イサク・ディーネセン(カレン・ブリクセン)
「バベットの晩餐会」(筑摩書房)
「アフリカの日々」 (晶文社)
イサク・ディーネセン(カレン・ブリクセン)
「バベットの晩餐会」(筑摩書房)
「アフリカの日々」 (晶文社)
デンマークの女流作家、カレン・ブリクセンは、一八八五年ルングステッズルン生まれ。デンマーク語と英語で作品を発表し、イサク・ディーネセン(アイザック・ディネーセンとも表記)は英語版での男性筆名。デンマークでは著名な人でノーベル賞候補にも挙げられ、受賞には至らなかったものの、ヘミングウェイに称賛された。デンマークの五〇クローネ紙幣に彼女の肖像画が使われたこともあるそうだ。父親は軍人で作家、政治家でもあったが、カレンが十歳のときに心を病み自殺した。カレンの母方はデンマークの富裕層に属し、カレンは家庭教師や母親、伯母らから学課を学んで育ち、コペンハーゲンの王立美術アカデミーに入学、一時期パリで絵画を学び、文芸雑誌に小品を寄稿するなどしていた。
カレンは、父方の親戚のスエーデン貴族ハンスに恋するが実らず、その双子の兄弟ブロルと婚約、十四年にアフリカに渡って結婚し、ブリクセン男爵夫人となった。一歳年下の夫とともにケニアでコーヒー農園を経営するが、数年で結婚生活が破綻、夫から感染した梅毒の症状に苦しむことになる。ただ離婚後も男爵夫人の名を捨てることなくその名で通し、単身でコーヒー農園を続けた。やがて不作により経営が行き詰まり農園を手放すことになった。
離婚後、支えにしていた恋人の狩猟家デニスも、カレンの親友ベリルと密かに関係を結んでいたのがわかり、別離となる。デニスは自身が操縦する飛行機事故により、ナイロビ郊外で亡くなった。農園経営に失敗し、多くのものを失ったカレンが帰国し、本格的に創作活動を始めたのは、五十代近い頃であった。
「七つのゴシック物語」で成功をおさめ、十八年間に及んだコーヒー農園の女主人としての生活を綴った「アフリカの日々」で評価が定まった。デンマーク語での発表は本名で、英語版では男性名を用いている。物語性の強い「バベットの晩餐会」などがよく知られた作品。「アフリカの日々」は「愛と哀しみの果て」というタイトルで、また「バベットの晩餐会」も映画化されている。六二年に七七歳で没。
「バベットの晩餐会」
あらすじ
ノルウェーの小さな町で、信心深い二人の老姉妹マチーヌとフィリッパがひっそりと暮らしていた。二人とも若い頃はたいそう美人であったが、牧師の父親に感化され、世俗の恋愛よりも、牧師館を継いで信仰に生きる道を選んだのだった。マチーヌが十八歳のとき、ロレンスという青年将校が町に滞在し、道で彼女を見初めた。ロレンスは放蕩が過ぎて伯母の家で謹慎していたのだった。信者だった伯母の縁で牧師の家を訪れるようになり、出発の前夜に求愛しようとするが臆して告白できず、そのまま別れた。彼はその後生活を変え、軍人として頭角を現し、昇進して王妃の侍女と結婚した。
妹のほうにも、求愛者があった。美声の持ち主であるフィリッパが教会で歌っていると、旅の途中立ち寄ったパリの名歌手パパンが偶然その声を聞き、素質を見抜いたのである。牧師に申し出て許可を得、フィリッパを教えていたパパンは感情の高まるまま一度だけ抱擁してしまう。フィリッパは歌の指導を辞退し、パパンは失意のうちに町を去った。姉妹はそれぞれの相手への想いを胸に秘めたまま、信仰の日々を過ごした。
十六年後のある雨の夜、姉妹の家に憔悴した女が辿り着いて倒れた。驚いて介抱すると、姉妹あてのパパンの手紙を持っていた。それによると女は「バベットという名のフランス人で、パリ・コミューンの支持者であったため、夫と息子を殺され、船のコックをしている甥の手で脱出することができました。慈悲の心で彼女の身柄をお引き受けくださいますように。彼女は料理ができます」という依頼であった。バベットが気の毒な亡命者だと分かったが、姉妹には家政婦を雇う余裕がなく、バベットは無給で仕えるといい、そのまま家に住み込んで十四年の時が流れた。
