ビブティブション・ボンドパッダエ
「大地のうた」(新宿書房)
ビブティブション・ボンドパッダエ
「大地のうた」(新宿書房)
久しぶりに棚から一冊の本を取り出した。「大地のうた」1984年の発行である。大きな瞳の少年が大写しになっている表紙を眺める。これは映画の一場面であろう。インド映画サタジット・レイ監督の「大地のうた」は有名であるが、原作があることは、あまり知られていないのではないだろうか。
以前東京に住んでいた頃、「大地のうた」「大河のうた」「大樹のうた」三部作の一挙上映があり、昼食のサンドイッチと飲み物を持参で映画館に行ったことがあった。初めて見るインド世界に引き込まれ、何時間も見続けて飽きなかった。あれは70年代だったろうか・・・・。
映画がよかったので、原作を読みたいと思って図書館の棚を探したが、見つからなかった。訳されているインド文学が少ないのである。タゴール詩集は別格としても、アーナンドの「クーリー」などごく僅かしかなかった。
「大地のうた」は同人誌の形でなら翻訳があると聞き、偶然のことからその冊子を知人から貰い受けて、部分的に読んだこともあった。学生有志による手作りの冊子であったと記憶する。
その後、インドを旅したとき、この映画のことを思い出し、その舞台地となった村を訪ねてみたいものだと思った。カルカッタの街角で、日本人の旅行者に出会って、立ち話をしていたとき、何気なくそのことを言うと、
「実はぼく、その村から戻ってきたところなんです」
という返事が返ってきてびっくりした。
「ぼくが村へ行ったら、何とそこには、既に日本人男女が一組住んでましたよ」
「やっぱりあの映画を見て」
「ええ、ぼくだけじゃないんだなあって。でもいい所でした。全くあの映画の通りの情景が広がっていて・・・・」
その人は親切に手帳の紙を一枚破って、降りるローカル鉄道の駅名や、村の簡単な地図を描いてくれた。
でも結局私はその村へは行かず、ブダガヤを経てベナレスに行ったのだったが・・・・。
あの当時、映画「大地のうた」を見て、その世界に魅せられた人たちが、少なからずいたのだと思う。地味なのに強い印象を与える作品であった。人が生きるとはこういうこと、死ぬのはこういうこと、という作者の思いが淡々と提示され、さりげない日々の営みが丁寧に描かれていく。生の輝きと隣り合う死、そして自然の美しさと厳しさも。
背後に流れているラビ・シャンカールの音楽もよかったが、あの映画が描き出す独特の雰囲気に惹かれ、インドへ行った人は案外多かったのかもしれない。
私のその時のインドの旅は、思いがけず長引き、一年に及んだ。
帰国後、何年かが経ち「大地のうた」の原作が出版されたことを知って、書店の棚でそれを見つけたときは嬉しかった。心のどこかで待ち望んでいた一冊だったのである。買い求めて一気に読了、その後もインドの日々が懐かしくなった折に取り出し、読み返している。私にとって愛着のある本なのである。
それではいつものように、あらすじから。
「大地のうた」 あらすじ
二十世紀初頭のベンガルの農村に、貧しい一家が住んでいた。上層カーストに属するバラモンであるが、祭儀を行って得られる父親の収入は乏しく、しかも父親は留守がちであるため、生活苦は母親の肩にかかってくる。
母親は同居している親類の老女と気が合わず、揉めごとを繰り返す。長女のドゥルガを可愛がっていた孤独な老女は、やがて枯れ木のように道端で死んでいく。
ドゥルガと弟のオプーは藪や林、野を駆け回って自然の中で育っていく。慢性的な貧しさとひもじさから逃れられず、食べられる木の実、果物を求めて、深い森にも行き、時には他人の畑に落ちたマンゴーを拾い、見つかって追い出される。ドゥルガは誘惑に負けて、友だちの玩具を盗んだりもする。
オプーはあるとき、祭儀に行く父親に連れられ、夢のような旅を経験した。初めて汽車の線路を見て、裕福な家で贅沢なお菓子やご飯を接待され、知らない子ども達と遊んで、その思い出を胸に村に帰る。
母親は村を訪れたバラモンの金持ちの青年に対して、ドゥルガとの結婚の夢を抱き、ドゥルガも一時淡い期待を持つが、一方的な望みは実現にはほど遠く、青年は村を去ってしまう。
やがてドゥルガはマラリアを発病して、熱に苦しむようになる。父親は遠方に行ったきり連絡もなく、一家は食べ物にも事欠くようになり、生活は更に貧窮する。嵐が吹き荒れた後、風雨にさらされたことから、ドゥルガは容態が急変して死んだ。
