨族の動きに、先住民の間には驚愕と動揺が広がった。異族への衝撃が落ち着くと、今度はその生活ぶりを間近で観察して、憧憬や羨望の念が湧き起きる。また一方ではすぐれた武器を持つ侵入者に対する恐怖から、さまざまな反応も起きて混乱が続いていった。鴨族が着ている麻の衣服ひとつとってみても、ひと目みてわかるその品質のよさ、織物の技術の高さが、粗い編み布のような衣服しか持たず、なめした鹿皮をまとって暮らす先住民を圧倒するのだった。
鴨族は人のいない地にまず住まいを定めると、周辺の土地を耕すことから始めていった。先住民との間に軋轢も摩擦も生じないではなかったが、鴨族は多くの穀物の種子も持ち運んできており、使いやすい農具を用いて効率よく耕作し、丈夫で壊れにくい土器を使って炊事をする。珍しさとその便利さに先住民は次第に幻惑されてゆき、この地を拓いて農耕を進めてゆく中で、鴨族は次第に先住民を従えていった。狩猟と川漁に依って暮らしてきた先住民に、穀物や稲の栽培を教え、高床の倉庫を建てて新たに収穫した穀物を保存し、食物がなくなる冬を越し、不慮の天災に備える方法を示してみせたのである。飢えの苦しみから解放され、良質の手触りのいい布を得たいという願望も生じ、土地の開墾が進むにつれ、先住民の方も徐々に農耕を受け入れて、その暮らし方も少しずつ変化をとげていった。鴨族は先住民に麻や桑を植えて育てることを教え、麻から糸を取る方法や、蚕養(こがい)を教え、機織機、農具、道具類を与えてその使い方を教えていった。鴨族も稲作に加え狩猟、川漁を行うので、食料はより豊富になってこの地に異族が共存するかたちが広がり、農耕が根を下ろしていったのである。また互いの通婚によって人口が増えていき、やがて周辺には多くの大小の集落が新たに営まれ、鴨族は繁栄するようになった。
先住民の大半は、外来のすぐれた物や技術に初めて接したので驚嘆し従ったが、新しいやり方に馴染めず、鴨族の支配を嫌う先住民も少なからずいた。彼らは常に反抗の姿勢を崩さず、耕作地を荒らし、追われるとさらに深い山の中へと入り込んで生活を営み、出会いそうになればたちまち姿を隠し、鴨族の住む里に降りてくることはあまりなかった。
葛城には南から金剛山(高間山)、葛木山(鴨山)、二上山と山々が連なっている。それぞれの山の頂には古くから山に坐す神が祀られ、神の山として敬われていた。また金剛山の中腹には白雲の峰と呼ばれる神奈備の山があり、杉や檜に覆われた深い山中には、ひっそりと流れ落ちる滝や大きな磐座があった。白雲の峰は円錐形に整った美しい山で、古来先住民の崇める山であったが、鴨族が先住の人々を掌握したときから、その祭祀は鴨族の手にゆだねられていった。ある土地が征服されるとき、祭祀権も新しい支配者の手に移ってゆくからである。
白雲の峰は、先住民の聖地であるとともに、今では鴨族の守護神の坐す聖地ともみなされ、葛城に暮らす人々の崇敬の対象となっていた。その秀麗な山容に薄く霧がかかるとき、また緩やかに煙るように雲がたなびくとき、その山は神の座にふさわしい美と荘厳さでもって仰ぎ見る人々の心を捉え、畏敬の念を起こさせるのである。
山中で落雷があると、人々は山に入って落雷した木を探すのだった。真っ黒に焼け焦げ、木の幹が大きく裂けた霹靂(かむとけ)の木が見つかると、酒、米、塩などの供物を捧げてそこに神を祀る。落雷は力に満ちた雷神がそこに降臨した証とされていたからである。
味鋤高彦と稚彦は気が合うのか、二人でよく葛城山麓に狩に出かけては山鳥などの獲物を持ち帰った。山には猪、猿、鹿、兔、栗鼠、むささびが多く棲み、弓の名手であった稚彦は狩を楽しみにして、味鋤高彦と腕を競い合っていた。稚彦は堂々たる体躯の持ち主であったが、見かけに反してどこか慎重なところがあり性格は優しかった。一方味鋤高彦はほっそりしていて長身であったが、その気質は思いのほか激しく荒々しいのであった。顔もまったく似ておらず、性格も異なるこの二人の仲がよかったのは、互いに相手の中に自分にないものを見て惹かれていたとしかいいようがない。二人は終日葛城の山野を駈け回って狩に熱中するうち、年齢が近かったせいもあって、自然に絆が生まれ友情が培われていったようである。
稚彦はまた大国主にも気に入られ、信頼されていた。稚彦の方でも大国主の包容力のある飾らない人柄に敬意を感じ、親しみをもって接しているようであった。佐具女の目には、稚彦は大国主に対して明らかに好意を持っており、国譲りの話など、とても切りだせるような雰囲気ではないと映るのだった。
月が満ちて、下照姫に男子が誕生し、大国主によって鴨彦と名づけられた。ゆくゆくは鴨族の地域の王の一人となってもおかしくない命名であった。大国主は愛娘の生んだ子に期待をかけていたのかもしれない。佐具女は半ば不安な気持ちのまま、やって来た男の雉にそのことを告げた。雉は赤子の名を訊くと、低く復唱してやや沈黙し、
「稚彦は、よほど信頼されているらしい。このまま大国主の息子になって、国津神の王にでもなるつもりなのか」
と問いかけた。佐具女は一瞬ためらったが強く否定した。
「いいえ、そんなことは。稚彦さまは、決してそんな風には考えておられません」
「どちらにしても跡継ぎの子が生まれたのだ。このままでは済まされない。今のうちによく考え直した方がいいぞ」
雉は独り言のように低く呟くと、いつものように闇に消えた。
稚彦に雉の伝言を取り次ぐと、稚彦は考え込んだ。
「国譲りのことを、どう考えればいいのだろう。葦原中津国は邪悪な者どもがはびこる国と聞いていたし、命じられてここに来たが、最近では間違っているのは自分のような気がしてならないのだ。なぜこの国を天津神に渡すよう交渉し、大国主を説得しなければならないのか。長い年月をかけて荒れ地を拓き皆で努力し、この地を豊かに造り上げてきたのはここの人たちだ。ここは鴨の人たちが領する国だ。私を信頼しきっている大国主の一族の心を裏切るような振る舞いは辛くてできない。そんな自分を許せない。どうしてもそんな気持ちにはなれないのだ。私は国津神の王になりたいなどとは考えていない。ここの民を束ねるのは、味鋤高彦や事代主こそふさわしい。誰もがそう思っているだろう。私は今、下照姫と息子とともに暮らせるだけでよいのだ」
佐具女は頷く。稚彦の心の中を去来する思い、その悩みは佐具女にも共通するものであった。佐具女もまた親しくつき合うほどに、この一族の気質が好きになっていた。けれどもいつか一切を話さなければならない日がくるような気がするのも事実だった。いっそのこと下照姫に何もかも打ち明けて相談してみようか、とも思うが、自分の心の負担を軽くするために、勝手な行動に出る勇気はなかった。迷うばかりでいい知恵は浮かばない。どこか後ろめたく、気持ちは常に不安であった。
稚彦と下照姫は大国主の意向で、しばらくの間河内、北摂へと赴き、その後は近江の日枝の庄へと向かい、そこでしばらく滞在することになった。河内だけでなく難波、北摂、近江までも大国主の息子たちの手によってすでに開拓が始まっており、開墾地も年ごとに広がっているので、助力を頼まれたのである。佐具女も稚彦に従って旅をともにすることになったが、佐具女は実は遠くへ行くのを心待ちにする思いがあった。葛城にずっととどまっていれば、絶えず雉の監視があるので気持ちは休まらないが、ここを出て近江という遠隔地に行けば、雉の目はそこまで届かないようにも思われる。
旅立ちの日がやって来た。難波から大和川沿いにここへ上って来たときとは異なり、今回は長柄から水越峠を越えて河内へと下り、石川から舟で大和川へと入ってゆくのである。河内へ下るにはその方が近いが、山道はかなり険しいという。
長柄の山口には山神を祀る祠があり、そこで峠越えの無事を祈ってから、一行は水越峠へと入っていった。山道は急で、山狗(やまいぬ)の遠吠えが聞こえる峠道には樹木が生い茂り、陽光をさえぎって薄暗い。峠には人に取り憑く魔ものが棲むともいわれ、夕暮れや夜には怪火が現れるので怖れられていた。狐火とも鬼火ともいわれ、この火を見た旅人は高熱に倒れるという。また峠では突如気味の悪い風が唸りを上げつつ巻くように吹き荒れて、旅人は悩まされるのだった。峠はこのような強風の通り道であった。
