竹生島を訪ねて
竹生島を訪ねて
竹生島は古来、神を斎(いつ)く島といわれ聖地とされてきた。湖にぽっかりと浮かぶ緑の島は、それだけで見る人を惹きつける何かを持っている。島には弁財天を祀る寺院、観音菩薩を本尊とする西国札所のお寺、土地の神霊を祀る神社、龍神社があり、神仏並存の様相となっている。現在も島には人が住んでおらず、食堂やみやげ物店の人たちも島外から船で通うという。
竹生島は対岸から見る位置によって少しずつ違った表情を見せる。白洲正子「かくれ里」菅浦の章で、白洲さんは竹生島を前方後円墳の形と見立てておられる。
随分以前のことになるが、葛篭尾崎(つづらおざき)に行ったとき、意外に竹生島が間近に見えることに気づき、そのときは時間の都合で島に行くことができなかったので、樹木が生い茂る緑の島を憧憬の思いで以て見つめていた。何年か経ってまた別の折に菅浦を通ったのだが、このときも島に渡る時間がとれず、夕暮れの竹生島を遠く眺めては、白州さんの文章を思い出し、湖上に黒く浮かび上がる古墳のような形を印象深いものに感じた。
さらに数年後伊吹山に上ったときも、気がつくと強風ともやの中で湖上を見回して竹生島の姿を探し求めていたし、湖西線に乗る機会があるたびに竹生島の存在が気になって車窓から眺めていた。長年そんな風に行きたいと思いながら、まだ一度も島へは渡っていなかったのである。
今年の春にやっと機会が巡ってきた。海津大崎の桜見物を兼ねて、初めて竹生島を訪れることになったのである。
マキノ駅から桜の名所の海津大崎まで、三.五キロをゆっくりと歩き、そこから船に乗ることにした。ちょうど桜の開花の季節なので、たくさんの人が大崎を目指して歩いていた。この辺りは普段は静かな町並みなのだと思うが、今日は道路沿いに露店も出ていて賑やかである。少し湖沿いに歩こうと岸辺に下りてみると、どのお家も結構しっかりとした石積の上に建てられていた。ここはかつて宿場町として栄えたそうである。
やがて見事な桜並木が道路沿いに見えてくる。満開に近い桜の下をくぐり抜ける人たちの顔は皆ほころんで楽しそうだ。シートを広げ座り込んで、早くもビールとおでんで盛り上がっている人たちもいる。湖上には桜見物の遊覧船が行きかい、湖水は青く輝いている。その向こうには竹生島。今日はよく晴れているのでくっきりと見える。
目の前に次々出現する桜の花に魅入られるように歩いていると、ふっと時を忘れた。花を見ているのか花に見られているのか。大崎に着くとそこは大変な人出であった。桜の木にはこんなに大勢の人を引き寄せる力があるのだと改めて思う。丘の上の大崎観音にお参りして、湖を見ながら早めのお弁当にする。
オーミマリンの船(季節の臨時便)で竹生島に向かう。短い船旅だが、島が近づいてくるにつれ気持ちも高まってくる。それとともに何やら騒がしい鳥の鳴き声が聞こえはじめ、島の上空を舞う黒い鳥の数も増えてきた。カワウの群れである。
島に上がると、ほとんど一枚岩のような岩盤の島であることに気づいた。巨大磐座の感じで、島自体がご神体とされるのが頷ける。
かなり急傾斜の石段を登って弁財天(いちきしまひめのみこと)を祀る寺院にお参りする。宝厳寺第一宝殿、建物は比較的新しく立派な構えの寺院で、ここは日本三大弁財天の一つとして知られている。ちなみに三大弁財天とは厳島、竹生島、江ノ島という説と、厳島、竹生島、天河という説があり、江ノ島も天河もともに三大弁財天と称しているそうである。(ほかに金華山を加えて五大弁財天という説もあるらしい)
次いで秀吉ゆかりの唐門を見る。これは国宝で、最近の研究では、幻の初代大坂城の唯一の遺構であるという。そう思って眺めると歴史の一部にじかに接している気分になってくる。檜皮葺の屋根、玄関部分には丁寧で細かい細工の彫刻が施されていて驚かされる。唐門はそのまま西国第三十番札所の宝厳寺第二宝殿へと続いていて、ここのご本尊は千手観音である。薄暗い空間に絶えずろうそくの炎が揺れ線香の煙が立ち込めている。横へ回り込んでいくと秀吉の御座舟日本丸の船櫓を利用したという船廊下につながり、そこを通っていくと、神社に出る。
都久夫須麻神社(竹生島神社)である。浅井姫命を祀っている。近江国風土記によれば、伊吹山の男神と浅井岳の姫神が高さ比べをし、敗れた伊吹山の神が姪の浅井姫命の首を切り、それが湖に落ちて竹生島になったという。この話は何を意味するのかよくわからないが、古の世界では伊吹山よりも高い山が存在していたということになる。古代の地形は今とは異なっていただろうから、大地震など何らかの地殻変動による隆起、沈降、などの遠い記憶を反映する逸話とも考えられる。
社殿に手を合わせた後、少し下ってかわらけ投げの鳥居を眺める。これはかわらけに願い事を書いて、湖に棲む龍神に祈願し、湖に向かって投げるのだが、うまく鳥居をくぐると願いが成就するのだそうだ。鳥居の向こうに広がる湖水の青さが心に残る。龍神社の前を行くが、あちこちにとぐろを巻いたリアルな造形の龍(蛇)があって、恐いので早足に通り過ぎる。
再び急傾斜の石段を登って弁財天のお堂へ行き、背後の山に上れるかどうか探していると道が見つかった。笹を分けて進んでいくと、肩先を掠めてカワウが飛んでいき、ばさつく羽音にちょっと驚かされる。付近の樹木にはたくさんのカワウがいて盛んに鳴き声をあげる。大変な数である。空を見ると黒い点々となってたくさんのカワウが舞いつづけ、足元の草はどれも白く染まり、見るとズボンの裾も白い粉がかかったようになっている。糞害なのである。島では近年カワウの被害がひどいとは聞いていたが、これほど多いとは思わなかった。
木々の間から青く深い色の湖水がのぞいている。日を受けてきらめいている。島の周辺は意外に深く、水深は百メートル以上もあるそうだ。山中のどこかに磐座があるのではと思いながら上がっていくが、それらしいものは視界に見えない。ただ緑の樹木がどこまでも続くだけである。考えてみれば、この島全体が磐座で聖地だったのだ。今歩いているのも磐座の上なのであろう。カワウの糞のことさえなければ、気持ちの良い針葉樹の森である。ほぼ頂上と思われる地点に出たので休み、対岸を眺める。
樹木を透かして、葛篭尾崎が正面にあった。菅浦の集落もはっきりと見えている。長いこと見つめていた。ふと心が、葛篭尾崎から竹生島を憧憬の思いで眺めたあの日に立ち戻っていく。あれからもう二十数年が経っているが、その間に流れた長い時間が消えていき、あの時とつながったような気がして感慨深いものがあった。