何も知らず、家族への土産を手に帰宅した父親は娘の死を知り、嘆き悲しむ。やがて父親は一家で村を出る決意をする。オプーは荷物を整理していて、姉が近所の家から盗んで隠していた宝石箱を見つけ、誰にも言わずにそれを深い藪の中に放り投げた。一家は牛車に揺られて、村を去っていく・・・・。
ベンガルの田園描写が美しい。ジャームの樹、ハラミツの樹、オルコロミの花、ボクルの樹、シェオラの実、コロシント瓜、チャリタの実・・・・。こういう言葉が随所に散らばっていて、読み手の想像力を充分に掻き立ててくれる。
文中によく出てくるマンゴーの実、ヤシの実なら食べたことがあるし、バンヤン樹、タマリンドの樹ぐらいまではわかるしイメージできる。でも先に挙げたような樹や花、果物の名は、初めて耳にしたこともあって、とても新鮮で魅力的な響きに感じられた。
大河小説ではあるが、特に大きな筋はなくて、主としてベンガルの農村の、それもかなり貧しい生活が、細部に亘って延々と描かれていく。作品にはゆっくりとしたリズムが流れていて、それは書き手の呼吸の長さででもあると思うのだが、大きな展開がないのにもかかわらず、読み手を退屈させないで最後まで引っ張っていく。自然描写に深い味わいがあるからだろう。
映画では、第一部の「大地のうた」がこの小説に相当する。二部と三部は同じ作者の別の作品から取られているそうだ。
三作を通してみると、それぞれに雰囲気があってよかったのだが、その中で「大地のうた」があまりにも叙情的で、詩情豊かであったため、成長したオプーの貧困生活と両親の死を扱った「大河のうた」は暗すぎて救いがなく、「大樹のうた」で展開される、妻との突然の結婚や出産による妻の死、オプーの放浪と文学の挫折、そして幼い息子との再会というストーリーには、やや唐突感があった。
レイ監督のインド世界にすっかり魅了され、70年代に岩波ホールで上映された同監督の「遠い雷鳴」「ミドルマン」「チャルラータ」「大都会」などの作品を次々に見ていったことを、懐かしく思い出す。
その後テレビで「見知らぬ人」も見たので、日本で公開されたレイ監督のほとんどの作品を見たことになる。
その中で、ベンガルの若いバラモンの夫婦の生き方を描く「遠い雷鳴」は「大地のうた」と同じ原作者であったため、特に興味深く見た。でも一番心に残ったのは、やはり私には「大地のうた」であった。再上映を含め三度見た。原作の持ち味を充分に生かしつつ、それを凝縮し、更に高めていたと思う。
「大地のうた」を読み直してみると、改めて使われている語彙の豊かさに感心させられた。大河小説なので、多重視点の手法を用いているが、中心になる人物の視点がきちんと定まらず、多くの登場人物の視点に気まぐれに移って物語が動いていくことが、初めは気になったが、読み進むうちに次第にそのことを忘れていき、いつかともにベンガルの田舎の自然の中に、主人公たちと一緒になって溶け込んでいた。文章の持つ力かと思う。
後半でドゥルガが、母親のいない折に、家から食材を持ち出し、オプーと森の中で火を起こし、初めて料理を作ってみる場面がある。偶然通りかかった村の不可触民の少女ビニを加え、三人で食事をする。
ドゥルガが作ったのは、ご飯とナスを揚げたカレーという質素なものであった。ナスは焦げ、塩を入れ忘れたのにもかかわらず、葉っぱや木の実のままごと遊びでなく、火をおこし、ご飯を炊いて調理し、人に振舞うことのできた少女の喜びが行間から伝わってくる。本文から少し引用してみよう。
・・・・四方を緑で囲まれ、むこうには蔦が風に揺れ、ベルの樹の下の藪ではシェオラの花が咲き乱れ、生い茂った雑草の上でコンジョン鳥が走り、踊り回っている。静かな森の一角にある、誰もいない奇妙な空間。早春のうららかな日。枝々には新しい葉が芽吹き、一方の藪ではゲントゥの花が森の中を明るい光で満たすように咲き誇っている。ザボンの樹は数ヶ月前に花の多くは散ってしまったが、それでも上の方の枝では、白い花がいっぱい残っているのが見える・・・・。
・・・・ごはんをおろし、ドゥルガは油を火にかけてその中にナスを放り込んだ。しばらくぼうっと見つめてからオプーを呼んだ。
「ほら、ほんとに母さんの料理みたいにうまくできたわ。ごらんなさい。おいしそうな色でしょう」
オプーもびっくりしてみつめている。自分たちのピクニックで本物のごはんやナス揚げができるとは、ついさっきまで信じられなかった。そしてみんなでバナナの葉に盛って、いさんで食べ始める。メニューはごはんとナスだけ。他には何もない・・・・。
