古代史の風景(3) 二上山
古代史の風景(3) 二上山
大小二つの峰を持ち、古くは「ふたかみやま」と呼ばれた二上山は、大和と河内の境に位置し、雄岳には大津皇子の墓がある。近鉄二上山駅から、山頂を目指した。
山道を歩いていると、右手に杉林が見えてきた。その辺りだけひどく暗い。整然とした美しい杉林なのだが、樹間にはぞっとするほど、深い闇を抱え込んでいた。こんな濃い闇の色を,今まで見たことがない。気のせいか怨念が凝縮したような空間とも思えてくる。
それはこの世とあの世、歴史の史実と現実の時間、更に神話的世界とそれに繋がる土地の精霊が息づく世界が加わり、境界が溶け合って一種独特の雰囲気を形づくっているせいなのかもしれない。
二上山はラクダの瘤のような二つの峰を持っている。古来二柱の神が宿る山とされ、大きい方を雄岳、小さい方を雌岳という。
春分と秋分の日には、三輪の方から見ると、ちょうど二つの峰の間に夕日が沈んでいく。年二回訪れるその印象的な日没を、古代の人は単なる自然現象とは思わず、神秘なものに感じて心待ちにしたことだろう。
標高517メートルの雄岳の頂上に着き、大津皇子の眠る墳墓の前に佇んだ。眼下には市街地が広がっている。東側は大和、西側は河内、ちょうど境界の頂きに埋葬されていることが、呪術めいたものを感じさせる。頂上は平らに開けていて、神社とお墓が並ぶ静かな空間であった。
百伝(ももづた)ふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を 今日(けふ)のみ見てや雲隠りなむ (大津皇子 辞世の歌)
鞍部を通って標高474メートルの雌岳へも回り、当麻寺のほうに下山する。急坂を降りていると、ふと馬酔木が目に付いた。春先には、すずらんに似た白や薄紅色の小花が、こぼれるように咲くのに違いない。大伯皇女が弟大津皇子の死を悼んだ歌が、万葉集に見える。
磯の上に生ふる馬酔木(あしび)を手折らめど 見すべき君が在りと言はなくに
歌からは喪失の深い哀しみが伝わってくる。二人とも心の琴線に触れる優れた歌を詠んでいる。生母、大田皇女に早く死別し、父天武帝の死後、母代わりであるはずの母の妹、鸕野讃良皇女(持統天皇)に疎まれた姉弟は、ともに薄幸であった。
大伯皇女は十四歳で斎宮に選ばれ、伊勢に行って十二年を過ごした。父天武帝が病死し、大津皇子が謀反の疑いにより磐余で刑死すると、大伯皇女は斎宮の任を解かれ、大和に戻ってくる。その後、大和を離れ、名張の夏見寺に入って、四十一歳でその生涯を終えたと伝えられている。
山道を下っていると、山麓に烏谷口古墳が見えてきた。大津皇子は当初ここに葬られた後、山頂に移されたとみる説がある。古墳に立ち寄ってみると、辺りはひっそりと静まり返り、誰かが手向けたらしい季節の草花が、吹き抜ける夕風に揺れていた。
(2006.9.17)