氷川神社(武蔵一宮)
氷川神社(武蔵一宮)
氷川神社
武蔵国一宮の氷川神社を訪れた日は、風の吹き荒れる日であった。大宮の駅に降り立つと、上空で怖いほど風が唸っている。駅頭には強風のため近郊区間で電車の運転が休止されているという張り紙があった。
氷川神社は駅から歩いてゆける距離で、商店街の中に参道が通っている。二の鳥居から歩き始めたが、街路樹の折れた枝や落ち葉が道に散乱し、強い風にあおられている。神社を訪れて雨に遭うことはあるが、こんな大風は珍しい。
参道は長く両側のケヤキの並木も揃って立派であったが、強風に押されるようにして身を縮めて歩いたので、気がつくともう楼門であった。
門をくぐって本殿に進む。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)稲田姫命(いなだひめのみこと、妃神)、大己貴命(おおなむちのみこと)。氷川神社という名も出雲大社を勧請したことに由来し、出雲の肥河、簸川(ひのかわ)、斐伊川からきているという。(記紀では大己貴命は須佐之男命の義理の息子、あるいは六世の孫とも)
由緒によれば、成務天皇の御代、出雲から兄多毛比(読みは、えたけひ、あるいは、えたもひ)命が朝命により出雲族を引き連れてこの地に移り住み、ここで須佐之男命を奉戴したのが氷川神社の起源であるという。
出雲の人々がここに移り住まねばならない何らかの政治的事情があったのであろう。古代においては出雲の勢力は強大であり、大和とも拮抗していたらしいが、やがて出雲は大和に呑み込まれ、その支配下に入っていく。出雲の神宝献上を大和側が要求し、出雲の首長であった振根の留守中に、弟たちが恐れて神宝を渡してしまったことから内紛が生じ、大和側が振根を殺して鎮圧したというという逸話も、日本書紀(崇神紀)に見える。
神社由緒にもあるように、往時朝命により出雲氏族が武蔵国へ移住した、というのであれば、その時代にも何らかの政治的な出来事があり、大和側による出雲族への懲罰や追放、また出雲勢力の分断政策の一つとして、集団移住が行われたとも考えられる。
社号起源については前述の通りであるが、神社の創建時期を見るとさらに遡り、第五代考昭天皇の時代という。もともとこの辺りには見沼と呼ばれる広大な沼があって、古には水辺の社に水神(龍神)が祀られていたという。この神池はその見沼の名残の池であるのだそうだ。
景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征時にここに立ち寄り、祈願したという伝承もあり、尊の足の傷が霊験により治癒し歩けるようになったという。おそらく古からの聖地であったのだろう。
社殿のたたずまいは、完全に神道の社である。祭神の須佐之男命は仏教と結びついた時には、牛頭天王として疫病を除く神としても信仰されている。京都祇園の八坂神社などが有名であろう。けれどもここでみるかぎり社殿の雰囲気からは、八坂神社のような強い仏教色は感じられなかった。
古には須佐之男命は猛威を振るう自然を司る神、暴風の神でもあった。今日のような大風がこの土地では始終吹くのかどうかは知らないが、もしそうであるなら、風鎮めのために暴風の神をここで祀ることには納得がいく。社殿の前にいると、周囲は重なった木立に包まれているためか、いっとき風は和らいでいるように思われた。
赤い塗り橋のかかる神池を覗き込むと、魚が泳いでいるのが見える。静かな緑色の水をたたえる池の中には宗像神を祀る祠があり、境内摂社も稲荷社などいくつかあって、木立も深く、近隣の人の散策には好ましい場となっているようだ。
いま眺めているこの可愛らしい神池が、古代にはとてつもない大きさの沼として広がっていたという。信じられないような気もするが、古代の地形は現代とは異なる。
出雲からここに移り住んだという人々は、必然的に巨大な沼地の干拓に従事し、苦労を重ねたことだろう。やがて気が遠くなるような長い年月の間に沼は干上がり、最後に残ったのがこの小さな池であるというのは、大和の磐余(いわれ)の池の伝承を思い合わせると興味深い。(かつて大和平野には古に広大な湖があり、大和三山はそこに浮かぶ島であった。長い時を経て湖は縮小し、最後に残ったのが磐余の池であるという)
神池のほとりにたたずんで水面を眺めていると、古に広がっていたに違いない陽を受けて輝く水、水辺にそよぐ芦の茂みや水面に浮かぶ水鳥の群れ、水草を揺らせて渡っていく風、その向こうにどこまでも続く緑の野、のどかな武蔵の国の情景が想像されるのであった。
境内を一歩出ると、待ち構えていたかのように再び強風が吹きつけてきた。冷たい風で雨も混じっている。さえぎる樹木のない住宅街を抜けていく。せっかく大宮まで来たので、蒸気機関車があるという鉄道博物館を見学しようと思い、風に吹き飛ばされそうになりながらも歩いていった。途中警察署の前でお巡りさんに道を尋ねると、あっちですよと指差して教えてくれたが、ここに立っているとしょっちゅう鉄道博物館の方向を訊かれるということであった。
鉄道博物館では昔懐かしい長い汽笛の音に耳を傾け、珍しい展示車両などをいろいろ見て回って時を過ごし、外へ出てみると、その間風はますます強くなっていた。思わず身をすくめつつ、あまりにも激しい吹き荒れ方に畏怖の念を持った。東日本大震災の起きる三週間ほど前の冬の日のことであった。