鹿島神宮(常陸一宮)
鹿島神宮(常陸一宮)
香取駅から鹿島線に乗って鹿島神宮を目指す。
豊かな水量を誇る利根川にかかる長い鉄橋を渡り、潮来(いたこ)を過ぎる。良い季節には水郷を訪れる観光客が多いのだろうが、今車窓から見えるのはどことなく寒々とした水の流れである。筑波山が見えるはずと思い探すが、あいにく曇っていて稜線がはっきりしない。
今は見渡せば遠くまでずっと陸地が続いているが、古代にはどうだったろうか。海であったか湖であったか、あるいは青い芦が揺れる湿地であったかもしれない、その幻の情景を思う。上古の地図を見ると、地形は今とは異なっていて、鹿島神宮は風土記にもあるように「東の大海(おおうみ)」と「西の流海(ながれうみ)」と「安是(あぜ)の湖(うみ)」に面した島ともみえる半島の先端の位置にある。香取神宮と鹿島神宮は海を隔てて向かい合う形になった海辺の社だったのである。
鹿島神宮駅で降りて緩い坂を上がっていく。やがて土産物屋が並ぶ参道の先に大きな鳥居が見えてきた。鳥居は西を向いている。進んでいくと、さらに朱塗りの楼門へと続き、それをくぐり抜けると北向きに拝殿本殿がある。
祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。香取の項でも触れたように天孫降臨に先立って出雲に下り、荒ぶる神々を掃討、葦原中国平定に貢献した武神である。本殿内の神座は南西の隅にあって東向きになっているといい、鳥居は西向き、社殿は北向き、神座は東向きと複雑で珍しい配置になっている。本殿が北を向いているのは、蝦夷に対する威圧の姿勢を示すとされる。神宮側の伝承では、神社創設の起源は神武天皇の時代にまで遡るそうで、崇神天皇の時代にも武具の奉納、祭祀が行われたという。平安時代の延喜式神名帳によると、神宮を名乗ったのは伊勢、香取、鹿島だけであったといい、その格の高さがわかる。
神木の大杉と流れ造りの本殿をしばらく眺めたあと、奧宮へと進む。
森は深く広大である。鬱蒼とした樹木の重なりは厚みがあり、さすがに時の重みを感じさせる。奧宮へ通じる参道の左手には鹿園があり、ちょっと寄ってみたが、金網で囲われた中にいる鹿の群れは、昨日の雨で地面がぬかるんでいるため、居場所に困っているように見え気の毒であった。自由に公園や街中を歩き回って観光客に餌をねだってくる奈良公園の鹿とつい比べてしまうので、よけいそう見えたのかもしれない。この鹿島の広い森に放してあげられたらいいのにと、思いながら、中央の樹木の下でひと塊になっている鹿の群れを眺めていた。
鹿は鹿島の神の使いとされ、七六七年、藤原氏によって鹿島の神が奈良に勧請された際には、神職とともに鹿島の神鹿が背に神霊を載せ、お供の鹿を従えてここを出発、一行は奈良の春日大社まで旅をし、神霊を持ち運んだという。
奧宮を経て要石を見にいく。森の中にひっそりと鳥居が立ち、柵で囲まれた内に香取の要石と同じように丸い石が祀ってあった。ここの要石は凹型で、真ん中が丸くくぼんでいる。鹿島香取で凹凸一対となっているのだろう。水戸光圀が周囲を掘らせたという伝承が、香取鹿島のどちらの要石かはわからないそうだが、大岩のその根元を見ることは今も誰もできず、ただ見えるのは地中の鯰を押えているというこの表面の丸い石だけなのである。
言い伝えの通り巨大岩が地中に埋もれているというのなら、今立っているのはその天辺かもしれず、古代には神聖な磐座とされた岩を土足で踏みつけているのだとも思えてきて、少々落ち着かない。古には磐座は神降臨の場、崇拝の対象であった。今はただ盛り上がっている小山とも台地とも思える森の中であるが、ここは古代祭祀が行われた所で、特別な聖地であったかもしれない。年月を経て土砂の堆積や埋め立てにより海は後退しているが、かつてはこの場所のすぐ下に海があり、波が打ち寄せていたと聞くにつけ、思いは次第に太古へと遡っていく。
たとえば嵐の後、海辺に打ち上げられていた丸いきれいな石を神秘と見、神がもたらしたものとして持ち帰り大切に祀る、その石をなでて豊穣や安産を祈る、そのような信仰の形が古にあったことだろう。壮大な社殿造営などまだない遠い時代、素朴な信仰の名残として海辺に今もひっそりと石が祀られている所は案外多いのではないだろうか。
御手洗池へと降りていく。かつて禊の行われた場と思われる。今も澄んだ水が岩の間からこんこんと湧き出ている。決して枯れることのない霊泉だそうで、透明な水をたたえて大きく四角い池になっているが、周囲の樹木の緑が水面に映りこみ、水の色は青く見え静かな谷間の泉の名残を今もどこかにとどめている。この清浄な泉に身を浸し、心身を清めてから人々はあの磐座と要石を拝みにいったのだろう。
石段を上がって奧宮まで戻り、元の道を通って帰途につく。寒かったので参道近くの手打ち蕎麦のお店に入って、温かいお蕎麦を頼んだ。へぎ柚子が浮いていて香りが良くとても暖まった。
鹿島には高天原伝承の地もあるということだったが、今回は時間もなく立ち寄らなかった。高天原という地名は大和など各地にあって、それぞれに謂れも持っていると思われる。以前葛城古道を散策した折、高天原の地名に惹かれて山に上がってみたことがあった。木立が折り重なって暗い急登の山道を掻き分けるようにして上がると、山上に忽然と草原が出現して不思議な思いにとらわれた。高天彦神社や伝承の蜘蛛塚を探して斜面を巡った記憶がある。
鹿島の高天原はどういう雰囲気の所なのだろう、と思いつつ鹿島駅へと続く坂道を下っていった。