古代史の風景(9) 神 泉 苑
古代史の風景(9) 神 泉 苑
京都市の地図を広げると、二条城の南側に、神泉苑と書かれた場所がある。そこは古代から聖空間とされていたという。どんな所なのか訪れてみた。
桓武天皇が奈良から長岡京を経て、都を京都に移した794年ごろ、この辺りには広大な森があり、大小の泉、池や沼、また小川が流れる地であったと伝えられている。鹿やウサギ、鳥なども多く棲んでいたことと思われる。
桓武天皇は度々ここを訪れ、舟遊び、宴、狩猟などに興じたといわれている。平安京の大内裏の南側に位置するその一帯は、一般庶民は立ち入れない場所、つまり禁苑であった。天皇や貴族が森で狩などをし、泉があったところは、神泉苑と呼ばれることになる。
御池通に面した、南側にある石の鳥居をくぐって、神泉苑に入ってみる。楓や桜などの樹木が植えてあって、池があり、池の中ほどには小島が見える。朱塗りの橋もかけてある。年ごとに吉方に向けて、台座を回転させていくという、珍しい仕掛けの恵方社がある。弁天堂、稲荷の祠、真言宗のお寺があって、北側には山門、本堂があり、庭には句碑、更に料亭の建物まで・・・・。実に盛りだくさんである。
広い庭園を想像していたが、意外にも敷地は狭く、池も小さかった。元の神泉苑は、南北4町、東西2町という広大なものだったというが、徳川家康が二条城を築城した際に、神泉苑は大半の敷地を削り取られてしまい、現在のようになった。
でもこの凝縮されたような小庭園を訪れる、内外の観光客の人波は今も絶えない。近くに二条城という観光スポットがあるせいだろうか。それとも神泉苑という言葉の持つ響きのせいだろうか。あるいは聖泉には人を惹きつける、目に見えないパワーが潜んでいるのかもしれない。
池の中ほどには善女竜王が祭ってある。日照りが続いたとき、東寺の空海がここで雨乞いの祈祷を行うと雨が降り、それによって、西寺の僧を打ち負かしたという言い伝えが残っている。
この池は、まだ京都盆地が湖底にあった、太古の時代から存在し続けているといわれている。絶えず水が湧き出ていて、どんな時代にも涸れることがなかったらしい。それだけでも不思議な泉だが、風水による考え方では、この辺りがちょうど龍の水飲み場にあたるのだという。雨を呼ぶ龍信仰と相まって、ここは祈雨の聖地とされた。
改めて見回すと、狭い敷地内に、実に色んなものが混在しており、神社のようでお寺のような、どちらともいいがたい雰囲気が漂っている。 多くの観光客が行き交う朱塗りの反橋の中ほどに佇んで、水面に目を凝らしてみる。ふっと周囲の喧騒が消え、よどんでいる水の下に、澄み切った古の泉が、一瞬微かに垣間見えるような気がした。
(2006・10・29)