一山陰の一宮一 倭文神社(伯耆一宮)
一山陰の一宮一 倭文神社(伯耆一宮)
鳥取駅から山陰線に乗って松崎駅で降りた。目の前に東郷湖が広がり、駅前はひっそりしている。伯耆一宮の倭文(しとり)神社は御冠(みかむり)山中腹にあり、駅から四キロほどの距離になる。バスを調べるが本数が少なく、下車してからさらに山道を上るとのことなので、あきらめてタクシーに乗る。神社までは十分ほどであった。
権現造りの神門の下に立つと、細かい装飾や彫刻に目を奪われた。古びて黒ずんでいるが手が込んでおり、龍や霊獣の細工物は素木であった。神門の建立当時(江戸時代)は豪華絢爛、人目を引くものであったかと思われる。
門をくぐると、樹木の緑の中に真っ直ぐに参道が延び奧に社殿がある。男性が一人、携帯ラジオを大きく鳴らしながら(野球の実況、この季節に?)日差しの中で草取りに精を出しておられた。もしかすれば、ラジオのこの音量は獣とか蛇よけかもしれない。山にはマムシがいるのではないか。思わず草むらを見て警戒するが、草は短く刈り込まれていた。おそらくこの人の努力のおかげで、参拝者は心配なく歩けるし、境内に丈の高い雑草がはびこるということもないのであろう。参道の周辺は実に整然としており、ある秩序が保たれているのだった。
社号は古代の倭文織(しずおり)からきている。社の創建は古く、平安時代の記録にはすでにその名が見えるといい、創祀はさらに時代がさかのぼるらしい。社号の由来となった倭文織とは、麻と絹を使い、色糸を混ぜて縞模様にした高級織物のことで、技術的にも難しいものという。どんな人がまとったのか、さぞ美しい布だったことだろう。
古に織物をよくする氏族がここに住み、織物の祖神、建葉槌命(たけはづちのみこと)を祀ったのが社の起源という。織物の神といえば、何となくたおやかな女神を連想してしまうが、どうもそうではないらしい。
建葉槌命とは、国譲りの際に、最後まで天孫に服従しなかった星の神、香香背男(かかせお)を誅した神とされる(この星神については天の神、あるいは地上の神ともいわれ、神の出自については両方の説がある)。星の神は、武神の経津主(ふつぬし)神や武甕槌(たけみかつち)神の武力攻撃には屈しなかったが、倭文神の建葉槌神が遣わされて、織物に星を織り込んで封印すると、敗れてしまったようである(茨城県日立市に伝承地がある)。織物は単に布を生み出す技術ではなく、古では敵を倒す呪術として用いられたということだろうか。
倭文神社は建葉槌神を主祭神として創祀されている。そうなるとここは単に織物産業で開かれた地という以外に、もう少し別の意味合いも出てくるかと思われるが、あまりにも古代のことなので、詳細はよくわからない。
神社の伝承では、主祭神は建葉槌神であるが、古に出雲から舟でここに来て人々に農業や医薬、安産を教えたという、下照姫命(したてるひめのみこと)が配祀されていた。けれども時代を経て織物産業が衰退するにつれ、主祭神の名が薄らいでゆき、替わって下照姫命が祀られるようになっていった。安産の神として信仰されてきたという。
記紀には、国譲りの際の下照姫の逸話が載っているので紹介してみよう。
・・・・下照姫は大国主の娘であったが、高天原から葦原中国平定の密命を受けて降ってきた天若日子(あめのわかひこ)と結婚する。若日子は地上に留まり、高天原に復命せず背き、天から遣わされた雉を射抜いた。その矢が天に届いて、天からの呪術の「返し矢」で若日子は殺されてしまう。嘆き悲しむ下照姫の泣き声が風に乗って天に届き、若日子の死を知った家族が降りてきて、喪屋を造り葬儀を行った。下照姫の兄、阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の容貌が若日子に似ていたので、若日子の父母は息子が蘇ったと思って喜び、取りすがったので、阿遅志貴高日子根は不吉なこととして怒り、剣で喪屋を切り伏せた後、天に飛び去った。その兄の名を明かすために、下照姫はこのように歌った。
天(あめ)なるや 弟棚機(おとたなばた)の項(うな)がせる 玉の御統(みすまる)御統(みすまる)に あな玉はや み谷二(ふた)わたらす 阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の神ぞ (古事記)
(天においでになる織姫が首にかけておられる玉の首飾り、その首飾りの穴のあいた玉のように光っています。でもあれは、谷ふたつを光り輝かせてお渡りになる、あぢしきたかひこねの神でございます)
下照姫はこの歌により、和歌の祖神ともいわれているそうだ。この歌を読むと、星が瞬く澄み切った夜空の情景が思い浮かんでくる。哀切で美しい調べの天空の歌、季節でいうなら冬の星座であろうか。
国譲りの際、大国主命の二人の息子のうち、意見を訊かれた事代主命は、返答として自ら出雲の美保の海に沈んで命を絶ち、一方、建御名方命は抵抗して戦うものの諏訪に敗走、二度とそこを出ることはなかった。頼みの息子たちを失った大国主命は、皇孫に国を譲り渡し杵築の地に退去、死後は出雲大社に祀られる。(古事記)
