一北海道の旅一 (二)
知床峠 羅臼 野付半島
一北海道の旅一 (二)
知床峠 羅臼 野付半島
知床峠 羅臼 野付半島
路線バスでウトロから羅臼へと移動する。ウトロを出る頃は晴れていたが、知床峠に近づく頃には、窓の外は深い霧であった。風も強そうで寒い。途中知床峠で降りて、二時間ほど散策する予定であったが、霧を見て迷い始める。結局降りることにしたのだが、心配したバスの運転手さんが、すぐにはバスを出さず、少し待っていてあげるという。そして風にあおられながら道路を歩くこちらの様子を、注視している。悪天候におそれをなし、引き返そうと思うのなら乗ってください、というわけである。大丈夫です、と手で合図し、会釈すると、やっとバスは発車していった。親切な人であった。
知床峠は、羅臼岳が間近に望まれる景色の美しい場所として知られるが、それは晴天の場合であって、今は強風と霧でまったく何も見えないのであった。次のバスまで二時間もある。吹きすさぶ風で体が一気に冷えていく。手袋を用意してくればよかったと思うほどの寒さであった。
じっとしていても寒いばかりなので、羅臼側へ向かって散策する。道路脇は雪でいっぱいである。雪崩注意報が出ているとか。今年は積雪が多く、この道路は数日前にやっと開通し、夜間はまだ通行止めになっているそうだ。
雪景色を眺めつつ道を下ってゆく。羅臼湖入口のバス停まで降りて来たが、さすがにそれ以上進むのは・・・・ということで、同じ道を峠の頂上まで引き返した。斜面に積もった雪の量を見ていると、これがもし道路側に崩れてきたら、と心配になり、思わず早足になった。
峠にはトイレがあるだけで、お店や、寒さを避けられる建物は何もない。吹きさらしのなか、次のバスの時間までが長く感じられ、ようやく霧の向こうからバスが現れたときは嬉しかった。バスで峠を降りると、風は嘘のように止み穏やかになった。
羅臼の山間部にある宿に荷物を置き、熊よけの鈴を借りて、ビジターセンターを見学し、間歇泉や熊の湯付近を歩いたあと、町へと下りて散策した。羅臼の町にはなんとなく寂れた感じが漂い、人の賑わいもないのであった。路線バスに乗って海岸線を進んでみると、山側に「熊の入った家」という看板が目に入り、驚いたことであった。土産物屋さんなのかと思ったが、あとで聞くと、熊が漁師さんの家に侵入し、台所で食べ物を漁ってさんざん荒らしたのだそうで、その後、民宿経営に転じられたとのこと。衝撃的な命名の由来であった。
土地の人の話では、熊はよくこの辺に降りて来るのだとか。歩いて道を横断し、浜にも行くそうである。リュックにつけていた熊よけ鈴(宿で散策用に貸し出している)を見せると「そんな可愛らしいもん鳴らしたら、熊、しっぽ振って寄ってくるよ」と笑われてしまった。小さい鈴では効きめはないとのこと。ここではかなり大きい音を出しても、熊は逃げないのだそうだ。
海岸に坐ってしばらく羅臼の海を眺めて過ごした。夕方近く、宿に帰るためのバスを待っていて、ふと道路を見ると、犬に似た尾の長い動物の姿がある。車に轢かれないかと気になって、道を横切っていく様子を見守る。距離があったので確かめられなかったが、キタキツネのように見えた。
夕方、宿へ戻る道で、思いがけなく雲が切れて、前方に羅臼岳が姿を現し、その威容に驚いた。悪天候で昼間は見えなかったが、間近にこんな神々しい山があったのだ。すぐに雲に隠れていったが、まさに神宿る山のたたずまいであった。
翌日、路線バスで標津に移動した。海岸線の集落に沿っていくが、ほとんど乗客の乗り降りはなく、海岸の堤防の上に立派なオジロワシが一羽、羽根を休め、じっと海を眺めているのだった。
バスは海岸を離れ山の中に入っていく。北海道では山野に丈の高いフキが多く自生していて、道路際にもよく茂っている。これまで泊った宿でも、フキとお揚げの煮物やフキの佃煮などがよく出されたが、自生しているのを見ていると、ほとんど傘の代わりに使えそうな大きさである。フキだけでなく他の植物、たとえばエゾタンポポもミヤマオダマキなども(寒冷地のせいであろうか)大型に進化しているように見受けられる。
標津では自然豊かな野付半島を歩いた。ノツケとは、あごを意味するアイヌ語であるという。野付半島は二十八キロにわたる砂嘴、細長く延びた「つ」の字のかたちをしている。途中のナラワラまではタクシーを利用し(夏季の観光シーズンにはバス便があるそうだ)、あとはひたすら歩く予定である。