バベットは有能な召使いとなって、姉妹の生活を支えた。言葉も覚え、倹約に励み、土地の人々とも馴染み、姉妹の質素な常食であ、タラの干物を戻した料理と、ビールに浸したパン入りスープも上手に作った。ただ自分の過去については寡黙であった。
亡父の生誕百年祭が近づくと、姉妹は親しい信者十一人を招いて家で簡素な食事会をすることにした。バベットは、祝宴には自分が作る本格的なフランス料理のディナーを出し、その費用も持たせてほしいと懇願し、ためらう姉妹に承諾させる。バベットは、長年フランスの富くじを買っていて、友人が更新してくれていたが、今回当選して一万フランが手に入ったのだった。
バベットは食材の仕入れのために帰国し、甥に手配を頼んで戻って来た。やがて大量の壜類や生きた海亀が届いたのを見て、マチーヌは肝をつぶし悩む。マチーヌは宴の料理への不安や懸念を、遠回しな言い方で信者たちに伝えて回ったので、彼らは料理に関して沈黙しようと申し合わせた。宴には偶然滞在していたロレンス将軍も、伯母とともに客として加わることになり、それを聞いたバベットは幸せそうな表情になる。
バベットは給仕の少年を臨時に雇い、信者たちのグラスには一度ずつ注ぐが、ロレンス将軍のグラスは空になると絶えず注ぐように、と指示していた。パリで舌が肥えている将軍は、すぐに上等の食前酒や高級ワインの銘柄がわかったし、本物の海亀スープの味に驚き、キャビアの前菜、うずらのパイの出来に感嘆、そして昔訪れた有名レストランの女性シェフの美味に思い当たる。
将軍は宴のスピーチで「人生で人は何かを選んでしまうと、その選択が正しくなかったのではと思うが、神の恵みには条件はなく、選ぼうとしなかったものもまた与えられている」と述べた。信者たちは警戒していたが、初めて味わう酒と美味しい料理に心が満たされてなごみ、いがみ合っていた者同士も打ちとけて和解、皆幸福感で一杯になりつつ帰途についた。将軍とマチーヌは互いの深い想いを確かめ合い、穏やかに別れた。
台所で放心するバベットに、姉妹が感謝の言葉を掛けてねぎらうと、バベットはかつて自分がカフェ・アングレのコックだったことを告げた。バベットが帰国してしまうと思っている姉妹に対し、彼女は誰もいない空しいパリには戻らずに、ここに留まるという。一万フランはディナーのため、すべて使いきってしまっていた。そして平然と言うのだった。「カフェ・アングレではディナー十二人分で一万フランでした」・・・・
以前映画で見たことがあった作品で、御馳走が村人に振る舞われたとき、素朴な人たちが心から幸せそうになってゆく表情が印象的で、忘れられないのであった。でも物語の展開や細部をほとんど忘れてしまっており、今回図書館の棚で見つけると、懐かしさからつい読みふけってしまった。物語からは不思議な雰囲気が漂ってくるようで、一種独特の感じを受ける。
晩餐会の後で老姉妹が、あんなに美味しかったのに、自分たちが食べた料理をどれひとつ思い出すこともできなかった、というくだりでは納得するものがあった。美味しい料理も食べれば消えてしまうもの、そして料理に限らず、人の記憶というのはあやふやで不確かなのである。筆者はこの映画が結構好きだったのにもかかわらず、情けないことにどんな物語だったのか、話の筋がどうしても思いだせず、ページを繰りながらようやくその内容にたどり着き、確認する始末であった。
