三枝和子
「薬子の京 上・下」(講談社)
三枝和子
「薬子の京 上・下」(講談社)
先日、向日市にある史跡「長岡京跡」を歩いてみた。大極殿のあったという辺りには、緑の樹木が濃い陰を作り、大きな石碑が立っていた。大極殿は天皇が政治をとったところであるが、その後殿に当たる小安殿の柱跡なども確認され、現在大極殿跡は史跡公園となっている。朱雀大路、右京、左京の中心部は既に市街地に埋もれてしまっていて、往時の様相をその中で想像することは難しいが、内裏、朝堂院、二官八省の建物が存在したことは間違いないようである。
桓武天皇は784年に奈良の平城京から長岡に都を移し、さらに十年後の794年に諸々の事情から長岡京を棄て、平安京にと都を移していくのだが、幻の都ともいわれていた長岡京は、長くその正確な所在地がわからなかった。けれども「長岡京のシュリーマン」と呼ばれた、故中山修一氏の積年の努力によって発掘が進む中で、次々に遺構が見つかり、長岡京の埋もれた姿が次第に解明されていくことになった。
氏がまだ若い頃、長岡京市神足に住んでいたときに、近くの田んぼの区割りが古代の条坊制に基づく方眼になっていることに気付き、そのことを手がかりに研究を続けた結果、長岡京の遺構の発見に繋がったという。
長岡京は東西⒋3キロ、南北⒌3キロで、それはほぼ平安京に匹敵する大きさであったという。現在の向日市、長岡京市、大山崎町の一部にまたがっており、近くに桂川、木津川、宇治川、淀川があって、水利に恵まれていたが、一方では、桂川、小畑川、小泉川の氾濫にも悩まされた地であったらしい。
この小説は、長岡京の造営責任者であった藤原種継の暗殺、という出来事から始まるが、暗殺事件の現場となった島坂は、向日市の石塔寺付近に当たるとか。島坂はまた、紀貫之の土佐日記にも出てくる古い地名でもあるそうだ。
現在そこは行政上は御塔道というそうだが、土地の人は今でもそこを島坂と呼んでいるらしい。1200年以上もの年月を経ても、なお消えないで残っている、古地名に籠もる強い力をつい感じてしまう。後でまたゆかりの地もみていくことにするが、まずはいつものようにあらすじ紹介から。
「薬子の京」 あらすじ(上巻)
主人公は藤原種継の娘である薬子(くすこ)。彼女が夫縄主(ただぬし)との間に、娘長子(ながこ)をもうけたとき、父の種継が暗殺された。長岡京造営の長官であった種継の死により、遷都推進派と反対派の対立、次期皇太子を巡る暗躍が深まっていく。
桓武帝の弟である早良(さわら)親王は事件に巻き込まれ、謀反の疑いをかけられて乙訓寺に幽閉される。絶食して潔白を主張するが聞き入れられず、親王は淡路に流される途中で衰弱死する。皇太子には桓武帝の皇子の安殿(あて)親王が立てられた。
桓武帝の身辺には不幸が続いていく。皇子安殿親王の病気、桓武の母の高野新笠、皇后の藤原乙牟漏、妃の藤原旅子らの相次ぐ死、桂川の氾濫による被害。これらは早良親王の祟りであると噂された。桓武は遷都十年で長岡京を棄て、新都に移る決意をする。
平安遷都後、薬子の娘長子が安殿親王に入内するが、女官として一緒に入った薬子のほうを親王は気に入り、薬子との間に子ももうける。長子は失意のうちに去って仏門に入った。親王の仲成、薬子兄妹への信頼は増していく。もともとあった桓武帝と親王との父子の確執は深まっていき、早良親王の怨霊に苦しみつつ桓武帝は崩御する。
(下巻)
新帝となった安殿親王だが、病弱で神経質のため人望は薄く、薬子と兄の仲成だけが頼みの綱となっていく。伊予親王の謀反の密告を信じて、処罰したことも裏目に出て、宮廷の流れは次第に弟の賀美能親王派に傾いていく。薬子は帝を操る悪女と喧伝され、仲成も酒でしくじって評判を落していく。新帝は僅か三年で帝位を降りることを決意、息子の高丘親王を皇太子にすることで妥協して、賀美能親王に譲位した。
居場所がないと感じた上皇は、薬子とともに奈良の平城京に戻って、仲成の助力で宮を建て、そこに住んだ。新帝の賀美能親王が病と聞き、見舞うため平安京に出向くが、それは内麻呂が仕掛けた罠であったことに気付く。謀反謀議の疑いがかけられ、仲成は捕らえられて射殺された。上皇は京を去るに当たって、寧楽(なら)に独自の京(みやこ)を造ることを呼びかけた上表文を回す。