日本書紀では建御名方命は登場せず、大国主命は息子の事代主命が海中に退去したことを知ると天孫に国を譲り、大きな宮殿を建てて貰い、自らは「大きな玉を身に着けて永久にお隠れになりました」とのみ記される。自然死、あるいは自死の婉曲な表現ともみえるが、結局は敗者としての死を賜ったということであろう。下照姫の兄、阿遅志貴高日子根命の死の記述は記紀にはなく、「出雲国風土記」の秋鹿郡伊農の郷の項で、本人も妻も名を変えて語られ、遺品の剣も祀られている。名を伏せたのは何か憚られるいきさつがあったものと思われる。
下照姫は家族を皆失ったことになる。父も兄弟も敗者としての死を免れなかったようにも思えるが、下照姫は女性なので、死を減じられたとも考えられる。
下照姫は出雲に留まることを許されず、伯耆の地に追放されたとも考えられるだろう(配流、流罪)。たとえば布に星が織り込まれ、固く巻き閉じられて呪がかけられたかのように、古の姫神もまた、この地に封じ込められて生涯を終えたのかもしれない。それとも下照姫は平穏な日々を求め、ひそかに出雲を去って舟で伯耆まで逃れ来たのだろうか。いずれにしても、夫を殺され家族を亡くした大国主の娘は、権力者の前では無力であったろう。
土地の伝承では、下照姫は出雲から舟で従者とともに来て、湯梨浜町(旧羽合町)宇野に着いたという。下照姫が出雲を偲び、たびたび登って出雲の方角を眺め、嘆いたと伝えられる東郷湖畔の山は、出雲山と呼ばれているそうだ。
そして神社の境内には、長く下照姫の墳墓と伝えられてきた場所があったが、大正時代の発掘調査の結果、仏像、鏡、玉、経筒などの出土品から、平安時代の経塚であったことが判明したそうだ。地元の人々は、それを知ったとき、残念に思ったのではないだろうか。下照姫の墓所は、やはりこの神社の境内のどこかにあって(たとえば墓所の上に社殿が建てられているとか、社殿の裏に埋葬されているとか)、今もひっそりと姫神のみたまが、この山中の東郷湖を見おろす静かな山の中に鎮まっていると思いたい。
なお下照姫の本貫とされる地は大和の葛城であり、父の大国主(固有名詞ではないであろう、大和の支配者としての大国主)、兄の阿遅志貴高日子根、弟の事代主らも同様に大和葛城が本拠とされている。前述の「返し矢」の逸話の舞台地もおそらく出雲ではないであろう。国譲りは出雲が有名であるが、各地において様々な形で起きたのであろうと思われる。
「出雲国造神賀詞」にも大和の大穴持命(大国主命)が天孫に国を譲って大物主命と名を称え、阿遅須伎高孫根命、事代主命など三人の子神たちの魂を大和の各地に鎮め置き、出雲へ退去鎮座したことが記されている。大和葛城に残る天孫降臨伝承、大和に今も残る出雲の地名、出雲に存在する大和本貫の神々の社やその信仰の痕跡、神と人の移動は出雲から大和へなのか、また大和から出雲へなのか、あるいはその両方だったのか、その時期についても定かではなく、史書にはいきさつが詳しく語られず、謎めいており、その真相について語ることは難しい。
倭文神社の祭神には、国津神系の神々の名も連なっていた。建葉槌命のほかに、下照姫命、事代主命、建御名方命、少彦名命と続いていく中に、天稚彦命、味耜高彦根命の名もあって、下照姫が愛する夫や兄弟と一緒に祀られていることがわかり、安堵するものがあった。
社殿は一宮としては大きいとは思えないけれども、古の姫神を祀る社としての気品や優しさが感じられて好もしい。手水舎には、まるで泉のように清らかな水が静かに湧き出ており、いくら汲んでも尽きないような気がしてくる。狛犬は勢いのある出雲型構え獅子で、長い後ろ足がぴんと伸びて尾が空に向き、深い木立の中で、今にも動き出しそうな姿勢のまま静止していた。
社殿の裏へ回ると、倒壊した大木の一部と立て札があった。内容を読んでみると、ここにはかつて樹齢六百年の御神木(タブノキ)があり、木には幹に乳房のような突起物があって、乳神と呼ばれて信仰されたということであった。もうほとんど大木のかたちは残っていないのだが、その名残と思われるものが今も地面に横たわり、数種の植生が見られるその姿をわずかながらとどめていた。倒れたのは、老樹になって寿命が尽きたからであろうが、このような無残な姿と向き合っていると、はかない気持ちになった。
神社を出て緩やかな道を下っていった。集落に入ると無人販売所があって、各種の梨が売られている。ここは本場なのである。立ち寄ってみると、大きな二十世紀梨がひとつ五十円だったので、おやつに二つ買ってしまった。駅に戻ると、電車が来るまでにまだ少し時間がある。目の前の湖に行って過ごすことにした。湖岸に公園があったので、静かな海とも見える東郷湖をぼんやりと眺め、倭文神社の鎮座する御冠山の辺りを目で探し、その山容を見つめていた。