主要登場人物のバベット、老姉妹、ロレンス、パパン、どの人もみな自分の思うような人生を手に入れられなかった人たちである。望んだ地位や名声を得たはずのロレンスでさえ、今はそれらを空しく感じ、憂愁に沈みがちな人になっている。将軍は宴で「人は選択したものが正しかったかどうかと怖れおののくが、神の恩寵によって、選んだものだけでなく、選ばなかったもの、拒否したものまでも与えられているのだ」とスピーチをした。一般的なこととして述べているが、実はマチーヌと自分の心のありようについて、語っているかのようである。昔の日々を思いつつ雪景色の中、別れ際に彼はマチーヌにこう言う。
「わたしはこれまでずっと、毎日あなたとともにいたのです。お答えください。あなたもそれをご存じだったと」
「ええ、そのとおりでした」とマチーヌはいった。
「こうもいってほしいのです」と将軍はつづけた。「私は今後生きている限り、いつもあなたのおそばにおり、あなたもそれがよくお分かりになっているのだと・・・・」
「ええ、おっしゃるとおりですわ。わたくしどものこの美しい世界では、すべてが可能なのです」とマチーヌはいった。
こんなことばを交わして、ふたりは別れた。
マチーヌとロレンスは遠く隔たっていても、心の絆で結ばれていたのだった。再会によって二人には救済がもたらされる。ではフィリッパのほうはどうであろうか。物語の最後に近い場面をみてみよう。
バベットが一万フランを使いきった、と告げたとき、姉妹は驚き沈黙する。フィリッパが「わたしたちのために何もかも使うことはなかったのに」というと、バベットはきっぱりという。「ちがいます。わたしのためだったのです」「わたしはすぐれた芸術家なのです」そしてパパンの言葉を引用しつつ「芸術家の心には、自分に最善をつくさせてほしい、その機会を与えてほしいという、世界じゅうに向けて出される長い悲願の叫びがあるのです」というのだった。
フィリッパはこれを聞いているうち、遠い日にパパンの指導を受けていた折、パパンがフィリッパの才能を高評価し、二人でオペラ座の舞台に立ってデュエットで聴衆を魅了し、カフェ・アングレへ行って食事しよう、という夢を語っていたことを思いだす。
フィリッパはバベットの言葉から、パパンがフィリッパに対して抱いていた愛情や、優れた才能への期待、思い描いていた将来への夢などを、本当は心で理解していたことに思い当たる。豊かな才能を持ちながらも、その真価を発揮できる場に恵まれずに生きてきた、という点ではバベットとフィリッパは同じであった。フィリッパはこのときバベットの抱える孤独の深さに改めて気づき共感する。
フィリッパがパパンから逃げてしまったのは、決して彼を嫌ったからではない。彼が歌い上げる恋の歌に触発され、パパンに強く惹かれてゆく自分が恐ろしく、華やかな舞台で彼とともに生き、世間の称賛を浴びたい、という世俗的な欲望に浸ることを願う自分の心に気づいたからであり、そういう自分に怯えたためであった。
この物語を神話的に読み解くのなら、バベットは「さすらいの女神」のような存在であるらしい。受難と放浪の末に安らぐ所を得て、そこに住む人々に何らかの恩恵をもたらす、というような古い物語の型に当てはまるという。バベットはこの世ではもう望みが叶えられず、来世に託すしかない女性、死にも等しいような苦難や流浪を経ても、強い生命力で生き抜いてゆく不思議な女性として登場する。神話の中の女神は、現代において、物語の中で謎めいた異国の女性として造形され、よみがえるという設定らしい。
確かにそうかもしれない。でも大切なものを失って空しい心でさまよい、傷心の果てに流れ着いた地に留まる女性、というのは、アフリカで事業に失敗し、財産も恋人も友情も無くし、健康すら失って帰国した著者自身の自画像ともどこか重なるところがあるだろう。「機会がほしい」と切望するバベットの思いは、作品発表の場を求めて創作を続ける著者の願いとだぶってみえる。
