宮尾登美子
「一絃の琴」(講談社文庫)
宮尾登美子
「一絃の琴」(講談社文庫)
宮尾登美子は大正十五年(一九二六年)高知市生まれ。父は芸妓紹介業を営み、実母は愛人の女義太夫で、登美子を生んだ後に高知を去った。小学校六年のときに両親が離婚し、父のもとに引き取られ、連れ子のある継母と暮らした。県立第一高女の受験に失敗、家の職業のせいともいわれるが、高坂高女に編入し卒業。十七歳で山間部の国民学校の代用教員として赴任、同僚の前田薫と知り合って翌年結婚。十九歳で長女を出産、新生児を連れ夫とともに満州に渡る。敗戦となり、暴動に遭い、着の身着のままで帰国し、高知に戻って農業に従事した。
結核にかかって療養し、この頃から小説を書き始める。二十三歳で次女を出産、その後保母として働き、三十六歳のとき、真珠の組み子を描いた「連」で女流新人賞を受賞し、翌年に離婚。高知新聞に「湿地帯」を連載、三歳年下の学芸部記者の宮尾雅夫と再婚。夫とともに上京し、婦人誌のライター、月刊誌の編集などに携わった。四十六歳で私家版「櫂」を刊行、同作品で太宰治賞を受賞、以後文壇への道が開けていった。「櫂」は、恥じて隠してきた実家を初めて題材とし、異腹の娘を育ててゆく母の視点で描いた作品。この後は実家の生活も描くようになり、ともに暮らした仕込みっ子の女性たちを描いた「寒椿」で女流文学賞、また土佐で隆盛をみた一絃琴に打ち込む女性たちを描いた「一絃の琴」で直木賞、日本画家上村松園の生涯を描いた「序の舞」で吉川英治文学賞を受賞。
自伝的な作品としては満州の生活、引揚げの日々を描いた「朱夏」、十七歳までの少女期を描いた「春燈」、帰国後の生活を描いた「仁淀川」がある。短編としては「卯の花くたし」「影絵」「夜汽車」、芸道小説としては「伽羅の香」(香道)「松風の家」(茶道)など。人のよい女衒であった父の日記を作品化した「岩伍覚え書」、ほかには「鬼龍院花子の生涯」「天璋院篤姫」「義経」など、映画や舞台、テレビドラマ化された作品は多い。老衰のため八十八歳で没。
「一絃の琴」あらすじ
第一部
時代は幕末、土佐藩士の娘、五歳の沢村苗は、旅の絵師亀岡の奏でる一絃琴の音色に感動する。土佐では一絃琴は男の習い事であったが、少女の苗は門田宇平の塾に通って腕を磨く。宇平の死後はその高弟、盲目の有伯に惹かれ師事するが、そこで琴を作る紋之助とも知り合う。有伯から秘曲「漁火」を伝授された後、師は亡くなった。死後に下女の美代から有伯の子を身ごもっていると打ち明けられた苗は、強い衝撃を受ける。
苗は望月家の次男に嫁ぐが、武術を重視する家風に馴染めないまま、結婚生活わずか十七日にして夫は鳥羽伏見の戦で戦死、一周忌の後、苗は実家に帰った。苗の妹愛子は市橋家の長男公一郎に嫁ぐが、難産で母子ともに助からなかった。苗は臨終に付き添い冷静に振る舞って姑に好印象を残した。市橋家から望まれ、苗は二十六歳で二歳上の公一郎に再嫁した。
第二部
苗は弁護士の夫を支えて婚家の人たちから信頼され、姑の最期も心を籠めて看取るが子どもには恵まれず、寂しさを覚えていた。あるとき市で売られている紋之助製の一絃琴「白龍」を見て心が騒ぐものの、決意できず買えなかった。長く封印してきた一絃琴を再び弾きたいという思いが募り、夫の許しを得て稽古に励むうち評判となり、夫の理解や協力もあって市橋塾を開き弟子を取るようになった。最盛期には四百人を超える良家の娘たちが、花嫁修業を兼ねて塾に通った。
第三部
士族の出で税務署長の娘である蘭子は、少女期から市橋塾に通って腕を上げていく。塾には裕福な士族の娘たちが通っていたが、もと足軽の貧しい家の雅美が、入門を希望してやって来る。「今様」を聞いて涙ぐむ雅美に、苗は自分と同じ感受性を感じ取り、迎え入れた。あるとき零落した紋之助が現れ、有伯の遺品「白龍」を苗に贈って立ち去った。紋之助は墓地に寝起きする身となっていた。苗はそれを知るが、紋之助の思いを汲んで生活にはあえて立ち入らない。