奈良に戻った上皇は、孤立したことを悟る。呼びかけに応じた臣下は少なく、謀反が確定して、坂上田村麻呂率いる討伐軍が来ることを知った上皇は、急ぎ東国に逃れようとするが、行く手を阻まれ、東大寺に入って出家し、薬子は一人平城京に戻り毒を仰いで死ぬ。・・・・
97年~98年に京都新聞に連載されていた、いわゆる「薬子の変」を題材にした歴史小説である。この作品で紫式部文学賞を受賞している。
薬子の変は、「安禄山の乱」にたとえられることがある。それは唐の玄宗皇帝が楊貴妃に心を奪われた結果、楊の一族を重用し、政治を顧みなくなったことから起きた二十万の大軍による反乱である。玄宗皇帝は都を逃れ、楊貴妃は殺され、楊一族は粛清された。時の権力者と魅力的な女性の結びつき、女性の一族による政治支配、その台頭と失脚の様子などが、似通っているとされるのだろう。
「薬子の京」の京は、長岡京、平安京、平城京の三つの都を指している。物語はこの三都を舞台にして、権力を背景に謀議や怨念、愛や憎悪が渦巻く人間模様が描かれていくのである。
歴史のほうでみると、平安の初期、桓武帝の皇子である平城天皇(安殿親王)は、帝位について三年後、弟の嵯峨天皇(神野親王)に譲位する。上皇となったものの、なお政治的執着を捨てられず、藤原薬子、仲成兄妹らと謀って再び奈良へと遷都を図るのだが、その行為はとりもなおさず、二箇所に朝廷が存在することであった。そのために人心が動揺し、政治的混乱が起きたのである。
でも先に挙げた唐の「安禄山の乱」の場合のように、二大勢力がぶつかって大規模な戦闘が行われたわけではないようであるし、むしろ戦が回避される方向で事態は進み、仲成の射殺、上皇の出家、薬子の自殺で、早い時期に終息している。
かつての歴史観では、薬子らが中心となって上皇をそそのかし、乱を起こしたかのようにみなされていたようだが、近年はそうでもなくて、当時の王権が分掌されていたことにも起因する、律令制下における太上天皇制度が生んだ事件、という風に解釈されつつあるそうである。そうなると「薬子の変」という言い方も問題があるので「平城太上天皇の変」という風に言い改める動きも出ているそうだ。
この物語の中では、主人公の薬子は才気煥発、勝気で実行力のある情熱的な女性として描かれるが、政治的野心に燃えて帝を焚き付け、行動を起こすような女性には描かれていない。上皇との関係も、母性愛と絡まった感情的な結びつきの深さに、主に焦点を当てて描かれている。前途のない上皇と深みにはまってしまい、そこから次第に抜け出せなくなっていくという、危険な泥沼に足を取られる怖さが、手を変え品を変えて、繰り返し語られていくのである。
実際に起きた政治的事件を扱ってはいるが、主としてその時代を激しく生き抜いた、一人の女性の内面の葛藤を描くドラマなのである。
最終章の辺りから少し本文をみてみよう。
・・・・それにしても、用意されている敗北の道筋を、ただ歩いていくしかないのか。
薬子は声を立てないで嗤った。今回の上皇と自分たち兄妹の行為のあまりの馬鹿々々しさ、能のなさはただ嗤うしかなかった。
もっとも、安殿さまなんぞにかかわってしまったから、こんな羽目になったのだ。薬子は、甲走った口調で騎馬の衛士たちに道筋を説明していらっしゃる上皇の声を、輿のなかでぼんやり聞いていた・・・・。
・・・・登利可武登(とりかぶと)の包みを開きながら、薬子は追憶に浸った。だが、もう、それもどうでもいいことだ。平城京、長岡京、平安京、そしてまた平城京と巡り巡って帰って来たけれど、落ち着く先はどこにもなかったような気がする。
ー薬子の京は、このなかにしかないのね。
薬子は掌のなかへ置いた毒薬を一気に嚥み下した・・・・。
苦い自嘲が感じ取れる描写である。そこには何かに執着し続けることの空しさ、追い詰められていくものの孤立感、死へ向かいつつある自らの運命を受け入れる諦観も感じられる。
安殿親王は早良親王の怨霊に怯えながら育っていくという設定にしてあるので、もともとそういう暗い気質があったとされ、人から敬遠され、疎まれるという未熟な性格の皇子として描かれており、その描き方にはほとんど魅力というものが感じられない。