ともすれば佐具女の足は遅れがちであったが、鴨彦を軽々と背負った稚彦は下照姫とともに難なく歩いていく。息をはずませてついてくる佐具女を見かねて、稚彦はたびたび休憩をとってくれたし、下照姫は佐具女の手を引いて助けてくれるのだった。
ようやく河内側に降りると、石川にある鴨族の集落を訪ねてその夜の宿りとした。大国主とは親戚筋になる家らしい。炉辺で下照姫が幼い頃の思い出を懐かしそうに話してくれる。
「私たち一家は、しばらくここ石川で暮らしていたことがあるのですよ。当時兄の味鋤高彦は、一日中大声で泣いてばかりでものも言えませんでした。母は私を産むとまもなく亡くなってしまったので、兄はきっとそれが辛かったのです。ものが言えない兄はただ泣き喚くことしかできなかったのでしょう。父は泣き続ける兄のことをとても心配し、あるとき兄を舟に乗せ大和川を下って海に出たそうです。珍しい景色を見せて兄を慰めようということもあったのでしょうが、父は難波の八十嶋(やそしま)を行き巡って島々の神によく祈り、島の神霊を招き寄せて、加護を願ったのだそうです。その夜、父がやすみますと、兄が元気になり上手に言葉を話している夢を見たのです。翌朝、兄はみさわ、と初めて通じる言葉を言いました。水沢とはどこのことか、と父が問うと兄は館を出て石川を渡り、坂の上に来て、ここ、と指すのです。不思議なことに、そのとき沢の水が清らかに湧いて流れ出たので父は霊威を感じ、その沢の水を掬(すく)って兄に浴びせ、自分も浴びて身を清めました。石川の源流がそこだったのです。禊(みそぎ)の後、兄は言葉がよどみなく話せるようになり、泣き喚くことも止みました。父はその出来事に深く感じ入って、民がもっと豊かになるようにいっそう土地の開墾に力を注ぎ、心を尽くすことを神に誓ったといいます。私たちもそう教えられて育ちました。父は、自分の日々の食事や身なりはどんなに質素でも別に構わないそうで、いつも民の暮らしのことを気にかけているのです」
佐具女には、味鋤高彦が幼いとき夜昼泣き喚いてやまなかったという話は、また別の意味を持つようにも感じられた。日照りが続いたとき、雨乞いの呪術として、神官が雷を呼び出すために太鼓を叩いたり、雨雲を引き寄せるために火を焚いて煙を立ち昇らせるなどするが、そのほかに号泣して人が流す涙もまた、雨を誘い出すことがあるとされていた。味鋤高彦は泣き続け、また周囲も聞き分けのない幼児とのみ思って気づかなかったかもしれないが、それはある種の雨呼びの呪術でもあったのだ。雷神や降雨を司る神と早くから繋がりを持った特別な子で、霊能を幼いながら発揮し、その証として祭祀に適した清らかな沢水の禊の場を神示したものと思われる。先日田の畔で、味鋤高彦が雷を呼ぶ儀式を行い、実際に雷鳴が鳴り響いた場面に立ち会った佐具女は、その霊力を改めて思うのだった。
石川は、深い山の中に発して谷を流れ下り、平野を縫うようにして支流を集めやがて大和川へと合流していく、水鳥の飛び交う清冽な川である。河内は少し歩けば流れに出合うほど大小の川の多い肥沃な平野であった。
河内でしばらくの間過ごし、その後は北摂へと向かった。背後になだらかな緑の山並みが続く穏やかな北摂の山里の光景は、河内ともまた異なって見えた。
また水路を辿って琵琶湖へと入り、琵琶湖の東の方に注ぎ込む川を遡って日枝の庄に着いてみると、そこには清らかな水に恵まれたのどかな集落が営まれていた。村から舟で湖に下れば湖水は青く輝き、対岸の遠い山々は雲に重なり連なって濃く薄く霞んでいる。季節によってその装いは変わり、見飽きることはない。このような心和む情景の中で過ごせるいっときの幸せを、佐具女はしみじみと思うのだった。そして年が巡ってゆき、稚彦たちはやがて葛城へと戻ることになった。
ここに天若日子、その国に降り到りて、すなはち大国主の神の女下照る比売(ひめ)に娶(あ)ひ、またその国を獲むと慮(おも)ひて、八年に至るまで復奏(かへりごと)まをさざりき。(古事記)
3
男(を)の雉(きぎし)の鳴き声が闇の中で空気を震わせ、長く尾を引くように聞こえた。その鳴き声は一度きりであったが、何かの合図のようでもあった。気配を感じて佐具女(さぐめ)が庭に出て周囲を窺うと、やはり思ったとおり、木立の横に布で顔を包んだ男の雉の姿があった。
「長く葛城を離れていたようだな」
聞き覚えのある声であった。男の雉は北摂の住まいに一度現れたが、思いがけず邪魔が入り、短く言葉を交わしたのみでその後は姿を見せなかった。さすがに近江までは来ることが難しかったのであろう。あるいは近江の村落のどこかに身をひそめて様子を探っていたのかもしれないが、少なくとも佐具女に対し接触してくることはなかった。
「浮かれて楽しい日々を過ごすうちに、務めを忘れてしまったのではないか」
佐具女は沈黙する。
「ところで、稚彦(わかひこ)が大国主の位を継ぐ、という話は本当か」
「誰がそんなことを」
「もうじき新嘗(にひなへ)の祭りがあるが、その祭祀を稚彦が執り行うらしいと、もっぱらの噂だが、確かにそうなのか」
「大国主はここのところ身体の具合がすぐれないので、今年は稚彦さまに役を代ってくれないだろうかと、頼んでおられるのです。ただそれだけです」
「新嘗の祭りを行う資格があるのはその国の王のみ、稚彦がそれをするのは王の代りをするということになるが」
「あくまでも頼まれたことだけをされるおつもりです。稚彦さまは、ご自分がこの国の王になろうとは考えてもおられません。大国主から位を譲る、というようなお話があったとも聞いておりません。ただ大国主の息子の事代主(ことしろぬし)と味鋤高彦(あじすきたかひこ)のお二人が、今は葛城におられないため、秋の祀りの代役をされるだけなのです」
「稚彦は下照姫(したてるひめ)を娶って、跡継ぎの男子ももうけた。大国主に取り入って次に狙うとしたら王の座、普通はそう考えるものだ。稚彦とお前がこの国に入ってから、すでに数年の年月が流れている。天津神はいつまでも待ってはおられない。稚彦がいまだ復奏しないのはなぜか。お前は心変わりした稚彦を庇おうとしているのではないか。この国に馴染んで暮らすうちに、お前まで国津神の側についてしまったようにみえるが」
佐具女は大きく首を振る。稚彦に野心がないことを何とかして伝えようと思い、佐具女は雉と向き合うと言葉を選びつつ語った。
「稚彦さまは、急(せ)かずによい機会を待っておられるのでしょう。国譲りのことを告げるのは折をみて話をしてゆく、それが穏やかにうまく進められるやり方だ、と考えておられるのです」
「悠長なことを。それではつまり、稚彦は命じられたことはできない、というのだな。戻ってそのように伝えるがいいか」
「待ってください。違うのです」
「二人とも何ということだ」
佐具女は慌てて言い直そうとしたが、捨て台詞のような言葉を残し、雉の気配は消えた。
ある夜、遠くの空で雷が鳴り始めた。ひとしきり風が強く吹いていたが、閃光が立て続けにあったかと思うと、常にはないような激しい雷雨となった。空を裂くような白い光で真昼のように風景が照らし出されるかと思うと、恐ろしい轟音が続けざまに辺りに響きわたる。夜半には風雨がさらに強くなった。嵐は一晩中続き、山中からは炸裂するような音が聞こえてきた。山に大きな落雷があったのが、里にいる人々にもわかった。
夜が明けると、里の家々の周りには風で吹き飛ばされた木の葉や折れた枝が散らばっており、普通には歩けないほどであった。集落の人々は力を合わせて潰れた家を起こし、救い出した怪我人の手当てし、女たちは湯をわかし炊き出しの準備にかかった。屋根や壁が壊れた家では傷んだ箇所を調べ、応急の繕いにかかっていた。昨日まで清らかに澄んでいた川は一変し、黄色い濁流となってうねり、溝は溢れて畔を越え、収穫前の作物も倒れて水に浸かるなど、大きな被害が出ていた。
一方、山側ではこれまでにないような土砂崩れが起きていた。里から白雲の峰へと通じていた山道が消え、通れなくなったのである。山の中腹には台地があり、白雲の峰の頂きへとつながっていた。台地には祭祀を司る祝(はふり)と呼ばれる鴨の祭祀の一族が住んでいて山に坐す神に捧げものをし、祈祷や祭礼を行っていた。祭祀者の安否が気遣われたので、そこへ届けるための品々を携え、山に入っていった村人は、崖がひどく崩れていて台地まで上ることができず、諦めて途中で引き返してきた。それを聞いた別の村人二人がなんとか踏破しようと試み、荷を背負ってぬかるむ崖道を滑りながらよじ登っていったのだが、その村人たちはそれきり帰ってこなかった。