美しく成長した蘭子は、公一郎に淡い恋心を抱くようになっていた。公一郎もまんざらではない。塾の跡目は蘭子が継ぐと周囲から思われ、本人も期待していたが、苗は雅美の精神性と技量を高く評価していた。蘭子は雅美に対して優位に立とうとし、わざと事を起こして貶めるような振る舞いをし、雅美は次第に居心地が悪くなってゆく。夫に逆らえず雅美を庇いきれなかった苗は、密かに雅美を呼び「漁火」を伝授した。苗と蘭子との間には、紋之助の処遇を巡って新たな確執も生まれ、苗は蘭子を拒む策として、新生児稲子を養女に貰って披露し、育てて跡を継がせると発表、蘭子を退けた。苗の自分への憎しみを感じた蘭子は塾を去った。
第四部
苗に拒絶された蘭子は一絃琴を封印し、その後良縁を得て結婚、銀行に勤める夫とともに大阪、東京、名古屋と移り住み裕福に暮らしたが、子どもはできなかった。
土佐では公一郎が急死し、六歳の稲子を抱えた苗は塾を閉じていた。苗は稲子の教育に心を傾け、稲子も期待に応えて津田英学塾に進学、卒業後は高知で教壇に立った後、帝大出の夫と東京に住み、子も相次いで生まれていた。蘭子は噂を聞くたび敗北感を持った。
苗は八十一歳で静かに世を去った。時代の流行は変わり、一絃琴はすたれて古いものになっていた。苗の死でこだわりが消え、蘭子はまた一絃琴を弾いて楽しむようになった。蘭子六十一歳のときに、夫が大阪で病死。その二年後神戸で空襲に遭い、家も道具も焼かれた蘭子は一人高知に戻った。
終戦後、蘭子は高知市内の荒れた家で人嫌いの甥と暮らしていた。生け花を教えて収入を得ようとするが、弟子が減ってゆき挫折。ある日放送局から一絃琴演奏の依頼があり、ラジオ出演を久しぶりに会った東京の稲子とともに果たすと、それを機に小規模ながら琴の教室が開設され、一絃琴の継承に務めることとなった。稲子の世話で生徒も紹介してもらうが、蘭子は噂で稲子の出自を知っており内心では「畜生腹の車引きの子」とさげすんでいた。
七十歳で蘭子は無形文化財となり、後には人間国宝に選ばれてその演奏がテープに永久保存された。技法は確かであったが人柄には問題があり、気位が高い上、弟子の自分への奉仕も当然とし、人への気づかいもなかった。指導も熱が入らず、ただ自分の演奏を聞かせるのを好むのであった。年とともに老耄が進み、最期は汚物に塗れてひどい状態となり、弟子の連絡で福祉の手により入院、八十五歳の生涯を閉じた。・・・・
構想から五回の書き直しを経て、上梓まで十数年の年月を要したそうである。一絃琴を巡って繰り広げられる苗と蘭子の葛藤や意地、長年にわたって一芸を究めてゆく長く厳しい道のりが語られる。一絃琴は幕末の頃の土佐では盛んであったといい、モデルは高知に実在した人物で、苗と稲子は島田勝子と養女の寿子、蘭子は人間国宝の秋沢久寿栄、門田宇平と有伯は実名のままで、雅美は作者の創作人物とのことである。
物語は全体に和風味の説話体の語り口で進行し、時代は幕末から昭和まで、往時の土佐の風俗や歴史、士族や庶民の生活が生き生きと描き出される。ともにすぐれた一絃琴奏者であった苗と弟子の蘭子の対立や確執、生き方の相違がテーマとなっている。
精神性を重んじる苗は、華やかな才能に恵まれてはいるが、自信に満ちた蘭子の派手な言動にはかねてから違和感を持っており、跡を継がせないことを決意した。苗が蘭子を嫌う理由はいくつかあって、人には言えない裏事情も絡んでいるのだった。蘭子が密かに公一郎を慕っていること、また夫のほうも蘭子をどうやら好もしく思っていることが苗には不安材料であり、加えて蘭子が紋之助の琴に執着するあまり、行方を探索し墓所から病院に収容させようとするいきさつを知ったとき、苗はそっとしておいてほしい紋之助の心を思って怒りに震えるのである。
内密に事を運んで赤ん坊を養女とし後継にする、と突如宣言して蘭子を退けた苗は、意志が強く行動力もある女性であった。けれど苗は初めから強気を通して生きてきたのでもない。たとえば苗が市で師の遺品の琴を見たとき、欲しくて心が動くのだが買うことができず、まず琴を弾く許可を夫に得てから、と自分に言い聞かせてそのまま帰宅してしまう。