バベットは著者の分身とみてもよいのではないだろうか。そしてバベットに寄り添う老姉妹もまた、現実を淡々と受け入れ、日常の営みを誠実に引き受けてゆく、という風に描かれ、その意味では著者の心境に近いとみてもよいのではないだろうか。バベットに関しては次の「アフリカの日々」の項でも考えてみたい。
「アフリカの日々」 あらすじ
第一部
私はケニアのナイロビ郊外のンゴング丘陵に六千エーカーの土地を持ち、大勢のアフリカ人を雇ってコーヒー農園を経営している。召使い長はソマリ族出身のファラ。あるとき私は農園でキクユ族の少年カマンテの足の傷を見て、親身になって手当てする。さらに病院に入れて治癒させると、恩義を感じた少年は私に仕え、有能な料理人へと成長した。
捕まって道で売られている仔鹿に心が痛み、ルルと名づけて家で飼い、カマンテに世話させる、皆によくなつき人気者となった。ルルは大人になると家を出て森へと帰ってしまい、獣に襲われて死んだのではと心配していたが、後に夫や子どもを連れて家の近くまで来るようになった。夫の鹿は決して近寄らず、ルル母子は外で人の手から餌のサトウキビはもらうものの、警戒してルルがもう二度と家に入ることはなかった。
第二部
雇い人の子どもたちが猟銃で遊び、事故で二人の子どもが死傷する。撃った子カベロは姿をくらました。刑罰を恐れ、姉の嫁ぎ先であるマサイ族のもとに隠れたのだ。父親は死んだ子の親に、羊四十頭を差し出して償った。何年か経つと、カベロはすっかりマサイ風に染まった若者となって家に戻った。事件はもう時効になっていたが、父親は怪我をした子の祖母が、自分にかけたというキクユの呪いに怯えるのだった。
怪我の子への償いを決めるため、キクユ族の族長キナンジュイが農園に招かれて裁定に立ち会った。すでに父親が償っている羊十頭に加え、牝牛と仔羊一頭であった。
第三部
ンゴマと呼ばれる、土地の人たちの踊りの行事が農園で催された。焚火を中心に輪になり、笛と太鼓と歌で熱狂的な男女の踊りが続く。太鼓の響きが遠くまで届き、マサイの若者たちが、太鼓の誘うような呼びかけに抗しきれず、ンゴマに来てしまい、果たして乱闘になった。怪我をしたマサイたちは農園で治療を受け、回復した後にそっと姿を消した。
ファラがソマリ族の女と結婚し、近くに家を持った。嫁いでくるとき、妻にはその母親や妹、十一歳の従妹も一緒についてきて、皆で暮らした。ファラには息子が生まれ、従妹はここで育てられ、成長すると農園で七日間におよぶ婚礼の式や宴をして嫁いでいった。
デンマーク人のクネッセン老は、体をこわし、盲目になって農園にたどり着き、ここで孤独のうちに亡くなった。友人の狩猟家デニスや農園主バークレーも、よく私の館を訪問しくれて、親しく交流していた。私はデニスとともに銃でライオンを撃ったこともあったし、彼の操縦する飛行機でバッファローの群れを見にいったこともあった。病を抱えていたバークレーはやがて病死してしまった。
第四部
私の夫は志願兵としてドイツ領との境界線に派遣され、夫は手紙で武器弾薬の補給を要請してきた。輸送の指揮をとるはずの白人男性が逮捕されてしまったので、私が荷車四台を率いて出発した。一台当たり十六頭の牛をつけた。私は荷車の横を歩き、途中からは買い求めたラバに乗って進んだ。キクユ族の若者二十一人、ファラ、銃持ちの男、コックらで編成し、女は私だけであった。マサイの居住地を抜けるその遠征は、三か月におよんだ。目の前でライオンに荷役牛が襲われたこともあったが、無事に任務を終えることができた。
第五部
農園は高地にあり、コーヒー栽培には不向きだった。干ばつ、不作に加えてコーヒーの値下がりで経営は難しく、出資者のデンマークの親戚から手放すようにと言われた。破産から救おうと亜麻やユーカリを植え、乳牛を買い入れてみたりしたが、どれも失敗に終わった。さらにイナゴに立て続けに来襲され、地面のものはすべて食い尽くされてしまった。