山の中に、見知らぬ神のような不思議な人たちが大勢いる、という噂が広まっていったのは、それからしばらくたった頃であった。その人々は嵐の晩にどこからか忽然と現れたというのである。異変を里へ伝えてきたのは、祝の家に仕えていた下男であった。
「夜遅く、辺りが真っ白になるほど光ったかと思うと、大きな雷が落ちた音が山に響きわたりました。恐ろしい晩でした。翌朝、山から聞きなれない妙な物音や、人の気配がする、と誰かがいうので怪しみ、男たちが様子を見るために山に入ったのです。まず滝に行ってみると、神様の滝は茶色く濁り半分ほどが土で埋まってしまい、流木で塞がれていて近づくこともできませんでした。そこを迂回し何とか山道を進んでいくと、この国では見たこともない人たちが、よくわからない言葉で語り合っていました。その人たちは私たちを見ると、天を指さして何か言いました。自分たちは天から降りてきた、そんなようにもとれる身ぶり、仕草でした。その人たちは磐座のすぐ近くの、落雷してまだ間がない裂けた大木の傍らにいたのです。」
男は言葉を切ってひと息ついた。
「驚きのあまり、皆茫然となりました。天からやって来た神々だろうか、と初めは思いましたが、どう見ても神のようではなく、武装した精悍な顔つきの異族の男たちでした。私どもの中にはおびえて震えが止まらない者もいましたし、これは神様の一族に違いない、と言ってひたすら伏し拝む者もおりました。そっと近寄って見極めようとする者、恐がって逃げようとする者、襲いかかってくるのではと武器で身構える者など、さまざまでしたが、とにかく早く館の祝(はふり)さまに知らせないといけないということで一致し、皆で飛ぶように山道を降りていると、その人たちもついて来るのです。館に着くと、その人たちは当然のように中へ入り、出てきませんでした」
「それで」
「館の中で何が起きているのかはわかりません。それきり祝さまの姿も見かけず、捕らわれているのかもしれません。山の樵(きこり)が来て言うには、峰続きの南側の山にも大勢の見知らぬ男たちがおり、南の方からまだ続いてやって来るようだと。南の山頂の社の神官は従わず抵抗したので殺されたらしいとも。とりあえずこのことを急ぎお知らせに参りました」
大国主の館は騒然となった。緊急に長老格の男たち、集落の男たちが集められ、この事態にどう立ち向かうか話し合うことになった。頼みにする事代主(ことしろぬし)と味鋤高彦(あじすきたかひこ)はそれぞれ河内、近江に赴いていたので、直ちに使いが出されたが、いつここへやって来られるかはわからない。けれどもその話し合いの場にいるはずの、稚彦と下照姫の姿はなかった。
幼い鴨彦の姿が不意に見えなくなったのである。下照姫の指示のもと、女たちが炊き出しのために倉から穀物を出し、火を扱って忙しく立ち働いているさなかであった。ふだんなら佐具女もいるし、乳母か守り役の若い女のどちらかが鴨彦についているのだが、そのときにかぎってほんの少しの間目を離してしまったらしい。
足を滑らせて増水した川に落ちたのではないか、と案じて下照姫は乳母たちとともにおろおろし、竈(かまど)のことは人に任せて稚彦と手分けし、子の名前を呼びながら周辺を捜し回っていた。佐具女も女たちと必死で草を掻き分け、物陰を覗き込み、濁った流れの中に浮き沈みするものに目を凝らした。
右往左往する人たちの姿を見降ろしながら、烏が頭上でしきりに鳴き始めた。不吉な鳴き声である。佐具女は顔を上げると、じっと聞き入った。
(捜している子はそこにはいない。下の岸辺の草の中で死んでいる)
烏はそう言っていた。
「こちらのようです」
佐具女は稚彦に知らせると言葉少なく道を急いだ。烏の告げたとおり、水に浸かって靡く草に絡まるように、岸辺で倒れている鴨彦の姿が見えた。ぐったりして呼びかけても返事はない。稚彦が抱き上げると息はなく、体はもう冷たくなっていた。
夜半に静寂を破るように雉(きぎし)の声が響いていた。その声を聞くと佐具女は外へ出てゆき、戻って来ると稚彦にそっと伝えた。
「杜の泉の斎(ゆ)つ桂の木の所まで、いらしてください。稚彦さまに直接申し上げることがあると男(を)の雉が言っています。それと今日の雉は一人ではないようです」
稚彦は少し考え、いつも佩(は)いている剣のほかに弓矢も携えることにした。
「弓矢の方は私がお持ちします」
佐具女は少し遅れて、目立たないようについていった。淡い月の光が夜の杜の路を照らし出している。桂の木は香(かつら)と呼ばれ、その幹は密生して空高く伸び、黒い塊となって水辺の静かな杜に生い茂っていた。枝葉は風に揺れかすかな香りを放っている。その香気ゆえに桂は神霊の木とされ、水を好むので水辺の社や家の門、井戸の近くなどによく植えられる。杜の桂の木の傍らにゆくと、生い茂った葉に身を隠すようにして木の枝に坐っていたのは初めて見る女(め)の雉であった。女は近づいてくる稚彦をじっと見ていた。
「鳴女(なきめ)と申します。天津神のお言葉を伝えに参りました」
稚彦が桂の木を仰ぎ見ると、鳴女は一礼し目を閉じたまま語り始めた。風が梢の葉を揺らしつつ通りぬけてゆく。夜の静寂の中、どこかの枝で木菟(つく)が鳴いていた。
「天稚彦、なぜ長く復命しなかったか」
最初に発せられたその声を聞いたとき、稚彦と佐具女はさっと緊張した。姿かたちは確かに女であるが、その野太い声は、久しく聞かないが紛れもなく天津神のものであったからだ。鳴女は桂の木の上から、天津神の声音でもって重々しく告げた。
「稚彦、お前は味鋤高彦としばしば山へ狩に出かけていた。狩に見せかけて、授かった天の弓矢で味鋤高彦を射ようとなぜ思わなかったのか。大国主の娘を娶ったのはよいが、なぜその娘を通し、大国主に国を譲るよう持ちかけないのか。このまま自分の子を、鴨の王にするつもりだったのか。けれどもその子はすでに亡き者となった。白雲の峰に天津神の軍は降り立ち、里に降りる命令を待っている。稚彦、直ちに大国主をくだき伏せて、従わないのなら大国主と鴨の一族を討って復命し、軍と合流せよ」
沈黙の後、稚彦の厳しい声が響いた。
「鴨彦が死んだのを、どうして知っているのだ」
鴨彦の死は、身内のものは知っていたが、外にはまだ伏せてあったのだ。鳴女はふと我に返って目を開けると、身じろぎもせず稚彦を凝視した。月の光を浴びてその顔は青白く冴えて見える。鳴女は答えるのをためらっていたが、神聖な桂の木の発する力の前では嘘は言えない。事実が明るみに出るゆえに、この木は神霊の木と呼ばれるのだ。ついに隠しきれず鳴女は言った。
「私が隙をみて子どもを連れ出し、流れに落としたのです。ご命令により」
それを聞くと、稚彦の表情に激しい怒りが走った。佐具女も見たことがないような強い憤りであった。
弓を、と稚彦に命じられるよりも早く、佐具女は稚彦の心を感じとって走り寄り、弓矢を差し出していた。怒りの感情は佐具女も同じであった。稚彦は天の羽羽矢をつがえると、危険を感じ樹上から逃れようとしていた鳴女に向かって矢を放った。矢は鳴女に命中し、樹から草の上に倒れ落ちた鳴女を救うため、別の雉が黒い影のように現れた。その動きは素早く、二本目の矢を射かけようとしていた稚彦が顔を上げたとき、杜にはもうどこにも人影はなかった。
館に戻ると下照姫が青ざめた顔で待っていた。もうすべてを打ち明けるときが来ていた。稚彦は決意して、自分がこの国に降ろされたこれまでの経緯を語り、もし天津神の軍がここへ押し寄せるようなことがあれば、自分は国津神として天津神の軍と戦う、と告げた。重い沈黙が流れた後、下照姫は口を開いた。
「天津神の軍は、鴨族の支配する大和川を避けて、密かに茅渟(ちぬ)の海を下り、鴨族の集落が少ない紀の川の河口から入って遡り、上陸すると北上して一気に南の山の頂に上ったようです。船はまだ引き続き来ています。兵士は私たちよりもすぐれた武器で装備をし、おびただしい数だそうです。戦ってもとても勝ち目がないと、見てきた者は言っています。長老たちの話し合いでは、この地を守ってどこまでも戦うという意見と、相手の出方をみようという意見とに分かれました。父は、もし戦になれば多くの鴨の民が傷つき死ぬことを憂え、民の命を救うためなら自分が捕らわれてこの地から去ると言っています。もし自分が死ぬことで済むのなら、それも厭わないと」