・・・・料理に塩を入れるのをころっと忘れていた。塩味がないはずである。しかしそれでも三人は熟していないメテアルをごはんに混ぜ、半分こげたナスをおいしそうに食べる。ドウルガの初めての料理だ。自分の手でつくった初の芸術作品。感動もひとしおである。森の中、積もった枯葉の上、ヤシの樹から舞い落ちる葉を見ながら、本物の料理を食べる・・・・。
・・・・オプーが思い出したように言う。
「姉ちゃん、母さんに何て言いわけするつもり?晩にまたごはんをたべる?」
「まさか、母さんに言ったりしたらだめに決まってるでしょ!晩になれば、またお腹がすいてくるから大丈夫よ」
不可触民は人の家に水を飲ませてもらいに行っても直接は水に触れられず、別の人が水を汲んだ壷から飲まねばならない。そしてその壷も、あとできれいに磨かねば許してくれない。ビニは何度か口に出しかけて、ためらった後に、オプーのコップを指さして言った。
「オプー、そのコップで私の口に水を注いでくれない?のどが渇いたの」
オプーは言った。
「コップに口をつけて飲みなよ」
それでもビニはコップに口をつけていいものかどうか、迷っている。ドゥルガも言った。
「気にしないでいいわよ。コップに口をつけて飲みなさい」・・・・。
つい長く引用してしまったが、印象に残る場面である。爽やかな緑の森の情景が目に浮かんでくるようだし、自分たちでものを作って食べる楽しさが伝わってくる。また大人の社会では、厳しいと思われる不可触民のタブーも、子どもたち同士の間では壁が取り払われ、こだわりのない自然な付き合い方ができている様子が、ほのぼのと温かい目で描かれている。
以前ネパールを旅した折のことだが、ポカラの湖のほとりで、一人の村の少女に声をかけられたことがあった。彼女は十二、三歳に見えた。何となく私に村の食堂へ連れて行ってもらいたそうにするので、一緒に店に入り、カレーとチャイを少女の分も頼んであげた。次の日出会うと、また同じような素振りをするので、空腹なのかと思い、焼き飯を食べさせてあげた。
見ていると村の男の子は、外国人の男の人について回って、昼食をねだっている。女の子は外国人の女の人に頼んで、一食分のご飯の提供を受けようとする。小さいなりに可愛いしぐさで、人に媚びる事を知っているのだ。
一日中働いている子どもも多いのに、こんな風にして只で食べようというのはちょっと・・・・とは思ったが、痩せ細った手足と貧しい身なりを見ていると、つい大した金額ではないと思い直し、支払ってあげたのだった。その少女が、食後私に向かって言った。
「ねえ、私料理ができるの。お姉さんの泊まっている宿の前庭に、私、石を組んで小さなかまどを拵えるから、そこで明日から私に料理をさせてくれない?毎日お姉さんにナスとじゃがいもの二種類の野菜のカレーを作って、ご飯を炊いて、それから水牛のミルクでチャイも作る」
料理人として雇ってほしいと、少女は言うのだった。笑って聞いていると、
「小鍋が二つと、お皿が二枚と、それとカップが二個欲しいわ・・・・それから」
実益を兼ねるままごとの夢を、少女は楽しそうに語っていく。
「まあ、私にはちょっと無理ねえ。誰か他の人に頼んでみてね」
少女は諦めず、私と一緒に作る米のお菓子のことを、更に夢想してあれこれ言い続けるのだった。
「大地のうた」で、ドゥルガたちの森でのままごとピクニックの場面を読んでいて、ふとネパールの村の、その女の子のことを思い出してしまった。
この年頃の女の子の夢の一つは、自分の手で料理をしてみることだろう。実は私にも覚えがあって、小学生のとき、母親の留守の日に、お昼のおかずに、どきどきしながら初めて一人で玉子焼きを作ってみたことがあった。少々焦げてしまったが、嬉しかったことを今でもよく覚えている・・・・。ページを繰っていると、そんな遠い日のことがふっと浮かんでくるのだった。
「大地のうた」を検索にかけてみたら、全国学校図書館の選定図書など二つもの選定図書に選ばれていた。きっと発売当時は、優れた図書、児童文学としても認められていたのだろう。こういう本が学校の図書室に置いてあって、子どもたちに読み継がれていくのは、いいことだと思う。今も読まれているといいのだが・・・・。
無論大人が読んでも味わいがある。人と人の繋がり、目に見えない家族の深い絆、大自然の持つ力とその恵み・・・・。
派手な出来事は何もないけれども、語られていく小さな日常の積み重ねの中から、遠い日の記憶の底にあった、懐かしい子どもの頃の思い出が浮かび上がってくる。そしてそっと心が揺さぶられ、忘れていた大切なものが蘇ってくる・・・・。
「大地のうた」とはそんな小説なのである。