農園はナイロビの大会社に売った。ある夜、族長キナンジュイが危篤に陥り、宣教団の病院への入院を嫌がって、私の家へと頼まれた。迷ったが宣教団とのトラブルが目に見えており、族長を連れ帰る決心がつかなかった。キナンジュイは彼が望まない病院で命を終え、古来のキクユ族のやり方ではない、教会の儀式によって葬られた。
デニスが亡くなった。その日私の農園へ来るはずだったが、自身が操縦する飛行機が墜落、召使いの少年とともに亡くなった。ンゴング丘陵のふさわしい地を私が選んで、墓が建てられた。後に知ったことだが、私がアフリカを去ってから、墓の近くには夜明けと日没にライオンの群れが姿を見せるようになり、雄と雌のライオンが墓所に現れるようになったそうである。
農園や館の使用人たちは去っていった。私は家具類を売り、犬や馬は友人に譲り、蔵書を梱包して故国に発送した。気がかりであった借地人たちの一括移住先を政府に請願し、ようやくそれが認められて安堵した。私のお別れのために、キクユの老人たちがンゴマを開催しようとしたが、開始直前にナイロビから警官が来て中止を命じた。
駅には友人や多くのソマリ族の人が見送ってくれた。ファラは船の出るモンバサまでついて来てくれた。途中の駅からは懐かしいンゴング丘陵を見渡すことができた。・・・・
著者のアフリカ体験から生まれた回想記である。映画は未見だが、本は当時評判になっていた折に買っており、今回再読したが、読み終えるのにかなり時間がかかった。本の帯には「みずからの死と転生のドラマを秘めた壮大なアフリカのサーガ」とあって、もう読む前から圧倒されてしまう。
あらすじを書こうとして、実に書きにくいことに気づいた。折々に書き溜めたらしい長短の逸話が集められており、その物語群はさまざまであった。逸話を並べて一つの物語世界をかたちづくろうと意図したものなのであろうが、きちんと構成され時系列に添って話が進行するわけではなく、飛び飛びに思いつきのように話が語られてゆく。脈絡があって続く場合もあるが、唐突だったり、流れが前後していたり、どうみても思い出の断片、素材のメモかと思うもの、寓話に近いもの、スケッチも混じっている。散文で書かれているが、詩のように読めばよいのであろうか。
労働者を雇いケニアでコーヒー農園を経営する女主人、カレンの視線で、日常の出来事が緩やかな筆致で描写されてゆく。アフリカの苛酷で美しい風土や自然、そこに住む人々との触れ合いが印象的であった。キクユ族、マサイ族、ソマリ族の生活、彼らの喜怒哀楽、次々に起きる事件や別離や死、野生動物との出会いが丁寧に、あるときは詩情豊かな表現で語られてゆき、観察したものは的確に文章化されている。小説ではないが創作部分も混じっているらしい。随筆、随想、紀行とも呼べないし、自伝ともいいきれず、単なる年代記とも違うけれど、抒情的であり、前述したような各要素が幾重にも層をなし、一大集合体となっている感がする分厚い作品であった。
大筋とは関係ないようだが、愛着があって捨てきれなかったらしく、彩りに幾つかの逸話が挟み込まれており、それらもある印象を残す。読み進むうちに自然災害の厳しさが身に迫るように感じられ、農園経営が破綻し、恋人デニスが事故死し、農園が閉じられ、カレンがアフリカに別れを告げる、という大まかな流れを読み手は掴むことができるようになっている。
舞台地はケニアなので、白人による支配下で成り立った農園生活、支配と被支配の関係、というような角度でみればまた別の問題点も出てくるのだろうけれど、ここではそれに触れない。
第一部にこんな記述がある。