再び沈黙が流れる。
「本当に済まなかった。長く欺いていたことを、どうか許してほしい」
稚彦は深く頭を下げた。
「いいえ。心のどこかでそれを感じておりました。重い任務を帯びてこの国に来られたのでしょうが、それもごく最初のうちのこと。じきにそのような考えを捨てて、兄や私と向き合い心から親しんでくださいました。私たちのために懸命に働き、喜びや悲しみをともにしてくださる気持ちを疑ったことはありません」
「稚彦さまの伯母と偽り、そのように振る舞っていたことをどうぞお許しください。私はただの侍婢(まかたち)でございます」
佐具女が伏して詫びると、下照姫は頷いた。
「そのこともうすうすわかっておりました。どことなく遠慮がちにされておられて……。もうお気になさらないで」
夜は更けていた。明日の朝、大国主に話をすることにし、下照姫と佐具女は鴨彦の遺骸の側に付き添い、稚彦は別室へ行ってやすんだ。
佐具女は疲労のあまり身体を柱にもたせかけていた。下照姫は冷たくなった鴨彦の小さな手を握り、撫でさすって涙を流し続けている。佐具女はそれを見るのが辛かった。目を瞑っていると、脳裏に幻のようにきれぎれに浮かんでくる情景があった。やがてそれはひと続きの場面となって展開されていった。
……暗い山道を男の雉が息をはずませ、矢を受けた女の雉を背負って上っていく。険しい杣道なので歩きづらく難渋しているようである。やがてもう背負い続けることができなくなったのか、雉は女の雉を地面に降ろすと、励ますように何度も話しかけた。けれども女は動かない。矢は背に深く刺さっており、すでに絶命しているようであった。男は悔しそうに吐息をつくと、力を込めて背から矢を引き抜いた。そして女をそこに残したまま、山道を急ぎ足で上っていった。
男の雉は天津神のもとに着くと矢を差し出し、この夜、杜で起きたことを説明した。
「もはや稚彦が背いたことは明らかです」
雉は憎しみの籠もる目でそう言い募った。
天津神がその矢を手にとって灯りのもとで確かめると、矢は血で濡れていた。
「この矢は、私が天稚彦に与えたものに違いない」
ほかの神々もその矢を見て頷き、稚彦の心変わりが俄かに疑われだした。
「あの稚彦が、裏切るはずはない。もしかすれば国津神の軍と争い、その戦のさなかに射た矢なのではないか」
稚彦を擁護してそう叫んだのは、稚彦の父親であった。
天津神は首をかしげ、しばらく考えを巡らせていたが、やがてその矢を手にし、呪(じゅ)をかけて言った。
「稚彦が天の命令に従い、国津神と戦って射た矢であるのなら、稚彦に中(あた)ることなかれ。もし邪(よこしま)な心であるのなら、稚彦はこの返し矢で、死ね」
激しい言葉に、その場に居合わせた神々は皆息を呑んだ。
「雉、どうするか。お前がもう一度降りるか」
天津神の言葉に、男の雉は平伏した。
「参ります」
天津神は血に染まった矢を、男の雉に向かって衝(つ)き返した。雉はそれを両手で押しいただくと、飛ぶように山道を下っていった。かけられた呪力によって、矢は来たときと同じ道を下ってゆくのである。目に見えない力にたぐり寄せられるようにして、矢は自分が記憶する矢の路を、寸分の狂いもなく戻ってゆくのであった。
雉は、血を流したまま横たわっている鳴女の横を通り過ぎ、険しい杣道を走り降り、山麓を早駈けした。杜の斎(ゆ)つ桂の木まで戻ってくると、矢はその持ち主である稚彦のいる館の前まで男の雉を連れていった。誰にも見られずに門を入った雉は、稚彦が朝床で仰向けに眠っている部屋まで迷うことなく導かれていった。
弓の使い手である稚彦は胸が厚く、寝ていても盛り上って見える。雉は息を殺して少しの間その様子を見守っていたが、室内にあった稚彦の天の鹿児弓に気がつくと、そっと取り上げてつがえた。そのとき侵入者のただならぬ気配を感じたのであろうか、稚彦が目を覚ました。稚彦がはっと身を起こしたその瞬間、雉の手から鋭い音を立てて矢が射かけられた……。
佐具女は異変を感じて目を明けた。下照姫も不安そうに顔を上げ、耳を澄ませている。
「何でしょう」
「あちらで物音が」
二人は急ぎ足で稚彦のいる所へ向かった。
「稚彦さま、どうされました」
代わる代わる呼びかけるが返事はない。入ってゆくと、稚彦は今しがた矢を受けたらしく室内で仰向けに倒れていた。驚いて駆け寄って見ると、胸に矢が深く刺さり、すでに息はなかった。
村の若者たちが、長老の制止をきかず、武装して山を上っていった。白雲の峰に降りた天津神の軍を殲滅(せんめつ)するつもりだったのだが、逆に待ち構えていた天津軍によってさんざんに打ち破られ切り散(はふ)られて、若者は一人も帰らなかった。勢いに乗じた天津神の軍は、里の混乱を知ると一気に山を駈け降りて大国主の館を急襲し、たちまち圧(お)し鎮めてしまった。
取り囲まれた大国主は、すでに覚悟を決めていたらしく抵抗する様子も見せず、国譲りと退去の諾否について訊かれると、承諾した。大国主は戦によって多くの民が傷つき死ぬことをひたすら憂えたのである。大国主の必死の嘆願もあって、このときは下照姫は捕捉を免れた。子を亡くした上に天津神の夫を殺されて悲しみに沈み、憔悴して喪に服している国津神の娘は、もう無力だとみなされたのであろう。
天津神は国譲りに際して、大国主を引見すると、自分の娘の一人である三穂津姫(みほつひめ)を大国主の妻として与えることにした。戦を回避できた国譲りの功に対して報いるためと、一方では大国主の心を試そうとする気持ちからであった。
「お前がもし国津神の女を妻とするなら、お前はまだ私に心を許さず二心があると考える。それで今わが娘の三穂津姫を娶(め)あわせて妻とさせたいと思うが、どうか」
大国主はこの申し出を謹んで受け入れた。そしてさらに天津神の意に従い、自分の和魂(にぎたま)を鏡に託(つ)けて三輪山に鎮め置き、同様に味鋤高彦の魂を葛城に、事代主の魂を宇奈提(うなて)に、下照姫の魂を飛鳥の、それぞれの神奈備に留め置いて、天津神とその子孫の守り神となすことを誓った上で、この地から退くことを承諾した。
捕らわれの身になった大国主は、兵に伴われて軍船で紀の川を下ってゆき、西摂の港へとひとまず移されることになった。その後は丹波(たには)の山間部へと送られて、そこで監視下に置かれるという。
大国主は妻となった三穂津姫とともに丹波の御蔭(みかげ)山山麓に退くと、その消息はそれきり途絶えていった。丹波で亡くなったとも噂され、またその身柄は出雲に送られたともいわれ、出雲の大己貴(おおなむち)と同様、大和葛城の大国主も秘密裡に出雲の地で死を賜ったか、または自ら命を絶ったとされるが、詳細はわからない。どちらにしても敗者である中津国の大国主が生き延びられる道は閉ざされていた。
大国主は多くの地域を治めていたため、その霊の力は畏れられ、各地で丁寧に祀り鎮められた。所縁のあった丹波の御蔭山の磐座でも祭祀されていたが、その後、丹波から出雲へと遷座、霊を鎮めるために棟木を高く上げ、立派な柱を用いた壮大な社が出雲に建てられ、手厚く祀られていった。ちなみに大国主というのはこの世に在るときの称え名であり、国譲りの後の名、幽界での名は大物主(おおものぬし)と称された。それは幽界での神事、幽事(かくりごと)を司り、幽界を治め領(うしは)く王としての称え名であった。
大和葛城では大国主に忠誠を誓い、最後まで抵抗して戦おうとして武器を手にしていた集落の男たちが集められると、家族との別れを惜しむ間もなく引き離され、船に乗せられて次々に移送されていった。行き先は播磨とも、出雲とも、またほかの地ともいわれたが定かではなかった。新たに土地を拓き、田を墾(は)るため使役させられるということだった。
天津軍に逆らった男たちが連れ去られていくと、それを目の当たりにした村の女たちは恐れおののき、できるだけ早く村から離れようとする者もいた。夫や父や兄弟を失い、もはや泣いている余裕も悲しんでいる暇もなかった。女たちのある者は幼な児を背負い、年寄りの手を引き、赤子を抱え病人を励まし、僅かな身の回りのものだけを持って、葛城川の中流域や川下にある縁戚や知り合いを頼って逃れ落ちていった。