・・・・突然昼間に琴を掻き鳴らすと、「あそこのご妻女は、外で旦那が働きよることも思わず、留守に琴なぞ弾いて遊びよって」とか、「ふた親が亡くなった途端、もう仕放題なことをして浮かれて」とかの噂が立つのは知れており、苗は先ず些細なことで市橋家が人の口の端の種になりたくないと思うのであった。
苗は何よりもまず世間体を気にして悩みはじめる。気軽に趣味の琴を弾くこともできないほど、女性には窮屈な環境、時代であったのだろうか。何日もためらっていた苗は内裏雛を見ていて哀しくなり、感情を抑えきれず、必死に夫に頼み込む。夫は妻の涙を見て驚くものの意外にも笑って許し、両親を看取ってくれたことへの感謝のしるしとして、夜でも昼でも遠慮なく弾いて楽しみなさい、と理解を示してくれる。そして苗は夫のその言葉をこのように感じるのである。
・・・・と云ってくれたことで一度に救われたように思った。苗が思わず必死の声になった裏に、どのような経過があったとまでは話していないが、公一郎がもし、子も無い故に琴ででも気を紛らわしたらよかろう、と云っていたなら苗の肩はいっそう細り、たとえ琴を手に取ったとしても曇りは一点、胸の隅に残るに違いなかった。
苗はこうやって琴の稽古を再開する。苗は稽古の前には琴に一礼し、終わると丁寧に紅絹の布で拭いて納めるというくだりがある。琴に敬意を持ち大切に扱うのは、基本的にはどんな物も大事にしてゆく、ということであろうが、楽器は単に演奏する楽器でなく、そこに籠もる魂を尊重するという考え方からでもあろう。琴はもともと素朴な古代の楽器であり、埴輪でも琴を膝に乗せた巫女の像などがあるように、その源流をたどれば、祭祀や神降ろしの場で使われるものでもあった(古事記および日本書紀 神功皇后紀)。神を招きそのお告げを聞く場面で、奏でる琴の音色に神が依るとされていた時代もあったらしく、一絃琴は古に用いられた楽器の、いわば原型の一つなのであつた。
苗は自分に近い感受性を、すべてにおいて恵まれた蘭子ではなく、控えめな雅美の音色に見出して深く共感する。雅美を後継に指名できないのはよくわかっていたが、せめてもと雅美を呼んで苗は秘曲「漁火」を伝えるのである。苗は一日で曲を覚えさせると「みだりに人前で弾いてはなりません。が、決して忘れないよう、頼みます」と雅美に念を押す。苗は後に出版した一絃琴の手引書「正曲譜本」の中に「漁火」は入れておいたが、いくら名曲であっても、それはあくまでも書かれた譜にすぎず、小節廻しの微妙なところや曲の雰囲気は、じかに教えるのでなければ正しくは伝わらないのであった。
苗は見込んだ弟子に、心から心へと曲を伝えたのである。けれども苗の精神を受け継いだはずの真の後継者の雅美がその後どうなったのかを、作者は語ってくれない。読み手としては、伝授された雅美にもっと活躍してもらいたいところだが、案に相違して雅美は少しずつ影が薄くなり物語から後退してしまう。よく歴史小説などで史実に差し障りがあるので、登場させた創作人物は最後にそっと消しておく、という手法があるが、そういう小説上の慣例に作者も従ったのであろうか。
一、二部は苗が主人公、三、四部は蘭子である。話の流れは連続しているが、通して読んでみると、主人公が異なるし、明らかに別々の物語として読める。二つに分けて独立した別作品としてとらえる考え方もあるのではと思われる。前半冒頭はかなり時代がかっていて重々しいが、後半になると時代も雰囲気も異なり、これらを括って一本でまとめることについては少々違和感がある。後半を続編にするとか、別タイトルにするなどの工夫がなされても良かったのでは・・・・という感想も持った。
一絃琴とはどのような音色を持つものであろうか。筆者は何年か前に、お寺で生演奏を聴いたことがあった。以前京都に住んでいたとき、向日市の十輪寺で毎年五月に「業平忌」の法要が行われるのだが、ある年思い立って参列した。十輪寺は在原業平が晩年に住んだとされ、自転車で行ける距離に住んでいたので、一度くらいはと出かけてみたのである。風が吹き抜けていく本堂で献花、献香などの奉納が色々あって、その中に一絃琴の演奏が入っていた。なぜ一絃琴なのかというと、業平の兄の行平が須磨に左遷された折、浜辺で舟板を拾い、冠の緒を張って琴を作りつれづれに弾いて慰めとしていたという伝承があり、一絃琴や「須磨琴」の謂れともなっているそうだ。おそらくその関連での奉納演奏となったのであろう。