折に触れ親王を苦しめる、不吉な効果音のように現れ続ける「怨霊」への怖れ、恐怖心ゆえに右往左往し、翻弄されていく人の心の動きや行動が、この物語の重要な伏線を形づくっている。科学的知識のなかった当時の人々が、自然現象のことも含め、さまざまな出来事を怨霊と結びつけ、祟りや呪詛や霊の存在を畏怖していた様子は、何となく感覚的に分かるような気もするのだが。
早良親王が幽閉された乙訓寺は、悲劇の親王の寺としてよりも、牡丹の寺としてよく知られるようになった。訪れる人々の目を、季節ごとに楽しませてくれている名所なのである。華やかに咲き零れる牡丹の花々が、寺にまつわる怨霊の闇やら親王の怨念めいたものを一時的に遠くへ押しやる役目をし、満開の花を観賞しながら初夏の日差しの降り注ぐ庭を散策する分には、平和でのどかなごく普通の寺の境内とみえる。
かつてここで繰り広げられた帝位を巡る怨念劇は、今は美しい大輪の牡丹の花園に隠されてしまっており、そのことに気付かないまま、通り過ぎる観光客も多いだろう。
都がまだ長岡京にあったとき、桓武帝がよく鷹狩りを楽しんだとされる西京の大原野には、現在も自然が多く残っている。静かな山里の情景が続いていて、心が和むような地なのだが、何年か前にはクマが出没して騒ぎになった。山麓歩きを楽しんでいると、突如目の前にカラスが舞い降りて来て、ギャーギャーと鳴き立てるので驚かされることもある。飛び回るカラスが多いのだ。当時はもっと森は深かったかもしれない。
大原野神社は、藤原氏の氏神である奈良の春日社を勧請したもので、皇后、藤原乙牟漏も、奈良を偲んで度々参詣したことと思われる。桓武帝の頃の創建、というから古いものである。神社の狛犬は、ここでは鹿である。手水舎の後ろにも立派な鹿が鎮座しており、藤原氏の社らしい雰囲気が漂う。神社は山間のひっそりした所にあって、小道を辿りながら周囲を見回してみると、その佇まいに古代を感じさせるものがある。普段は静かだが桜や菖蒲、紅葉のころは人で賑わうという。
下巻にも出てくる、伊予親王母子の怨霊鎮めの下御霊社は、偶然前を通りかかったので入ってみたことがある。街中の通りに面しているのにも拘わらず、外は明るいのに何やら薄暗く、そこだけ違う空気が流れているような重たい感じのするところであった。気のせい、先入観のせいかもしれないが。
そこには早良親王や伊予親王、藤原吉子など権力者にとってはいかにも祟りそうな、非業の死を遂げた人たちを祀ってあった。入り口にはかなり時代が遡るが、猿田彦、柿本人麻呂を祀る古い祠まであった。この人たちも権力者にとっては、鎮めなければならない何らかの理由があったのだろうか。
物語のほうに戻ろう。安殿親王と薬子の二人の性格や行動、知性の差、どれをとっても、安殿親王のほうは、情けないような愚かしいエピソードの連続で、兄仲成もどちらかというと思慮が浅い人物に描かれているが、薬子のほうは逆に、洞察力と機知と判断力に富んだ場面や見せ場が、工夫されて数多く作られている。
創作上の対比の手法とは思うものの、その極端な差は実に徹底しており、終章までその落差は埋められることなく続き、男のはかない権力欲や所有欲、対立、怒りや憎悪、虚勢や誇示、女の冷静さや怜悧さ、嫉妬や見栄、それらすべてが最終的に、一種の死を前にした諦観に収斂していき、読み手は共感したり溜息をつきながら、残り少なくなったページを繰り続けることになる。最終章は、雪崩のように坂を転がり落ちていく一方的な敗者側の心理、その敗北感が、暗い熱っぽさで描き出されていて迫力がある。
平城京から長岡京への遷都、さらに平安京遷都、平城天皇(安殿親王)即位と退位、嵯峨天皇(神野親王)と平城太上天皇との観察使制度を巡る、いわゆる二所朝廷といわれる対立、それを助長した薬子、仲成兄妹、その死と上皇側の敗北など、歴史的な事件を一つ一つ押さえながら、史実に沿って的確に描き出してくれるので、読み手は緊張感を持ちつつ、物語の展開を面白く感じて読むことができる。
豊富な挿話は細部まで丁寧に練られていて、人の心の奥底にある暗部を垣間見せてくれて興味深い。歴史好きの読者、また歴史の裏側にある人間ドラマを味わってみたいという読み手を、十分に楽しませてくれる作品なのである。