折口信夫
「死者の書」 (中公文庫)
折口信夫
「死者の書」 (中公文庫)
死者の書というと、考古学や歴史の好きな方は、「エジプトの死者の書」を、チベット仏教に関心をお持ちの方なら「チベットの死者の書」をまず頭に思い浮かべられるだろう。
でも今回取り上げるのは、そういう葬礼文書や宗教書ではなく、昭和十四年に書かれた折口信夫の歴史小説の「死者の書」である。小説のタイトルとしてはかなり怖い。どんな内容なのか、まずはあらすじをみてみよう。
「死者の書」あらすじ
天武天皇の皇子、大津皇子は、天武の死後、叔母であり天武天皇の后である持統天皇に疎まれ、謀反を理由に殺されて、二上山に葬られてしまう。
それから約百年の時が経った。墳墓の中で無念の思いで目覚めた皇子の霊は、周囲を見回し、独白を始める。そして既に朽ち果てて衣のないことを嘆きつつ起き上がろうとする。
一方奈良に住む信心深い藤原家の郎女(いらつめ)は、写経に明け暮れる日々であったが、秋の彼岸の中日に、幻のように二上山の二つの峰の間に浮かぶ男の姿をみて、憑かれたように家からさまよい出た。
郎女は一人で二上山の麓の当麻寺まで歩いてきて、寺で保護される。神隠しにあったとみた奈良の家からは連れ戻しに人が来るが、郎女は拒み寺にとどまることになる。
郎女の夢の中にのみ幻の男は現れる。霊的な男女間の交流があるともみえるが、すべては夢うつつの世界の中での出来事である。
男が衣を持っていないのを知った郎女は、衣にと思い、蓮糸で布を織ろうと試みる。秋の彼岸の中日に、郎女は再び二上山の山越しに浮かぶ男の姿を仰ぎ見る。それは極楽浄土図や尊者の姿と重なり、幻のように美しく雲の中に展開していた。
やがて郎女は苦心して蓮糸で布を織り上げるが、それは棺にかける布のようで寂しく見えた。郎女は思いついて奈良の家から彩色を取り寄せ、筆をとって幻に見た華麗な浄土図を布に写し取り、完成させていく・・・・。
夢幻のうちに話が進んでいく。文章は私には難しくて、果たしてこの通りの筋書きであるのかどうか自信がない。もしかしたら違っているかもしれない。
例えば本文を少し取り出してみると、こんな具合である。
・・・・一人ひとりの心は疾くへ飛んで行ってしまって居た。唯一つの声で、警蹕(けいひつ)を発し、反閉(へんばい)した。
あっし あっし
あっし あっし あっし
狭い蘆の中を蹈んで廻った。脇目からは遶道(にょうどう)する群れのように・・・・。
難解である。全文を正しく読むことは私には困難なので、もう感じたままに理解することにする。よくわからないところは飛ばして読む。そういう読み方でも最後のページに達するころには、何となく作品世界に引き寄せられ、折口古代ワールドに嵌まってしまうのである。
意味不明の呪文のような言葉が続くので、理解できない場面もあった。でもいつの間にか古代語がそれ自体持っているというか、発する力によって、次第にこちらの理性が捻じ伏せられていくのを感じる。そういう霊的な言葉の集合体なのである。
たぶんこういうのを言霊(ことだま)小説というのであろう。折口は「古代研究」などの評論で展開した自説を、小説の形で具体的に読者に提示して見せたのだろうと思われる。
私は中学のころまで奈良の近くに住んでいたので、物語に出てくる当麻寺も二上山も知っていた。当麻寺は家族や友人と何度か訪れたことがあったが、二上山の頂上には一度も上ったことはなかった。山全体がお墓のように感じられ、惹かれる気持ちよりも、怖さが先に立ったのである。避けていたのかもしれない。知人に誘われ、初めて登ったのは数年前のことであった。
初夏の陽射しが爽やかに感じられる日だったと記憶する。
近鉄二上山駅から、迷路のように民家が立ち並んでいるところを抜けていった。
雄岳(小説では男嶽)に向かって山道を歩いていると、右手に杉林が見えてきた。その辺りだけひどく暗い。一見整然とした美しい杉林なのだが、見ると樹間にはぞっとするほど深い闇を抱え込んでいた。こんな濃い闇の色を今まで見たことがない。気のせいか怨念が凝縮したような空間とも思えてきて、ほとんど息を詰めるようにして足早に通り過ぎた。
正直なところ、この世のものでない何かが出てきそうで、そのとき私はかなり怖かったのである。前後にはハイキングの人たちが三々五々歩いていて、賑やかな話し声も聞こえていたというのに・・・・。
急な坂に差し掛かる。今度は山道を降りてくる土地の人とすれ違った。
ゴム長靴に麦わら帽のおじさんは手に青々とした枝を束にして抱えている。つやのある葉っぱの根元には、どれも白っぽい小花がついている。
おじさんはそういうのを特に選んで折り取ったらしい。何となく気になったので、すれ違うときに見ていた。