反抗せず天津軍に従った者、恭順の意を示した者、寄る辺ない多くの女たちは子や弟妹、老人、病人らとともに残り、不安な面持ちで日を過ごすのだった。
水源の近くや上流域にあって昨日まで人が住んでいた住まいは見捨てられ、空き家になって風が通りぬけていった。人がいなくなった家に、それからまもなく天津神を奉じる人々、その一族、天津軍に率いられて出雲かあるいはどこか別の地から移されてきた見慣れぬ民がやって来て住み始めた。天津神による新たな支配が始まっていくのである。
葛城の大国主は鴨族によるこの地の支配を、こうして天津神の手に譲り渡したのであった。以後天孫系の一族が葛城のこの水源の地を領してゆく。残った鴨族はそのままとどまった者も多かったが、接触を避けるようにして上流を離れ、あるいは追われるようにして中流から下流域へ、また別の地域へと移り住んでいく者も少なくなかった。
高木の神「……もし邪(きたな)き心あらば、天若日子この矢にまがれ」とのりたまひて、その矢を取らしてその矢の穴より衝(つ)き返し下したまひしかば、天若日子が、朝床に寝たる高胸坂(たかむなさか)に中(あた)りて死にき。(古事記)
此(これ)、世人(よのひと)の所謂(いはゆ)る、返矢(かへし)矢畏るべしといふ縁(ことのもと)なり。(日本書紀)
「汝(いまし)若(も)し国神を以て妻とせば、吾猶(なほ)汝を疎(うと)き心有りと謂(おも)はむ。故(かれ)、今吾が女(むすめ)三穂津姫を以て、汝に配(あは)せて妻とせむ」(日本書紀)
4
天若日子が妻(め)下照る比売(ひめ)の哭(な)く声、風のむた響きて天に到りき。(古事記)
村はずれの山麓の寂しい荒地に喪屋が建てられ、殯(もがり)が行われた。喪屋の内部は暗く冷えていて、その暗さは底知れない闇の世界へと続いているようだった。台石の上には木を刳りぬいて造った細長い舟形の棺が安置されている。灯し火はひとつ、貝の皿に乾いた苔を置いて灯心としたものに、魚油が注がれ静かに燃えていた。揺れる炎に横たわる死者の姿がぼうっと浮かび上っている。今は喪屋の主となって、もの言わぬ姿で横たわる稚彦(わかひこ)の黒ずんだ顔が、凄味を帯びて照らし出されていた。傍らには壇が設けられ、死者には生きているときと同じように飲み物と食べ物が供えられた。稚彦の蘇りを願って神歌が歌われ、魂を呼び戻す祈りの舞いが舞われ、下照姫(したてるひめ)が泣き叫びながら繰り返し名を喚(よ)んだ。下照姫の悲しみは深く、その泣き声は遠くまで流れてゆき、やがて稚彦の父親の夢の中にまで届いていった。
天津神から息子が死に至った顛末を聞かされると、稚彦の父親は家族を伴い、ひっそりと山を降りて、この葬儀の場に連なっていた。天津神の意向次第では稚彦の一族に対し科(とが)がおよぶ場合も考えられ、身内から裏切り者を出してしまった一族は、天津神、諸神らの冷ややかな視線の中で居場所を失い、いわば追放に近いかたちで山を降りてきたのだった。もう戻れないことはわかっているようだった。稚彦の不名誉な死はこの一族の行く手に暗い影を落としていた。
稚彦を悼んで集(つど)った人々は、霊の蘇りを願って酒食を用意し、宴を催した。それはできるだけ賑やかに行われなければならなかった。人々は何度も手を打ち鳴らしつつ夷振(ひなぶり)を歌い、交互に立ち上がって舞った。
天離(あまざか)る 夷(ひな)つ女(め)の い渡らす迫門(せと)
石川片淵(いしかはかたふち)
片淵に 網(あみ)張り渡し 目ろ寄しに 寄し寄り来ね 石川片淵
(夷つ女が瀬戸を渡って魚をとる。石川の片淵よ。その淵に網を張り渡し、網の目を引き寄せるように、寄っておいで 石川の片淵よ)
歌舞は黄泉の国へと向かいつつある死者の魂を反転させ、再び宴の賑わいのその中に迎え入れようとする呪術であった。魔よけのために何度も遺骸の上で土鈴が振られ、その乾いた音色が薄暗い喪屋に響いていった。
八日八夜にわたってさまざまな呪術と祭儀が続けられた。稚彦を思う人たちは霊が戻ることを待ち続けたが、その願いは空しく、稚彦の魂は日ごとにこの世から遠ざかってゆき、誰の目にもその死は明らかなものになっていった。
夜更けに稚彦の葬儀が行われた。川鳫(かはかり)に扮した男が松明を挙げて、辺りを照らしている。持傾頭者(きさりもち)であった。炎が風で揺らめくたびに火の粉が舞い、男は頭を左右に傾けて煙をよけるのであった。次に鷺(さぎ)に扮した持帚者(ははきもち)が、散らばっているかもしれない死者の魂を、鷺(さぎ)の羽でつくった羽箒(はねぼうき)で空中を掻いて集め丸くし、柩に納め入れる役をした。舂女(つきめ)は、雀に扮した女が務め、儀式の米を杵でついた。そして翠(そに)鳥に扮した御食人(みけびと)が、食物をつくって供する役を務めた。その次は尸者(ものまさ)で、そび鳥に扮した男が死者の代りに立って祭祀を受けるのであった。哭女(なきめ)は高音で囀る鷦鷯(さざき)に扮した女が務め、死者を悼んで哭泣した。次に鳶(とび)に扮した造綿者(わたつくり)が死者の衣類を調(ととの)え、最後は烏に扮した男が遺骸を土にうずめるのであった。
人がそれぞれの役に応じて鳥の扮装をし、羽を髪に挿し、あるいは腰に挟み、手に持つなどして身に帯びるのは、そうすることによって鳥の持つ霊力が身に付与されると考えられたからである。鷺の羽は純白の白、翠鳥(かわせみ)は青、そび鳥(赤しょうびん)は赤、鷦鷯(みそさざい)は茶、烏はぬば玉の黒……鳥の羽のさまざまな色は人が動くたび火影に照らされ揺らめいた。大空を高く翔る鳥は、人と神の間をつなぎ、人の願いを神に届け、また死者の魂を高みへと運んでゆくと信じられていた。
死者に化(な)って、祭祀を受けて立ち続ける尸者(ものまさ)の役は、稚彦と親しかった味鋤高彦(あじすきたかひこ)が務めた。この日、近江から着いたばかりの味鋤高彦は、つき合いが深かった稚彦の死を知ると驚き悲しみ、喪屋を訪れて式に参列していた。
味鋤高彦は生前の稚彦が愛用していた衣を肩にかけ、死者の形代(かたしろ)として、次々に捧げられるものを霊の代りに受けていた。その衣は、稚彦が小舟ではじめて葦原中津国に着いたときに身につけていたものであった。
水と、米粉を練って笹の葉に包んだ卵形のしとぎ餅が供えられた。これは人がお下がりとして頂く場合は甑(こしき)で蒸し上げることもあるが、神霊に供えるときは生の餅のままというのがしきたりである。次に黒黍(くろきび)でつくった酒に鬱金草(うこんそう)を煮て浸した香酒が献じられると、黄色味を帯びたとろみのある濃い酒からは新生姜に似た芳香が立ちのぼった。味鋤高彦はそれを口にすると、少しずつ表情が変わっていった。これは祭祀で神霊を降ろすときに用いられる特別な酒なので、尸者の身体を借りて霊が誘い出されてきたのである。味鋤高彦はしばらく上体を泳がせるようにして揺れていたが、やがて朦朧となっていった。霊が身に降りてきたのである。憑依状態はいっそう深まり、味鋤高彦は目を瞑ったまま稚彦そっくりの声音と口調で何かを語り始めた。それは味鋤高彦が知らないはずの天津国の言葉であった。
それを聞くなり、参列していた稚彦の父母、弟や妹たちらが駈け寄ってきた。天津国の親族は、今や人目も構わず味鋤高彦の手や足にすがって泣き出したのである。
「息子は生き返った」
「稚彦さまは、亡くなられたのではなかった」
「兄さまは生きておられた」
父親はじめ家族はそう言いながら、涙を流し味鋤高彦に取りついて側から離れなかった。その内容はわからなくとも、稚彦が天津国の家族に対して優しい言葉をかけたのは、参列者にも推測できた。下照姫は無言でその情景を見つめていた。
やがて思うことを語り終えたのか、すっと霊が離れていく気配がした。気づいた佐具女は顔を上げてじっと耳を澄ませた。今度は味鋤高彦に向かって呼びかける稚彦の声をはっきり聞いたからである。
「味鋤高彦(あじすきたかひこ)、逃げろ。ここから早く逃げろ。事代主(ことしろぬし)は河内ですでに天津軍によって捕らえられた」
