金刀比羅宮
金刀比羅宮
こんぴらさんの名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県の象頭山(ぞうずさん)中腹に鎮座している。象が寝ているような形に見えることからの命名という。標高は538メートル、琴平山ともいうそうだ。本宮までの参道には785段、さらに奧社まで登ると計1368段の石段があることで知られる。
江戸時代には象頭山の金毘羅大権現に詣でる「こんぴら参り」が「伊勢参り」に次いで庶民の人気を集めたという。
金毘羅(こんぴら)とは元はインドの神だそうである。クンビーラというガンジス川のワニの神が仏教に取り込まれ、仏法を護る天部の金毘羅大将(十二神将の一人)となったのだそうだ。もともとこの山には、古来の国土の神である大物主命を祀る琴平神社があったのだが、時代が下るにつれ神仏習合が進み、真言宗の寺院、象頭山松尾寺が建てられて隆盛をみた。
ここに金毘羅神が祀られるようになった経緯には二つの説がある。一つは神仏習合の結果、神道の大物主神と仏教の金毘羅神が同一視されるようになったという説、もう一つは、松尾寺の鎮守として、金毘羅神が祀られるようになったが、いつしか金毘羅神の方に人気が高まったという説である。
クンビーラは本来ガンジス川の女神の乗り物であった。水に縁のあることから水運の神、海の神として信仰されたという。この象頭山のある地は昔、海岸線が現在とは異なり、麓まで入り江になっていて波が打ち寄せていたといい、金毘羅神も海辺に祀られる水上交通の神にふさわしいと考えられたのであろう。
こんぴら船ふね 追風(おいて)に帆かけて しゅらしゅしゅしゅ
まわれば四国は讃州 那珂(なか)の郡
象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば
終日この歌が流れているらしい門前町を進んでいった。うどん店、土産物屋が立ち並ぶその先に最初の石段が現れる。登りはじめに数えてみようと思いつき、二百段ぐらいまでは数えていたが、あとは面倒になってやめてしまった。
大門を入るとふっと土産物店の賑わいがなくなって、参道は緑が増し静かな空間へと変わっていく。さらに上ると大きく開けた場所があり、旭社が見えてきた。旭社とは耳慣れない名前だが、重要文化財でかつての松尾寺金堂という。
象頭山には明治の前まで、象頭山松尾寺金光院と呼ばれる寺院があり、金毘羅大権現が祀られ、十一面観音を本地仏とし、その脇持は毘沙門天と不動明王であった。
松尾寺金堂から名を変えたという旭社は、今見ても実に立派な建物であった。近づくにつれその存在感に圧倒される。明治の神仏分離令によってこの象頭山からは仏教色が払拭されたため、旭社には現在、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を主祭神とする日本の古い神々が祀られている。
旭社は建物の壮大さと施された彫刻の美しさで人目を引きよせるが、眺めていると、そこには何かが抜け落ちたような寂しさも感じられる。
けれども建物には、今なおここが本宮かと錯覚するほどの威容が保たれているのに心打たれた。往時の豪華な雰囲気の装飾の片鱗も残っているので、うっかり間違ってここを本宮と思い込み、満足して引き返してしまいそうになる人のために、この先の本宮への矢印を書いた立て札もちゃんとあった。
さらに石段を上っていくと本宮である。
現在の祭神は大物主命、相殿には崇徳天皇が祀られている。象頭山にはこんぴらさんが祀られているのだと思っていたが、よく見ればここにはあの歌に出てくる「金毘羅大権現」の名称はないのであった。
明治の初め、神仏分離令の嵐はこの地にも吹き荒れて、それまでの神仏習合の信仰の形を大きく変えてしまった。
山中にあった塔や寺院は廃されるか、あるいは祀るものを日本古来の神として存続、また本尊の仏像は別の場所へ移してお祀りするか、あるいはやむなく仏具経典と共に廃棄、焼却するなどの、苦しい選択を迫られたらしい。
その結果、ここは金刀比羅宮(ことひらぐう)として、もとの大物主命を祭神とする神道のお社に戻った。大物主命と金毘羅神が同体であるとの主張が認められたらしい。僧職は衣を替え、神職として奉仕することになったという。
新たに金刀比羅宮と名を改めたその一方で、金毘羅大権現の名称は消え、本地仏であった十一面観音、脇持の毘沙門天と不動明王も山を降りることとなった。
十一面観音は象頭山に隣接するお寺に、現在もひっそりと祀られているという。脇持二体のほうは廃棄の案も出たというが、それではあんまりということで縁を頼って転々とし、現在は岡山県の真言宗のお寺にあるという。
今まで丁寧にお祀りしていたはずの仏像や仏具を破壊し、年代を経た価値ある堂塔伽藍も叩き壊し、まるでごみか薪のように燃やしてしまう。明治の神仏分離令、廃仏毀釈のそうした荒っぽいやり方は、ここだけでなく全国各地に及んだのだそうだ。多くの仏像や経典がこのときに失われてしまったという。関係者は仕方なく火をつけながらどんな気持ちで炎を見つめていただろうか。
そういういきさつがあって、松尾寺ゆかりの仏像も明治の初めに別の場所へと移ることを余儀なくされてしまった。けれども仏像は失っても、親しまれた象頭山の名は今も残っているし、金毘羅様の名もちゃんと金刀比羅宮の中に生かされている。
ただ社殿に佇んだとき、今手を合わせているのは古の大物主神であるのか、あるいはインド由来の金毘羅様でもあるのか、私にはわからないままであった。
絵馬殿には、海上安全や豊漁を祈願する船舶関係の奉納絵馬が並んでいる。石段を上がってくる参拝の人波は絶えず、本殿前は各地からの団体客で賑わいを見せている。詣でる人は、本殿に金毘羅様の名がないのをちょっといぶかりつつも、とにかくここが本宮なので神妙に手を合わせ頭を下げるのである。
本宮から奧社に向かうことにする。山道を歩く人は急に少なくなって、周囲の緑がまばゆく美しい。小さな橋を渡り石段を上っていくと、菅原道真を祀るお社、讃岐へ流されて亡くなった崇徳上皇を祀るお社があった。都から追放され、ついに都へ戻ることなく異郷の地で不幸な生涯を終えた方たちである。お二方とも死後は怨霊となって都に出現、さまざまな怪異を起こして関係者に報復をとげたとされ、都の人々に恐れられたという。その御霊を祀る社殿はどちらも静けさに満ち、そして目に染みるような緑の樹木に包まれていた。
さらに先へと進んでいくと、左手の斜面に磐座らしいものが見えてきた。方石が積み重なったような崖である。小さなお社があり、厳魂彦神を祀っている。これは戦国時代の松尾寺の別当であった人で、死後は天狗になってここを護ったと伝承されている。ここが奧社であった。
岩の上方にはこの祭神に因むらしい天狗の顔が二面刻んであり、右は天狗、左は烏天狗であった。この先は山頂に至る道へと続いていく。少し登りかけたが、道が崩れているらしく禁止のロープが張られてあったので、無理に登るのは断念した。またいつか機会があれば、山頂まで行きそこからの眺望も楽しんでみたい。