・・・・私は料理に大変興味を持っていて、アフリカに住んで以来はじめてヨーロッパに出かけたとき、有名な料理店でフランス人の料理長にレッスンを受けた。アフリカでよい料理を作れたらおもしろいだろうと思ってのことだ。その時料理長のムシュー・ペロシェットは、料理に対する私の情熱を見て、自分のレストランの共同経営者にならないかと申しでた。いっしょに料理する親しい仲間としてカマンテを持った今、この情熱はふたたびよみがえった。・・・・カマンテは料理全般についておどろくべき器用さを持っていた。卵の泡だて器を買いあたえたときも、ほうりだしてさびるにまかせ、白味を泡だてるには芝生の雑草とり用のシャベルを使っていたが、その泡だちの見事さはさながら軽い雲のように盛りあがるのだった。(「カマンテとルル」より)
文字を知らないカマンテは、樹に雷が落ちたソース、という風に、その日起きた事件と絡めて料理法を覚えていくのだった。クラブの調理場などでも修行させたので、腕を磨いたカマンテが作る料理は極上のものとなった。訪れた英国皇太子も農園で食事を出した際、カマンテの作るカンバーランド・ソース(肉に添えるフルーツソース)の出来をほめるほどだった。
著者カレンとカマンテの間には、いつしか絆が生まれていった。カレンが経営に行き詰まり、農園を手放して帰国した後も、カマンテは代筆屋の手になる同文の手紙を何通も送りつづけて、長く職を失っていることなどを伝えてくる。著者は、
「カマンテの真価は、普通の人にはわからないと思う。私は王室御用の料理人をしたてあげ、新開地に置き去りにしてきた」ということに思い至るが、「大変な知識を内に秘め、深く思いに沈んで歩いているこの偉大な料理人」はまたたどたどしい口調でもって手紙で訴えてくる。
「もし戻られるならおたより下さい。私たちはあなたが戻ると思います。なぜですか。あなたは決して私たちを忘れられないと思うからです」(「カマンテとルル」より)
カレンはアフリカを去った後、もう戻ることはなかった。けれども作品の中で、カマンテは愛情をこめた筆で活写され復活してゆく。実像とは異なって造形された部分もあるだろうけれど、「アフリカの日々」で私たちは若いカマンテに出会うことができる。けれどもそれだけではないであろう。優れた腕を持つ孤独な料理人の面影は「バベットの晩餐会」のバベットの姿にも、かすかにつながってゆくようである。
バベットの容姿は、やって来たときは「色の浅黒いすっかり血の気をなくした女」であり、町の人たちには「浅黒くて寡黙な外国女」と映ったとある。ともに暮らすうち老姉妹には「井戸から覗くような黒い目を大きく見開いていた。・・・・それは謎めいた妖しい魔力を持つ姿に見えた」とも表現される。浅黒い異国の人、黒い目、など妙に黒が強調されているのは、どこかに異能の料理人カマンテの面影を想起させるものが著者の心に去来し、その思い出や記憶が影響を与え、バベットという料理人が造形されているのではないだろうかと思う。
「アフリカの日々」にも「バベットの晩餐会」にも訳者のあとがきがついている。それらによると、著者は作家、軍人、地主、政治家だった父親に憧れていたそうである。父親ウィルヘルムは、若い日に親戚の伯爵令嬢アグネスに恋したが、彼女は二十歳前に旅先のナポリで病死、絶望したウィルヘルムは北米に渡って、未開地で二年間隠遁生活を送り、帰国してその体験を出版したという。その後ウィルヘルムは富裕層の娘と結婚し子どもたちをもうけ、政界にも出て活動するが、五十歳のとき自殺をとげた。その直接の原因は、梅毒に感染したことへの恐怖からだったそうである。
「アフリカの日々」ではカレンはあたかも女領主のように一人で農園を切り盛りし、逞しく生きているような印象を与えるが、現実には夫とともに事業を始めており、梅毒の治療のために長期間帰国していた間は、夫が農園を経営していた。出資金はその多くをカレンの母方の親族が出し、離婚後は弟もデンマークから何度か来て滞在し、経営を手伝ったということである。作中では弟はまったく登場せず(弟自身がが望まなかったらしい)、夫も第四部にちらりと出てくるのみで、そして何の説明もないため、夫が登場する部分は、不自然で違和感があることは否めない。