稚彦の霊は、今度は味鋤高彦に向かって繰り返しそう警告していた。ここにとどまっていれば、天津神の軍に捕らえられることを案じ、友人に迫っている危険を教えていたのである。けれども味鋤高彦にも、ほかの人たちにもその声は聞こえてはいないようだった。
佐具女は、親族にしがみつかれている味鋤高彦にそっと歩み寄ると、今しがた聞いたばかりの稚彦の言葉を告げた。けれども強い酒のために顔が赤らんだまま朦朧となっている味鋤高彦には、何も聞こえないらしい。また仮に聞こえたとしても、このような強い酒と憑霊の後ではすぐには覚醒できないだろう。
佐具女は稚彦の言葉を繰り返し耳元で告げて、味鋤高彦が覚めるのを待った。漸く稚彦の思いが伝わったのか、正気に戻ったらしく警告が耳に届いた味鋤高彦は身の危険を悟ったようで、いつもの自分の表情に返ると目を大きく見開いて周囲を見回した。その目からはすでに憑霊による恍惚の光は去っていた。
「ひとまず近江に逃れよう。来たい者はついて来るように」
即断した味鋤高彦の言葉に佐具女は頷くと、その場から下(さが)った。
「私を死人と見間違えるのか」
葬儀の場に味鋤高彦の大声が突如響きわたった。怒ってそう叫んだ声は、稚彦ではなく味鋤高彦の声であった。
「稚彦を友と思えばこそ、弔いに訪れたのだ。私は稚彦ではない」
それを聞くと父親ら家族はすっかり落胆した様子になり、取りすがっていた手を緩め、あるいは放してうなだれた。
味鋤高彦は、喪屋に走り寄ると、佩いていた長い剣を抜き、勢いよく振るい始めた。鋭い剣の音が夜気を震わせてゆく。一刀ごとに蔓で結わえた紐が切れ、柱が揺らいで倒れ、草で葺いた屋根が落ちていった。皆止めようもなく、見守るばかりだった。さらに残っていた枠組みが蹴られ、踏み潰され、小屋が壊されてゆくのを参列者は唖然として見ていた。喪屋はついに味鋤高彦によって倒され、完全に切り伏せられてしまった。
もともと喪屋は簡単に建てておくもので、葬儀の後は、死の穢れを忌んで跡形なく壊してしまう慣わしであるのだから、習俗に反しているわけでもないのだが、急に味鋤高彦が激昂して暴れ出したことに、人々は驚いたのだった。この怒りの発露をどう考えてよいのかわからず、皆呆然としていた。混乱の中、いつの間にか味鋤高彦の姿はそこから消えていた。
「尸者(ものまさ)があんな荒っぽい振る舞いをするのは見たことがない」
「献じられた強い酒のせいだろう」
「あれはやはり稚彦ではないのか。稚彦そっくりの声で話していた」
「霊が蘇ったのだ」
今見たものが誰だったかということについても、感じ方はさまざまであった。火影に揺れる姿は曖昧なものであった。容姿は味鋤高彦であっても、まとっていた衣は稚彦のものであったし、話す声も稚彦だったことから、多くの人がやはり稚彦の面影を濃くそこに見ていた。
「あれは、本当はいったい誰だったのか」
稚彦の父が哀しげに周囲の者に問いかけていた。父親は味鋤高彦のことを知らないのだった。佐具女はそっと下照姫を促した。
下照姫が進み出て夜空を仰いだ。ざわめいていた人々はその姿に霊的なものを感じて静まった。よく通る澄んだ声が流れていった。
天(あめ)なるや 弟織女(おとたなばた)の うながせる
玉の御統(みすまる) あな玉はや み谷二(ふた)渡らす
味鋤高彦根
(天にいらっしゃる 若い機織女が うなじにかけておられる 玉を連ねた首飾り その玉のように美しく輝いて 谷ふたつを照らし大空を渡ってゆかれる 味鋤高彦根でございます)
下照姫は歌い終わった後も哀しげに天空を見つめて佇んでいた。暗い空にはあまたの星がまたたいている。歌を聞いていた人々はその荘重で美しい調べに感じ入り、思わず下照姫に倣(なら)って空を仰ぎ見た。
昴(すばる)星は天の織姫が首にかけた銀の玉のような輝きを発(はな)っていた。天の河は柔らかく白い羅(うすもの)のように空にたなびいて流れている。あたかも天の織姫が織り上げたばかりの布のようであった。天空に大きな枡形をなしている四つの星は暗い夜空にひときわ高く輝いていた。その枡の中ほどには唐鋤(からすき)星が入っている。唐鋤星は、並んだ三つ星と小三つ星の形が鋤に似ているので、そう呼ばれるのである。東の空から上ってきた枡形の星は、ゆっくりと天空を南から西へと移り進んでゆく。枡の左肩でとりわけ赤く輝いている大きな星を、この場から遠ざかりつつある味鋤高彦の姿になぞらえてこの歌は詠まれたのだと、佐具女は感じた。
歌を聞いていた人々は、このことを霊妙な出来事として受けとめた。まるで歌の神が下照姫に降りたかのようであった。星の神々の美しさを称えることに寄せて兄の名を明かし、兄のとった不可解な振る舞いも星の動きになぞらえて歌い上げる、そのような歌は瞬時にしてつくれるものではない。
佐具女が感じたように、人々もまた枡形の左肩で赤く輝く大きな星を味鋤の星とみなしてそう呼び、その対角で白く輝く星を下照の星と呼ぶようになった。清楚に輝く白い光は下照姫にふさわしいように思われたからである。兄妹の星があるなら、ほかの星も家族と見立てたくなる。ちなみに枡の右肩の星を大国主、その対角を事代主とみる人もいたし、右肩を事代主とし、対角を事代主の妹の高姫だという人もいた。天稚彦は味鋤高彦に重なって見えたことから、それゆえあの赤い星は二人分の輝きであのように大きいのだと考える人もいた。鴨の人々はこの後、夜空を仰いではこのときの話を繰り返し、語り継いでゆくのだった。
裏切り者の息子を持ったという汚名を背負い、稚彦を失って打ち沈む稚彦の父親と、悲しむ天津国の稚彦の家族は、悄然としていつまでもその場に佇んでいた。見かねた下照姫は声をかけ、自分の家に受け入れた。天津神の怒りを恐れる彼らにはもう行き場所がないのだった。下照姫はそのいきさつや置かれた立場を理解し、そして付き従う従者や佐具女を伴って密かに葛城の地を離れることを決意していた。それは身の安全のためでもあった。まだ明らかに人目につくほどではなかったが、身ごもっているのだった。下照姫は稚彦の親族にも、自分たちとともに行動することを勧め、一緒にしばらく身を隠すために、鴨の同族のいる近江の縁戚を目指し、日を置かず落ちのびていった。
一足先に喪屋から脱出していった味鋤高彦とは途中で落ち合うはずであった。けれども、味鋤高彦はずっと天津軍に見張られ追跡されていたらしく、まだ葛城を抜けないうちに林の中で追手に囲まれて捕まり、出雲へ移送されたらしい、という知らせがあった。そして河内で捕まったとされる弟の事代主もまた同様に出雲へ送られたらしい、という噂も後に伝わってきた。
不安なことが続く旅であったが、下照姫の一行は何とか近江の日枝の庄に至って安堵の息をついた。近江には味鋤高彦の妻の御梶姫(みかじひめ)と長男でまだ幼い息子が味鋤高彦の帰りを待っていたのだった。そこに次々にもたらされる報せは気がかりなものばかりであったが、一同はしばらく身をひそめるようにして暮らした。何事もなく月日が過ぎていくかとも思われたが、やがて追手の影はそこにも見え隠れするようになって、葛城から逃れてきた人たちの心を日夜不安に陥れた。近江も安心して住める地ではなくなったのである。
下照姫は近江を離れることを決意し、皆と相談して美濃の垂井の地にある縁戚を目指すことになった。鴨の同族は各地に枝分かれしているが、その根をたどれば銅鐸を祀るという同じ信仰で結ばれた一族であり、近江を逃れて一時的に身を寄せ、頼れる所として思い浮かんだのは、美濃にある縁戚であった。
伊吹山が遠望できる垂井には強い風が吹く風の道があり、伊吹颪(おろし)と呼ばれていた。ここには鴨族の一族の鍛人(かぬち)、工人が集落を営み、農具の鋤、鍬、武器をつくって暮らしていた。材料となる鉄(まがね)の塊は海外(わたのほか)からもたらされたものを使うのだが、それだけでは足りないことから山中から鉄を含む堅石(かたしは)を採取し、炉を用いて道具類に加工していたのである。
近江を経て逃れてきた葛城の鴨族の人々と稚彦の父の一族は、無事に美濃に辿り着いて垂井の縁戚に迎え入れられ、そこに落ち着くことができた。佐具女は稚彦の父側の要望や思いを下照姫や垂井の縁戚にたびたび取次いで、両者の意思の疎通をはかっていった。稚彦の父は自分たちをここまで連れてきてくれた下照姫に信頼を寄せていたし、一族の女たちも下照姫と打ちとけて親しく口をきくようになっていた。大切な稚彦を失ったという共通の悲しみが、立場の違う両者の心を結びつけていたのである。