半島に入ると、右手の入江にタンチョウらしい鳥の集団がたむろしていたが、遠いため確認できなかった。進んでいくと、右手に会津藩士のお墓と碑があり、幕末に野付半島で、会津藩士が北方警備に当たっていたことを知った。今でも子孫の方が墓参に来られるのだという。寒さに加え、お米が思うように手に入らなかったのだとか。藩士とその家族の辛苦がしのばれる墓所であった。
ナラワラで車を降りてからは一本道を歩いていった。両側は海である。ナラワラとはかつてミズナラの木が多くあった所で、地盤沈下して塩害のために立ち枯れになり、ナラの木がわらのように積み重なった状態になっていたことからの命名という。遠くてよく見えないが、白っぽい林が広がっているようである。
ヒバリの声が遠く近く聞こえているのどかな道である。水辺で二羽のタンチョウを見つけた。餌を漁っている様子、水に浸かってしきりに何かを突ついている。しばらく観察を続けていると、このあと、背後にオジロワシが飛来した。カッコウらしい鳥が電線に留まっているのも見つけた。ポッポーポッポーとさかんに鳴きたてる。鳩に似た青みを帯びた灰色の鳥で、カッコウに似ているが、体型が細すぎるようにも感じた。(あるいはツツドリかもしれない)
ナラワラからネイチャーセンターまで、徒歩四、五キロであった。そのあと野付灯台までさらに歩いていった。センダイハギの黄色い花が咲き乱れる野である。ほとんど人はおらず、エゾシカにたびたび出会った。野原からふいに現れては道を横切っていくのである。
灯台に着いたが、海はかすんでいて国後島はみえなかった。この辺りは江戸時代には漁の拠点として栄え、集落もあって賑わったそうであるが、今は建物の跡かたもなく、一面に草の生い茂る野が広がり、それに続く先はぬかるみとなっているという。
野付半島は、近年、砂の流出が止まらず、少しずつ砂洲が狭まってきているそうで、そう遠くない将来に道路の埋没がはじまり、半島は島になり、やがて海に沈んで消滅してしまうという予測もでているそうだ。
散策はここまでとし、灯台からネイチャーセンターへと引き返した。センターからトドワラ桟橋まで歩き、そこから船で尾岱沼へと向かう予定である。丈の高い密集した草の中に刻まれた遊歩道を歩いていくが、横は観光馬車道になっていて、そこをのんびりと馬が進んでいた。
トドワラはナラワラと同様、トドマツが立ち枯れとなった地域のことで、白骨のようになった木々が、黒いぬかるみに倒れ伏していた。木道から眺めると、荒れ果てた雰囲気で陸の風景の終末という感じがし、そこには静かな虚無が広がっていた。海水に浸食され、陸が緩やかに海に呑みこまれつつあるのだった。陸が滅び、海の支配がはじまるのである。
木道が設置してあるので、人はそこをたどって海と陸の境界の雰囲気を見ることができる。野鳥の声も聞こえず、動物の姿も遠ざかり、辺りには寂寥感が漂っている。陸に棲む生命が次々消えていったとしても、海には海の別の豊かな生命が満ちる世界が存在するわけであるが・・・・陸地の端にたたずんでいると、まさに生と死の狭間を見る思いであった。
トドワラの危なっかしい桟橋から小型の観光船に乗り込んでひと息ついた。散策の後半は船の発着時間が気になり、急いだので疲労した。朝からもう十数キロは歩いているのである。どこかの草叢で虫に刺されたらしくて、ずっと悩まされる。
海上から長く延びた野付半島を眺めた。この半島は、やがては消滅していくのだという思いが再び脳裏をよぎっていく。
あそこにアザラシですよ、という声が聞こえた。海面を見ると、ゴマフアザラシらしい黒いものが遠くに浮かんでいた。しっぽなのか頭なのか、よく見分けられないが、三角のかたちに見えるものが二つ、波の上から顔を出しているのだった。乗務員さんは目を凝らして探してくれていたらしい。今日は珍しい生き物にたくさん出会えて幸運であった。
尾岱沼の港に着き、標津まで戻るバスをしばらく待つことになった。時間があるので土地の人に訊いて「白帆」という食堂に入り、漁が解禁になったばかりのシマエビ(茹でたもの)を頼んでみた。甘くておいしい。ここの名物ということであった。
(三へ続く)