著者は夫が登場する第四部「戦時のサファリ」を収録するかどうかで、最後まで迷ったそうである。作品としてみれば、いきなり夫が出るが、そのまま消える理由も語られないため、読み手はあとがきを読んで、やっと状況がわかる、ということになる。夫の登場は必要最小限にとどめている。さらに作中に夫を登場させていると、夫の浮気や性病感染、離婚など、負の部分についても触れなければならなくなるので、差し障りもあり、書きたくなかったのであろう。それなのにあえて「戦時のサファリ」を収録したのは、これがカレンにとっての武勇伝であり、忘れられない出来事だったからではないだろうかと思う。読んでみると、ほとんど軍事行動に近い書きぶりである。尊敬する軍人だった父親の血を受け継ぐ娘として、軍事に携わり誇らしい働きをした記録を残したかったのではないかと推察する。
著者は「自分の生涯を、父親の生涯の繰り返しではないか」と述べているという。親戚の貴族ハンスに恋して実らなかったこと、後に恋人デニスを亡くしたことは、父親が従妹アグネスを愛し失ったことと対応しているし、軍事に長けていたことは前述の通りだし、文才に恵まれたことも共通している。故国を離れ異郷に移り住んだことや、性病感染もまた同様であり、奇妙な符合といえばいえる。
さらに推測してなぞってゆくのなら、彼女もまた性病については苦悩し、折々には死を考えて葛藤したことであろう。心がくじけそうになって自殺も試みたかもしれない。けれども彼女には文学への強い意欲があった。父がそうしたように、自分も書くことで自分を奮い立たせていったのではないかと思う。書き続けることが心の支えであり、それによって日々を乗り超え、何とか自分を立て直しつつ、父よりも長く生きたのではないかと想像する。
恋人デニスの事故死で、二人の関係に終止符が打たれたように作中では描かれる。それはまたそうあってほしかったという、カレンの哀しい願望であったかもしれない。デニスはカレンより二歳年下で、離婚後カレンの館に移り住み、カレンとは長く恋人としてつき合っていたが、彼は若いベリルという女性とも恋愛関係になった。ベリルは競争馬の調教師をしていて、カレンとも親しい間柄であったらしい。不実を知ったとき、著者はデニスと別れたのである。墜落事故は二人の破局の後に起きた出来事であったが、メリルの名もそれらしい女性も作中には出てこない。出したくなかったのであろう。このいきさつはまた別の作品で使われているという。「アフリカの日々」ではデニスとの思い出は空中に結ばれた虹、失われてしまったかけがえのないもののように美しく描かれている。
著者は夫のブロルと離婚した後も、ブリクセン男爵夫人を名乗り、生涯その名で通したそうである。性病を感染させた夫のことを、本心ではどう思っていたのかはわからないが、真に憎んでいたのならその名を口にすることさえ嫌だったろうし、そうだとしたら夫の姓を名乗り続けてゆくことを避けたであろう。終生その名で暮らし続けたことから推すと、憤りを感じて離婚はしたけれども、夫と暮らした日々には良い思い出も楽しい記憶も、また多くあったのだと考えたい。結婚で得た名を捨てることは、自分が選択した過去を自身が否定することにつながる、と思ったのかもしれない。過去の自分があって、その延長上に現在の自分があるわけなのだから・・・・。
ブロルはカレンと別れた後も、再婚と離婚を繰り返し、三人目の妻を事故で失った後は、スエーデンに帰国し亡くなったという。カレンとブロルは離婚後も交流があったのかどうかは不明だが、ブロルの死後十数年を経て、カレンも逝った。