垂井は身を隠すにはふさわしい地かと思われたのだが、けれどもそこもやはり流離を余儀なくされた人たちにとって、安全な地ではなくなっていった。近江のときと同じようにいつとはなしに間諜とおぼしき人物がうろつき始め、見慣れない男たちの姿がしばしば目撃されるようになったと聞かされると、下照姫はいつまでもとどまらず、垂井を出てさらに美濃の奥の方へと入ってゆくことを思案するのだった。
藍見川を遡った川上にある山村へ移っていったのは、味鋤高彦の妻の御梶姫とその息子、下照姫、従者たち、それと佐具女であった。佐具女は、本来なら稚彦の一族のもとに戻り、付き従うのが筋であったが、稚彦が亡くなった後は、稚彦に代わって下照姫に仕え、その命を守ることこそが自分の務めである、と心に決めていたので、双方にそのように申し出て、同意を得ていた。稚彦の父はすでに高齢に達していたので、さらに山中へと入ることになるかもしれない困難な旅をためらい、稚彦の一族は垂井にこのまま住むことを縁戚に望んで受け入れられた。それで稚彦に属する人たちは垂井にとどまり、一方下照姫や味鋤高彦に繋がる人々は垂井を出て藍見川に達し、そのまま川筋を遡っていったのである。
下照姫の一行が垂井から去った後、垂井から間諜の姿は少しずつ消えていった。天津神は一行への追跡の手を緩めず、行き先の探索と監視はずっと続けられていたようである。けれども佐具女の当面の気がかりは女たち、とりわけ下照姫の体調にあった。下照姫は稚彦の子を身ごもり、月が進んでいたからである。人に気づかれないように衣服に気を配り隠してはいたが、産み月は確実に近づいており、生まれた子が男子であれば、鴨彦のときのように再び命を狙われる心配があった。加えて御梶姫からも、どうも味鋤高彦の子を身ごもっているらしいことをそっと打ち明けられると、佐具女の心配事はさらに増えた。
やがて下照姫の産み月が迫り、生まれた子は女子であったので佐具女はひとまず安心した。どこか稚彦の面影を宿した子は美井姫(みいひめ)と名づけられたが、その誕生は極力伏せられた。赤子のことはなるべく外へ漏れないようにし、そういう噂が流れても否定するよう、佐具女は皆に言い含めておいた。
ある日、垂井の縁戚から密かに使者が訪れた。それによると、
「天津神の軍が垂井近辺に終結し、妙な動きがあるので、近いうちに藍見を攻めるかもしれない」
というのである。天稚彦の霊がまるで味鋤高彦に乗り移ったかのように、突如剣を振るって喪屋を切り伏せたという出来事は、ある怖れをもって天津神々の間で語られていた。
「稚彦はいまだ死んではおらず、その霊はもしかすれば味鋤高彦に懸かったように、今は下照姫に憑いているのではないか」
そういう話が広まっているということであった。下照姫が巧みに追手をかわして皆で身を隠していくその手際の良さ、的確で迅速な行動が、憑いた霊がその人と同化し思いがけない力を発揮しているように見えるらしかった。そういう例はこれまでにもしばしばみられることであった。殺された者の霊の蘇りは強い怨みを抱いているため、天津神の側からみれば放置できず、脅威として捉えられていたのである。もし稚彦かどうか見分けがたくなっているというのであれば、この際、早急に討つべし、という強硬意見が出てきた所以であった。
垂井の縁戚は下照姫らのことを案じており、一同が藍見からさらに逃れゆく先として信濃、または伊豆など同族の住まう地を候補として挙げていた。また稚彦の父から、
「できることなら、稚彦の子を使者に託してはもらえまいか」
という伝言も持ってきていた。その申し出は、
「稚彦の忘れ形見である美井姫を預かり、危険に晒さぬよう一族で大切に守り養育することを約束するので、安心して渡してほしい」
というものだった。このところ天津神の勢力は拡大しつつありその領有の地も増えてきており、たとえ美濃の奥地であっても決して安心はできないことを、垂井の縁戚は強く危惧していた。
下照姫はそれを聞いてどうしようかと悩み続けたが、結局決断して使者にわが子を託すことにした。母親として、子が生き延びられる可能性がより高い方を選んだのである。天津神の軍勢が近づきつつあるという噂はここでも囁かれており、この地が戦に巻き込まれる日は近いとも思われた。
出立の朝、乳母に抱かれた赤子は、母親との別れも知らずよく眠っており、館を出たときも目を覚まさなかった。下照姫は辛くてそれ以上はもう見送ることができず、乳母は使者とともに夜明け前にひそかに旅立っていった。佐具女は下照姫の代りに出立を見届けようとし、村を出て遠ざかり小さくなって視界から消えるまで見守り、旅の安全を祈った。
館への帰り道、佐具女は林の中の泉まで来ると歩みを止めた。喉が渇いていたので渇きを潤そうと思ったのである。身を屈め水面を覗き込んだとき、何気なく顔を映し見ようとしたのだが、そこには顔は映っておらず、ただ背後の木々だけが揺れていた。佐具女はぼんやりと水面を見ていた。顔が映らないのは凶兆であり、自分に確実に死が近づいていることを佐具女は感じたが、そのことは誰にも話さず心の中にしまった。言えばそれがすぐにも現実になりそうに思えたからである。そしてその日は思いのほか早くやってきた。
天津神の軍が侵攻してきたのである。兵士は川筋を伝い山麓の集落にあった館を取り囲みつつあった。この日を予想して下照姫は棘のついた茨を根ごと引いてきて絡み合わせたものを、館の周囲に幾重にも巡らせていた。少しでも敵の侵入を遅らせ阻もうとしたのである。下照姫は決断し、館にいる女たちに向かって言った。
「今すぐ館を出て、山中へ逃れましょう」
仮に信濃か伊豆を目ざすとしても、今はさらに深く山へ入り身を隠すしかない。それは険しい山中へ充分な食糧もなく分け入ることを意味していた。生き延びられるかどうかわからず、女たちの足では遠方へ逃れ去ることも難しいかもしれない。それでもここで捕まったり討たれるよりは、と思い、佐具女も女たちを手伝ってともに脱出する身支度を整えた。佐具女は二人の女たちの体調が気がかりであった。産後でまだ充分に回復していない下照姫も、幼児を連れている上、身重である御梶姫も、その身体で未知の山道を歩けるかどうか心配でならなかったが、ここにとどまっている方がより危険であった。
館では従者の男たちが、弓矢で必死に戦って敵を防いでいた。その間に下照姫、御梶姫らは、佐具女や従者に守られて館の裏から逃れ出ると、山深い杣道へと入っていった。
最後尾にいた佐具女は、ふと影のように後をつけてくる人影に気づいた。一行に先へ行くようにと告げると、ひとり木陰に立ち止まって残り、その人影を待った。追ってきたのは男の雉(きぎし)だった。
「佐具女か」
何度か聞いたことのある声だった。佐具女は初めて正面からこの男の顔を見た。痩せて背が高くどこか暗い目をしている。
「探しているのは、私ですか」
「そうだ。ずっとお前の行方を追っていた」
佐具女は男の心を見つめた。激しい怒りがそこに渦巻いていて、佐具女への憎しみと殺意が感じられた。雉の鳴女(なきめ)を殺されたことを今も恨み続けているのだ。稚彦を射殺した男の雉は、それだけでは足りず、佐具女の命も奪おうと感情をたぎらせていた。
「今さら私を殺しても、どうにもならないでしょうに。鳴女は戻らない」
館の辺りから風に乗って潮騒のように兵の雄叫びが聞こえてきた。兵は茨を越えて中へなだれ込んだのであろう。内部では壮絶な闘いが繰り広げられているに違いない。下照姫や御梶姫の一行が少しでもこの場から遠ざかれるように、と願いながら佐具女は男と対峙した。
「鳴女は、稚彦さまの大切なお子を水に落として殺(あや)めたのです。矢で射られても仕方のないことです」
「稚彦はあのとき弓矢を持っていなかった。走り出てきて稚彦に弓矢を渡し、鳴女を射落とすようにと勧めたのは佐具女、お前だ」
「鳴女は、あなたの妻でしたか」
「そうだ。噂どおり色んなことがわかるのだな。鳴女はおれの女だった」
佐具女はじっと男を見据えた。
「でも、鳴女は心の中でずっと以前から、密かに稚彦さまを慕っていた」
さっと男の顔色が変わった。本当のことを言い当てられたとき、人はこんな風に激怒する。
