夏 の 味
夏 の 味
夏の味覚といえば、トウモロコシとカレーがまず思い浮かぶ。子供のころ、茹でたトウモロコシがよく出た。
バターをつけたり、網の上で焼いてたれを塗ったりすることもあった。
おやつに一本丸ごと貰う嬉しさ。 夏のトウモロコシは、懐かしい味になっている。
後年、私はネパールの山麓地帯を旅した。村の中の小道を歩いていると、数人の子供たちが、庭先のおやつの輪に誘ってくれた。
見ると一本の小さなトウモロコシを皆で分け合うのだった。かまどの灰に埋めておいたらしく温みが残り、所々焦げていた。
灰を服の端で拭っては五、六粒をむしり取り、隣の子に渡す。手から手へ、そうやって何度もトウモロコシは回っていった。
どの子も大切そうにそっと実をはずしていく。見ていて胸を衝かれた。
それ以来、夏が来て、茹で上げたトウモロコシを前にすると、ふっとこの場面を思い出してしまう。
そんな時は一粒ずつ丁寧にはがして口に入れてみる。ゆっくりと実を噛んでいると、山の子供たちに分けて貰って食べた、あの時の切ないような味が舌の上に戻ってくる。
子供のころの、夏の夕食の人気料理は、わが家ではカレーだった。
余ると、翌日それをまた暖めて食べることになるのだが、私の母は、この残り物のカレーに卵を入れて火にかけ、かき混ぜて食べるのが好きであった。
夏休みのお昼に、小学生の私はこの卵とじカレーを喜んで食べていた。でも成長するにつれ、よその家では作らない奇妙なものであると感じるようになり、次第に敬遠するようになった。
母は本で見たちゃんとした料理だと言うのだが、私は半信半疑であった。
後年、インドへ旅をしたときのこと。ニューデリーで町の食堂に入り、壁のメニュー表を見ると、チキンカレー、フィッシュカレー、エッグカレーとある中に「エッグマサラ」というものがあった。ゆで卵のカレーと思い、注文してみた。やがて運ばれてきたものを見て、私の目は丸くなった。
ご飯とカレーは別々の皿に盛ってあって、カレーの方は細かく潰した各種香辛料のルーを、何と卵でとじてあったのだ。卵は完全に火が通っている。
母と食べたあの卵とじカレー。それが目の前にあった。しばらくの間しゅんとなって黙って皿を見ていた。
口に運んでみる。一口ごとにかつての夏の日がよみがえる。
トウモロコシを茹で、カレーをことこと煮込んでくれた遠い日の母。
五十代で逝った母が横に来ているような気がした。
「ね、言った通りでしょう」
得意そうな母の声がどこかから降ってくる。私は頷く。そしてスパイスのよくきいた本場の卵とじカレーを、いつかこの上なくおいしいものと感じつつ味わっていた。
(2003.8.20)