そのとき一絃琴は珍しいものとは感じたが、何といっても素朴であり音色もどちらかというと単調で地味な印象であった。このとき「三絃法要」として住職が三味線を弾きつつ般若心経を唱えられたのが、華やかで意表をつく感じで、むしろそちらのほうが興味深かった。(法要の様子については紀行「業平忌」の項参照)
話がそれたが、筆者にとっては印象の薄かった一絃琴、ただ素朴なものとしか感じられず、音色も記憶に埋もれてしまっていた一絃琴であった。その琴にまつわる根性の物語を、宮尾さんは時間をかけて何度も書き直し、多くの人物を錯綜させ、逸話をつなぎ膨らませ、琴を奥深く霊妙なものとして提示してみせたのである。物語が佳境に入ると次はどうなるのか、と展開が気になり、夢中になってぺージを繰っていった。琴に精進する女性たちの生き方は、また倦まずたゆまず言葉を刻み続け努力された宮尾さんの、芯の強い姿勢にも重なってくる。読み始めは、粘り気があって胃にもたれるような文章とも感じたが、いつしか気にならなくなり読みふけっていた。くどくてしつこい表現もそれに慣れてくると、語り物独特の持ち味かと思えてくる。「一絃の琴」を読み終える頃には、その濃密な小説世界にすっかり圧倒されてしまっていた。
ほかの作品も少しみておこう。「松風の家」はずいぶん以前に読んだのだが、由良子の夫の不秀が、所縁の品の返還を乞うため、汽車賃を惜しんで炎天下の道を奈良駅から法隆寺まで往復し、倒れて帰らぬ人になるくだりが哀切で忘れ難かった。「朱夏」では綾子の満州でのお風呂の場面が妙に印象的。水の貴重な土地で、自分一人のために立てさせたものの湯はぬるく赤い濁り湯、覗き見を感じるとすぐに飛び出してしまう綾子。やがて湯は沸き返るが誰も入らない。わがままな綾子への厳しい視線は、作者が若い日の自分自身に当てる鞭でもあった。
自伝的作品の中では「春燈」に娘時代の明るさが感じられるのが、まだしも救いとなっている。「仁淀川」では、読者が知りたいと思う離婚や再婚、上京のいきさつなどについては事情が伏せてある。作品にするには色々支障もあり、関係者への遠慮があるのだろう、とは推察できるが・・・・。けれども実家の内実については思い切りよくさらけ出してあり「岩伍覚え書」などを読むと、いくら過去のものになったとはいえ、よく家の黒歴史をここまで、と驚嘆させられる。
「櫂」は亡くなった母への思いを籠めた鎮魂の作と読める。「朱夏」は満州での極限の生活を書きとめたわが子への遺書、ただ苛酷な体験を赤裸々に綴るだけでなく、体験の意味についてもっと深く考察すれば、戦争文学になり得たかとも思う。「岩伍覚え書」は父親への手向けとしての和解の書、また身近に触れ合った芸妓の女性たちを描いた一連の作品は、幸薄く生涯を終えた彼女たちへの哀悼の文でもあったのだろう。
どの作品も細部をおろそかにせず丁寧に書き込まれており、むしろその細部にこそ心を尽くし表現に凝ったのだと思われる。遊郭の女性を描いた作品には樋口一葉の「たけくらべ」など先行の名作があるが、宮尾作品には内部からじっと見つめ続けた独自の視線があり、多くの悲劇情報の蓄積があり、その表現のリアリティの濃さは言うまでもない。記憶力の点においても抜群のものがあって、それを再現してみせる能力が優れていると思う。ただ思いついた事柄すべてを小説に入れてしまおうと執着するあまり、詰込みすぎで、内容は重苦しくかさばって膨張し、読み手はかなりの努力も強いられる。一作読むとエネルギーを吸い取られる感じで、続けて次を読むという気力は失せ、回復するのに時間を要するのである。文の省略とか事柄、逸話の取捨選択、簡略化とか、方法も何かあったのでは、と思われるのだが。
自伝作品や芸妓、遊郭ものはしんどくて辛い内容だが、宮尾作品の中にはエンターテイメント色の強いものもあり、たちまちその小説空間に引き入れられ、現実を忘れていっときそこに浮遊して漂う楽しさも持っているようなので、未読のものもいつか読んでみたいと思う。