少し経ってから、あれは樒(しきみ)の枝だと知人が教えてくれた。それを聞くとまた背中の辺りが少しぞくっとした。おじさんはあれを持ち帰って家で仏花として使うのだろうか。
歩きながら周囲の木を観察した。でもどれが樒の木なのか見分けがつかない。
知人によるとこの山は杉と檜が多いが、槇があるし、榊の木もあったそうだ。山麓の人々は必要なときには山に来て、このように自宅用に少し貰っていくのだろう。神仏のお供えものに相応しい木が色々揃っているのは、さすがだと思った。
二上山はラクダのこぶのような二つの峰を持っている。大きい方を雄岳、小さい方を雌岳といい、春分と秋分の日には、三輪の方から見ると、ちょうど二つの峰の間に夕日が沈んでいく。
年二回訪れるその日没を、非常に特別な神秘的な現象だと、古代の人は感じたのであろう。「死者の書」で超常現象が現れる日が、彼岸の中日に設定してある由縁である。
そういうことを考えているうちに、雄岳の頂上に着き、大津皇子の眠る墳墓の前に佇んだ。
標高は五一七メートル。明るい午後の陽光が木立の間から降り注いでくる。眼下に広がる市街を眺めて時間を過ごす。さっき暗い杉林にはあんなに怯えたのに、ここでは少しも気味悪いものは感じられない。怖い場所と思い込んでいたが、拍子抜けである。本当に今までなぜ登らなかったのだろう。
山の上であるが平らに開けていて、神社とお墓が並んでいる静かな空間であった。
大津皇子の辞世の歌を挙げて、皇子を偲ぶことにする。
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ (大津皇子)
そこから少し低くなっている雌岳(女嶽)へも回り、当麻寺のほうに下山することにした。
急坂を降りていると、白や薄紅色の可憐な馬酔木の花が目についた。小さな細かい花がこぼれるように咲いている。大津皇子の姉、大伯皇女が弟の死を悼んで作った歌。
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君が在りと言はなくに (大伯皇女)
歌からは喪失の深い哀しみが伝わってくる。二人とも感受性の強い、心の琴線に触れる優れた歌を詠んでいる。
生母大田皇女に早く死別し、父天武天皇の死後、母代わりであるはずの母の妹、持統天皇に疎まれた姉弟はともに薄幸であったと思う。
大伯皇女は十四歳のときに斎宮に選ばれ、大和を離れて伊勢の地で十二年を過ごしている。仲のよかった姉弟が、否応なく引き離されるかたちになっているのだ。大津皇子が刑死したのは二十四歳、大伯皇女はそのとき二十六歳であったという。
夕暮れ近く当麻寺に着いた。中将姫が蓮糸を染めて織り上げたと伝えられる、縦横約四メートルの綴れ織の當麻曼荼羅で有名である。池の周りを巡って、広い境内を散策する。時間が遅かったせいか参詣の人は少なく、境内はひっそりと静まり返っていた。
「死者の書」の中には、当麻寺の中将姫伝説を踏まえた物語の流れの中に、さらに神話の世界も顔を覗かせる。地上の蘆原中つ国を制覇するため、先兵として天から降ろされた天稚彦(あめのわかひこ)の物語である。古事記によると、地上の大国主の娘と結婚した稚彦は、任務を放棄し妻の側についたことが発覚して、天界から投げ返された矢に射抜かれ殺されてしまう。
この哀話が「死者の書」の中に老女の語りとして出てくる。それは作品中に亀裂のように入っていて、天稚彦の名は一種のキーワードのような使われ方をしている。「天に弓引いて殺された」稚彦と大津皇子のイメージが、語り部の老女の呟きとともに、読み手の耳に重なってくる仕掛けなのだ。
大津皇子が天稚彦を内部に抱え込んだ反逆者なら、突然想いをかけられるほうの藤原家の郎女は、代々祭祀を司ってきた巫女の系譜につながる家柄の女性であろう。
刑死後百年経って、神霊になってこの世に蘇った反逆者の霊を慰撫するため、霊感を持つ家柄の巫女の資格のある乙女が妻となって、奉仕するかたちが描かれている一種の神霊小説なのだと、解釈することができる。
たとえ意味はわからなくても、この独特の文体にいくらか慣れてくると、読んでいて怖いような、懐かしいような複雑な感覚に揺り動かされ、ちょっと危ないかなと思いつつ、こういう言語世界に呪縛されそうになる。
それはこの世とあの世、作品で展開される小説世界と歴史の史実、小説の中に流れる時間と現実の時間、それにさらに神話的世界とそれに繋がる土地の精霊が息づく世界が加わってそれらが入り混じり、境界が溶け合って一種独特の雰囲気を形づくっているせいかもしれない。
「死者の書・身毒丸」(中公文庫)