「鳴女は、どちらかというとおとなしい気質の女でした。それなのにいくら命令とはいえ稚彦さまのお子を川に突き落とすことができたのは、下照姫さまへの嫉妬からです。心に屈折した思いを秘め、強い妬みの感情があったからこそ、そんな恐ろしいこともできたのでしょう」
佐具女は鳴女の気持ちがわかるような気がした。おそらく鳴女はまだ少女の頃に、どこかで稚彦と言葉を交わす機会があったのだろう。でも稚彦をいくら想ったとしても、身分が違うゆえに、それ以上近づくことも親しくなることも叶わなかったのだ。稚彦は偉丈夫だったが、外観に似合わずその心は優しかったので、女たちの憧れの的であった。
男は無言で剣を抜くと、本気で佐具女に迫ってきた。樹林(はやし)の中で佐具女は木の幹から幹へと身をかわしつつ逃げた。やがて息がはずみ足ももつれてきて、佐具女はもうそれ以上は走り続けられなくなった。追いついた男の剣が目の前で一瞬きらめいたかと思うと、防ぐ間もなく鋭い痛みが脇腹に走り、佐具女はその場にくずおれた。
深い刺し傷を受けていた。痛みに堪えながら、このままここで死んでゆくのだ、と感じた。そのことに悲しみはなかった。稚彦が殺されたときから、すでに死への覚悟は持っている。下照姫や御梶姫たちは遠くまで逃げられただろうか。何とかしてどこかで生き延びていってほしい、と佐具女は死に臨んで願うのだった。
女たちは天津軍に捕らわれたとしても、命までは取られず、下照姫も御梶姫らも出雲に連れてゆかれた後、どこか辺境の地に流されて、そこで生きてゆくことを許されるだろう、と感じた。でも味鋤高彦や事代主は、おそらく生き延びることは許されない。
味鋤高彦の身が案じられた。葛城で捕らわれて出雲へと送られ、しばらくの間はどこかに留め置かれるであろう。その後、出雲の地をうねりつつ流れゆく川辺の岸近い草地で密かに殺され、塚に埋葬される味鋤高彦の姿が、幻のように浮かんできて佐具女は戦慄した。
次いで、海上で周囲を取り囲まれ、船上で呪いの逆手を柏(う)ちつつ、その乗る舟を棺とし、冷たい出雲の海潮(うしお)に沈められていく事代主の哀しい葬送の情景も浮かび上り、そして消えていった。
下照姫は捕らわれて後、出雲から伯耆へと流されるかもしれない、と佐具女は心に感じるのだった。小舟に乗せられ風のまにまに海路をたどり、従者とともに漂着した陸に上がり、見知らぬ地の青い湖のほとりの山の中ほどに住居を定め、土地の素朴な人々と馴染み親しまれながらも、折々は山の頂に佇んで失った家族を思いつつ、寂しげに海を眺め彼方を見つめる下照姫の姿が浮かんできて、佐具女はその儚い幻を見つめた。
御梶姫はどうだろう。幼い子を抱えて出雲の辺地に置かれ、心細い日々を過ごす御梶姫は、消息の知れない夫を案じるうちに、人からその死を知らされるだろう。魔除けの赤布に覆われ変わり果てた姿で横たわる味鋤高彦の、見覚えのある護符の勾玉や、最後まで手放さなかったという遺品の剣を前にして、御梶姫は悲しさのあまり夫の名を喚(よ)び続けるだろう。
やがて味鋤高彦を祀る社が営まれ、その霊は丁寧に祀られてゆく。味鋤高彦は水神や雷神に所縁を持つことから雨乞いに霊威があると信じられ、日照りや水害が続くたび、味鋤高彦を祀る社は出雲の地に多く建てられてゆくことだろう。
頼みとする夫を失った御梶姫は、その後出雲の辺地に退き、そこに身を置いて、ひっそりと味鋤高彦の子を産んで育ててゆくことになるだろう。天津神や周囲に逆らわず、恭順の姿勢を示してさえいれば、母子はその土地の民と親しみつつ安らかに暮らしてゆけるような気がした。
耐え難い痛みが襲ってきて、佐具女は気が遠くなりかけた。これまで生きてきた年月が巻き戻され、さまざまな場面が脳裏に浮かんでは消えてゆく。
本当は、稚彦ともっと一緒にいたかったのだ、と佐具女は今にして思う。侍婢としてではなく、伯母として過ごした日々は、たとえ偽りであったとしても、何ものにも変えがたい甘美な思い出であった。稚彦は皆の前で手をとって上座に坐らせてくれて、食べ物や飲み物を常に先に勧めてくれて、歩くときも足元を気遣い絶えずいたわってくれた。実の伯母に接するように気持ちを込め、丁寧に扱ってくれた稚彦の心がこの上なく嬉しかった。
この役を命じられたときは不安でたまらなかったが、実際は稚彦に助けられて過ごしていたのだった。淡い夢のような儚い日々だったと思う。耐え難い苦痛に顔を歪めながらも、ふと楽しかったひとときを思うと笑みが浮かんだ。
「何を笑っている。おれを愚か者と思っているのか」
男が近づいてきた。佐具女は最後の力を振りしぼると、懐に隠し持っていた刀子(とうす)を出し衣の下で必死の思いで握った。男はきっととどめを刺しにやって来る。その時をじっと待った。
血走った男の目がすぐ間近にあった。傷の具合か何かを確かめるように佐具女を見ている。そして僅かに男の視線が動いたその一瞬の隙を突いて、佐具女は刀子を握りしめると、渾身の力でもって男の雉の左胸を深く刺した。(了)
味耜高彦根(あじすきたかひこね)の神、忿(いか)りて曰く「朋友(ともがき)喪亡(う)せたり。故、吾(われ)即ち来弔(きとぶら)ふ。如何(いかに)ぞ死人(しにたるひと)を我(われ)に誤(あやま)つや」といひて、及(すなは)ち十握剣(とつかのつるぎ)を抜きて、喪屋を斫(き)り倒す。其の屋堕(お)ちて山と成る。此(これ)即ち美濃国の喪山(もやま)、是(これ)なり。(日本書紀)
ここに阿遅志貴高日子根)(あじしきたかひこね)の神……御佩(みはかし)の十掬(とつか)の剣を抜きて、その喪屋を切り伏せ、足もちて蹴(く)ゑ離ち遣りき。こは美濃の国の藍見(あゐみ)河の河上なる喪山(もやま)といふ山なり。(古事記)
阿遅須枳高日子(あじすきたかひこ)の命(みこと)の后、天の御梶日女の命、多具の村に来坐(きま)して、多伎都比古(たぎつひこ)の命を産み給ひき。その時、教(さと)し詔(の)りたまはく、「汝(な)が命の御祖(みおや)の尚(ごと)く泣きたまへ。生きむと欲(おもほ)さば、此処(ここ)宜(よ)し。(出雲国風土記)
(参照文献)
古事記 角川文庫
日本書紀 岩波文庫
風土記 日本古典文学大系 岩波書店
風土記 日本古典文学全集 小学館
万葉集 角川文庫
古事記伝 本居宣長 岩波文庫
古代の小説「返し矢」について
「古事記」「日本書紀」には、国譲りの逸話として天稚彦(あめのわかひこ)の話が載っています。葦原中津国平定の密命を受け、天下りした天稚彦と天佐具女(あめのさぐめ)。天稚彦は大国主の娘下照姫(したてるひめ)を娶りますが、八年経っても戻らず、復命を促すため天から遣わされた雉鳴女(きじのなきめ)に向かって矢を放ちます…。
国譲り、天下りに関しては出雲、高千穂、葛城の伝承がよく知られていますが、出雲、高千穂だけで起きた出来事ではないようで、各地に高天原とされる地が存在し、国譲りの逸話もまたさまざまなかたちで伝わっています。各地の伝承が習合、接続され、あるいは仮託された逸話が記紀に載っているとされる説、また大国主、大己貴、の名も通説では出雲の神の名とされていますが、必ずしも出雲とは限らず、固有名詞という訳でもなく、各地域の首長の身分や資格を表す名であって、古では各地にそれぞれ大国主、大己貴、大穴持、などといわれる人物が土地を開拓し治めていた、という説も参考にしました。大国主には多くの別名、亦の名があり、その表記も文献により異なっています。
本作の国譲りの舞台地は大和の葛城です。天稚彦と天佐具女(天探女)は、磐船(いわふね)に乗って難波の高津に降りた、という伝承があり(摂津国風土記逸文、万葉集)、その上陸伝承地は大阪天王寺区の産湯稲荷神社付近、味原池とされています。また葛城山麓には天孫降臨伝承地(高天彦神社近辺)があり、その台地が高天原だと長く信じられてきたようです。
天穂日(あめのほひ)の六甲山降臨にまつわる兵庫県芦屋神社の伝承、大国主と三穂津姫の婚姻伝承が残る丹波の出雲大神宮、また岐阜県垂井町(喪山古墳)、美濃市に残る喪山伝承(喪山天神社)、および伯耆一宮倭文神社の下照姫漂着、鎮座伝承、また味鋤高彦遺品の剣を祀る社(出雲の都我利神社)、阿須伎神社(出雲)の伝承、由緒なども参考にしつつ、天佐具女の視点で描いてみました。